お盆真っ最中、多くの国民が郷里や旅先でゆったり寛いでいる時期にそぐわないエッセイを公開し恐縮である事を、冒頭よりお詫びしておこう。
早速、本日(8月13日)朝方見たネット情報より、防衛大臣稲田朋美氏に関する報道を紹介しよう。
と考えたものの、上記ネット情報がどうやら安倍政権による「言論統制」に引っかかっている模様だ。
何度コピー&ペーストを実行しても、それが叶わない。 (いやはや、安倍政権による「言論統制」力は物凄いまでに恐ろしいものがある事実を再度実感させられる。)
やむを得ないため、原左都子の筆記転記によりその一部を以下に紹介しよう。 (転記ミスがあろう事をお詫びしておく。)
8月3日に発足した第三次安倍内閣。 今回の内閣改造と同時期に行われた内閣改造人事には、今後の安倍内閣を考える上で、見逃せないポイントがある。
その一番のポイントとは、安倍総理の寵愛を受ける “タカ派” 稲田朋美氏の防衛大臣起用だ。
保守派の論客である稲田氏は、まだ当選4回。 本来なら、入閣までの日数が足りていないはずだ。 だが、稲田氏は安倍氏の寵愛を受けながら、ずっと陽の当たるポストを担って来ている。
今回の内閣人事では、防衛大臣という要職を担う事となった。 防衛大臣とは、安全保障に関する議論はもちろん、今後憲法改正をめぐる議論の際にも、非常に重要なポストとなる。
この思い切った人事は、稲田氏を今後自民党総裁候補、等々、安倍氏自らの後継者として育てようとの安倍氏の強い意志を感じさせるものだ。
(以上、今朝方見たネット情報より原左都子の筆記転記により要約引用したもの。 参考だが、このネット情報には、次期自民党総裁候補として石破氏を推すニュアンスの内容も盛り込まれていた。 原左都子の私論としても、今回閣僚入りを拒否した石破氏が自民党総裁になった方が稲田氏よりもこの先の日本の動向がずっとマシかとも思たりもするが…)
引き続き、数日前にコピー&ペーストしてあった、稲田氏に関する情報を以下に紹介しよう。
2016年08月04日 韓国が嫌う「稲田防衛相」という"劇薬"の効能
8月3日、認証式に臨む稲田朋美防衛相。 今回の内閣改造の目玉人事といえるだろう。
第3次安倍第2次改造内閣が8月3日、発足した。 麻生太郎副総理兼財務相、菅義偉官房長官、岸田文雄外相という軸となるメンバーは変わらず、塩崎恭久厚労相や高市早苗総務相、加藤勝信一億総活躍担当相・働き方改革担当相といった安倍首相に近い面々や、“公明党枠”の石井啓一国土交通相も留任。 都知事選で負けたばかりの石原伸晃経済再生担当相さえも異動がなかった。
だが今回の改造人事は、今後の政局に影響する可能性のある様々な点が見てとれる。
同じく、別のネット情報より稲田氏に関する情報を引用しよう。
【北京時事】中国国防省新聞局は5日、日中戦争の南京攻略戦で行われたと報じられた日本兵による中国兵の「百人斬り」競争を稲田朋美防衛相が否定したことについて、「強烈に憤慨させられる」と批判する論評を発表した。
稲田防衛相は4日のインタビューで「百人斬り」に関し、「なかったと思っている」と語った。 論評はこの発言に対する見解を問う記者の質問に答える形で、「日本軍は理性のかけらもない『殺人競争』を行った」と主張。 「歴史を否定すれば、中日関係に未来はない」と強調した。
ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。
実は私は、稲田朋美氏が安倍政権により“陽の当たるポスト”に取り上げられ国会答弁にて国民の前に姿を現すまで、氏の存在をまったく知らなかった。
国会にて拝見する稲田氏に対する我が印象とは、申し訳ないが、安倍氏が“政権の要人として”?? 取り上げている程にはインパクトはなかった。
野党からの質問等々に対し暴言を吐きつつ反論するものの、声質が高いせいもあるのか、(失礼ながら、このおばさん、何が言いたいの?)としか感じられなかったものだ。
しかも、先程ウィキペディアにて調査したところ、稲田氏の映像が現在の “めがね映像” とは大幅に食い違い、まったくもって“ただのおばさん”なのだ。 確かに現在の方が若返っているとは言えるものの、もしかしたらこの人、整形手術でもしたのだろうか??? との疑惑すら抱かされる。(話題が低レベル化し恐縮である事はお詫びする。)
そこで私は、現在安倍政権の要人とも言える防衛大臣に任命された稲田朋美氏に関し、ウィキペディア情報を探ってみた。
以下に、その情報を要約して紹介しよう。
稲田 朋美(いなだ ともみ、1959年(昭和34年)2月20日 – )は、日本の政治家、弁護士。 自由民主党所属の衆議院議員(4期)、防衛大臣(第15代)、自民党福井県連顧問。
内閣府特命担当大臣(規制改革担当)、国家公務員制度担当大臣、自由民主党政務調査会長 (第56代)、自民党福井県連会長を歴任。
早稲田大学法学部在学中、当時男女雇用機会均等法も無く就職先がほとんど無かったので、司法試験を受けた。 弁護士になると5年間法律事務所の雇われ弁護士として法律の仕事を習得したが、子供ができたのを機にやめた。 その頃夫が『産経新聞』と『正論』を読んでいたので稲田も読むようになり、やがて「いまの教育はおかしいんじゃないでしょうか」などといった投稿をたびたびするようになった。
「南京事件の件についていっしょに裁判をやらないか」と声をかけられ、本人はその当時の心境を「東京日日新聞、現在の毎日新聞が戦意高揚で書いた〔南京事件の際の「百人斬り競争」の〕嘘の記事が唯一の証拠になって、戦後の南京の軍事裁判のBC級戦犯として〔競争をしたと書かれた野田毅少尉と向井敏明少尉の〕2人が処刑された。 まったく嘘のことが、日本の名誉を傷つけるようなことが教科書でも教えられているし、本当のこととして流布されているという現状を私は日本人として放置できないと思ったんです」]と述べている。 最終弁論の日、向井少尉の次女の向井千恵子に出会い、女性ひとりで戦っている姿を見て感銘を受ける。これがきっかけで野田少尉と向井少尉の遺族が『毎日新聞』『朝日新聞』本多勝一らを相手取り、名誉毀損の裁判を起こすことになった。 稲田は「私は政治には全然興味がなかったんですけど、嘘のことで日本の名誉が毀損されているという状況を何とかしたいと思ったんですね」と述べている 。郵政解散のちょうど2週間ほど前に、自民党本部で「百人斬り競争」はでっち上げであるという内容の講演をする機会があり、これが聴講していた安倍晋三幹事長代理の目に留まり、政治家にスカウトされることになった。
(以上、稲田朋美氏に関するウィキペディア情報の一部を要約引用したもの。)
最後に、原左都子の私論でまとめよう。
なるほど、上記の稲田朋美氏に関するウィキペディア情報を読む限り、人間とは成長途上で身近な人間の影響を受け易い事を実感させられる。
稲田氏が早稲田大学卒業後、就職に難儀し弁護士になった後の(夫氏を含め)人間関係が気にかかる。
もう少し、稲田氏は人間関係オープンにして柔軟性がある青春時代を過ごせなかったものなのか? なる老婆心を抱きたくもなる。
ただ、その稲田氏の経験少なき “偏った人生経験” が安倍氏の目に留まり、「使い易い人材」として政治家にスカウトされたとの事だろう。
う~~ん。 すべての政治家達が稲田氏のごとく偏った寂しい歴史を辿っているとは思いたくもない。
だが私に言わせてもらうならば、人生経験希薄な(あるいは偏った)人物がやわら政治家としてスカウトされ、いとも簡単に防衛大臣にまで上り詰める事実こそが今現在の日本国家を創り上げてしまっているのかと、稲田氏の経歴を拝見して気の毒に思わざるを得ない…。
少し救いなのは、稲田氏が8月15日の靖国参拝を取り止めるとのニュース報道だ。
(ただ、これも稲田氏本人にはさほどの政治ポリシーは無く、単に安倍氏の意向に従順な事実を物語っているとも言えようが…)
それにしても、安倍政権による強力な「言論統制」どうにかならないものか!?!
その実態とは、自身が “弱き輩” である事実を証明しているようなものだよねえ……
早速、本日(8月13日)朝方見たネット情報より、防衛大臣稲田朋美氏に関する報道を紹介しよう。
と考えたものの、上記ネット情報がどうやら安倍政権による「言論統制」に引っかかっている模様だ。
何度コピー&ペーストを実行しても、それが叶わない。 (いやはや、安倍政権による「言論統制」力は物凄いまでに恐ろしいものがある事実を再度実感させられる。)
やむを得ないため、原左都子の筆記転記によりその一部を以下に紹介しよう。 (転記ミスがあろう事をお詫びしておく。)
8月3日に発足した第三次安倍内閣。 今回の内閣改造と同時期に行われた内閣改造人事には、今後の安倍内閣を考える上で、見逃せないポイントがある。
その一番のポイントとは、安倍総理の寵愛を受ける “タカ派” 稲田朋美氏の防衛大臣起用だ。
保守派の論客である稲田氏は、まだ当選4回。 本来なら、入閣までの日数が足りていないはずだ。 だが、稲田氏は安倍氏の寵愛を受けながら、ずっと陽の当たるポストを担って来ている。
今回の内閣人事では、防衛大臣という要職を担う事となった。 防衛大臣とは、安全保障に関する議論はもちろん、今後憲法改正をめぐる議論の際にも、非常に重要なポストとなる。
この思い切った人事は、稲田氏を今後自民党総裁候補、等々、安倍氏自らの後継者として育てようとの安倍氏の強い意志を感じさせるものだ。
(以上、今朝方見たネット情報より原左都子の筆記転記により要約引用したもの。 参考だが、このネット情報には、次期自民党総裁候補として石破氏を推すニュアンスの内容も盛り込まれていた。 原左都子の私論としても、今回閣僚入りを拒否した石破氏が自民党総裁になった方が稲田氏よりもこの先の日本の動向がずっとマシかとも思たりもするが…)
引き続き、数日前にコピー&ペーストしてあった、稲田氏に関する情報を以下に紹介しよう。
2016年08月04日 韓国が嫌う「稲田防衛相」という"劇薬"の効能
8月3日、認証式に臨む稲田朋美防衛相。 今回の内閣改造の目玉人事といえるだろう。
第3次安倍第2次改造内閣が8月3日、発足した。 麻生太郎副総理兼財務相、菅義偉官房長官、岸田文雄外相という軸となるメンバーは変わらず、塩崎恭久厚労相や高市早苗総務相、加藤勝信一億総活躍担当相・働き方改革担当相といった安倍首相に近い面々や、“公明党枠”の石井啓一国土交通相も留任。 都知事選で負けたばかりの石原伸晃経済再生担当相さえも異動がなかった。
だが今回の改造人事は、今後の政局に影響する可能性のある様々な点が見てとれる。
同じく、別のネット情報より稲田氏に関する情報を引用しよう。
【北京時事】中国国防省新聞局は5日、日中戦争の南京攻略戦で行われたと報じられた日本兵による中国兵の「百人斬り」競争を稲田朋美防衛相が否定したことについて、「強烈に憤慨させられる」と批判する論評を発表した。
稲田防衛相は4日のインタビューで「百人斬り」に関し、「なかったと思っている」と語った。 論評はこの発言に対する見解を問う記者の質問に答える形で、「日本軍は理性のかけらもない『殺人競争』を行った」と主張。 「歴史を否定すれば、中日関係に未来はない」と強調した。
ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。
実は私は、稲田朋美氏が安倍政権により“陽の当たるポスト”に取り上げられ国会答弁にて国民の前に姿を現すまで、氏の存在をまったく知らなかった。
国会にて拝見する稲田氏に対する我が印象とは、申し訳ないが、安倍氏が“政権の要人として”?? 取り上げている程にはインパクトはなかった。
野党からの質問等々に対し暴言を吐きつつ反論するものの、声質が高いせいもあるのか、(失礼ながら、このおばさん、何が言いたいの?)としか感じられなかったものだ。
しかも、先程ウィキペディアにて調査したところ、稲田氏の映像が現在の “めがね映像” とは大幅に食い違い、まったくもって“ただのおばさん”なのだ。 確かに現在の方が若返っているとは言えるものの、もしかしたらこの人、整形手術でもしたのだろうか??? との疑惑すら抱かされる。(話題が低レベル化し恐縮である事はお詫びする。)
そこで私は、現在安倍政権の要人とも言える防衛大臣に任命された稲田朋美氏に関し、ウィキペディア情報を探ってみた。
以下に、その情報を要約して紹介しよう。
稲田 朋美(いなだ ともみ、1959年(昭和34年)2月20日 – )は、日本の政治家、弁護士。 自由民主党所属の衆議院議員(4期)、防衛大臣(第15代)、自民党福井県連顧問。
内閣府特命担当大臣(規制改革担当)、国家公務員制度担当大臣、自由民主党政務調査会長 (第56代)、自民党福井県連会長を歴任。
早稲田大学法学部在学中、当時男女雇用機会均等法も無く就職先がほとんど無かったので、司法試験を受けた。 弁護士になると5年間法律事務所の雇われ弁護士として法律の仕事を習得したが、子供ができたのを機にやめた。 その頃夫が『産経新聞』と『正論』を読んでいたので稲田も読むようになり、やがて「いまの教育はおかしいんじゃないでしょうか」などといった投稿をたびたびするようになった。
「南京事件の件についていっしょに裁判をやらないか」と声をかけられ、本人はその当時の心境を「東京日日新聞、現在の毎日新聞が戦意高揚で書いた〔南京事件の際の「百人斬り競争」の〕嘘の記事が唯一の証拠になって、戦後の南京の軍事裁判のBC級戦犯として〔競争をしたと書かれた野田毅少尉と向井敏明少尉の〕2人が処刑された。 まったく嘘のことが、日本の名誉を傷つけるようなことが教科書でも教えられているし、本当のこととして流布されているという現状を私は日本人として放置できないと思ったんです」]と述べている。 最終弁論の日、向井少尉の次女の向井千恵子に出会い、女性ひとりで戦っている姿を見て感銘を受ける。これがきっかけで野田少尉と向井少尉の遺族が『毎日新聞』『朝日新聞』本多勝一らを相手取り、名誉毀損の裁判を起こすことになった。 稲田は「私は政治には全然興味がなかったんですけど、嘘のことで日本の名誉が毀損されているという状況を何とかしたいと思ったんですね」と述べている 。郵政解散のちょうど2週間ほど前に、自民党本部で「百人斬り競争」はでっち上げであるという内容の講演をする機会があり、これが聴講していた安倍晋三幹事長代理の目に留まり、政治家にスカウトされることになった。
(以上、稲田朋美氏に関するウィキペディア情報の一部を要約引用したもの。)
最後に、原左都子の私論でまとめよう。
なるほど、上記の稲田朋美氏に関するウィキペディア情報を読む限り、人間とは成長途上で身近な人間の影響を受け易い事を実感させられる。
稲田氏が早稲田大学卒業後、就職に難儀し弁護士になった後の(夫氏を含め)人間関係が気にかかる。
もう少し、稲田氏は人間関係オープンにして柔軟性がある青春時代を過ごせなかったものなのか? なる老婆心を抱きたくもなる。
ただ、その稲田氏の経験少なき “偏った人生経験” が安倍氏の目に留まり、「使い易い人材」として政治家にスカウトされたとの事だろう。
う~~ん。 すべての政治家達が稲田氏のごとく偏った寂しい歴史を辿っているとは思いたくもない。
だが私に言わせてもらうならば、人生経験希薄な(あるいは偏った)人物がやわら政治家としてスカウトされ、いとも簡単に防衛大臣にまで上り詰める事実こそが今現在の日本国家を創り上げてしまっているのかと、稲田氏の経歴を拝見して気の毒に思わざるを得ない…。
少し救いなのは、稲田氏が8月15日の靖国参拝を取り止めるとのニュース報道だ。
(ただ、これも稲田氏本人にはさほどの政治ポリシーは無く、単に安倍氏の意向に従順な事実を物語っているとも言えようが…)
それにしても、安倍政権による強力な「言論統制」どうにかならないものか!?!
その実態とは、自身が “弱き輩” である事実を証明しているようなものだよねえ……