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Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「スパイダーマン:アクロスザスパイダーバース」

2023年07月08日 09時31分20秒 | 映画(2023)
これは"Shoot(ヤバい)"。


幾度もリブートされてきたスパイダーマンという素材を、既視感を感じない斬新なアニメ映像で作り上げた「スパイダーマン:スパイダーバース」から5年。続篇でありながら、前作とは違うアプローチで再び驚かせてくれた。

本作の何がすごいと言えば、映画を言い表すための言葉がいくつも浮かんでくることにある。

もちろん前作から強調されていたアメコミ風の画調のポップさは健在な上に、パワーアップしたマルチバースの世界、より深く掘り下げられるスパイダーマンの避けられない運命、異空間を超えて展開されるスケールの大きいスパイダーマンとグウェンの関係、場面ごとにクール、カラフル、スリル、ハートフルとまったく異なる位相が矢継ぎ早に訪れる。

そして、前作で若干の引っ掛かりであった、なぜマイケル・モラレスという有色人種が主人公なのか、安易なポリティカルコレクトネスの産物ではないのかというもやもやに対して、本作はがっちりと辻褄を合わせてくる。彼がスパイダーマンとなったことから生じたあるべき世界とのズレは、前篇である本作のクライマックスにすべてのスパイダーバースを巻き込む大きなうねりへと成長する。

最近のMCU作品に物足りなさを感じるのはマルチバースの設定によるものと思う節もあったが、本作をみる限りそれは間違っていることが分かった。本作のマルチバースは複雑ではあるが整然と整理されて飲み込めるものになっている。特に、スパイダーのウェブ(蜘蛛の糸)の比喩で世界のつながりを表現する場面を見ると、マルチバースの設定が必然であるとも思えてくる。

異世界のスパイダーマンもことごとくユニークである。インド系のスパイダーマンが活躍するのは時代とも言えるが、ほかにもパンク系のホービーであったり、マルチバースを束ねるリーダー格のミゲル・オハラであったり、もちろん元祖スパイダーマンでありマイケル・モラレスの師匠でもあるピーター・パーカーも健在だ。これだけいれば取っ散らかりそうなところを、前篇だけでもそれぞれに見せ場を作れている点も驚きである。

設定、ドラマと来て、やはり戻ってくるのは映像の斬新さである。マルチバースとアニメの相性の良さをことごとく実感する(そしてその逆、実写とは相性がいまいちであることも)とともに、アニメだからこそ映えるのが今回のヴィランであるスポットである。

冒頭ほどなくしてマイケル・モラレスの世界にふっと現れて、コミカルに動き回る彼がすべてのマルチバースの脅威へと進化する。出自もアメコミのヴィランの王道であり、後篇でどう絡んでいくのか今から期待である。

そして後篇といえば、ヴィランとの闘いだけではなく、世界の秩序を維持しようとするミゲル・オハラとのスパイダーバース的シビルウォーともいえる争いや、世界のズレから起きた異世界のマイケル・モラレスとの関係と、複層化した物語をどう収拾していくのか、これまでと同様に、こちらが思いもよらない展開で驚かせてくれることに期待している。

(90点)
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「ザフラッシュ」

2023年06月25日 15時51分04秒 | 映画(2023)
すべてを肯定する、最強スパゲティ理論。


宿命のライバル・マーベルに対抗心を燃やしながらも、シリーズが安定して続かないなどなかなか中心軸が定まらないDC。

しかし今回、E.ミラー主演(これまた問題児)の本作は、途中で立ち消えになった作品も含めてすべての存在を認める画期的な物語であった。

それはざっくりと言えば、マルチバースをタイムリープものと結び付けたもの。

もともとフラッシュは、超高速で移動できる特殊能力がメインのはずだが、今回その能力がふんだんに生かされるのは冒頭くらい。

速度の限界を超えると時空の壁を突き抜けるという相対性理論的なつながりからか、話のほとんどがタイムリープものに特化したものとなっていた。

それも、これまで作られた多くの作品では、過去の出来事に手を加えることによって歴史が枝分かれして現在の世界が危機に陥るのが定番であったが、本作は、手を加えた後の枝分かれだけでなく過去までも変化させてしまうと、もうひとひねり。

納得するかどうかはともかく危機感は激増しし、それ故のマルチバースとして、過去の様々なDC関連作品の出演者が出てくるサービスショットが目白押しのおまつり状態となった。

「スパイダーマン:ノーウエイホーム」でT.マグワイアやA.ガーフィールドが出てきて驚いた流れの、更に上を行くと言っても過言ではないカメオ出演の数々。特に、黒歴史扱いだったはずのあの方が出てきたのには思わず吹き出してしまった。

過去の失敗をなかったことにせず、有効に生かしていこうという姿勢は立派。だけど、G.ガドットのワンダーウーマンにはもう会えないのかと思うと複雑。E.ミラーもどうなるか怪しいし。今回の複数役(同一人物だけど)が良かっただけに、正直なところもっと彼のシリーズを見てみたい気がする。

ベストメンバーのマルチバースということで、なんとかどうでしょうか。

(75点)
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「M3GAN/ミーガン」

2023年06月18日 09時06分36秒 | 映画(2023)
最大の設計ミスは、起動停止時に目が開いていること。


本作を観る少し前に、昨年北米でヒットして話題となった「SMILEスマイル」という作品が配信のみの公開となったことを知った。えー、おもしろそうだったのに。

こちらの作品は早々に映画館にかかることが決まっていたようで、はじめにチラシを見たのは今年のはじめだった気がする。劇場公開の境界線ってどこにあるのだろう。

家族旅行の道中で交通事故に遭い、両親を亡くした少女ケイディ。彼女を引き取った叔母のジェマは、玩具企業で製品開発を受け持つ技術者であった。

子供の世話などしたことがないジェマは失意のケイディにうまく接することができない。そんなときケイディがジェマのおもちゃの試作品に目を輝かせる様子を見て、開発中のAI人形のミーガンを与えることを思いつく。

人工知能が、開発した人間の想像を超えて発達しパニックを引き起こすという設定は大昔からある話で、特に目新しいものではない。

あらすじがわかりやすいことに加えて、端役まで善悪を明確にし劇中で裁断するすっきり感もあり、日頃疲れた頭を休ませるのにぴったりである。

ホラーという括りの割りにショッキングな場面は多くなく、R指定ではなくPG12というのもうなずける(実際小さい子供が見に来ていた)。

当然のことながら見せ場はミーガンの暴走である。CMなどで流れる廊下でのダンスシーンに象徴されるが、暴走ミーガンはなぜか奇妙な動きをする。どこから学んだんだ、それ。

挙句の果ては、ジェマたちと戦う中で顔面が剥がれ落ちて機械がまる見えに。これもターミネーターの系統に連なる伝統芸だ。これではもうケイディの心はつかめない。

こうしてみると、やはり劇場公開に結びついたのはビジュアルの強さなのかなと思う。さっそくミーガンダンスをマネした動画が話題になんて報道を見かけた。ミーガンは歌もうまいからTikTokも巧みに利用しそうだ。

(65点)
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「水は海に向かって流れる」

2023年06月16日 22時33分51秒 | 映画(2023)
そろそろ海が見えるころ。


すずちゃんといえば、「海街diary」での末っ子役や実生活での姉妹のイメージが強く、基本的に妹キャラだったのだが、本作で彼女が演じたのは26歳のOLで主人公の高校生・直達より10歳年上の女性である。

高校へ通うのに便利なおじさんの家に居候するつもりでやって来た直達。しかし実はその家はシェアハウスで、広瀬すず演じる榊さんもその住人であった。

雨の日に駅まで傘を持って迎えに来たり、お腹が空いているときには料理を作ってくれたり、日常の行動で見せる優しさとは裏腹に、榊さんは周りに壁を作っているかのように笑わない。そして彼女は言う。「私は恋愛はしない」

何が彼女をそうさせているのか。その秘密は意外なほど早く明らかになる(最近このパターン多い?)。

明らかになった真相と、直達と榊さんの関係性があまりにも作り話でいまひとつ落ちてこないが、図らずも運命的な出会いになってしまった二人のほろ苦い話は概ね微笑ましく見られる。

年上の女性という立ち位置以上に、輝くような笑顔を封印したすずちゃんが新しい。原作者の田島列島さんが「広瀬すずさんの美しさに酔え!」と言ったそうだが、スクリーンいっぱいに映し出される凛とした横顔は「完璧」という言葉がぴったりだった。

ただ、彼女が美しいから直達が惹かれたわけではないのも、本作のおもしろいところである。彼にとっては、あくまで榊さんの謎めいた立ち居振る舞いが気になったことがきっかけであり、真相を知ったことで彼女と感情を共有したいという欲求が生まれたのである。

だからかわいい級友に好意を寄せられて、「リア充になりなさい」と言われても気持ちの変えようがない。その辺りの一種の一途さは、直達や榊さんの親たちの履歴と一見対照的に映る。

高校生の直達と、26歳だけど10年間時が止まったままの榊さんは、つり合いがとれていないように見えて、実は人生の同じようなところを歩いていた。

川の水のように流れていく時間の中で、せき止められていた榊さんの人生が再び流れ始めたラストシーン。その後の二人の選択に想像が広がる余韻が印象的であった。

それにしても、もうすぐ海に流れ着く年代の大人たちの人生が、揃いも揃ってくすんだように見えるところが悲しかった。

(70点)
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「怪物」

2023年06月03日 23時11分51秒 | 映画(2023)
小さな恋のメロディ。


是枝裕和監督作品として、「万引き家族」に続くパルムドール賞は逃したものの、坂元裕二氏がカンヌ国際映画祭の脚本賞を受賞した本作。

これまで是枝監督は自らが脚本を兼ねることが常だったが、今回敢えて他者に脚本を任せたということでどのような変化が生じたのかに興味が湧いた。

物語は3部構成。いずれも長野の地方都市の中心部でビル火災が発生した時点から始まり、物語の主要人物のそれぞれの視点で事態の推移を描いていく。

脚本の技量を感じるのがまさにこの構成の部分で、謎や伏線のばら撒きと回収が分かりやすく丁寧に行われるのはもちろん、1部ではサスペンス調だった話が、3部では大きく趣きを変えるコントラストも鮮やかに決まっている。

物語の中心となるのは、小学5年生の少年・麦野湊と同級生の星川衣里。そして湊の母親と、湊、衣里の担任教師の保利先生の4人である。

湊の父親は事故死し、シングルマザーとなった母親が働きながら懸命に育てている。1部は、湊の不審な行動に気を病む母親の視点である。

ただでさえ不安定な年代であるのに加えて片親である。努力しても目が行き届かない点があってもおかしくない。ある日ケガをして帰ってきた湊を問い詰めると、彼は担任の保利先生に暴力を振るわれたと告げる。

学校へ抗議に行くと、校長を含めた教師陣は申し訳なかったと頭を下げるが、そこに誠意や人間性はまったく感じられず、母親の憤りはますます増幅する。事を荒立てたくない学校側を押し切って、保利先生を辞めさせることに成功するが、ある日湊は突然姿を消した。

2部は一転して、1部で「怪物」のように扱われた保利先生の視点からの物語になる。冒頭から打って変わって人間味あふれる教師であった彼の姿が描かれ、観ている側は面食らう。

保利先生をはじめ教師たちにとって「怪物」は、児童・生徒であり、その後ろにいる父兄たちである。保利先生の言い分が正しいとわかっていてもそれが通じない世界がある。学校全体のために我慢を強いられ、保利先生は嘘の謝罪を行い学校を辞める。そして自宅の荷物を整理しようとしたときに目に入った児童の作文を見て、彼はあることに気が付く。

そして3部。解決篇とでも言おうか。湊と衣里の視点で描かれる物語は、先述のとおりサスペンス調は消え失せ、一転して少年たちの青春ドラマとなる。

物語の構成と同時に巧みさを感じたのは、「怪物」というタイトルである。

前2部では、怪物とはいったい誰のことなのかという点が展開の中心に常にあるのだが、3部になると、そもそも「怪物」が何を指しているのかにも焦点が当たるようになり、それこそが本作のテーマであることが分かる。

脚本こそ他者に譲ったものの、是枝監督作品としてさもありなんと感じた。

中には好意的に捉えられない人もいるかもしれないが、名声を得て社会への影響力を持った今の彼だからこそ、作る意義のある作品だと思った。

主役の少年2人がとにかくみずみずしい魅力を発揮している。美しすぎて逆にルッキズムの面から批判が来てもおかしくないくらいだ。

(85点)
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「アフターサン」

2023年06月03日 09時47分58秒 | 映画(2023)
父と娘の間の捉え難い空間。


予感はしていたが、エンドロールが流れ始めたときはさすがに虚を突かれた。

本作は、劇中に展開の説明が一切ない。全編にわたって父と娘がトルコで過ごした休暇の情景が続き、時折、ブラックアウトした背景に人影が点滅しながら見える映像が挟まれるのみである。

すべての解釈は観る側に委ねられており、とんでもなく見当違いな理解をしてしまうことを恐れながらも、逆に百人いれば百通りの捉え方をするのが当然と開き直って鑑賞した。

と半分言い訳をしておいて、感想を述べる。

父・カラムは離婚して娘・ソフィと離れて暮らしているが、二人はお互いのことをとても慕っている。情報はないが、二人で過ごした休暇は1~2か月であろう。その間に数々の何気ないエピソードが積み重ねられ、観る側は二人の仲の良さを理解する。

しかしその一方で、時々二人の間に明らかに気まずい空気が訪れる。それは父からであったり娘からであったりするけれど、明確な原因はわからない。ただどちらかが明らかに不機嫌になったり感情を昂らせたりする。

普通の話であれば、それに端を発して何か大きな事件に発展するのだろうが、そうならないところがまた本作の特徴となっている。

気まずい思いをした次の場面で父娘の関係は元に戻る。時に素直な反省の弁を相手に伝えて、また二人は淡々と休暇を楽しむ。

父が離婚した母と電話で話している様子を見て、娘が「どうして愛してるって言うの?(うろ覚えであり、違う言葉だったかもしれない)」と尋ねる場面がある。

父は応える。「家族だからだよ。祖父も祖母も、みんな家族だ」

離婚は結婚以上に難しい判断の上での行為である。お互い顔を見たくないくらいに嫌っての離婚もあるが、中にはお互いを慕ったままでより良い選択として離婚を決断するケースもある。

別れても家族と言える関係がある一方で、戸籍を一にしながら関係が疎になることも少なくない。もっと広げて言えば、赤の他人でもチームを組んで物事に当たるときに家族以上の深い絆を築けることもある。

そして親子である。先述のとおりカラムとソフィは強い絆で結ばれていて、お互いにそれを理解している。しかしそれでも、いや、だからこそ時折気まずい空気が流れたり、心が不安定になったりしてしまうのである。

二人のエピソードの間に挟まれるブラックアウトの映像。そこに映るのは、成長したソフィであったり、カラムの姿であったりするが、共通するのは表情がどこか虚ろなところである。

結婚の誓いで、健やかなるときも病めるときも、というセリフがある。お互いを深く愛することができれば、相手を思いやり、時にはうまく甘えて生きていくことができるのだと思う。

休暇が終わる少し前、ソフィ宛てに書いた自分の手紙を見て号泣する場面がある。ソフィにビデオ撮影を止めさせてから自分の秘密の話をする場面がある。

休暇が終わり飛行機で旅立つソフィを送った後に、180度振り返って歩いていく先にはブラックアウトの空間が待っていた。

11歳のソフィにまだ虚無はない。ただ漠然と、楽しい休暇がずっと続けばいいのにと思っている程度だ。そんな彼女が休暇中に父や周りの人たちを見て、少しずつ大人への学びの過程を進んでいく。そしてその様子を父は温かく見守っている。

終わった瞬間は戸惑いを隠せなかったが、思い返すほどに味わい深い父娘の物語だと感じた。

何よりソフィ役のF.コリオが映画史上に残るレベルで魅力的で、画面にぐいぐいと引き込まれた。

(90点)
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「ガーディアンズオブギャラクシー:VOLUME3」

2023年05月13日 22時43分27秒 | 映画(2023)
ガーディアンズは戻ってこない、とは言っていない。


MCUのどのシリーズも、第4フェーズ以降はアベンジャーズで広げたウィングを自分の世界に折り畳む必要を強いられたが、それは決して簡単な作業ではなかった。

マンガの連載でもそうだが、戦いを描く物語では、続篇の敵が前より弱くなっては見応えがなくなるため、話がどうしてもインフレになりやすい。

先日の「アントマン&ワスプ:クアントマニア」がまさにそうだが、それによって主人公が追い詰められるところばかりが際立ち、本来主人公が持っていた持ち味が薄まってしまう危険性を備えているのである(何よりサノスの後というわけだし)。

ガーディアンズは、C.プラット演じるスターロードが目立った特殊能力を持っておらず、特徴といえばピンチのときにも明るさと音楽を忘れないポジティブ思考というキャラクターなので、特にその点が心配であった。

本作は、"凶暴なアライグマ"ことロケットの知られざる過去を中心に展開する。

空から突然現れた刺客がロケットに体当たりし、彼は瀕死の重傷を負う。医療措置を施そうとするが、彼の体には触ると死亡してしまうスイッチが埋め込まれており手を出せないことが分かる。

なぜこんな装置が埋め込まれているのか。そもそもロケットの出自とは。シリーズ当初からの謎が明かされることになる。

その他にも、このシリーズは登場人物が多い分関係性も多様になっており、その経過を描くだけでも結構分量が多くなる。

スターロードとガモーラの恋、ガモーラとネビュラの姉妹関係、グルートの成長もあれば、かつては好敵手の側にいたクラグリンのようなキャラクターも描かれる。他のシリーズとのコラボや全宇宙レベルの壮大な危機まで広げる余裕が必然的になくなったのは、結果的には良いことだったかもしれない。

前作までの復習をしなかったためうろ覚えの記憶での鑑賞となったがそれなりに楽しめたので、きちんと観返してからだったらもっと面白く観られたであろう。

さて、エンドゲーム以降、インフィニティサーガを彩ったヒーローたちが次々に退場してきたが、ガーディアンズも本作が最後と事前から明らかにされていた。最も気になったのは、どういった形でシリーズを終わらせるのかということだった。

単なる解散か、それとも主要人物の死なのか。ポジティブな彼らに限って・・・と言いながら何があるか分からない緊張感とともに、クライマックスは大きなスケール(大量の子供や動物、宇宙船(?)の衝突など)で畳みかけてきた。終わり方は基本的に納得。

エンドクレジット。いつも楽しみに観ていながら、次の作品のときにはあまりよく憶えていないということがほとんど。新聞記事の「ケヴィンベーコン」がやけに気になったので、ここに記しておこう。

(80点)
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「ザスーパーマリオブラザーズムービー」

2023年05月03日 22時23分11秒 | 映画(2023)
文句なしにスーパーなキャラクターたち。


最も多感な年代を過ごしたということもあって、かねてから1980年代が最高と言い続けていた。その対象として取り上げるのは、たいてい音楽か映画かというところで相場が決まっていたのだが、大事なものを忘れていたことに気が付いた。

それがゲームだ。

70年代から80年代にかけて、自動車や電化製品といった分野で次々にメイドインジャパンが世界を席巻していったが、ほぼ同時期の83年に発売されたのがファミリーコンピュータであった。

それまで任天堂という会社は花札やトランプを作る会社としてしか認識がなかったものが、突然世界のニンテンドーとなった。近年、アニメが絶好調で聖地巡礼に訪れる外国人のニュースをよく聞くが、30年以上昔からニンテンドーのゲームのキャラクターは世界中で愛されていた。

今回、ニンテンドーは、ミニオンシリーズなどで世界的ヒット作を誕生させたilluminationとタッグを組み、マリオブラザーズの映画を製作した。だいぶ昔に微妙な実写版が作られたことがあったが、今回は誰にも受け入れやすいCGアニメである。

そしてニンテンドー側が本気で製作に参加したのであろう。登場するキャラクターの造形や設定、アイテムや音楽まで、ゲームをプレイしたことがある人たちが喜ぶツボを押さえたものになっていた。

ピーチ姫が、ゲーム初期のさらわれる立場から自らも戦う勇者になったのは、時代の変化もあるが、そもそもJRの車内広告動画で流れていたマリオのクイズでは、だいぶ前から捕らわれるのはルイージになっていたから特に違和感はなかった。

それにしても全般を見ると、魅力的なキャラクターや、ゲームのステージ設定の巧みさ、記憶に深く残るキャッチーな音楽と、すべてが高いレベルで作られていたことに改めて驚かされる。

ひいき目だけでなく、80年代のニッポンがいかに先進的で独創的だったのかが分かる。いまさらのように言っている「クールジャパン」を体現していたのである。もう少し要領良くやっていれば、今ももっと優位性を活かしていられたのだろうけど。

本家であるわが国に先駆けて世界公開された際には、観客からの絶賛と批評家からの批判のギャップがニュースになっていたが、この反応はおそらくどちらも正解だと思う。

前述のとおり、ゲームをやったことがある人たちが見て喜ぶ設定は、映画の質や芸術性といったところにはあまり関係がない。物語に意外性があるわけでもなく、おもしろいのはゲームのこの要素をこう取り入れるか~といった点に集約されるのである。

だから若い人にどれだけ受けるのかは分かりかねるのだが、この世界的なヒットの状況を見るかぎり、どうやらマリオのキャラクターというのは、今も次々に新しいファンを生み出しているということなのだろう。

それは、ファミコンからスーパーファミコン、ゲームボーイ、64、Wii、そしてスイッチと、時代に合わせて新しいシステムを生みヒットさせてきたニンテンドーという会社の強さがあってこそ成し得た成果に相違ない。

(90点)
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「ザホエール」

2023年04月16日 19時05分50秒 | 映画(2023)
最後くらいは、いいじゃない。


大切な人を失ったショックから過食症になってしまった男が、命が尽きる前にしたいと思ったことは何か。

健康問題等で一線から離れていたB.フレイザーが心機一転、特殊メイクを施して挑戦した難役。先日発表されたアカデミー賞で見事に主演男優賞を獲得し、感動のスピーチを披露したことは記憶に新しい。

かつてのアクション活劇の主演スターがどん底を味わってからの復活。本作の主人公であるチャーリーという男の苦悩を演じるのに適役と言えるだろう。

自力ではほとんど動けないから演技は基本的に表情と言葉と息づかい。大きな瞳にあふれる涙や、座っているだけでも苦しさが伝わってくる喘鳴。作品の設定に同性愛や非白人ががっちり組み込まれていることも後押ししてオスカー戴冠も妥当なところ。

そう、チャーリーの最愛の人は男性であった。それも、妻と8歳の娘と暮らしている中で、教え子と関係を深めてしまったというもの。

パートナーとなった男性は、実家との関係がうまくいかなくなったことなどから心身に不調をきたし死に至る。一方で元妻と娘も、離婚の原因が原因だっただけに相当傷は深く、高校生となった娘・エリーは問題な素行を繰り返すようになっていた。

チャーリーの世話をするのは知人の看護師であるリズ。その他の施しは受け付けず、誰が何と言おうと血圧が200台に上がろうと病院へ行こうとはしなかった。日に日に状況は悪化し、次の終末を超えるのも難しいかもしれないと告げられたチャーリーは、突然エリーに連絡をする。

これはチャーリーの、おそらく最期の一週間に起きたできごと。舞台は彼の部屋のみ。そこにリズ、エリー、そして不意に彼の部屋を訪れた宣教師のトーマスが出演者である。

エリーは母親曰く「邪悪」な娘であり、世の中のすべてのものが嫌いと言い張る。チャーリーに対しても自分に得になる話があるときだけ相手をする。そんなエリーにチャーリーは「君はすばらしい」とほめ続け、学校の課題を手伝い、自分の財産のすべてを譲ると言う。

トーマスはチャーリーの姿を見て、「この出会いは神の導きによるものであり、自分がチャーリーを救わなければならない」と思い込む。しかしトーマスが信仰する宗教は、チャーリーと浅からぬ縁があるものであった。

二人がチャーリーを利用しようとする一方で、リズの介護は時に厳しく時に優しく、家族のように献身的で対照的であった。その理由は話が進むうちに明らかになる。

本作の底部を貫くのは、家族と宗教という基本的な柱である。数年前のチャーリーの選択は、家族と神のいずれをも欺く行為であった。彼の現在の姿はその罰を受けたものなのかもしれない。

しかし、困ったことに彼にいちばんの安らぎを与えてくれるのはエリーでもトーマスでもなく、リズなのである。そしてチャーリーは、今そのリズにも悲しい思いをさせようとしている。

表題となっているクジラは、巨漢のチャーリーを指していることはもちろんとして、チャーリーが生業としているエッセイの書き方講座にも絡んでくる。

チャーリーが時々呼吸困難に陥ったときに自分を落ち着かせようとして言葉にするのが、小説「白鯨」に対して誰かが書いたエッセイの一節なのである。名著に批判的なそのエッセイをチャーリーは何故か気に入っているようであった。

この辺りのクジラ関連の素材と、チャーリーが人生の最後にしたかったことが繋がってくる構成は素晴らしく感動的である。劇中の宗教に対する皮肉めいたやりとりもおもしろい。

ただ、これをもってチャーリーという男の生き方や、本作の描こうとしていることを理解し共感できたとはとても思えてこない。かといってチャーリーの選択を安易に過ちだったということもできない。

いちばん先に来るのは切なさであり、せめて安らかでやさしい終末をと思わずにいられない。なんとも複雑な状況になっているのが正直なところである。

(85点)
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「ノック 終末の訪問者」

2023年04月08日 21時46分53秒 | 映画(2023)
監督は全能の神。


毎度おなじみM.ナイト・シャマラン監督。なんだかんだ言われながら、「シックスセンス」から20年以上高頻度で話題作を作り続けているのは称賛に値する。

彼の一貫したスタイルは、第一印象のインパクト勝負。奇抜な発想と刺激の強い映像で観客を惹きつけ、行けるところまで力で引っ張っていくものである。

今回は、突然現れた4人の訪問者が「家族の誰かを犠牲にしなければ世界が滅びる」と主人公たちに告げる。主人公たちがNOと返答する度に訪問者の一人が命を絶ち、同時に世界で大勢の人たちが犠牲になる災禍が発生する。

今回のインパクト映像は、主人公たちの選択によって大惨事に見舞われる世界と、自らの命を差し出す異様な訪問者たちである。

押し寄せる巨大津波、次々に墜落する航空機。あり得そうもないものを映像で見せてしまうシャマラン監督の真骨頂と言える。命を落とす残酷な瞬間は映さないところが、ぎりぎりの上品さを保っているが。

例によって、なぜこんなことが起きるのかは語られないし辻褄の合わせようがない。主人公の一人が黙示録がどうのと言っているが、とってつけたような次元の話である。

とにかく本作は、力で世界の終末を呼び寄せたということに尽きる。シャマラン監督が作る世界では彼こそが神であり、その中に住む人類に自由に裁きを下せるのである。

理不尽に思われようともそれが神の役割なのだから、まったく破綻していないし、そうした流れは予想の範囲内なので不満もない。

今回の神は時流に従い、キャスティングで公平に配慮されている点も印象的である。訪問者の4人は男女2名ずつで人種も職業もそれぞれ。襲われる主人公たちはゲイの養父2名と東洋系の養女と、少ない登場人物の中で多様性を確保。女の子が不思議な魅力を持っていて良かった。

(70点)
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