高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

愛宕山と長岡藩邸(前編)

2012-02-05 10:01:13 | 歴史
長岡の仲間の集まりが上野であり、時間の余裕がありましたので、港区愛宕の愛宕神社付近にあった、長岡藩邸の付近を歩いてきました。


(徳川家康が戦勝と火防の神として建立した愛宕神社)

 
(桜田門の変の浪士集合場所)    (曲垣平九郎ゆかりの梅)

寛政年間に3代将軍家光は、増上寺からの帰途、愛宕神社の下を通り、境内の梅の花に気付きました。お供の者に「馬で枝をとってまいれ」と命ずるも、急勾配で失敗者が続出しました。
丸亀藩の曲垣平九郎が、見事に枝を持ち帰り、この階段は「出世の階段」と呼ばれるようになりました。階段の上に立つと、馬では上りよりも下りが難しいことがわかります。現代まで成功したと記録に残っている人は、10指に足らないと言われています。

 
(下から見あげた男坂)      (女坂もかなりな急勾配)

 
(上から見た男坂は絶壁に近い) (大正14年のラジオ放送はここから)

幕末にイギリス人ベアトが愛宕山に立ち、江戸の街を撮影しました。江戸の町並みが残る貴重な画像ですが、正面に長岡藩中屋敷が写っています。


(ベアトが愛宕山から見た長岡藩邸)

(東京都港区)

コメント (2)
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