創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

アルマンド神父・追悼コンサート

2012年11月10日 | 日記

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友が旅立って早や一年経とうとしている。
サービス精神が旺盛で、底抜けに明るかったアルマンド神父、
金沢に出かけ、時間があれば教会に寄ってアルマンド神父に会ってきた。
「 エイ、堂前君、丁度良かったコーヒー飲もう 」と、取り留めない話しをよくした。

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彼を偲んで、彼が指導してきたカルメンコーラス女性合唱団のコンサートが行われた。
彼の亡き後も研鑽を積んでこられたカルメンコーラスの方々、
今回は聖歌隊のメンバーも加わってのコンサートになった。

生前、アルマンドはいつも私に言っていた。
「 もし私が逝ったら、フォーレのレクイエムを歌ってくれないか?」と。

彼の遺言として、今回のコンサートに女声合唱版・フォーレを歌うことになった。
その中の、LIBERA ME= リベラ・メ、のバリトン部分を、
藤村眼科院長と私が一緒に歌わせていただいた。

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   FAURE ・ REQUIEM



   指揮 : 郷原 恵美子

   伴奏 : 吉田 珠美


昨年春先から一年半以上経った今も、何故か喉の調子が思わしくなく、
何度も耳鼻咽喉科で検査、治療を施してもらったが、元の声に戻らず困っていた。

バリトン・ソロではあるが、藤村眼科院長先生も一緒に歌ってくださることになり、
先生の張りのある素晴らしい声に合わせて、私も練習を重ねてきた。
先生と数回音合わせやテンポ調整を行わせていただいた。

アルマンド神父、
御堂入り口2階にある、パイプオルガンのところから私達を見て下さって、
ありがとう、ありがとう、とニッコリしているような感じがした。

「 私の声、届いているかい? 」、そう思いながら彼に向かって歌った。
私の横には藤村先生、先生の張りのある歌声が耳に響いていた。
喉の調子も少しは戻り、何となくいつもの声が出たような感じがした。

第2部

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   Kyrie


アルマンド神父亡き後も、指揮、歌唱指導を郷原恵美子さんが担当し、
ピアノ伴奏は吉田珠美さんが行ってこられた。
カルメンコーラスと、カトリック金沢教会聖歌隊、そして私との合同練習は
今日のコンサートまで、ほんの数回だけ。

たった数回の練習だったが、的を得た郷原さんの指揮、発声指導、
そして吉田珠美さんの、歌声をジャマしない、かつ透き通ったピアノ伴奏、
練習は大変だったが、コンサートはとても充実したものだった。

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   Signore delle cime


カルメンコーラスの合唱曲、
そしてカトリック教会聖歌隊も加わってのミサ曲、
どれもこれも満足、アルマンドはきっと思っているに違いない。

一部、二部と歌い続け、
最終曲は彼の生まれ故郷近くで歌われた、「 シニョーレ・デレ・チメ 」で締めくくった。
この曲は山で遭難し、亡くなった友を偲ぶ歌である。
家で練習しながら、そのメロディーと歌詞に何度も目頭が熱くなってしまった。

1時間半に渡るコンサートも無事終了し、
御堂いっぱいのお客様から、大きな拍手を頂いた。

次は12月7日、アルマンドが旅立った日のミサが執り行われる。
教会の方々から、また一緒に練習をと誘っていただいた。
「 堂前君、私が居なくなっても教会に来て歌って欲しい、」
亡くなる数日前に彼が私に遺した遺言である。

来週土曜夜から練習が始まるが、仙台個展がもうすぐそこに。
出かけられるか分からないが、楽譜もあることだし、何とか頑張ってみよう。
今日のコンサートも心配したが、「 出来る、ぜったい実現できる 」と自身に言い聞かせ、
実際、すべてが順調に進んだ。

これからは仙台個展に向けての最終点検をするばかり。
友よ、アルマンドよ、私をしっかりと見守ってと、教会を後にした。


コメント (2)
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