オペラファンの仕事の合間に パート2

大好きなクラッシック音楽やフィギュアスケート、映画などを語ります。メインは荒川静香さんの美しさを語るブログ。

「ブルーノ・ワルター: 音楽に楽園を見た人」

2016年06月10日 09時31分29秒 | ブルーノ・ワルターとの出会い
エリック ライディング 、 レベッカ ペチェフスキー著の「ブルーノ・ワルター: 音楽に楽園を見た人」を、やっと読み切る。高額な本なので、長い間、市立図書館から借りっ放し状態だったので、これで何か気が楽になった気持ち。
大指揮者ブルーノ・ワルター(1876年生-1962年没)についての、決定版とも言うべき伝記と言えるでしょう。読み終えてワルターの重たかった一生がズシリと乗りかかってきたような気持ちである。
生い立ちから死まで、よくぞ、ここまで細かく徹底的に調べたものと感服するのみである。
私が持っている一番古いワルターの録音は1929年のもの。その1929年に行き着くまでがたいへんでした。
ワルターの正に尋常ならざる人生。嵐のような人生。
私が初めてワルターの録音を聞いたのは晩年のコロンビア交響楽団との録音。本当に、おだやかで温厚な演奏。長らくそんなワルターのイメージが強かったのですが、これは晩年のほんの一瞬の姿。
CDの時代になって、ニューヨークフィルの時代、アメリカへの亡命直後、そして戦前のウィーンフィルの録音と、どんどん時代をさかのぼってワルターの録音を聴いて行くにつれて、これは違うぞと実感するようになりました。
そして、この本を読み終えて、もう一度、ワルターの録音を聴き直していきたいと強く思いました。
また、いかにワルターが自身が生きていた時代の作曲家の作品を積極的に演奏していたか、よく分かりました。ワルターと言えばモーツァルトのイメージが強かったのですが、そんな感覚すら払拭させられるものがありました。私たちが録音で聴いているのはワルターのほんの少しのレパートリーに、すぎないのである。
それにしてもワルターの指揮するワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」が聴けないのは、やはり残念。メトロポリタン歌劇場での指揮を熱望しながら実現しなかった。「前奏曲と愛の死」だけでも聴いてみたいのだが・・・。
そしてワルターにとって欠かせない関係だった作曲家であり指揮者のマーラー。
私はマーラーの未完に終わった交響曲第10番は、いろいろ聴いてみてクックによる完成版も良いのではと思っていましたが、ハッとさせられるものがあり、目が覚めました。第1楽章にあたるアダージョと他の楽章を絶対に同列に見なしてははいけないのである。
ワルターの言葉。

「私はマーラーの交響曲第10番の完成と出版に強く反対するものです。巨匠が未完で遺さなければならなかった自分の最上の作品の一つを、一体誰が誰が引き継げるというのでしょうか?」

またワルターの女性関係も興味深かった。
作家トーマス・マンの娘と関係があったらしい。ワルターの娘の証言もあるので間違いないのでしょう。
この件(くだり)を読んで思い出したのは、ワルターのミュンヘン時代、当時、彼の元で修行していた後の大指揮者カール・ベームの回想禄「回想のロンド」の一節である。

「ブルーノ・ワルターを通じて私はトーマス・マンの知遇を得たが、マンは私のことを人間的にも芸術的にもひじょうに気に入ってくれ、のちに聞いた話だが、自分の娘と結婚させたい意向だったという」

最後に、たいへん印象に残ったヴァイオリン奏者アイザック・スターンのコメント。

「トスカニーニは爆発的な形で独裁者でしたが、ワルターは温和な形で、やはり同じくらい独裁者だったのです。しかしある意味では、音楽家はそうであらねばなりません。なぜなら何と言っても演奏家は、自分の意思を押しつけなければならないのですから。
もし指揮者ならば、まずオーケストラに、それに聴衆に、そうやって自分の意思を押しつけるには、内面の力と信念がどんな時にも必要なのです」

今回読んだワルターの伝記はワルターの録音を聴く幅を、さらに広げるのに十分すぎるものがありました。
これからも、もっともっとワルターの録音を集めていき、聴き込んでいきたい。







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