脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

かくしゃくヒント31-大先輩 故大滝雅子さん

2016年06月28日 | 正常から認知症への移り変わり

6月26日は静岡市での二つのイベントに参加したので大忙しでした。
一つは臨床心理士の総会と講演会参加で、前ページに「トランスジェンダーと認知症」として報告しました。
もう一つは同窓会「桜蔭会静岡支部総会」への出席です。

気持ちのいい方たちの集まりですから、参加できる時は毎回楽しみにしていますが、今年は格別でした。
満97歳になられた、大先輩大滝雅子さんにお話しいただく企画がありましたから。
このお歳で「話されたいこと」があって「喜んで同窓会に参加」されるのは、絶対かくしゃく高齢者に決まっています!
どのような生活ぶりでいらっしゃるのか、生活信条はどのようなものか、そして伺いたかった最大のことは「年齢とともに難しくなっていったもの、できなくなっていったことは何か。またそのことをどのように乗り越えられたか」ということでした。
ところが…
本当に残念なことでしたが、6月に入ってちょっと胸苦しさを訴えられ受診なさったところ心筋梗塞の診断が下され、ほんの2~3日で幽明異にされました…
当日は中部地区長山本さん(静岡県立大学短期大学部)と、当日の一番お若い出席者であった山下紗織さん(静岡福祉大学)が、それぞれお会いになった時の大滝さんの話、現在の母校の様子などお話しくださいました。

大滝さんをインタビューされた時の記事の抜き刷り(『幼児の教育」2014春号 フレーベル館より)、短歌やお写真などをまとめられた小冊子、いろいろの作品などご用意して下さっていました。丹念に読んでいくと、そのときどきのお気持ちにドキドキしながら共感できるのですね。多分お話しなさったものを起こした原稿だからではないでしょうか。論理的に左脳だけで読み進める、例えば論文等とは違う迫力がありました。

そして数々の短歌。
短歌は心情を訴えるものです。右脳を深く揺さぶる心情を、表現する手段として左脳の言葉を使って表します。それを受け取る側も言葉を通じてではありますが、右脳を使って初めて共感、理解する分野でしょう。
この歌集は「幾山河」がお母様。「続幾山河」が大滝さんの歌集です。お母様も、大滝さんもお姉さまも妹さんも同窓生です。

保育実習科を卒業後、皇后宮職出仕。東宮殿下(今の天皇陛下)側近奉仕、結婚のために辞しその後幼稚園教諭、静岡県明るい社会作り推進協議会理事という公的なお仕事もすばらしいのですが、最近の生活のご様子がやはり感動的。
何か作っては人にあげることが大好き。布や紙で手づくりメモ入れを作っては熨斗をかけて用意されています。右は97歳と書かれていました。最後の最後までできる限り、ご自分らしくそのままに生きられたお姿がほうふつとされます。
きっと、「色合わせが楽しくて」「人様に喜んでもらえると私もうれしいの」とおっしゃったでしょうねえ…
音楽も体操も絵もお得意でお上手だったそうですが、どんなに豊かな右脳の持ち主だったことでしょうか!

こんなかわいい作品も見せてくださいました。絵手紙はNHKへも投稿され、放映されたことも何度もあるそうです。

ほんとにかわいい魅力的な絵を描かれます。山田養蜂場が募集している「ミツバチの童話と絵本コンクール」に応募されたそうです。
見せていただいたのは2011年応募の「みつばちぶんちゃん ぶんぶんぶん」92歳ですね。

2014年にも応募されていました。「ミツバチぎんのおくりもの」95歳!

何というみずみずしさ。かわいらしさ。澄んだ色彩の美しさ。
そして何よりも「コンクールに応募する」その精神。
お会いできなかった残念さと一緒に、この作品たちがお会いできたような気持ちにさせてくださいました。
右脳って素晴らしいですね。言葉がなくても大滝さんの生活や思いが手に取るようにわかります。
審査員特別賞だったそうです。

同窓会の出席を楽しみにしていらっしゃったと聞くにつけても、残念でなりませんでした。が、山本さんたちがお通夜にいらっしゃった折には、「いろいろとお世話いただいた」「感謝の気持ちでいっぱいです」というような言葉があふれ、「人の2倍も生きられた方だった」と改めて感じられたそうです。
「関係者の皆さんがなんだか明るいというか、清々しいというか」とその場の様子を伝えてくださいました。
然もありなん。人は死すべきものです。見事に生き切って死にゆくなら、見送る人たちはその死を称えないわけがありません。しかも97歳というご長寿。
前薬師寺管長の松久保秀胤御老師に去年お会いしました。その時開口一番おっしゃった言葉が思い出されます。
「毎日、楽しく生きていってその先に死がある。というのが一番」
「楽しく」です。「正しく」でもなく「がんばって」でもないのです。自分にとって何が楽しいか、生きている意味を実感させるものは何か、それを決めるのがその人の前頭葉です。それまでの生き方の総決算がなされるのが高齢期ともいえるでしょう。

山本さんたちは「26日の同窓会のことが負担になられてはいなかったか」と一抹の不安もあって参列されたそうです。
が、入院なさったときに「26日は行けるかしら」と言われたこと、ご長男からの「最後まで同窓会出席を楽しみにしていました。母の人生の最期を楽しみで輝かして下さってありがとうございました」という言葉をいただいたと、山本さんが感無量の面持ちでおっしゃったときには、ご一緒に感動してしまいました。

29名の出席者のうち、私は「上から」8番目!真ん中くらいの気分なんですけどね(笑)
懇談タイムになって、1989年に実施したかくしゃく百歳の調査のことをお話ししました。大滝さんのお話を伺いながら、私の胸にはかくしゃく百歳の方たちとの共通点がいくつも浮かんできましたから。
周りの方が一番納得してくださったのが、「一つ捨てるときには、ひとつ掴んでから」と教えてくださった、調査以前にお知り合いになった100歳杉本良さんの話でした。
お話ししながら懐かしく思い出しました。杉本さんのことを書いた記事です。お読みください。
かくしゃくヒント13-一つ捨てて一つ持つ
かくしゃくヒント13-一つ捨てて一つ持つ(続)


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