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陶芸を生涯の仕事と決めてから早や40年。
子供だった頃、私が住んでいた地域には多くの窯元があり、
近くの窯元へ出かけて行って、粘土の塊から様々な形が出来上がることに、
魔法を見ているような気分で、時間も忘れて見入っていた。
高校生だった頃、夏休みには窯元でアルバイトもした。
高齢のロクロ職人が数人、なにやかやと話しかけてくださり、
「 ロクロをひいてみないか?」の言葉に嬉しくなって、ロクロを回してみた。
見るとやる、は大違いで、何べんロクロを回しても粘土が飛んでいってしまった。
でもロクロ職人の方々はニコニコと黙って見ていてくれた。
ロクロが回ると同時に粘土もクネクネと回り、芯がどうしても決められなかった。
そうこうしている内、回しているロクロの粘土が手になじむようになってきた。
わずかの間に、小さな形のものを作れるようになった。
「 素質があるじゃないか、やってみないか?」。
すでに就職が決まっていた所へ行くのをやめ、窯元に就職した。
就職をしたはいいが、肝心のロクロはさせてもらえず、様々な仕事を行った。
九谷はその当時も今も分業、窯元、問屋、上絵師ときっちり分かれていた。
今は人間国宝になっている方のところにも「 しら素地 」を運んだりもした。
・・・・・しら素地とは、何も描いていない白く焼き上げた焼き物・・・・・
高齢の方々の中での仕事、給料も驚くほどに安い現実。
けれど窓越しに見た、粘土の塊がいろいろな形になっていくさま、
どうしてもやりたく、20歳の時に決心し窯元を変えた。 8月の今頃。
あれから40年、すべての事がついこの前のように感じてならない。
新しい窯元ではすぐにロクロ修業をさせてもらい、壷を作ることから練習が始まった。
いま私が得意として発表している作品、壷が多いのも修業時代に培った賜物。
不思議なもので、皿から修業をした人は皿が得意で壷を作るのは苦手、
それと等しく、私は壷を作るのは平気だが、皿を作るのは苦手である。
独立してからは皿は苦手、などとは言っていられず、何でも作るようになった。
けれど皿や鉢を作る時、かなり気合を入れなくては作れない。 不思議なものだ。
陶芸を志して40年、40年間の歩みを発表いたします。
金沢では二年ぶりに行う個展、ぜひご高覧下さいますよう、
ご案内申し上げます。
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抹茶盌 天日乾燥 |
先日から作っていた、ぐい呑みや抹茶盌、
削りの作業も終了し、工房前で干しています。
何故か今年の夏の天候は不順、
晴れていると思って作品を外に出すや、数時間も経たずに豪雨。
危うく作品が雨に打たれる寸前で取り込む、そのような日々が続いている。
あれもこれも作りたい思いで一杯だが、もうわずかしか時間が残っていない。
どこまで作れるか分からないが、思いのまま作業を続けていこう。
高校生時代、アルバイトに行った窯元でお世話になった高齢のロクロ職人の方々、
陶芸を志して窯元を変わった、その窯元に居られた高齢のロクロ職人の方々、
当時は高齢者と思っていたが、今の私より若かったかも知れない。
あれから40年、信じられない位、またたくまに時が過ぎてしまった。