脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

Happy Birthday to me!

2022年11月13日 | 前頭葉の働き
「誕生日おめでとう」と言われると、両親に感謝する気持ちが湧きあがるようになったのはいつからでしょうか?
母が「文化の日に町内の運動会に行って、その翌日に信じられないほどの安産で生まれたよ」と何度も言ってくれました。11月4日。朝の冷涼な空気感が好き。昼間はまだ暖かく過ごし良い季節というのも幸せ…
両親が祝ってくれた誕生日から、家族や友人が祝ってくれるようになりました。そして今年は、自分でも祝ってみました。
こんなころから誕生会をやってくれました。(小学3年生?後列左から2人目)

夫からは上州の温泉巡り。

アメリカ出張中の長男からは、かかわりのある「ネットでカジュアルにプレゼントを贈るgiftee」を利用しておいしそうなお菓子の手配が。


次男も海外出張中で、エクスキューズ付きのかわいいカードが。

両方の子どもが海外だったのは初めて。我が家でもグローバル化が進んでいます。
友人のJ子さんからこんなケーキも届きました。

ランチにも誘ってもらったんです。

沖縄の年若い友人から、こんな素敵な琉球紅型の手ぬぐいが届きました。

対称的な大きなお花。「75歳だから足元を明るく派手に」のコメント付きプレゼント。クッキー。
皆さんありがとうございました。


福山の友人から「秋の足立美術館を楽しみましょう」とご招待があったのは、コロナ前でしたから、5年くらい前だったと思います。「ことしこそ実現」ということになって、念願の旅がちょうど誕生日翌日に出発になったので喜びが二重になりました。先週は島根県は荒天で雪の便りまであったのに、旅の間中、晴天続きでこれもプレゼントに違いありません。
そういう事情で、到着日に尾道散策し、翌日からは福山の友人宅から、全部タクシーで移動という大名旅行!
旅程は、中国横断自動車道を使って中国山地を横切り、まずは雲南市たたらばの里~松江市荒神谷遺跡~出雲市出雲大社~宍道湖温泉なにわ一水泊。
翌日は、米子お菓子の壽城~蒜山高原~倉敷まで送っていただきました。
そこで名残を惜しんで、後は一人旅。ここからはすべての企画立案予約の手配などは自分で!
まずは倉敷の姉宅の訪問。美観地区に連れ出して新児島館見学~カフェで休息して京都へ。京セラ美術館のボテロ展。一人旅の二日目は、早朝からお墓参りをして、亀岡から保津川下り。それから帰宅の予定が、船着き場の近所に見つけた福田美術館に寄ったところ、あまりにも興味があるものが多すぎ結局帰宅は夜9時前になりました。一人旅は綿密にボテロ展も保津川下りもすべてネット予約して出かけました。綿密に予定を立てるのも前頭葉。状況に応じて臨機応変に対応するのも前頭葉。
さあ、旅の報告に移ります。
上部は足立美術館で一番人気のこのショット。そうとは知らずに撮りました。どこをとっても一幅の絵です。

出雲歴史博物館。特別展「出雲と吉備」に荒神谷遺跡出土品が展示中。銅剣358本と銅鉾は全て国宝。それまでに発掘されていた銅剣は全国合わせて300本程度と聞けばその価値はおのずとしれますね。銅鐸にはくっきりと「×」が見えるものもありました。
荒神谷博物館。発掘場所に立つと最初に発見した人の震える指が感じられるようでした。
お菓子の寿城。米子城をかなり正確に模してあるとか。

福山では福山城築城400年祭に出会いました。
保津川下りのスタート地点がある明智光秀の亀山城址。
保津川下り。父に連れて行ってもらったのは小学生の夏休みでした。これだけの間が空いても、保津川は同じように流れています。観光客は大勢でしたけれど。25人乗りの船が1トン、乗客が1.5トン。晴天続きで水量が少なく船頭さんは大変そうでした。
船頭さんは3人で、先頭二人、後ろに一人。時々交代します。後方の船頭さんは少し体を休めることもできるようでした。私の席は最後尾。
「もう50センチあれは半分の時間で下ることができたんだけど」と話しかけてくれたので「漕がないとどうなりますか?時間かけて下れるのでしょうか?」という私のバカな質問に「漕がないと一日たってもつかないよ。だってどこかに岸につかまってそこにじっと停まったままになるのだから」から始まって
「今日はさっき櫂の水しぶきに虹が見えたよ」
「船頭は川底の様子は全部把握してる。そのためには10年かかるかなあ」など通常案内される岩や樹木の説明のほかに、いろいろお話ししてくれました。

今回の旅は足立美術館の他にも、美術館をたくさん訪れました。
尾道市立美術館。安藤忠雄の設計です。

倉敷の大原美術館新児島館。姉の家からちょっとがんばれば徒歩圏内の美観地区へ、旅人の私が誘いました。新児島館は中国銀行の支店なので、姉がとても懐かしがりました。幸せプリンと桃ジュース。

京都では京セラ美術館。建物にも展示にも興味津々。ボテロ展の入場券はネットで入手済。
オープンしたことすら知らなかった福田美術館。保津川下りの船着き場のすぐそばに3年前に開館したそうです。

若冲と蕪村がテーマの特別展。蕪村というと俳人、俳画の印象が強かったのですが、画人としての大きな作品(写真上部の六曲一双屏風)があったり、墨一色やユーモアにあふれた若冲に驚かされたり、二人は同年齢だということも全く知りませんでした。
そして蕪村が尊敬した芭蕉の自書自画「野ざらし紀行」絵巻物の全文(室内写真右ケース)が!目を疑いました。

思いがけず心に迫ってくる展示の数々に、興味を持って入ってみようと決断した自分に感謝しました。そして「興味を持てる幅が広くてよかったなあ」とも思いました。
安来市清水寺(自然にも心惹かれますから、風景の写真も上げておきます)

「興味・関心」の対象は全く十人十色。
「十人十色」ということばは、前頭葉機能を説明するときによく使うことばです。いいとか悪いとか断ずる以前に、自分の指向性があると思いませんか?それは前頭葉機能が発揮された結論として方向が決まるのですが、そう感じてしまうのだからどうしようもない。特に高齢期に入ってから根本的に変えることは至難の業です。
蒜山高原SA

その理由は、前頭葉機能そのものが、生きてきた人生を反映するものだからです。興味を持って先に進んでよかった。いやこれは失敗だった。関心を持ったことがベースになって、さらなる関心を生んだ。喜んだのもつかの間、その結果手痛い事態が出来することにもつながった。などなど。
日々を生き、人生を積み重ねていきつつ私たちの前頭葉は自分なりの色をはっきりさせていきます。
京都で出会った紅葉。

「私の生き方って軽い?」
「もっと、一つのことを深めていかなくてはいけないのかも。この歳になったのだから」と自省することもありますが、今いったように、この歳になってるからこそ、生き方の方向転換は難しいテーマなんですね。
清水寺紅葉館。

私は、物事を知ることに興味があるほうだと思います。
その意味で、どれもこれも真実の力で圧倒的に迫ってくるものたちに会えてほんとに充実した旅でした。

この記念旅行のハイライトを一つ選んでみようと思いつきました。
本当に難しい作業でしたが、福田美術館で出会って衝撃を受けた芭蕉の自筆自画「野ざらし紀行」との出会いだと思いました。
江戸深川の出発から、東海道を下り伊勢や生家のある伊賀上野、奈良、京都、中山道を通って江戸までの2000キロともいわれる大旅行記です。
昔、確かに墨絵の絵巻を本で見たことがあったように思いますが、なんと本物!ふつうに見始めて「えっ、ほんとに本物なの、複製じゃなくて!」ともう一度最初のキャプションに戻って確認しました。
多分複製でも、納得してみたような気がします。でも直筆!芭蕉の息遣いがすぐそこから感じられるようでした。

後でなぜそんなに感動したのか振り返ってみました。
とっても納得できる条件がいくつか浮かび上がってきます。
①実は高校時代の同級生が「多分、知らないだろうけど」という注釈付きでこの春「嵐山光三郎」を勧めてくれたのです。私は週刊誌のエッセイでしか知らなかったのですが、さっそく何冊かネット注文して、その面白さとその深さに驚きました。自分の興味を深めるとはこういうことなのかと思ったのです。
その中に「芭蕉紀行」がありました。「奥の細道」や「野ざらし紀行」の道を芭蕉のごとくに歩いてゆくというものですが、軽妙洒脱な文章のまにまに、著者の思いの深さが感じられるのです。一句一句の解説付き、またその時その場所のイラスト付き。そこから感じられるのは圧倒的な知識量と価値観、生き方そのものでした。
この嵐山本に会ってなかったら、こんなには心動かされなかったと思います。
尾道水道の夜明け。

②高校同窓生の書家幕田魁心さん。作品展が今年の8月~9月に熱海起雲閣で開催されました。
「奥の細道」に挙げられているすべての俳句50句を、横7メートルの作品に一挙に表現し、また一句ずつをそれぞれのテーマに合わせて全く違った方法で見せるという面白い作品展でした。私は3度も行きました。
宍道湖の夜明け。

③高校時代の先輩からつい先日お電話がありました。「85歳になったら続けて体調を壊してしまったので、いろいろ考えて老人ホームに入ったんだ」というお知らせでした。「至れり尽くせりで、それはいいんだけどすることがないんだよね。で、ちょっと考えて今二つもくろんでることがあって、その一つが俳句」
テレビ番組「プレバト」の夏井先生の話で盛り上がりました。
倉敷の夕焼け。

④1991年。もう30年も前にお元気な超百歳の方々の調査をしたことがあります。文芸的な趣味として挙がったのは短歌がお二人だったのに、大多数の方は俳句をあげられました。
「『天国の木という楷の若葉かな』という句を選者富安風生に絶賛され、自分でも気にいってるからお墓に彫るように言ってる」とさわやかに話されたI島さんの笑顔も思い出しました。
大山二態

今お話ししたような俳句に関するいくつかの経験が、新しいものも古いものも含めて、私の中にあったからこそ、芭蕉の自書自画「野ざらし紀行」が目の前に現れた時にあれほどの驚きと喜びを生んだのだと思います。先行していた経験が、新しい状況の価値を見出すことができる前頭葉を用意してくれた…ということです。
もちろんそのまた前提には、俳句という世界に興味が持てるという若いころの教育や実体験が必要条件としてあるでしょう。
尾道千光寺ロープウェイ

芭蕉の自筆自画「野ざらし紀行」にまったく何の関心もない人だっているわけです。それはいいとか悪いとかいうものではなく、いわば好きか嫌いかに近いものだと思います。出会いまでに関心が持てない生き方をしてきたというだけのことです。その人にはまた全然別の世界がイキイキと繰り広げられるはずです。
いずれにしても前頭葉は自分の生き方、日々の積み重ねで決まるものだと、75歳になって改めて実感しました。私はやはり広く浅く、知識にも関心があるし、自然を見るのも好き、そして一番は「人」に対する興味があるところ、そういう前頭葉を持っているみたいです。


11月8日京都七条通りの皆既月食。単に撮っただけですが思いがけない写真になっていました。


認知症に関して理論的に詳しく知りたい方は、以下のブログもお読みください。





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