創作日記

 青磁作品を中心に創作しています。
  陶芸作品が出来るまでの過程を、
   日常の暮らしを通して紹介しています。

クリスマスに寄せて

2011年12月25日 | 日記

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   カトリック金沢教会


     午後・4時


天気予報は大荒れ、積雪20センチはあるだろうとのこと。
クリスマスイヴの日、山沿いの加賀産業道路で金沢に向かうには早目が得策、
そう思って午後3時に家を出た。 ミゾレ混じりの雪が降ってはいたが、大したことなし。

加賀産業道路は2、3センチの積雪で、運転はスムーズに行き、
午後3時40分、金沢の中心にあるカトリック金沢教会に着いてしまった。
まだ訪れる人もなく、さっそく教会の中へ。

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   馬小屋・プレゼビオ


12月7日に亡くなったアルマンド神父の遺志を継いで、
三人の方々が心込められて馬小屋を作られ、聖堂の中に再現された。
アルマンド神父が、母国イタリアから取り寄せていた幼子イエスや羊、
種々の人形達を素晴らしく、見事に配置されてあった。

薄暗い聖堂の中、ご高齢のクリストフォロ神父(82歳)が一人、
午後8時からのミサの準備を黙々とされていた。
幼子イエスを安置する高所、脚立を使いながらの作業、
危なく思い、お手伝いをした。

「 私はこれを済ませたらミサを執り行う為に七尾教会に、」とクリストフォロ神父。
「 雪も強く降り始めてきたので、気をつけてゆっくりと運転して、」と進言した。

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   午後7時半


あと30分ほどでクリスマス・イヴのミサが執り行われる。
クリストフォロ神父は無事に七尾に着かれたことを願い、私もミサ曲の準備を。

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   パイプオルガン


雪降りのイヴにもかかわらず、善男善女の方々が多く訪れてきた。
パイプオルガンは聖堂入り口の真上、そこからお御堂全体を見渡せる。
例年より少ないかな、と思っていたが、8時に近づくにつれ一杯の人々が集った。

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   式次第


式次第に基づき、「 Odie 」からクリスマスミサが始まった。
3月、東日本の大震災、福島の原発爆発、余りにも悲惨な事故がありすぎた。
被災された方々、避難生活を余儀なくされている多くの方々、
一日も早く、もとの生活に戻られるようにと願い、私達は心合わせてミサ曲を歌った。

いつもならアルマンド神父がミサ曲の指導をされるのだが、彼は遠くに旅立っていない。
アルマンドの遺志を継がれ、馬小屋の制作に携われた「 H 」さんが指揮をされた。
毎週土曜夜、ミサ曲の練習を重ねてきた甲斐もあり、無事終えることが出来、安堵。
アルマンド神父も、「 ありがとう 」と言ってくれているだろう。

午後8時からのミサも終了し、25日零時からのミサに備える為、
別館で信徒の方々が用意してくださったご馳走をいただきながら、
今年一年を振り返り、話しが弾んだ。

そして日付が変わる、25日零時丁度、クリスマスのミサが始まった。
イヴのミサと同じく、約1時間半ほどで無事終了。
深夜のミサは、七尾から帰られたクリストフォロ神父により執り行われた。

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   25日・午前1時45分


   金沢香林坊


皆さんと共に平和を願い、来る年は良い年となるよう挨拶を交わし、
カトリック金沢教会を後にした。

教会の門を一歩出れば、そこは金沢の中心地、香林坊、片町。
深夜にもかかわらず、大勢の人々が雪の中を行きかっていた。

それにしてもいつも思うことだが、教会で執り行われるすべての行事、ミサ。
進行が口語体で、子供もお年寄りにも本当に分かりやすい。

私の実家は浄土真宗だが、坊さんが称えているお経、全く分からない。
法事などで何となく聞いているが、意味の分からないお経って必要なのか?

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   25日・朝


深夜の加賀産業道路、雪が間断なく降り続いていた。
運転を誤ったのか、数台が路肩に乗り上げていたり、ひっくり返っていた。
運転手には怪我が無いようにと祈りながらゆっくりと運転し、
家には午前2時半に到着。

暖かいコーヒーを飲みつつ昨晩からのことを振り返った。
無事に終えたことを有難く思い、3時に就寝。
ゆっくり眠れるかと思ったが、目覚めたのは8時。
カーテンを開けると、真っ白のクリスマスの朝。


コメント
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