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オペラファンの仕事の合間に パート2

大好きなクラッシック音楽やフィギュアスケート、映画などを語ります。メインは荒川静香さんの美しさを語るブログ。

歌劇「ドン・カルロ」

2009年09月07日 17時23分11秒 | オペラ
昨日の深夜、NHK・BSで昨年12月ミラノ・スカラ座でのヴェルディ作曲の歌劇「ドン・カルロ」の上演の映像が放送されました。この公演は慣例版といえる全4幕版によるものです。
今、一気に録画を見ました。オリジナルより1幕少ない全4幕版といっても約3時間半の演奏時間ですが、時間の長さは全く感じませんでした。
このオペラの魅力は何でしょうか?ソプラノ、メゾ・ソプラノ、テノール、バリトン、バスといった主役の歌手による独唱、重唱、そして合唱も大活躍でまさに声の饗宴!第3幕第1場では2人のバスによる重唱もあり聴き応えがあります。
しかし単に声の饗宴だけがこの作品の特徴ではありません。複雑な人間の葛藤が緊迫感のあるドラマとして観る者、聴く者を最後まで引っ張っていきます。そして登場人物の持つ「悲しさ」「愛」「貴品」などがヴェルディの音楽から伝わってきて時間の長さを感じさせません。
ヴェルディのオペラというと「アイーダ」が有名ですが私は「ドン・カルロ」の方が遥に好きです。ヴェルディの数多いオペラの中でベストワンを挙げるのはたいへん難しいですがベストスリーとなると「仮面舞踏会」「椿姫」と並んで「ドン・カルロ」を私は挙げてしまいます。

さて現在ミラノ・スカラ座は来日中で「ドン・カルロ」も上演されています。本当は行きたくてたまりませんが、物凄く高額なチケット代+交通費を考えると諦めるしかありません。ですから今回の放送は私にとって本当に嬉しかった!
なお当ブログのご常連のハルくんが今回の来日公演のゲネプロを見られています。
レポートはこちらです。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-61db.html
今回の放送を観ると、スカラ座としては簡素な舞台装置ですが、現在流行の時代の読み替えによる演出ではなくドラマと音楽を正面から見せる、聴かせる正統的な演出で、さすがはスカラ座である。
ダニエリ・ガッティ指揮のスカラ座管弦楽団、合唱団も素晴らしいものでした。生はもっと凄かったでしょう。
放送ではフィリッポ2世はフェルッチョ・フルラネット、エリザベッタはフォレンツァ・チェドリンスでしたが、ハルくんのレポートでは来日公演はフィリッポ2世がルネ・ハーぺ、エリザベッタはバルバラ・フリットリとの事で来日公演の方が凄い顔ぶれである。特にソプラノのフリットリは、おそらく現在最高のヴェルディを歌うソプラノと言っても過言ではありません。まさに、あの美しい容貌とあわせて世界最高のエリザベッタでしょう。さぞかし素晴らしかったに違いありません。
なお、このオペラのストーリ等はeyes_1975様が詳しく書かれています。
http://blog.goo.ne.jp/eyes_1975/e/4ececc5d3f23fc5262e21dca18c0e104

ところで歌劇「ドン・カルロ」の録音ですがカラヤンやムーティの録音が定評ありますが私はやはり1961年、ドイツ・グラモフォンによって録音された全5幕版によるガブリエーレ・サンティーニ指揮のミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団によるスタジオ録音が最高だと思っています。ボリス・クリストフのフィリッポ2世、エットーレ・バスティアーニのロデリーゴ、フィオレンツァ・コッソットのエボリなど歌手も最高としか言い表わせません。
いや単に「ドン・カルロ」のベストと言うだけでなく数多いヴェルディのオペラの録音の中でも最上位の録音であると思っています。
なお残念ながら、これだけCDが普及している時代にもかかわらず、私の記憶では、この録音のみ、この名盤中の名盤が1度も単独でCDが発売されていません。ですから現在でも私はこの録音に関しては、まだレコードで聴いています。
本当にメーカーに対して怒りを感じます。




楽劇「トリスタンとイゾルデ」への想い。その2 

2009年08月31日 10時00分10秒 | オペラ
8月17日の記事では私に楽劇「トリスタンとイゾルデ」との出会い等を書き込みました。中断していましたが、時間があれば続きを書きこむつもりでいました。そんな時、17日の記事の直後、新聞の朝刊の社会面の片隅の小さな訃報欄を見て、大変、驚きました。

イゾルデ役を得意にしていたドイツのドラマティック・ソプラノ歌手、ヒルデガルト・ベーレンスが東京の病院で急死。72歳。
草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァルの講師として来日していましたが、体調を悪くして都内の病院に入院、そして18日、息を引取ったとの事で、大変、衝撃を受けました。
もっと早く話題にしたかったのですが、丁度そのころ「フレンズ・オン・アイス」直前で盛り上がっていた頃なので今に至ったことを、どうかご容赦ください。

私にとってベーレンスの名前を聞いてすぐに頭に浮かぶのは彼女のデビュー録音になったR・シュトラウスの楽劇「サロメ」の録音です。カラヤン指揮のウィーンフィルによる1977年のEMIでの録音である。
久し振りに当時、初発売された時にすぐに購入した国内盤のレコードを引っ張り出してみました。解説書には録音の様子を写した写真も多く掲載され懐かしい。そしてCDではなくレコードで「サロメ」の終曲のサロメの長大なモノローグを聴いてみました。
当時「サロメ」やワーグナーのヒロインを歌うソプラノ歌手は、どちらかというと体格のいい、肉厚のある声のある歌手が主流?だったのですが、彼女の登場は、そのような概念を吹き飛ばすものがありました。改めて長大なモノローグを聴いてみて彼女のシャープで張りのある輝かしい声に魅了されました。楽劇「サロメ」の録音はいろいろ持っていますが、やはり彼女の録音が一番好きである。
そして解説書の写真を見ると、それまでのワーグナー歌手では見られなかった(失礼!)美人である。私の手元に彼女のバイエルン国立歌劇場でのイゾルデに扮した第2幕の写真がありますが、トリスタンを見つめる眼差しの鋭さは凄いものがあります。
また彼女がメトロポリタン歌劇場で歌ったプッチーニの歌劇「トスカ」のDVDも持っていますが、彼女の声はプッチーニを歌う声とちょっと違うかな?と思ったりしますが、舞台姿は本当に美しい!さぞかし舞台栄えのするオペラ歌手だったのでしょう。彼女の歌うイゾルデの映像が無いのが本当に残念である。さぞかし神々しいくらい美しかったに違いありません。

最後に彼女とイゾルデにまつわる私の印象に残るエピソードを一つ。
1981年、バイエルン国立歌劇場でモーツァルトの歌劇「後宮からの誘拐」を指揮していた最晩年のベームの元にバーンスタインが訪ねてきました。バーンスタインはちょうどその時バイエルン放送交響楽団と「トリスタンとイゾルデ」をライブ録音中である。そんなバーンスタインにベームが一発かましたそうである。

「バーンスタイン、君はトリスタンをやるそうじゃないか。私の全曲にかけてきた以上の回数を、君は1幕のリハーサルにかけてるのか。もしかして、その効果が表れているのではあるまいか?
公演の方は疲れるから、リハーサルに顔を出していいかい?
それに聴きたいのはヒルデガルト・ベーレンスの歌いぶりだけだから!」

ベーム晩年のザルツブルグ音楽祭でベーレンスはR・シュトラウスの歌劇「ナクソス島のアリアドネ」のアリアドネ役を歌いました。ライブ録音があるらしいのですが、まだ手に入れることが出来ていません。
ベーム、カラヤン、バーンスタイン、サヴァリッシュといった大指揮者に愛されたベーレンス。
また一人、私の時代を代表するオペラ歌手が亡くなってしまいました。寂しさをかくせません。
心よりご冥福をお祈りいたします。



楽劇「トリスタンとイゾルデ」への想い。

2009年08月17日 14時39分17秒 | オペラ
私は仕事がゴタゴタすればするほど、時間を忘れて心にズシンと来る大曲を聴いてみたくる傾向がある。
久し振りにワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の全曲DVDを取り出して時間を経つのを忘れて見入ることができた。1983年のバイロイト音楽祭での映像。バレンボイムの指揮、演出はジャン・ピエール・ポネルである。ポネルの演出は今、流行の読み替えの演出とは背を向けた幻想的で音楽と寄り添うような演出で安心して見ることが出来ます。巨大な作品ですがドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」の世界を連想させるものも感じる時があります。
このオペラは以前、自己紹介で私の大好きな三本のオペラの一つに入れていましたが、やはり好きなオペラと言うより私にとって特別なオペラと言ってよいでしょう。
第1幕の何か不健康で、うずくような前奏曲から始まり、そしてこのオペラな核心と言える第2幕の延々と続くトリスタンとイゾルデの愛の二重唱。聴けば聴くほど、この作品を初めて聴いた時の感動を思い出すばかりである。

「名付けることなく、別れることなく、
 新たに知り合い、新たに燃え、
 無限に、永遠に、一つの意識に、
 熱く焼けた胸の、至上の愛の快楽!」

 二重唱の最後、「愛の死」のメロディに乗って二人が情熱的に歌い上げるところになると、こちらも、どうにもならない状態になっています。

楽劇「トリスタンとイゾルデ」という作品を知ったのはクラシック音楽を聴きだした高校生の時。コンサート形式の「前奏曲と愛の死」を聴いて、それまで聴いたクラシック音楽にはない何か形容の出来ない未知の世界があるように感じました。それまでの名曲路線で行くか、それとも自分の聴きたいものに進んで行くか分岐点だったのでしょう。クラシック音楽の深みに入っていく前に大きくふさがっていた大きな扉を「前奏曲と愛の死」が開けたくれたと言ってよいでしょう。今、考えてみると、高校生の時、とんでもない音楽を聴いてしまったと言う感が強くします。
そして「前奏曲と愛の死」だけでは飽き足らず、ぜひオペラ全曲を聴いてみたいと強く思い、少しずつ小使いを貯め、高校三年の時、遂に全曲レコードを手にしました。5枚組レコードのアルバム。初めて手にした時のズシリとした重さは今も忘れません。これが作品の重みというものでしょうか。CDの時代になって、こういう気持ちを持つことが出来なくなったのは本当に残念である。
購入したレコードはカール・ベームが1966年バイロイト音楽祭で指揮したライブ録音である。また初めて手にしたワーグナーのオペラの全曲レコードでした。初めての全曲レコードが「タンホイザー」や「ローエングリン」ではなく「トリスタンとイゾルデ」であったことが今から思うと何か考えさせるものがあります。
さて、自宅へ帰ってケースを開ける、まずは説明書の厚さに驚かされました。「トリスタンとイゾルデ」伝説から始まりワーグナーとヴェーゼンドンク夫人との関係、作曲や初演までの過程、そして音楽的意義など今のCDの解説書では考えられない、ぎっしりと内容が詰まった解説書で、読みきるだけでも大変でした。
そして初めて、当時のステレオ装置から第2幕の冒頭の音楽が鳴り響いた時、言い様がない感動を憶えたものです。そして初めて聴いた長大な二重唱。それにしても
高校生のガキが、とんでもない作品を聴いてしまったものである。

「おお、降りて来よ、愛の夜を、
 愛の夜を、我が生きることを、忘れさせよ」

長大な作品だけに、いつも全曲を通して聴く事はできませんが、聴くたびに初めてこの作品を聴いた時と同じ感動を憶えることが出来るのは本当に幸せです。
さて指揮のベームであるが、その長い生涯のなかで一番敬愛した作曲家はおそらくモーツァルトでしょう。しかし一番愛したオペラは「トリスタンとイゾルデ」だったのではと思う事があります。解説書では演奏中、ベームは時折、涙を流しながら指揮していたと記されています。現在でもベーム盤が「トリスタンとイゾルデ」の全曲録音のトップだと思っていますし、ベームの数多い録音の中でも最高のものだと信じています。

今の時期、ドイツではバイロイト音楽祭が開催されています。私も死ぬまで一度、バイロイト詣でをしてみたいものです。

歌劇「ジョコンダ」

2009年07月16日 09時33分40秒 | オペラ
この前の日曜の深夜、NHK・BS2で藤原歌劇団によるポンキエルリ作曲の歌劇「ジョコンダ」の公演の放送があり、やっと録画を見終えました。私自身、このオペラのCDは持っていますが、映像で見るのは初めてでした。
このオペラが我が国で上演されるのは、たいへん珍しい。ソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バリトンのしっかりした歌手が必要で特にジョコンダを歌うソプラノはドラマチックな声が要求されているので、なおさらで公演を難しくしているのであろう。ただ聴き所も多くあり、第2幕のエンツォ(テノール)が情熱的に歌う「空と海」、第4幕のジョコンダが死を決意して歌う「自殺」、そして第3幕のバレエ「時の踊り」は特に有名です。
作曲者のポンキエルリは年齢的にはヴェルディとプッチーニの中間に位置していている。そしてこのオペラの台本はヴェルディの歌劇「オテロ」「ファルスタッフ」の台本を書いたボイートである。
今回、改めて聴いてみて、やはり、この作品はヴェリズモ・オペラの先駆けのように感じました。公演自体、歌手のバランスなどいろいろ思うことはありましたが、コーラスも健闘していて、このオペラを我が国で上演する自体、意義を感じました。また演出も、この数年、主流になっている「読み替え」の演出ではなくオーソドックスなものだったので助かりました。オペラに集中することが出来ました。

この歌劇「ジョコンダ」の放送の一週間前には同じ時間帯で新国立劇場でのプッチーニの「トゥーランドット」の公演の放送があり、こちらは途中で見るのを止めてしまいました。
このオペラの設定を現代のイタリアの広場で上演される仮面劇(道化芝居?サーカス?)に「読み替え」られていましたが、見ていて辛くてたまらなった。舞台はなかなか派手なものだったでしたが作品自体がだんだん小さく感じてしまった。演出がゴチャゴチャしてプッチーニの作品の持つ旋律の美しさが味わうことが出来ない。またリューの悲しみも伝わってこない。このプッチーニの最高傑作を茶化しているように感じて本当に辛かった。このような演出が今は主流なのはよくわかっています。しかし私は保守的なのかもしれませんがオペラの演出はやはり音楽を生かすものであって欲しい。ただ全ての「読み替え」の演出を否定する者ではないので誤解のないように。
「読み替え」と「斬新さ」は同じようであるが違うと思います。特にイタリアオペラの場合、旋律の美しさを生かした演出であって欲しい。私は大昔、ミラノ・スカラ座の初来日公演で見たゼッフィレッリ演出の「ラ・ボエーム」を忘れることが出来ません。舞台に目を引きつけられながら音楽の美しさも堪能できる。現在もこの演出が続いているのは、この演出の初公演の時の音楽を生かした「斬新さ」が現在も失はれていないと言う事でしょう。
最近はどうもオペラを映像で見るよりCDで聴く方がホッとすることが私は多くなってきました。オペラと正面から向き合った目が覚めるような「斬新な」演出のオペラの映像を見たいものである。



歌劇「道化師」

2009年04月23日 09時20分51秒 | オペラ
この前のフィギュアスケートの国別対抗戦でペアの川口悠子さん&スミルノフの演技のフリーの演技をやっと見ることが出来ましたが、イタリアの作曲家レオンカヴァルロ作曲の歌劇「道化師」の音楽が使用され本当に嬉しかった。とくにイタリアオペラとなると本当に血が騒ぎます。
この作品は19世紀の末頃、名も無い庶民を題材とした写実的、現実的なオペラが作られ、それらは「ヴェリズモ・オペラ」と呼ばれ新しい潮流となった。イタリアオペラの歴史の中でヴェルディの存在はたいへん大きかった。そのヴェルディの影から逃れる為、当時の若い作曲家は歴史や貴族の愛や葛藤を扱う事を避け身近な出来事をストレートに訴える作品を発表していった。その一番の代表作が「道化師」とマスカーニ作曲の「カヴァレリア・ルスティカーナ」である。

レオンカヴァルロの父親は司法官であったが父親が担当した裁判で旅回り一座の芸人が嫉妬から舞台で妻を刺し殺した事件があり、この事件をヒントに作曲者自身が台本を書いた。
南イタリアのある村。旅回りの一座の座長カニオ(テノール)は幼い時に拾って座員として育てたネッダ(ソプラノ)を妻としている。一座にはぺぺとせむしのトニオ(バリトン)がいて、トニオはネッダに横恋慕しているが、ネッダは村の若者シルヴィオ(バリトン)と忍ぶ恋仲である。

幕が上がる前に演奏される「プロローグ」は管弦楽の短い前奏のあと幕の間からトニオが登場して「前口上」を歌い始める。
「舞台の上では、おもしろおかしく演じていますが道化役も血も涙もある人の子です。その人間としての苦しみや悲しみこそ真実のドラマであることをおくみとり下さい。」
そして「さあ、始まり!始まり!」と歌い終わりトニオが姿を消したあと冒頭の前奏がくりかえされ、幕が上がる。
第1幕
村の広場で村人たちは大騒ぎしながら旅回りの一座を大喜びで迎える。そして一座の座長カニオがロバに引かせた車に乗って登場し、太鼓をたたいて村人を静めて、今夜の芝居の宣伝をする。短いがここがカニオをうたうテノール歌手の最初の聴かせ所である。
その後、村人たちによって「鐘の合唱」が歌われる。
その村人たちも誰もいなくなりネッダが一人、舞台に残る。そして大空を飛び交う鳥たちを眺めながら、幼いころ母親が歌ってくれた歌を口ずさみ、ネッダの自由な生活への憧れが歌われる。ネッダの聴かせ所、鳥の歌「大空を晴れやかに」である。
「鳥の歌」の後、トニオが登場。トニオはネッダに思いを打ち明け迫ろうとするがネッダは鞭を取り上げトニオを打ちのめす。トニオは怨みの言葉を残して去っていく。
トニオと入れ替わるようにネッダと恋仲である村の若者シルヴィオが登場し、情熱的な愛の2重唱となる。この2人の密会を物影からトニオが発見し、怨みを晴らすチャンスとばかり秘かにカニオを呼んで来る。去っていくシルヴィオにネッダは優しく言う。
「今夜またね。あたしはいつまでも、あんたのものよ!」
それを聴いてカニオが逆上しシルヴィオを追いかけるが逃げられ、ネッダに詰め寄るが開演の時間が迫ってきているので、ぺぺがカニオに支度をうながしカニオを残してトニオと姿を消す。
涙をぬぐいながら化粧するカニオであるが、現実の悲しみや怒りも笑いの下にかくさなければいけない悲しさ、心情を歌う。有名な「衣装をつけろ!」である。そして幕が下りる。
有名な間奏曲のあと、第2幕の幕が上がる。
村の広場で一座の芝居が始まる。客席にはシルヴィオの姿もある。
恋人同士を演じるネッダとぺぺ。ぺぺが去るときネッダは叫ぶ。
「今夜またね。あたしはいつまでも、あんたのものよ!」
舞台に出る前にこのせりふを聞いた亭主役のカニオは先ごろの記憶を思い出す。
舞台で亭主役としてネッダに問い詰めていくうちにカニオは舞台と現実の見極めがつかなくなり劇的な「もうパリアッチョじゃないぞ」を激情的に歌う。そしてカニオは逃げ出そうとするネッダをナイフで刺し、そして舞台に飛び出してきたシルヴィオも刺す。
そしてぼう然として舞台にたったままカニオが言います。
「喜劇は終わりました」そして幕が下りる。

上演時間約1時間15分のオペラなのでCD1枚に収録されているので購入しやすいかもしれません。
このオペラの主役はやはり座頭カニオです。カニオ役と言えば私はやはり往年の大テノール歌手で「黄金のトランペット」と呼ばれたマリオ・デル・モナコを1番に思い浮かべます。
デル・モナコにはデッカでのスタジオ録音も残されて、モナコの声は素晴らしいのですが他のキャストと指揮が今一つなのが残念です。ただ、かなり以前、NHKの放送で昭和36年に開催されたNHKイタリアオペラの公演に来日してカニオに扮したモナコの映像を見ることが出来、ビデオでも録画していましたが今はDVDにデーターを移して大切にしています。
たいへん昔の映像で白黒で映像状態も鮮度に欠きますが、まさに最高のデル・モナコが記録されていると思います。声も全盛時代だけに素晴らしいのですが、顔の表情も本当に凄い!第2幕の「もうパリアッチョじゃないぞ」は鬼気迫るものがあります。当時、世界最高のテノールによる最高のカニオといってよいでしょう。
現在では世界でも一流の歌劇場が世界的なオペラ歌手を伴って来日するのも当たり前の時代ですが、まだそんな時代ではない昭和36年に、現在では考えられない悪い条件の中で来日してまさに至芸と言ってもいいものを日本の聴衆に見せてくれたデル・モナコ。なおこの映像はDVDとして発売されているので、このオペラに興味ある方はぜひ見て欲しいものです。
CDでは、その他パヴァロッティやホセ・クーラが歌っている録音も持っていますが一度聴いただけで、そのままです。
その中でけっこう気に入っているのが輸入盤(ORFEO)ですが1985年ウィーン国立歌劇場でのライブ録音です。カニオがプラシド・ドミンゴ、ネッダがエレアナ・コトルバス、指揮はアダム・フィッシャーである。ウィーン国立歌劇場のコーラスが素晴らしく、またライブならではの熱気もあり気に入っています。

歌劇「イル・トロヴァトーレ」

2009年03月02日 14時01分58秒 | オペラ
歌劇「イル・トロヴァトーレ」

ピエロ・カップッチッリ(ルナ伯爵)ライナ・カバイヴァンスカ(レオノーレ)フィオレンツァ・コッソット(アズチェーナ)プラシド・ドミンゴ(マンリーコ)ホセ・ファン・ダム(フェランド)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団・合唱団

1978年5月1日ウィーン国立歌劇場でのライブ映像
DVD (DENON TDBA80880)

少ない給料から、いかに安くていい演奏や映像のCDやDVDを手にいれるか、いろいろと苦労していますが、今回,限定盤ですが、たいへん超お買い得のDVDを購入しました。特別価格で2980の品ですがAmazonで購入したら、さらに安くなって2391円でした。
さてヴェルディの歌劇「イル・トロヴァトーレ」の魅力は何だろうか?やはり輝かしい声とオーケストラが一体になってヴェルディ独特の輝かしい旋律を歌いあげる点が最大の魅力でしょう。このオペラのストーリーの難点を挙げる方もいるようですが、それが気になる方はイタリア・オペラそしてヴェルディのオペラに無縁な方でしょう。歌手、指揮者、オケの力量が高ければ高いほど、このオペラの魅力は全開となりますが、今回のDVDは、1978年の映像なので今の映像と比べて古さを感じるのはしかたありませんが当時のベストメンバーによる公演の映像なのでで、このオペラの面白さを堪能出来ます。
第1幕冒頭の印象的なオケの序奏から始まって第4幕の最後、アズチェーナが「お母さん、私は復讐を遂げました」と叫ぶまで目と耳が離せません。

このDVDは、1964年にウィーン国立歌劇場を去ったカラヤンが13年振りにウィーン国立歌劇場に復帰して大変話題になった公演の映像である。
ウィーン国立歌劇場の指揮台に立ったカラヤンの表情、やはりベルリンフィルとのコンサートでの表情と全く違う。やはりカラヤンはオペラの人である。第1幕の序奏から気迫が違う。ウィーン国立歌劇場への復帰に、このオペラを選ぶと言う事は、カラヤンは歌劇「イル・トロヴァトーレ」というオペラが好きなのであろう。

この時代の歌劇「イル・トロヴァトーレ」の最高のメンバーの歌手による上演であるが、その中でやはり私の大好きなバリトンのピエロ・カップッチッリのルナ伯爵がほれぼれするくらい素晴らしい!素晴らしい声!朗々と響く輝かしいバリトンの声!やはり歌劇「イル・トロヴァトーレ」はルナ伯爵が誰が歌うか?が要である。
アズチェーナはメゾ・ソプラノの第1人者フィオレンツァ・コッソットである。鬼気迫る迫力のある物凄いとしか言いようもない声!第2幕の有名なアンヴィル・コーラスの後からマンリーコとの2重唱までコッソットの独壇場である。まさに世界最高のアズチェーナである。
カバイヴァンスカのレオノーレは歌も悪くないですが、やはり舞台姿が本当に美しい。実力者でしたが映像や録音が、あまり無い方なので、この映像は貴重である。私は高校生の時、テレビで彼女の歌う「トスカ」を見たことがあり、その美しい舞台姿をたいへん懐かしく思います。
最後に若々しいドミンゴのマンリーコ。ドミンゴを最後に挙げなければいけないくらい、この公演は贅沢な顔ぶれによる、たいへんな公演と言えるでしょう。

と言う事でたいへん見ごたえ、聴きごたえのある超お買い得のDVDでした。
なおCDでは、いろいろありますがイタリア・オペラ界の大指揮者トゥリオ・セラフィンが1962年ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団を指揮したドイツ・グラモフォンでのスタジオ録音がヴェルディのオペラはかくあるべしと言うべき最高の録音と私は思っています。

「まるごとプッチーニ」

2008年12月25日 14時01分46秒 | オペラ
23日の祭日、NHKのハイビジョン放送でプッチーニ生誕150年記念として朝から晩まで「まるごとプッチーニ」という放送がありました。残念ながら当日は仕事だったので第2部と第3部を録画して昨晩からぼちぼちと見ています。第2部はドキュメンタリーが中心であるが、プッチーニーがどういう人だったか、たどるのも大切だが、ドキュメンタリーを見ながらやはりプッチーニの音楽を聴きたい、オペラを見たいという欲求にかられ第2部を中断して第3部の「ジャンニ・スキッキ」と「ラ・ボエーム」の映像を見てしまう。
「ジャンニ・スキッキ」はクライボーン音楽祭のライブ録画。舞台の時代設定は現代のようであるが全く違和感を感じることが無い。。最近、輸入CDでミレッラ・フレーニが歌っている三部作の全曲盤を入手し、よく聴いていますが改めて映像でみると、このユニークな作品を楽しむことが出来た。
さて「ラ・ボエーム」である。ミミ役が何とアンナ・ネトレプコである。彼女の名前を見ただけで期待倍増である。時代設定はオリジナルのままですが、ネトレプコのミミは今風のミミのように感じました。今回の映像は劇場でのライブではなく、スタジオでの録画である。オペラ映画といっていいでしょう。スタジオでの収録なのでアップも多くネトレプコの魅力を満喫しました。ロドルフォ役はロランド・ヴィラゾン。今年、グラモフォンから発売された全曲CDは、この映像のサウンド・トラックのようである。
ネトレプコのミミを見ているだけで胸が一杯になりますが、第3幕で雪が降りしきる光景の中でのミミの歌う「さようなら」そして第4幕の後半は何度聴いても熱いものが込み上げてきます。

もしプッチーニのオペラの中で一番好きな作品は?と聴かれたら、やはり「トゥーランドット」と答えるでしょう。トリノ冬季オリンピックでの荒川静香さんの演技と重なり、これはどうしようもありません。その次は?と聴かれたら「蝶々夫人」と答えるでしょう。「ラ・ボエーム」はどうした!と言われたら困った!困った!「ラ・ボエーム」は私の原点のオペラ。初めて手にしたオペラ全曲レコードが「ラ・ボエーム」(カラヤン指揮)である。そしてイタリアのオペラの殿堂、ミラノ・スカラ座の初めての日本公演を大阪で見た演目が「ラ・ボエーム」。フレーニの歌うミミ、クライバーの指揮、そしてゼッフレッリの素晴らしい演出、装置。第2幕の有名な舞台装置、そして第3幕のまさに詩情あふれる美しい舞台。そして、その時、流れてくるプッチーニの美しい音楽。あれから30年近く経っていますが、未だに忘れる事が出来ません。

プッチーニの魅力はやはり旋律の美しさ!そして、ただ美しいだけでない、その裏側にある哀しさ!ミミの「さようなら」、「蝶々夫人」第1幕の蝶々さんの登場の場面、そして最後の2重唱など・・・ヒロインの最後を知っているだけに、余計、哀しくなります。
来年は、かなり昔のオペラ映画であるが若き日の女優の八千草薫さんが主演した「蝶々夫人」のDVDが発売されるらしい。
来年も忙しくなってきました。

ミラノ・スカラ座の「椿姫」

2008年12月06日 12時16分17秒 | オペラ
歌劇「椿姫」(全曲)

アンジェラ・ゲオルギュー(ヴィオレッタ)ラモン・バルガス(アルフレード)

ロリン・マゼール指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団

(演出)リリアーナ・カヴァーニ

2007年ミラノ・スカラ座にて収録

(DVD )ART HAUS MUSIKU 101 343 (輸入盤)

イタリアオペラの総本山と言うべきミラノ・スカラ座での歌劇「椿姫」の新演出の映像を収録したDVDが手に入りました。
演出はイタリアの女流映画監督のリリアーナ・カヴァーニである。カヴァーニの名前を聞いてピンと来る方はかなりの映画通かもしれません。1973年製作の「愛の嵐」の監督である。

映画「愛の嵐」
主演 ダーク・ボガード(マックス役)シャーロット・ランプリング(ルチア役・私の大好きな女優さんの一人である)
1957年冬のウィーン。かつてナチスの親衛隊だったマックスは、あるホテルのフロント係りとして働いているが、ある日、収容所時代のもてあそんだユダヤ人の少女だったルチアと再会する。ルチアは今、有名な指揮者の妻となっていたが、二人は再び愛の嵐に身をゆだねていく・・・
女流監督らしい、なめるような映像。秘密的な情念と倒錯的なエロチズムを描き、公開当時、たいへん話題になったことを憶えています。

そんな映画作品の映画監督が演出した「椿姫」である。それもスカラ座での公演である。さぞかし今、流行の奇抜で時代や舞台設定を読み替えた演出を予想していましたが第1幕の幕が開くとびっくり!現在、珍しくなってきた、作品を正面から受け止めた、正統的な舞台である。舞台装置も衣装も19世紀の設定である。当然、第1幕は豪華絢爛な舞台装置で、たっぷりと舞踏会の華やかさを味合うことが出来ました。「椿姫」はこうでなくてはと痛感しました。
私は「椿姫」の第1幕が大好きである。あの前奏曲が終わったあと、幕が開き華やか舞踏会に場面となる。社交界の華ヴィオレッタと青年アルフレード。最初、ふたりが視線を交わして時から、互いを意識し、運命の糸に結ばれていたと私は思っています。
ヴィオレッタは他の男性の間を社交辞令的に周っていくが、視線はアルフレードから離れない。やがて舞踏会の人たちが異様な雰囲気に気が付き、舞台はだんだんと緊張を増してくる。その雰囲気を和らげようと誰かが言います。「歌でも歌えよ」と。辞退するアルフレードだが・・・その瞬間、有名な「乾杯の歌」になだれ込みます。
私はこの場面が、このオペラの「命」と思っています。
カヴァニーニの演出は伝統的で古めかしい舞台のように見えるかもしれませんが、細やかな表情の付け方、動き方でヴィオレッタの情念や哀しさを見事に描ききったと思います。昔。映画監督のヴィスコンティは同じスカラ座でマリア・カラス主演で、このオペラを演出して今や伝説になっていますが、おそらくこのようでなかったかと想像しています。
ヴィオレッタ役は久し振りにゲオルギューである。最近、ネトレプコに押され気味?の感がありますが健在振りを発揮しています。またアルフレード役のバルガスがたいへんな美声を聞かせてくれて良かった!ネトレブコの相手役で有名なヴィラゾンの癖のある声と何と違うのだろうか!これからの活躍に期待である。

と言う事で、今回のDVDは久し振りにヴェルディのオペラを堪能する事ができました。しばらく病みつきになりそうです。(バッハのことは、もちろん忘れていません)

メトロポリタン歌劇場のガラ・コンサート

2008年11月27日 18時17分24秒 | オペラ
世間は先週末から3連休でしたが、私は祭日を挟んで1週間ぶりの休みで、今日はぐったりである。また昨夜、深夜の3時前に店の施錠不備でセコムからの電話で叩き起こされ、頭がまだボーとしている。
そんな中、最近テレビ番組の録画をいろいろと見て行きましたが、やはり見ごたえ、聴きごたえがあったのが、23日夜、NHK教育放送の地上デジタル放送された、2006年のメトロポリタン歌劇場のガラ・コンサートである。以前、一度だけハイライトで放送された記憶があるが今回の放送は約3時間、ノーカットである。
今回のガラ・コンサートは長い間メトの支配人だったジョゼフ・ヴォルビーの退任を記念してのコンサートで相変わらずメトならではの豪華メンバーのガラ・コンサートである。
今回のメトのガラ・コンサートは、ただ名の通ったオペラ歌集達が有名なオペラ・アリアを歌いまくると言うものではなく、オペラの好きな私をくすぐる憎い選曲ばかりである。某国営放送局の正月恒例のニューイヤーオペラコンサートではモーツァルトのオペラはいつも「フィガロの結婚」や「魔笛」、そしてロッシーニのオペラはいつも「セリビアの理髪師」ばかりですが、今回のメトのガラ・コンサートはモーツァルトのオペラは「コシ・ファン・トッテ」「皇帝ティトスの慈悲」、ロッシーニでは「ゼミラーミデ」「アルジェのイタリア女」である。その他、ゴルンゴールドの歌劇「死の都」から2曲も演奏されている。やはりやる事が違う!某国営放送局のコンサートの選曲と何と違うのでしょう!後で気が付いたのだがプッチーニの曲は一曲も無かった!
「ゼミラーミデ」では、あのテノールのフローレンスの素晴らしい高音を楽しむことが出来ました。また「死の都」を歌ったのはキリ・テ・カナワである。何という贅沢!
しかし一番、姿を見せただけで嬉しくなったのは歌は無くスピーチだけでしたがミレッラ・フレーニの登場である。1935年生まれである。齢相応にふくよかに見えますが、あの笑顔と美しい金髪は健在である。またスピーチでの声のきれいな事!私が初めて買ったオペラの全曲レコードのプッチーニの「ラ・ボエーム」のミミを歌っていたのがフレーニである。何度、繰り返して聴いたであろうか!またイタリアのミラノ・スカラ座の初めての日本公演で観た「ラ・ボエーム」のミミもフレーニでした。フレーニの姿を見ているだけで、いろいろな想いがこみ上げてきます。
コンサートの最後はベートーヴェンの「フィデリオ」第2幕のフィナーレ。大いに満足というところである。

この1週間の録画では、まだ見ていませんがムーティ指揮のウィーンフィルやロシアのサンクトペテルグフィル響の放送もあるので機会があれば記事にしたいと思います。

初めて聴いた生の歌劇「トゥーランドット」

2008年10月24日 23時22分11秒 | オペラ
本日、ブルガリアのソフィア国立歌劇場の歌劇「トゥーランドット」の公演を我が田舎町のホールへ観にいきました。歌手も知らない方ばかり、舞台装置も簡素なものでしたが、オーケストラと合唱が素晴らしく、プッチーニの音楽の美しさを堪能できました。演出も今、流行の時代設定の読み替えでなかったので、演出が音楽の邪魔をしなかった事も良かった。私にとって最愛のオペラ作品を初めて生の音で聴くことの出来た事は大きな歓びです。
特に今回の公演ではCDではいつも私にとっては退屈に感じていた第2幕第1場の3人の大臣の場面で、この男声の3重唱の面白さ、ユニークさに目が開かされました。実際、3人の大臣の動きと音楽の巧妙さは実際のステージでないと実感できないのではと感じました。
またトゥーランドット姫とリュウの2人のソプラノの対比。トゥーランドット姫にとってはハッピーエンド、リュウにとっては悲劇。この対比をさらにCDで聴き込んでいくつもりです。
地方で歌劇「トゥーランドット」に接することは、めったに無い事でしょう。ひょっとしたら、地方在住の私にとって生で、このオペラを生で聴くことは最初で最後かもしれません。しかし、もし機会があれば、もう一ランク、二ランク上の公演に接してみたいものです。

歌劇「トゥーランドット」への想い。

2008年10月17日 23時32分53秒 | オペラ
昨日は一週間ぶりの休みでした。世間は11日から13日までの3連休の方も多かったと思いますが、私は相変わらずドタバタ貧乏でした。この齢で休みが一週間あくと体力的にたいへんきつい。昨日は家でぐったりとしていましたが、それでも音楽を聴く気力はあったようで朝から朝比奈隆指揮のグラズノフから始まって夕方、財務大臣が帰宅するまでCD三昧であった。

朝比奈隆指揮のグラズノフのCDといっしょに私の一番好きなソプラノ歌手であるミレッラ・フレーニの歌うプッチーニの三部作(「外套」「修道女アンジェリカ」「ジャンニ・スキッキ」)のデッカでの全曲録音のCDが(初回の発売の時は手が出なかったが今回はお買い得価格だった)届いていたので「外套」から聴くべきですが「ジャンニ・スキッキ」を2度、聴いてしまった。フレーニの歌うラウレッタを聴いて胸が一杯になる。
プッチーニの、この三部作が、あの「トゥーランドット」につながっているのではと、私はかねがね思っています。「外套」はトゥーランドット姫(ドラマチック)、「修道女アンジェリカ」はリュウ(叙情性)、そして「ジャンニ・スキッキ」は三人の大臣(喜劇性)。大掛かりな合唱も加わって、この三部作が一体になったのが「トゥーランドット」と思うのは思い過ぎかな?
来週の24日わが田舎町で何と何と歌劇「トゥーランドット」の公演があります。ブルガリアのソフィア国立歌劇場による公演です。私自身、「トゥーランドット」は一番好きなオペラで、CDで隅から隅まで知っているつもりですが、まだ一度も、このオペラを生の生きた音で聴いたことがありません。当日は一応、仕事は公休にしていますが急な会社の行事ごとで、おそらく夕方までバタバタしていると思われますが夜は会場のホールへ馳せ参じるつもりです。
私の記憶ではCDは持っていませんが晩年のカラヤンがヴェルディの「レクイエム」の録音で、この歌劇場の合唱団を起用したはずです。合唱の聴かせどころが多いオペラなので楽しみです。

「トゥーランドット」の公演が終わると、次はアイスショーである。今、秘かに来年1月10日の大阪での「STARS on ICE 」の公演を狙っています。まだ日本人のゲストスケーターが発表されていないので様子を見ている状態ですが荒川静香さんの名前が発表されたら即手配である。本当は12月の新横浜での「クリスマス・オン・アイス」に行き公演後、同志の方々と御会いしたいのは山々ですが7月に新幹線「のぞみ」で往復という暴挙?をしたばかりなので今回は断念である。とにかく氷上で荒川さんとサァーシャ・コーエンが舞っているのを見たいものである。


「華麗なるメトロポリタンオペラ」

2008年10月09日 11時03分20秒 | オペラ
この数日、NHKハイビジョンで「華麗なるメトロポリタンオペラ」が連夜放送されています。初日の「セリビアの理髪師」は録画を忘れてしまいましたが、2日目のグノーの「ロメオとジュリエット」そして3日目のヴェルディの「マクベス」は忘れずに録画したので、やっと見終えたところである。
一番の期待はレヴァインの指揮ということもあるが「マクベス」だったが、感想は「無残」の一言であった。魔女の合唱など見ていられない。舞台設定を現代に読み替えてのステージではあったが何ら面白くない。血に塗られたようなストーリーなので演出家はドロドロした部分をエキサイトして強調したかったのだろうが何といっても、このオペラの原作はシェークスピアであり音楽はヴェルディである。格調というものと作品に対する敬意が欲しい。レヴァインの指揮だっただけに本当に残念であった。

「マクベス」でがっかりした後「ロメオとジュリエット」を見る。ロベルト・アラーニャのロメオ、アンナ・レトレプコのジュリエット、そしで指揮が何とあのテノールのプラシド・ドミンゴである。
不安な気持ちの中で第1幕の幕が開く。ホッとする。あの「ロメオとジュリエット」の世界をぶち壊していない。メトとしては簡素な舞台装置であるが見事な舞台転換を見る事が出来る。
しかしこの公演の一番の見所はやはりレトレプコのジュリエットである。美人に弱い私は彼女が登場すると目が離せなかった。ハイビジョンなので彼女の肌の状態まではっきり見えて血圧が上がりっぱなしである。第1幕の舞踏会の場面でのジュリエットが歌う「美しき夢に」あたりでは彼女の声はこの役では重たいかなと思っていたのですが幕が進むにつれて気にならなくなりました。そして第4幕第1場のジュリエットの寝室でのロメオとのラブシーン(ベッドシーン)にはノックアウトである。ここまでやるかと思いワ~という感じで、めまいがしそうであった。ロメオ役がビリャソンでなくアラーニャで本当に良かった!
ドミンゴの指揮姿は初めて見ましたが本当に板についている。あの超人的なスケジュールの中でいつ指揮を勉強したのだろうか?驚きである。

今晩の放送は「ヘンゼルとグレーテル」でる。メトの豪華な舞台装置に期待しましょう。

「カヴァレルリア・ルスティカーナ」「道化師」

2008年09月18日 11時05分44秒 | オペラ
先週の土曜日の夜、NHKのハイビジョンでカラヤンが1960年代後半に指揮したオペラ「カヴァレルリア・ルスティカーナ」と「道化師」の放送があった。いずれも舞台でのライブではなくスタジオでの録画である。オケとコーラスはミラノ・スカラ座管弦楽団・合唱団である。前もって歌手が歌だけを録音して後から演技を収録した口パクのようで所々音楽と口の動きがあっていない部分があった。
やはり、この2本のオペラには何かギラギラしたものが欲しいところであるがカラヤンの指揮なので、きれいに整えたという感が強い。しかし装置も美しく見所もあり、それなりり楽しむことは出来た。
「カヴァレルリア・ルスティカーナ」ではサントッツァ役のフィオレンツァ・コッソットが圧倒的。その声にしびれる。私にとってイタリアオペラ界のメゾ・ソプラノと言えば、いまだにコッソットである。彼女にもらったサインは今でも額縁にいれた部屋に大切に飾っている。1960年代後半だけに声の艶もすばらしい。彼女には、そのころミラノ・スカラ座でのサンティーニ指揮のヴェルディ歌劇「ドン・カルロ」でエボリを歌った素晴らしいスタジオ全曲録音(グラモフォン)があるが、いつになったらCD化されるのであろうか?バスティアーニのロデリーゴもCDで聴いてみたい。もう、待ちくたびれた。
「道化師」はジョン・ヴィッカースのカニオ、ピーター・グロソップのトニオの主役2人には違和感を感じた。ちょっと違う。ちっとも熱くならない。トニオのプロローグでも高揚感がない。比較してはいけないのだがカニオ役では、どうしてもデル・モナコと比べてしまう。昔のNHKイタリア・オペラで来日した時の映像をビデオで見過ぎた為かもしれませんが、モナコはここの部分はこう歌った、ここの部分はこんな表情をしていたと思うばかりで、どうもいけません。
その中で、懐かしい名前があった。ネッダ役のライナ・カヴァインスカである。彼女の美しい姿が映像で残っているのは本当に嬉しい。第2幕の劇中劇での演技は見ものである。1973年の第7次NHKイタリア・オペラの公演のテレビ放送で見た「トスカ」でのトスカ役での美しさはオペラに興味を持ち出した頃だっただけに忘れる事が出来ません。
いろいろ不満な部分も多々ありますが二本通して二度も録画を観てしまった。また観てしまいそうである。

歌劇「トゥーランドット」  

2008年08月28日 10時58分36秒 | オペラ
私が毎月購読している音楽雑誌「レコード芸術」の9月号で毎月連載されている「現代名盤鑑定団」で私が一番好きなオペラと言ってもいいプッチーニの歌劇「トゥーランドット」が取り上げられた。この連載は著名な音楽評論家3人が名盤選びをするのだが1番手に絶賛されたのがカラヤン指揮ウィーンフィルとの1981年の録音だった。(グラモフォン)
確かにカラヤンがウィーンフィルから紡ぎだす音楽の美しさは確かに認めますが、ちょっと待てよというのが実感である。

歌劇「トゥーランドット」の魅力は何か?氷の心を持った姫君トゥーランドットと奴隷の娘リューの対極的な面白さ。このオペラはトゥーランドットから見るとハッピーエンド。リューの立場から見ると悲劇。この2つの対極が3人の大臣をからませてプッチーニーの素晴らしい音楽にのって、突き進んでいく凄いオペラだと思っています。
私がこのオペラで1番好きなシーンは第3幕、有名な「誰も寝てはならぬ」のあと、王子の名前を聞きだすため拷問にかけられたリューにトゥーランドットが問いかける場面。それまで大きく鳴っていたオーケストラも静かになります。
姫君「誰がそのような強い力をお前の心に与えたのか?」
リュー「姫君様、それは愛でございます。」
姫君「愛とは?」
リュー「口に出さず、胸に秘めたこのような恋は様々な責苦さえも、快く感じられるほど強いのでございます。(中略)    
    私に責苦をお与えください!ああ!私の恋のこの上もない贈物!」
ここで一気に緊張感が最高潮になり、リューのアリア「氷の心を持った姫君も」そしてリューの死の場面になだれ込みます。私にとっては、このオペラの最高の聴き所です。ただカラヤン盤のトゥーランドット役のリッチャレッリ、リュー役のヘンドリックスでは線が細くてさっぱり面白くない。この場面で一番好きな録音はカラスのトゥーランドット、シュヴァルツコップのリューによるセラフィン指揮の1957年の録音である。(EMI)
連載では大変評価が低いようでしたが録音当時のイタリアオペラ界とドイツオペラ界を代表するプリマの共演はミーハーで素人オペラファンの私にとっては大切な録音である。まさに氷のようなトゥーランドットそのものと言っていいカラスの問いを、はね返すシュヴァルツコップのリュー。レコード会社の専属制の厳しかったこの時代、EMIの専属でカラスに対抗出来るリュー役の歌手が他にいたのでしょうか?評論家の大先生方にはどうでもよい事なのでしょう。もし今の時代だったらカラスのトゥーランドット、テバルディのリューで録音可能だったかもしれない。当時デッカはカラフ(デル・モナコ)とリュー(テバルディ)を歌える歌手はいたがトゥーランドットを歌える歌手がいなかったのでドイツから引っ張ってきた。なおセラフィン盤はカラフ役のテノールがもう1つでありモノラル録音なのが本当に残念である。評論家の大先生方も、その事を強調している。 

最後に私がよく聴く歌劇「トゥーランドット」の全曲盤
①サザーランドのトゥーランドット、パヴァロッティのカラフ、カバリエのリュー
 メータ指揮ロンドンフィルハーモニー管弦楽団(1972年録音 デッカ )
 *なお「レコード芸術」の一覧表にはオケがロスアンジェルスフィルと記載されていますが間違い。
 ②ニルソンのトゥーランドット、ビョルリンクのカラフ、テバルディのリュー
 ラインスドルフ指揮ローマ歌劇場管弦楽団(1959年録音 RCA)
番外、ニルソンのトゥーランドット、コレルリのカラフ、フレーニのリュー
 メータ指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団(1966年メトロポリタン歌劇場でのライブ録音) 
 条件の悪い輸入盤でのライブ録音ですがニルソンとコレルリがライブならではの熱気ムンムンの凄まじい歌を聴かせてくれます。このコンビの録音は1965年のモリナーリ・ブラデッリ指揮のEMI盤が本命だと思いますが、このライブ録音を聴くと吹っ飛びます。ニルソンとフレーニの顔あわせも聴き物です。

歌劇「アラベラ」

2008年08月18日 09時34分03秒 | オペラ
R.シュトラウス 歌劇「アラベラ」

あらすじ
ウィーンの没落貴族ヴァルトナー伯爵は美しい娘のアラベラを金持ちと結婚させて経済的に楽になりたいと思っている。マッテオはアラベラを愛しているが心が通じない。アラベラにはズデンカという妹がいるが娘を2人も嫁にだす財力の無い伯爵はズデンカを男として育てているが、ズデンカは秘かにマッテオを愛している。
そしてアラベラは舞踏会の日、大地主のマンドリカと知り合い求婚され、受け入れる。マッテオを心配したズデンカは舞踏会の夜、ホテルの自分の部屋の鍵を姉の物と偽って渡し、自分がホテルの暗闇の部屋の中でアラベラに代わって結ばれます。
しかし舞踏会での鍵のやりとりをマンドリカが聴いてしまい、また舞踏会から帰ってきたアラベラがホテルのロビーでズデンカの部屋から出てきたマッテオと鉢合わせになってしまい、マンドリカの誤解を生み、大混乱となりますが、死を覚悟したズデンカの告白で事の真相がわかり、全てを知ったマッテオもズデンカの気持ちがわかり、彼女を幸せにする事を決意します。
最後、アラベラを疑ったマンドリカは後悔の念に苦しみますがアラベラは許婚となる夜、娘は泉の水をコップに入れて許婚に渡して結婚を承諾するというマンドリカの故郷のしきたりどうりに一杯の水を差し出して、ハッピーエンドで幕となる。

19世紀末ウィーンを舞台にした美しい旋律に溢れたオペラで、R・シュトラウスのオペラの中で私が一番好きな作品です。
聴き所は第1幕のアラベラとズデンカの2重唱「もし、ふさわしい人が現れたら」そして第1幕最後のアラベラのモノローグ「私のエレメール」、第2幕マンドリカろアラベラの2重唱「父が申しますには、私と結婚なさりたいとか」そして第3幕の最後「まだ、そこにいらっしゃったのは」などで美しさに満ち溢れています。

数週間前、NHKハイビジョン放送でチューリッヒ歌劇場の公演が放送され録画をやっと見ました。演出がゲッツ・フリードリッヒだったので、悪い予感がしたのですが、やはり19世紀末のウィーンの情緒など、ひとかけらも無い舞台で面白くなかった。このオペラは時代設定の読み替えをして欲しくありません。またアラベラ役は最近この役で定評のあるルネ・フレミングでしたが、バタ臭くて、これまた面白くなかった。
ウイーンでは昔からアラベラ歌いと呼ばれる歌手がいるくらいウィーンでは愛されているオペラと言う事です。エリザベート・シュワルツコップやリーザ・デラ・カーザが定評のあったアラベラで映像はありませんが写真で見る限り美しさと気品に溢れていています。シュワルツコップには上記聴き所を収録したハイライトでのマタチッチ指揮の録音、そしてデラ・カーザにはカイベルト指揮のバイエルン国立歌劇場でのライブでの全曲録音(マンドリカ役はフィッシャー・ディースカウ)があり、大切にしています。

映像では1994年メトロポリタン歌劇場でのクリスティアン・ティーレマン指揮の公演のDVDをよく観ています。演出もオーソドックス、舞台装置も豪華絢爛で安心して音楽に浸ることが出来ます。また第2幕の舞踏会を彩るミリ役はナタリー・デッセイという贅沢ですが、何といってもアラベラ役のキリ・テ・カナワの美しさが一番の見所でしょう。表情も素晴らしい。第2幕のマンドリカとの2重唱、そして第3幕の大詰め、水を入れたコップを持って2階から階段で降りてくる場面、そしてマンドリカとのやりとりは、まさに陶酔感にひたることが出来ます。
私が持っているのはこちら
かなり昔、サヴァリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場の日本公演で取り上げられてNHK教育テレビでも放送されました。(衛星放送のまだ無い時代)
アラベラ役はルチア・ポップ!ビデオで録画しましたが3倍モードで状態が悪いので、いつかは再放送して欲しいものである。