今日の伊東市。一昨日の嵐にもめげず、満開のサクラは散り急いでいません。
ところで今日のテーマですが、とっても困る表現が横行しています。「物忘れは、ボケの始まり」
この問題を考えてみましょう。
高齢者に限らず、40歳くらいからでしょうか、物忘れを自覚している人がなんと多いことでしょう。
私が講演会場で
「顔はわかってるのに、名前がどうしても思い出せない」
「冷蔵庫を開けて、何をとるのか分からない」
「二階に上がって、さて何をとりに来たのか?」
「町に出かけて、三つ用事をするつもりが一つは忘れてしまう」
「忘れては困るとメモをしても、そのメモを見ることを忘れてしまう」
「花の名前を覚えたはずなのに、後で出てこない」
「たまには、洗濯の済んだ洗濯物が洗濯機の中」
「雨が上がった時の傘ならたびたび」などといいたてた後で
「当てはまる人?」というと、会場全員が挙手!しかも笑いながらですよ。
そこで「『物忘れはボケの始まり』という言葉がありますが、これって記憶力の問題、物忘れしてるってことですよね?
じゃあ、ここの皆さんはみんなボケが始まってるっていうことでしょうか?」と続けます。
私たちは、言葉を理解できるから「物忘れはボケの始まり」という意味がわかります。
わかるからこそ、失敗をするたびに人によって強弱はあっても、不安になるのですが、会場全部の人にも起きているとわかったら、「いくらなんでもこの会場の人全部がボケ始めているわけはない」と言葉の理解を超えて実態を納得でき、会場に安心感が漂います。
もちろん「『物忘れはボケの始まり』が間違いなのです」とフォローしていきます。
上のエピソードは一見「記憶力」や「物忘れ」を言っているように思いがちですが、前々回のブログ「『忘れちゃった』のではなく・・・」でもわかるように、これは前頭葉の問題と考えた方がいいのです。
前頭葉の注意集中・分配力は20代をピークにどんどん低下していきますから、年齢とともに、上のエピソードのような失敗は増えて当たり前です。
実は認知症が始まった人の物忘れと、普通に年をとった人の物忘れには決定的な違いがあります。ここさえ知っていれば、もう物忘れなんか怖くない。
それは「前頭葉が年齢相応に働いているかどうか」という一点です。
認知症が始まったということは、前頭葉機能が正常な老化を超えて働かなくなっているということが前提にあります。
認知症は、必ずここから始まります。
エイジングライフ研究所の二段階方式を取り入れている町の保健師さんたちはもう知っていますよね?
記憶力に何の問題もないのに、前頭葉テスト不合格の人たちがいることを。
決して「物忘れはボケの始まり」ではないことを。
前頭葉は状況判断の脳ですから、認知症が始まって、記憶の問題まで出てきた人たちは、状況判断が十分にできません。
だからお手上げ。どうしていいのか打つ手が出てこないのです。パニックになることも理解してあげましょう。
失敗が明らかになると、だいたいが、つじつまがちょっと合わない言い訳をしたり、怒り始めたりするものです。(抑制も前頭葉機能)
「あんたは、まだ若いからわからないんだよ。年をとってみるとよくわかるんだから」
「そうやって、私をボケ扱いする!」
前頭葉が年齢相応に働いていると、失敗した状況に対して前頭葉は的確な指令を出してきます。
「この際、まず謝ろう」
「必ず元の場所に戻す」
「必ずメモをとろう」
「落ち着いてもう一度探そう」
「誰かに頼んでおこう」
「あせってやらない」
「笑い飛ばしてみせよう」などなど
つまり、「物忘れ 反省と工夫がきけば 年のせい」なのです。
反省や工夫こそ、前頭葉の機能!
やはり認知症の初期を考える時のキィーは前頭葉ということになります。
新しいブログ「認知症の早期発見、介護並びに回復と予防のシステム」の
老化の物忘れと認知症の記憶障害に詳しく説明してあります。
読んでみてください。