長岡の仲間の集まりが上野であり、時間の余裕がありましたので、港区愛宕の愛宕神社付近にあった、長岡藩邸の付近を歩いてきました。
寛政年間に3代将軍家光は、増上寺からの帰途、愛宕神社の下を通り、境内の梅の花に気付きました。お供の者に「馬で枝をとってまいれ」と命ずるも、急勾配で失敗者が続出しました。
丸亀藩の曲垣平九郎が、見事に枝を持ち帰り、この階段は「出世の階段」と呼ばれるようになりました。階段の上に立つと、馬では上りよりも下りが難しいことがわかります。現代まで成功したと記録に残っている人は、10指に足らないと言われています。 幕末にイギリス人ベアトが愛宕山に立ち、江戸の街を撮影しました。江戸の町並みが残る貴重な画像ですが、正面に長岡藩中屋敷が写っています。 (東京都港区)
丸亀藩の曲垣平九郎が、見事に枝を持ち帰り、この階段は「出世の階段」と呼ばれるようになりました。階段の上に立つと、馬では上りよりも下りが難しいことがわかります。現代まで成功したと記録に残っている人は、10指に足らないと言われています。 幕末にイギリス人ベアトが愛宕山に立ち、江戸の街を撮影しました。江戸の町並みが残る貴重な画像ですが、正面に長岡藩中屋敷が写っています。 (東京都港区)