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脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

宮崎郁子 "Wally and Egon"展

2023年05月17日 | 前頭葉の働き
この展覧会が開催されたカスヤの森現代美術館のパンフレットの紹介文です。
「幼少期より人形に親しみ、独学で作り続けてきた宮崎郁子は1995年に画集を通しウィーンの世紀末転換期の画家エゴン・シーレ(1890-1918)の作品と出会い、その絵画に導かれるようにシーレの残した作品を主題にして自身の制作を続けている。それは、ただ単に絵画の登場人物を造形としてなぞるのでは無く、画面に向かうシーレに時空を越えて寄り添い、モデルたちに触れ、対話するように形作られていく。」
いきさつは後でお話ししますが、「どうしても行きたい!」と思って、横浜在住の友人にも声をかけて片道3時間かけて行ってきました。(5/13)
横須賀線衣笠駅が最寄駅。しっとりとした住宅地の中にカスヤの森現代美術館はありました。

「あ、これこれ。先日、上野の森美術館でのエゴン・シーレ展でも出会った!結構目にすることがある作品が、ドアを開けたら緑の庭をバックに飛び込んできました。

私たちが普段目にするのは、シーレが描いた絵画です。今ここで出迎えてくれているのは「絵」ではなくて「塑像」。でも「像」と呼ぶのに抵抗を感じるのは私だけではないと思います。
「シーレが見たその人がそこにいる」というような圧倒的な存在感を醸し出しています。
左端の水玉模様の洋服を着た方が、作者の宮崎郁子さん。
「形をなぞるのではなく、そのものにエゴン・シーレが相対した時に、シーレが感じたものと同じものをまずキャッチする。」と説明されました。言葉の意味はわかりますが、とてつもなく難しいことではないかとすぐに思い至り、次には「なぜ?そこまで?」という疑問が湧いてきました。
その答えの前に、私がカスヤの森現代美術館にどうしても行こうと決めた経緯をお話しします。
カスヤの森現代美術館
階段を登って。

ウエルカムの生花が素敵。

青く塗られた扉に斬新な意匠の取っ手が!
2018年6月に、高校時代の友人とチェコ旅行を楽しみました。仲間と別れて私たちはそのままプラハに残りました。
チェスキークルムロフへの遠足がその目的。これは大学時代の友人から「世界一素敵な町と言われるのが納得できるとってもかわいい町だから是非」と勧められていたからですが、事前情報を集めている時に、私たちがチェコに滞在しているぴったりその時に「エゴン・シーレアートセンターで日本人女性作家によるエゴン・シーレの人形展がある」ことがわかりました。
その作者は岡山在住の宮崎郁子さんということもわかり、FBで詳細を教えていただきました。
旅の大きな柱であったこの人形展。エゴン・シーレアートセンターに行ったらロープが張られていて休館。スゴスゴとチェスキークルムロフ観光だけを楽しんで帰ったのです。
それから約5年。上野の森美術館でのエゴン・シーレ展開催の情報を得て、これは行かなければと行きました。エゴン・シーレ
その後、カスヤの森現代美術館での宮崎さんの人形展の開催を知りました。
「なんというご縁!これは行かないわけにはいかない」と決心したものの、気がせくばかりで用事に紛れなかなか実現できず、ようやく会期が残り少なくなった5月13日、横浜在住の友人と出かけました。
なんと!その日には宮崎さん在廊中。5年前のことをお話しすると思い出してくださって、一気に気持ちが通じ合いました。

ヴァリー・ノイツェル(下着姿)
どの作品も、生身の人のように「そこにいる」のですが、今回一番取り上げられたのはシーレの恋人であったこのヴァリーさんでしょう。宮崎さんは生きている人に対するのと同じように、当たり前のように、さん付けで呼びました。
宮崎さんは「シーレが、その作品化しようとするモデルさんにあった時に、何を感じたか?どのような思いを持ったか?をわかろうとします。それがないと制作できません。始めた後でもわからなくなることがあって、その時はそのまま触らずに時間を置きます。1ヶ月とか置いておくと、フッと手を加えることができるのですよ」
模写してるのではなく、シーレが感じた気持ちを追体験することで、モデルに生命を吹き込んでゆく…そんな作業のように思いました。

枢機卿と尼僧

グラフ博士

ヴァリー(lover)

ヴァリーのナース服

これは題名は記録していませんが、シーレとヴァリーの寝姿という説明がありました。

カスヤの森現代美術館の館長さんも女性の方で、一緒に行った私の友人と4人、カフェでお話が楽しく盛り上がりました。
その時「どうして人形制作を?」という私の問いには、宮崎さんは笑顔で「シーレに一目惚れ」と答えられました。
「シーレは生きることにちょっと苦しそうなイメージがあったのですが…上野展の解説によるとエゴン・シーレの天賦の才能は早くからちゃんと評価されたんですってね」とお尋ねすると
「そうなんです。玄関ホール時代は幸せだったはずですよ。私はどんな時のシーレもそのままに受け入れます」


そのお話の時、若江館長さんが膝を打つようなことを言われました。
「世の中は、スリーDでなんでもできそうな気分になってきていますが、形はできても、思いや気持ちを込めるということになると大きな隔たりがあって、それは埋められないものだろうと…」
そうですね。それこそが前頭葉のなさしめるところ。AIが最も苦手とするところですから、おっしゃる通りです。
ところで、カフェの窓際のテーブルには、エーディトさん(シーレ夫人)が座っていました。紫色の上着に白い襟。
若江館長さんが「お日様が射した時のこの色が素敵でしょう?」と写真を見せてくださったのですが、その時のエーディトさんがどこか寂しそうだと思ってみていたら、宮崎さんが「エーディトさんはいつもどこか寂しげなんです」と言われました。寂しげに作ろうとするのではなく、出来上がってみると寂しげなのですって。
テーブルにはとても繊細な薔薇がいけられていました。エーディトさんとバラを写真に撮ろうとしてみている時に気づきました。
バラは生きていて、エーディトさんは生きてはいない。
カメラを通して私の目に映るバラはあまりに薄く透き通ったように感じられる花びらのせいか、あまり目にしない薄オレンジ色という色のせいか、丁寧に作られた造花のように見えます。
向こうに座るエーディトさんは、本当にそこでちょっともの悲しげに息をしているように感じられました。


2日後。一緒に行った友人から電話が入りました。
「国会図書館に来たので、少し探してみたら宮崎さんの書かれた文章が見つかったの。
とにかく苦しい生活があったみたい。読みながら、私涙が出たのよ。エゴン・シーレに出会った時は『一目惚れ』というより、ほとんど信仰の対象だったのかも。そこでなら深く息ができるという…だからこそあれだけ希求的に創作できたのかもねえ。心情の伝わる素晴らしい文章だった」
『ユリイカ2月号』ということでしたから、早速注文しました。届いたらゆっくり読ませていただきます。

カスヤの森現代美術館も素晴らしいところでした!


by 高槻絹子


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