高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

三国峠越えの総仕上げ(後編)

2014-06-17 05:33:12 | 歴史
        (つづき)
三国とは越後・上州・信州の三国を意味していますが、江戸時代には越後の大名はこの峠を参勤交代で越え、またその昔は関東管領の上杉謙信が十数度もこの峠を越えました。また長岡藩士が雪崩に遭い多くの命を落としました。


(上州側から登った時に見た三国権現です)

新潟県側から三国峠に着いたことで、三国街道の総仕上げとなりましたが、今までの記録を下にリンクしておきます。
「会津に告げよ武士の死を(小出島)」
「春の放浪記(その15)三国街道Ⅰ」
「春の放浪記(その16)三国街道Ⅱ」
「春の放浪記(その17)三国街道Ⅲ」
「春の放浪記(その18)三国街道Ⅳ」


(群馬県側から登った時に見た三国権現です)

 
(鳥居の奥は三国山そして三国権現)

 
(三国峠付近の地図)

 
(三国峠を越えた人達)

上杉謙信、そして町野久吉、河井継之助の名前が見えます。

 
(左を下れば上州の永井宿、右を下れば越後の二居宿へ)

 
(ヤマエンゴサクとケナシヤブデマリ)

 
(ツルネコノメソウとオオバキスミレ)


(三国峠を後にしました)

(三国街道)


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 三国峠越えの総仕上げ(前編) | トップ | 初夏の花(その5) »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
健脚ですね (信徳)
2014-06-18 12:19:41
歩いての三国峠越えは上州側から越後側からとも何度もやっているのですか?
今回電車で長岡までとはその為の電車だったのでしょうか?
昔を懐かしんでの峠越えは素晴らしい事です。
返信する
やっとつながりました (寅太)
2014-06-18 12:32:43
信徳さん、こんにちは。
上州側は距離もあるので、一日ではきついですね。
やっと永井宿から二居宿までつながりました。
今回の長岡行は別の用ででかけました。
返信する

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事