オペラファンの仕事の合間に パート2

大好きなクラッシック音楽やフィギュアスケート、映画などを語ります。メインは荒川静香さんの美しさを語るブログ。

父とフィギュアスケート

2009年06月01日 15時56分05秒 | フィギュアスケートとの出会い
イベントの為、一週間振りの休みである。また、この数日、朝の7時前に出社していたので、ヘトヘト状態である。昨日も仕事していて夕方に気持ちが悪くなってしまいトイレへ駆け込んでしまった。やはり自分の年齢を考えてしまう。
今日は、ゆっくりと寝ようと思っていたがいつも通りの時間に目が覚めてしまった。やはり齢をとって来たのであろうか?しかし、さすがに体中しんどくてたまらないので、今日はまだ一歩も家の外へ出ていない。

朝CDを数枚、聴いた後、久しぶりに映画「砂の器」(1974年、松竹映画)のDVDを見る。そう言えば今年は「砂の器」の原作者である松本清張の生誕100年のはずである。
久ぶりにこの映画を見て映像と音楽の素晴らしさや美しさに圧倒されました。また若き日の現在の千葉県知事さんも若い刑事役で登場していて年月の経つことの大きさを感じます。
この映画の大きなテーマの一つに「父と子の絆」があると思います。
映画のラストで今の千葉県知事の扮する若い刑事が丹波哲郎扮するベテラン刑事にたずねるシーンがたいへん印象に残りました。
若い刑事「(犯人の)和賀は父親に会いたかったのでしょうね?」
ベテラン刑事「そんな事、わかっている!和賀は今、音楽、音楽の中で父親と会っているのだ!」

私自身、18歳の時、病気で父を亡くしましたが、もう父と過ごした年月よりも、死後の年月の方が、はるかに長くなってしまいました。
父と過ごしたのはたった18年でしたが今だに私の内面では父の影響が大きく残っており、終生、消えることはないでしょう。
考えてみると、時々書き込みましたがクラシック音楽、大相撲、そしてフィギュアスケートは父の影響がなければ、これだけのめり込まなかったかもしれません。
かつて一度だけ書き込んだ記憶がありますが、私の様なフィギュアスケートとの出会いをした人間はあまりいないかもしれません。きっかけを作ってくれたのは、やはり今は亡き父です。

父はある大手の建築会社に勤めていました。私が小学6年の時、県下で初(四国でも初?)のスケートリンクの新築工事を担当しました。とにかく初ずくしで大変な工事だったらしい。
建物もほとんど完成していよいよ初めてリンクに氷をはる時、ある夜、家にいた父はやはり心配でたまらなかったらしく新築現場へ様子を見に行ったのですが、何故か私も連れていかれました。
そして初めて見る誰もいないスケートリンク、そして、まだ誰も脚を踏み入れていない真っ白い氷をはったリンクの美しさ、荘厳さは子供心にも忘れられないものがありました。
最近、何度かアイスショーなどで、なみはやドームなどを訪ねていますが、会場に入るたびに、やはり氷のはった真っ白いリンクの美しさに心を奪われます。やはり小学生の時のインパクトが強かったからでしょう。
新築のスケートリンクのオープニング(今で言うエキシビションか?)が大変華やかだったらしく父は酒を飲むたびに、この時の事をしゃべるのですが私にはどういう事なのかさっぱりわからない状態でした。当日は現在の作詞家のなかにし礼の嫁さんも出演していたらしい。
そして中学生の時、札幌冬季オリンピックが開催されました。その時、初めてテレビでフィギュアスケートを見ました。いや、無理やり父に見さされたと言うべきか?そして父がこれを言いたかったのかと、やっとわかりました。また、その頃クラシック音楽に興味を持ち出した時だっただけに、私自身も深く興味を持ち、現在も続いているしだいである。
トリノ冬季オリンピックで荒川静香さんが金メダルに輝いた当日、私が母と初めて顔を会わせた時の母の第一声は今も忘れることが出来ません。
「お父さんが生きていたら物凄く喜んだでしょうね」
父が生きていたら現在の日本のフィギュアスケート界の隆盛を本当に喜んでいたでしょう。荒川静香さんや浅田真央さん、安藤美姫さんたちの演技を一目見せてあげたかった!もし、長生きしていて、見る事が出来たら本当に喜んでいたでしょう。
もし、生きていて元気だったらアイスショー会場のなみはやドームでヨイヨイのじいさんと頭の薄くなったおじさんさんのコンビがフラフラと歩いているという珍妙な光景が見れたかもしれません。
父が担当したスケートリンクも数年前、解体され現在は別の建物が建っています。やはり年月の経つ事の大きさを痛感します。

映画「砂の器」を語るつもりが大きく脱線して私事ばかりグダグダと書いてしまいました。どうかお許し下さい。