脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

トランスジェンダーと認知症

2016年06月26日 | エイジングライフ研究所から

25日に北海道から帰宅。26日は7時過ぎに家を出て静岡市へ。
臨床心理士の総会と講演会「学校臨床における性の多様性」参加のためで、例年のように今年も会場はアザレアでした。いつも思いますが、臨床心理士の会は言葉が優しい。

今回は、RGBTというまだまだ先端的なテーマでしたから余計に言葉に注意が払われたのかもわかりませんが、優しい言葉を聞くことは、聞いている私の心までやさしくします。
「RGBT」は最近時々目にするようになりました。
  R:レズビアン
  G:ゲイ
  B:バイセクシャル
  T:トランスジェンダー
上記「性的マイノリティー」と言われる人たちのうち、私はR、G、Bの方には気づいたことがありません。トランスジェンダーという言葉もいろいろの使われ方があるようですが、ごく簡単に言ってしまえば、生まれつきの性と自分が感じる性に違いがある人たちということでしょう。性同一障害という表現もありますが、これは戸籍変更をする場合に要求される「病名」です。

私にとっての性的マイノリティーはテレビで見かけるトランスジェンダーか、トランスジェンダーと思われるタレントの人たちです。カルーセル麻紀、はるな愛(体も女性になっていると思います)。ミッツマングローブ、マツコデラックス、IKKO(女装はしているけれど、体は男性のままでしょう)、最近見かけるキレイな男性たちでした。

講演会ではトランスジェンダー(体は女性、心は男性)の大学生が登壇し、生の声で話してくれました。またフロアーからも同じくトランスジェンダー(体は男性、心は女性)の臨床心理士の方の発言もありました。
外見的な主張はわかりやすいですが、当事者の方が体と心のギャップを話されると、その戸惑いや苦悩が直接伝わってきて、「こういう人たちがいる」ということへの何よりの説得力だと思われました。
定時制高校の現職教諭の方も、体操着が同一とか呼び方とか現場での様々な工夫を話してくださって、自分の学生時代とは隔世の感がありました。この微妙なテーマにしたらなかなか突っ込めていたと思います。

6月27日のJガーデンの花。リュウゼツラン

でも。

ここでも認知症と同じように、現れた現象をどう理解するかということに終始してしまっている印象は否めませんでした。なぜ、このようなことが現れるのかというもっと本質的なところへのアプローチがない。まるで認知症の理解や対処と同じではないですか。

認知症の場合をお話ししてみましょう。
まず、最も軽いレベルの認知症(小ボケ)。なんだかちょっと変。年齢のせいなのか、何かが起きているのか?家庭生活ではほとんどトラブルは出ませんが、社会生活ではもう無理で、世話役が務まらなくなったり、趣味をやめたり。ボーとしていることが多くなります。
「この意欲のなさはどうしたことか?!」と本人がまず気づきます。家族も「今までのおじいちゃん(おばあちゃん)とちょっと違う…」。ところが、ここで受診する人はまずいないでしょう。
アンスリューム

そうこうするうちに、中度のレベルまで低下してきます(中ボケ)。話すことは普通なのですが、やることが幼児のようなことになってきます。
(自分で洋服は着ますが、順番や季節や目的などに合いません。料理の味付けが辛すぎる、草取りすると花や作物を抜くなど家事にも支障が出てきます)
この辺で受診する場合もありますが、結果は二通り。ひとつはCTやMRIの画像診断の結果萎縮や梗塞巣の指摘を受ける。もうひとつは症状だけではわからないので「もう少し様子を見てみましょう」と診断される。
アラマンダ

見守るうちに症状が進み、再受診の結果「これはやはり認知症ですね」
はっきりと困った症状が出て来れば重度認知症。
その時には「対応を工夫しましょう」となりますが、重度認知症の方の介護は国家経済的にも、個々人の心理的にも負担は増大していくばかりです。
問題行動を心理的に理解するのではなく、脳機能から理解する大切さをエイジングライフ研究所は主張しています。
そして症状を見るだけでは早期発見はとても無理。脳の機能がどのくらい生き生きしているかというアプローチを持たなければ先に進めません。この時、更に注意が必要なのは注目すべきは「器質(形)」ではなく「機能(働き)」だということです。
イランイラン

トランスジェンダーに関してももう少し根源的な、生物学的に何が起きているのかを知ることが理解への最も近道だと思います。ただ不思議、理解できない、受け入れられないから一歩を踏み出す必要条件ではないでしょうか。
トランスジェンダーに関して、以前読んだ本で膝を打つような思いをしました。福岡伸一著「できそこないの男たち」。
新書版の小さなこの本を読んだときに、トランスジェンダーについて「目から鱗」の思いに駆られました。「あーそういうことなのか!」
今手元にありませんからうろ覚えです。申し訳ないのですが、間違いがあるかもしれないことをお断りしたうえで少しまとめてみます。
ゲットウ

男女の性を決定するのは、性染色体。XXならば女性。XYならば男性。ここまでは昔学校で習いました。つまり、Y染色体があれば男性になると思っていました。ところが性を決定するのはそれだけでは済まなかった!
Y染色体上に、SRYといわれる性決定遺伝子が「ふつう」は存在するのです。この性決定遺伝子の働きは、「受精後6週間経った時点で、その受精卵を『男性化』させ始める」というものなのです。「いったん始まった男性化への流れはとどまることがない、あたかもカスケード(連なった滝)のように」と書かれていました。
(「できそこないの男たち」の前半は、このSRYを発見する、手に汗を握るような研究者たちの競争物語で、それも面白かったです)

体の性を決定する染色体はY染色体を持っているのに、性決定遺伝子を持ち合わせない人たちは男性化できない。「女性」として生まれてきてしまうけれども、違和感にさいなまれる。
その逆に、染色体はXXなのに、どういうことかそのX染色体上にSRYという性決定遺伝子が布置されている人たちは、否応なく「男性化」してしまう。「男性」として生まれてくるけれども「女性」でないと落ち着かない。
この遺伝子発見競争はいわゆるトランスジェンダーの人たちを探し出して確定していったそうですが、このような視点があるのとないのとでは、トランスジェンダーの人たちへの理解は全く違うのではないでしょうか。
異装だけで落ち着く人もいれば、手術までして納得のいく性を獲得する人もいます。最近は性的グラデーションという言葉もあるそうですが、そのような細かい差異がなぜ起きてくるのかまでは性決定遺伝子だけでは説明できません。少なくともホモフォビア(性的マイノリティへの嫌悪感や攻撃性を持つ)にはならずに済みそうです。

認知症を理解するのに「症状からではなく脳機能からのアプローチを」という私たちの主張はコペルニクス的転回だと思いますが、性的マイノリティの人たちの理解にも染色体や遺伝子の働きを考慮してあげられたらと思いました。

 


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