原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

左都子の「自然科学概論」 小講座 Ⅵ

2021年07月23日 | 学問・研究
 (冒頭写真は、原左都子2度目の大学にてA先生より教授いただいた「自然科学概論」授業の我が講義ノートより転載したもの。)



 本日は、東京五輪の開会式が開催されるらしい。
 コロナ禍に関わりなく、元々2020東京五輪開催断固反対派であった原左都子にして。 
 このコロナ禍変異株急激拡大(東京都の昨日感染者数が2千人に達しようとしている!)この時期にそれを強引に開催せんとするIOC、政府、五輪委の人命無視究極非常識なやり口がとてつもなく腹立たしく、途方に暮れつつ自宅にて自粛中である。😱 



 さて、本日は我が原点ともいえる学問に戻り、「自然科学概論」小講座の続きを綴ることとしよう。

 本日紹介するのはA先生による「ギリシャの天文学」テーマの中の、各天文学者の思想や実績等々の紹介となる。

          
          
 アリストテレス(B.C.354~B.C.322 )は、(A先生曰く)数学者としての能力は無かったらしい。 そして自然の研究に数学とはそれほど必要な道具ではないと考えた人物だったようだ。 
 その上で、アリストテレスは具体的な宇宙論を唱えた。
 月より上が天の世界で、月より下は地の世界。
 月下界は、四元素(火、空気、水、土)より成り相互転換する。
 月上界は、第五元素(アイテール:エーテルの語源)より成り、安定して変化が生じない。
 運動の第一原因は、因果は外から伝わり、月下界へいく。
 不動の神(究極原因)は神、と考えた。

 ここで少しプラトンに移るが。
 プラトンは自書『法律』の中で、『国家』とは異なる意味の天文学を記している。
 プラトンは、自然(ピュシス)の立場をとり、人為(ノモス)の立場を嫌っている。 何故ならば、ノモスの立場をとると必ずしも法を守らなくてよくなる故だ。 そして、“神の存在証明”を必要として星を神的なものと捉えた。(これはメソポタミアに既にあった思想だが。)

 アリストテレスの天文学は、不動の動者、イコール神 との点にポイントがある。
 宇宙論的証明、“形而上学にちばん近い科学は天文学である” と唱える。
 ただこの理論には、●惑星の大きさの変化(見かけ上の)が説明できない。 ●金星・火星についての説明がうまくできない。逆行が作り出せない ●季節(天文学的な)長さの違いが説明できない。 との欠点がある。
 
 そこで、“離心円・周転円の理論” が生まれた。
 しかしこれでも逆光は説明できない。

 そこに、ペルカのアポロニオスとの“円錐論”を唱えた数学者が現れるが、この人物が周転円の発見者であるともいえない。


         
 次に登場したのは、ヒッパルコス(B.C.190~125 おおよそらしいが)
 この人物こそがギリシャナンバーワンの大天文学者であり、歳差precession(春分点の位置の観測により)の大きさを計算した人物として有名。
 メソポタミア天文学のデータを見て、自身の観察との違いで計算したらしい。
 このヒッパルコスの理論は、後に継承されていった。

 プトレマイオス(AD2世紀前半頃)は、そのヒッパルコスの理論を中世へ伝える役割を果たした。
 ただ、研究に独創性はなかったようで、単に過去の理論の整理をしてだけの人物のようだ。


 ここで原左都子の私見に入るが。
 いやはや過去も現在も科学研究のあり様とは(元医学基礎研究者でもある私として)同様であることを実感させられる。
 物事の原理を追求せんと独創的な能力を発揮する科学者が存在すれば、過去の理論の継承に明け暮れ、その整理をしたのみで自己の実績として褒めたたえられることを目指す人物も存在するのが科学界の常だろう。
 まあ、過去の賢人の論文検証をするのも科学者としての使命であることには間違いなく、それはそれで後々に業績を残せるであろうと言えよう。



          

 本日はコペルニクスも述べたかったのですが、少し疲労してきた故にこれはまた後日に回します。