高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

富士山と小田原城

2012-11-05 05:51:32 | できごと
相方の田舎の従妹が、インディアカの関東甲信越大会に出場するとの連絡が入り、応援に行ってきました。会場は小田原市の、小田原アリーナです。インディアカはシャトルコックの羽根が付いたボールを、ネットを挟んだ両チームが打ち合う競技です。ルールはバレーボールに似ているので、初めて見ても馴染みがあります。


(小田原アリーナからの富士山)

 
(小田急電鉄の車窓からの富士山)

 
(矢倉岳と重なるところに民家が・・・)

 
(会場の小田原アリーナ)


(難攻不落だった小田原城)

後北條5代の小田原城も、豊臣秀吉に滅ぼされました。その後、相模の重要地点の小田原城は、徳川家康の重臣大久保忠世が治めることになります。しかし大久保長安事件に連座し、2代で取り潰されます。
次に入って来たのが春日局の稲葉家で、これも3代で政争に敗れ、越後高田に左遷されました。稲葉家の高田の時代は1代だけですが、領地は稲葉家の飛地として越後に長く残り(佐倉領、淀領)ました。最後は復活した大久保家が10代続き、幕末を迎えました。

 

 
(天守閣から見下ろす)


(北條5代を築いた北条早雲)

(多摩川河川敷:2012.11.04)

コメント (3)
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