(冒頭写真は、原左都子2度目の大学にての講義ノートA先生による「自然科学概論」より転載したもの。)
今回取り上げられているテーマは「メソポタミア文明」のようだ。
ここで、メソポタミア地域について、原左都子から簡単に解説しておこう。
西アジア、チグリス・ユーフラテス両河の間、アルメニア高原からペルシア湾にわたる地域。 エジプト文明と並ぶ世界最古の文明発祥地。
A先生の授業内容によると、地理的にも開放的な場所であり前の国家文化を引き継いだようだ。
シュメールがメソポタミア文明の基礎だが、かなり異質な言語であるくさび型文字や天文学を生んだ。
シュメール以降の文明は、以下の3つに分類される。
第Ⅰ期 ~アッシリア、 B.C.7世紀後まで
第Ⅱ期 新バビロニア(カルデア) B.C.6世紀後半まで
第Ⅲ期 ペルシア
占星術とは、 星の宗教であり、星と神とを結びつける素朴な多神教
その中で、“Omen占星術”(omenとは前兆と言う意味)は、個人的ではなく国家的な内容の占星術。 例えば、空が暗いとその年の気象現象は良い、等々。
この中で、特別扱いする天体が(御柱の神)が生じてくる。 太陽、月、金星(愛の神と言われたが、金星の神の神話が存在する。)
ハブラビ王朝のアミサ・ドガ王が、21年間治世を行った。 その間、21年間に渡り、金星を観察した。(その観察記録の一つが写真の中の英文部分、及び図解。)
金星の天体観測により、omenを述べていることが重要ポイント。
金星が8年周期で振舞う、と観察されている。 乱暴な規則化ではあるが、数を整えるために数字を選んでいる。
国王の要請により占星術師たちの手引書(マニュアル)も作られ、それに基づき占星を行った。 “Anuma Anu Enlil" とは、六法全書のようなもの。
(講義ノートの中に比較的長めの英文章が記されているが、これもA先生の口述の聞き取り書きだったのだろう。 英文が左都子の汚き筆記体で書かれているなあ。)😖
その後アッシリア時代には、天文学がもっと詳細になり。
昼の長さ、月の出、月の入、も観測された。
新バビロニア時代に入ると、新しい宗教的運動が生じる。
時の神を最高神としてあがめた。
ペルシャ時代に入ると数学的天文学が開花し、ホロスコープ占星術がはじまる。
個人的な占いも始まり、西洋占星術の土台となる。
(少し端折りましたが、今回の小講座では、A先生によるメソポタミア時代の天文学の一部を紹介しました。)