(冒頭写真は、本日2021.07.01付朝日新聞 「論の芽」“将来の夢は会社員?” より転載したもの。
私め原左都子(“もはや戦後ではない”と叫ばれた昭和の時代の生まれだが)が子ども時代の女子全般の「将来なりたい職業」とは、“看護婦さん”か“スチュワーデス”に相場が決まっていたように記憶している。
片や男子の方は、“野球選手”がトップだったかな?
この両者を比較すると、女子の方がやや現実的ではなかろうか? いや、スチュワーデスに関しては、そのコスチュームに対する憧れ等、少しは夢感覚も内在しているのやもしれない。
男子の「野球選手」に関しては、正直な自分の夢を語れているのではなかろうか? プロ野球が人気の時代であり、強いヒーロー像を目指したい男子の思いが伝わる。
本日付朝日新聞「論の芽」は「将来の夢は?」だったのだが、その中から漫画家・東村アキコ氏による「仕事と関係ない夢持って」との論評の一部を、以下に要約引用させていただこう。
小学生になりたい職業を聞いた調査で、男子の1位が会社員というのは信じられない。 「大人向けに用意した答え」で、本音はSNSで語っているような気もする。
もしかしたら、コロナ禍で在宅勤務する親を間近に見て「ラクそうだ」とおもったのかもしれない。
会社員志向は、職業や肩書で人の価値を決める風潮が最近強まっていることが影響している気がする。 私は漫画家という比較的自由な職業だけに、息苦しさを感じてしまう。
漫画家になると決めたのは小学生の時、純粋に絵を描くのが好きだったからだ。
最近の若い世代は「夢」に関して尋ねられると、就きたい職業を思い浮かべる人が多い。 でも、よく考えると、おかしな話だ。 仕事が自分に合っているかは、実際働かないと分からないからだ。 そして、夢を実現できる人はほんの一握りでもある。
仕事とは、所詮お金を稼ぐ手段に過ぎない。 人間は夢を持たないとダメだが、仕事とは関係ないものでなくてはならない、と思う。
何歳までに達成すると時間を区切って生きるべきだ。 その点、最近のアラサー女性に将来の夢も持たず、現実に満足する傾向が強まっていることが気がかりだ。
(以上、朝日新聞「論の芽」より、一部を要約引用したもの。)
私は当エッセイ集バックナンバーにて、再三語っているが。
私の場合は子供時代から中高生頃に至るまで、“将来の夢”と言えるような対象が何ら抱けなかった人間だ。
何度も繰り返すが、中高生時代に「英数」が得意だったことを活かし、医学部パラメディカル分野へ進学しただけの話だ。 幸運なことにそこで専門分野の指導に熱意を持った教官と出会えたことがその後の職業選択に直結し、私なりの成功をゲットすることが叶ったとの我が人生ストーリーでしかない。
ただ当時、ひとつの大きな夢(と言うよりも「意志」と言うべきか)が私にはあった。
それは「(郷里を捨て親を捨て)単身上京する!」との夢だったのだが。
これを実行に移せた事実こそが、その後の我が人生を決定付けたと総括する。
もしもあのまま郷里にて医学業務を続けたことを想像するに、やはり限界感を感じるのだ。
多くの友がその道を選び、そして郷里にてのそれぞれの人生を歩んできたのであろう。 ただ、今現在私には(医学部時代の)郷里の友がただの一人も存在しない現実こそが、我が上京後の充実した人生を物語っているように結論付ける。
「上京する!」との我が決意が、何故にそれ程に我が人生の成功感覚をもたらしてくれたのか。
上京後私は医学業務のみならず、大都会でなくしては叶えられない様々な分野にトライする機会を得た。
例えば、上京直後のディスコ三昧。
(この分野がお嫌いな方々には、単なるミーハーとしか映らないのだろうが)あれぞ、“田舎からポンと出”の私に究極の娯楽の場を提供してくれた。
元々ダンス好きな私はディスコ三昧によりお洒落感覚をさらに磨き、友を得、彼氏を得て人間関係の拡大を図れるとのメリットを体験した。
そんな余暇が、我が本業の医学業務への集中力をもたらしてくれたものだ。
時が過ぎ私は再びの学業生活に突入したが、その際にも都会であるが故のその選択肢の幅を有効活用して、理想的な学問の場に再び巡り合えた。
更に時が流れ、晩婚時は相応の相手と出会うとのきっかけを得たのも大都会暮らしだったからに他ならないであろう。
その後高齢出産を経て再びの医学分野に於ける活躍が叶ったのも、大都会との環境下だった故と振り返る。
このように考察してくると。
まさに漫画家の東村アキコ氏が提案されている通り。
子供時代から大人になるに至っても、「仕事と関係ない夢を持つ」との発想こそが、人生を豊かにしてくれるキーワードと言えそうにも思えてくる。