高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
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春の放浪記(その17)三国街道Ⅲ

2011-06-11 07:20:17 | 歴史
(つづき) 
 長岡藩士の八基の墓の文字を見ますと、日付は元文五年二月五日で、戒名の上の2文字は全て「越山・・・居士」でした。現代では越山は、田中角栄の雅号が思い起こすと思うのですが、古くは上杉謙信が越後の山を越えて、関東に出兵することを越山といったようです。さらに謙信が七尾城を攻め落とし、越後と越中そして能登を手に入れた喜びを、漢詩にした「十三夜」が知られています。

   【十三夜】 上杉謙信
    霜満軍営秋気清
     数行過雁月三更
     越山併得能州景
     遮莫家郷憶遠征


(三国峠で雪崩に遭った長岡藩士8人の墓)

 
(「元文五年二月五日、越山・・・」「長岡家中」の文字)

 
(三国街道沿いのお地蔵さま)

 
(変わったウスバサイシン(薄葉細辛)) (オオバキスミレ(大葉黄菫)

 
(ネコノメソウ(猫の目草)の仲間)    (ユリワセビ(百合山葵)

 
(三国峠まであと1.5kmです)    (まだ咲いていたヤマザクラ)

快適な三国街道の平坦路を、楽しんでいたのはここまででした。崖の間を這うように道は廻り、足元に雪解けの水が、音を立てて流れています。最も大きな川を渡る時はストックが頼りで、川を越えてから振り返ると、流れ落ちる滝と下る滝の間の難所を通ったことがわかりました。こんな急な山や崖の間を、江戸時代に冬季に通れたのでしょうか。

 
(足元を雪解け水が流れる)    (道の端は切り立つ危険な崖)

 
(水量が多く最も危険な川越え)  (振り返ると滝と滝の間でした)

 
(三国峠は0.5kmの標識に到達しました)

 
(前方がぱっと開け、越後の山々が見えてきました)

(群馬県三国街道)     (つづく)

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2 コメント

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早春 (信徳)
2011-06-13 08:53:58
未だ残雪が多く春が早い感じです。草花は早春のものしか見られないようでしたね。高尾山に比べれば二カ月は違いますか?
返信する
遅い春、早い秋 (寅太)
2011-06-13 09:38:28
信徳さん、おはようございます。
そうですね。
ほぼ2ヶ月三国街道は春が遅いようです。
は早く来るのですから、季節の移り変わりが激しいのですね。
返信する

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