今月に入ってから、また神戸へ通っています。
6時前に家を出て、車でとある駅へ行き、
そこから電車に乗り、名古屋で高速バスに乗車。
目的地に到着するのは、4時間半以上後。
結構な長旅です。
しかも、日帰りで往復するので、さすがに疲れますし、
その疲れによって、車酔いをします。
あんなに前向きだった「福祉の勉強」も、
酔いと疲れによって、それどころでは無く、
本を開くのも苦痛で、とにかく頭を空にしていたい一心で、
すっかり遠ざかっていましたが…。
今日、三ノ宮のバス停で、
転倒したお爺さんと遭遇しました。
どうして転倒したのかは、見ていなかったのですが、
崩れる様に、仰向けに倒れこんでしまい、
立ちあがりたくても立ち上がれず…という感じでした。
それは、私が歩く5mくらい先の出来事で、
その5mの間を沢山の人が行き交っているのに、
何故か誰も声を掛けようとしないの。
視界に入らないのかな?
あの景色は、結構悲しかったな…
。
「大丈夫ですか?」と掛け寄ったら、
お爺さんは、ショックと焦りで、混乱していました。
手元の杖で、ピンシャン歩く人では無いだろう事は分かりましたが、
小奇麗にして、三ノ宮まで一人で出て来られるくらいなので、
日常生活には問題ないのでしょう…。
尻モチをついた様な…お姉さん座りの様な…
そんな状態で動けなくなっているお爺さんの右腕に手を廻し、
ヨイショヨイショ…という感じで引っ張り上げようとした私…。
でも、お爺さんはスマートだけれど背の高い方で、
重くて私一人では何ともなりませんでした。
そしたら、紺色の上下の作業着を着た男性が、
「大丈夫?」と、後ろからお爺さんの脇に手を廻して、
立ちあがらせてくれました。
そして、ホッとしながら「お爺さん、バスに乗るんですか?」
と、話している間に、その男性はいなくなりました。
多分、近くで働いていた方なんでしょうね…。
本当に有難かったです
。
お爺さんは、なんだか様子が変でした。
頭はしっかりしていて、
「乗りたいのは、あそこのバス停に停車しているバス」とか、
「あぁ…恥ずかしい…」とか、
「すみません」とか
「有難う」とか、
言葉は至って普通なのですが、足元がおぼつかないのです。
もしかしたら、緊張とショックで痛みを感じないだけで、
実は骨折を含め、怪我をしていたのかもしれません。
その時の状況は、
歩行や身体のバランスが上手く取れず、
何て言うのかな…脳回路にエラーが起きた感じに近い様な…。
もしかしたら、脳血栓とか、くも膜下とか、脳溢血とか、
どこががどう違うか、私には分からないけれど、
その部類の前兆の様にも感じられました。
(TVでそんな様な事を聞いた記憶があるんだよね…)
私はその後も、相変わらず未熟な介助者で、
お爺さんの右腕に腕を廻し、一緒にヨタヨタと歩き、
やっとの思いでバス乗り場へ行きました。
お爺さんは、支えが無くてはステップすら上がれない状態でした。
後になってみると「一人してはマズイ状況だった
」と思います。
でも、知らない町だし、自分も名古屋に帰らないといけないし、
変にお爺さんの行き先まで、付いて行く訳にも行かず、
バスの運転手さんに
「あのお爺さん、さっき転倒されて、
少し歩行が困難なので、宜しくお願いします。」とお願いし、
「え?転倒?どのお爺さん?
『あ~お爺さん? 大丈夫ですか? ゆっくりで良いからね
』」
と、やり取りして下さっているのを見て、
ホッとしてその場を離れて来たのだけれど…。
私は、その時思いついた精一杯の事をしたのですが、
今となっては、もっと慎重に
「かなり歩行が困難」「歩行や乗降の介助が必要」
「バス停に着いたら無理せず家族の人に来て貰った方が良い」
「後日、念のために精密検査を受けてみるのも良い」
など、余計な事を言った方が、安全確保をする為には
良かったんじゃないかな…等と、とても後悔しています。
また、お爺さんが怪我なく無事に目的地へ行けたのか、
今になってみると、本当に心配です。
技術面では、
転んで立ちあがれない人を、どうやって手助けするべきか…。
実務面(?)では、
どこまで介入や進言をするべきか…。
本当に、ショックなくらい、反省だらけです
。
あまりに情けない出来事で、なんだか、
「しっかり福祉の勉強をしなさい!」
と言われているの様に感じました。
お爺さん、無事に家に帰れたかな…。
怪我は無かったかな…。
戦中戦後の大変な時代を一生懸命に生きた世代であり、
阪神大震災を経験したであろう地元のお爺さんには、
私としては、今のままの水準で年金をあげて欲しいし、
健康で穏やかな晩年を送って欲しいと、心から願います。
6時前に家を出て、車でとある駅へ行き、
そこから電車に乗り、名古屋で高速バスに乗車。
目的地に到着するのは、4時間半以上後。
結構な長旅です。
しかも、日帰りで往復するので、さすがに疲れますし、
その疲れによって、車酔いをします。
あんなに前向きだった「福祉の勉強」も、
酔いと疲れによって、それどころでは無く、
本を開くのも苦痛で、とにかく頭を空にしていたい一心で、
すっかり遠ざかっていましたが…。
今日、三ノ宮のバス停で、
転倒したお爺さんと遭遇しました。
どうして転倒したのかは、見ていなかったのですが、
崩れる様に、仰向けに倒れこんでしまい、
立ちあがりたくても立ち上がれず…という感じでした。
それは、私が歩く5mくらい先の出来事で、
その5mの間を沢山の人が行き交っているのに、
何故か誰も声を掛けようとしないの。
視界に入らないのかな?
あの景色は、結構悲しかったな…

「大丈夫ですか?」と掛け寄ったら、
お爺さんは、ショックと焦りで、混乱していました。
手元の杖で、ピンシャン歩く人では無いだろう事は分かりましたが、
小奇麗にして、三ノ宮まで一人で出て来られるくらいなので、
日常生活には問題ないのでしょう…。
尻モチをついた様な…お姉さん座りの様な…
そんな状態で動けなくなっているお爺さんの右腕に手を廻し、
ヨイショヨイショ…という感じで引っ張り上げようとした私…。
でも、お爺さんはスマートだけれど背の高い方で、
重くて私一人では何ともなりませんでした。
そしたら、紺色の上下の作業着を着た男性が、
「大丈夫?」と、後ろからお爺さんの脇に手を廻して、
立ちあがらせてくれました。
そして、ホッとしながら「お爺さん、バスに乗るんですか?」
と、話している間に、その男性はいなくなりました。
多分、近くで働いていた方なんでしょうね…。
本当に有難かったです

お爺さんは、なんだか様子が変でした。
頭はしっかりしていて、
「乗りたいのは、あそこのバス停に停車しているバス」とか、
「あぁ…恥ずかしい…」とか、
「すみません」とか
「有難う」とか、
言葉は至って普通なのですが、足元がおぼつかないのです。
もしかしたら、緊張とショックで痛みを感じないだけで、
実は骨折を含め、怪我をしていたのかもしれません。
その時の状況は、
歩行や身体のバランスが上手く取れず、
何て言うのかな…脳回路にエラーが起きた感じに近い様な…。
もしかしたら、脳血栓とか、くも膜下とか、脳溢血とか、
どこががどう違うか、私には分からないけれど、
その部類の前兆の様にも感じられました。
(TVでそんな様な事を聞いた記憶があるんだよね…)
私はその後も、相変わらず未熟な介助者で、
お爺さんの右腕に腕を廻し、一緒にヨタヨタと歩き、
やっとの思いでバス乗り場へ行きました。
お爺さんは、支えが無くてはステップすら上がれない状態でした。
後になってみると「一人してはマズイ状況だった

でも、知らない町だし、自分も名古屋に帰らないといけないし、
変にお爺さんの行き先まで、付いて行く訳にも行かず、
バスの運転手さんに
「あのお爺さん、さっき転倒されて、
少し歩行が困難なので、宜しくお願いします。」とお願いし、
「え?転倒?どのお爺さん?
『あ~お爺さん? 大丈夫ですか? ゆっくりで良いからね

と、やり取りして下さっているのを見て、
ホッとしてその場を離れて来たのだけれど…。
私は、その時思いついた精一杯の事をしたのですが、
今となっては、もっと慎重に
「かなり歩行が困難」「歩行や乗降の介助が必要」
「バス停に着いたら無理せず家族の人に来て貰った方が良い」
「後日、念のために精密検査を受けてみるのも良い」
など、余計な事を言った方が、安全確保をする為には
良かったんじゃないかな…等と、とても後悔しています。
また、お爺さんが怪我なく無事に目的地へ行けたのか、
今になってみると、本当に心配です。
技術面では、
転んで立ちあがれない人を、どうやって手助けするべきか…。
実務面(?)では、
どこまで介入や進言をするべきか…。
本当に、ショックなくらい、反省だらけです

あまりに情けない出来事で、なんだか、
「しっかり福祉の勉強をしなさい!」
と言われているの様に感じました。
お爺さん、無事に家に帰れたかな…。
怪我は無かったかな…。
戦中戦後の大変な時代を一生懸命に生きた世代であり、
阪神大震災を経験したであろう地元のお爺さんには、
私としては、今のままの水準で年金をあげて欲しいし、
健康で穏やかな晩年を送って欲しいと、心から願います。