(つづき)
三国とは越後・上州・信州の三国を意味していますが、江戸時代には越後の大名はこの峠を参勤交代で越え、またその昔は関東管領の上杉謙信が十数度もこの峠を越えました。また長岡藩士が雪崩に遭い多くの命を落としました。 新潟県側から三国峠に着いたことで、三国街道の総仕上げとなりましたが、今までの記録を下にリンクしておきます。
「会津に告げよ武士の死を(小出島)」
「春の放浪記(その15)三国街道Ⅰ」
「春の放浪記(その16)三国街道Ⅱ」
「春の放浪記(その17)三国街道Ⅲ」
「春の放浪記(その18)三国街道Ⅳ」 上杉謙信、そして町野久吉、河井継之助の名前が見えます。 (三国街道)
三国とは越後・上州・信州の三国を意味していますが、江戸時代には越後の大名はこの峠を参勤交代で越え、またその昔は関東管領の上杉謙信が十数度もこの峠を越えました。また長岡藩士が雪崩に遭い多くの命を落としました。 新潟県側から三国峠に着いたことで、三国街道の総仕上げとなりましたが、今までの記録を下にリンクしておきます。
「会津に告げよ武士の死を(小出島)」
「春の放浪記(その15)三国街道Ⅰ」
「春の放浪記(その16)三国街道Ⅱ」
「春の放浪記(その17)三国街道Ⅲ」
「春の放浪記(その18)三国街道Ⅳ」 上杉謙信、そして町野久吉、河井継之助の名前が見えます。 (三国街道)
今回電車で長岡までとはその為の電車だったのでしょうか?
昔を懐かしんでの峠越えは素晴らしい事です。
上州側は距離もあるので、一日ではきついですね。
やっと永井宿から二居宿までつながりました。
今回の長岡行は別の用ででかけました。