めげないで努力すれば、ある程度まで出来ることが可能となる。例えば、縄跳びの跳べる技量などがそうで、現に私も、高校時代の体育の授業で6級、5級を通過し、4級を練習していたくらいだ。三回の試技があったが、なかなか6級が通過できず、随分と自分の情けなさに悩んだものだが、めげないで自宅で練習をした結果、なんとか通過できたという事実を記憶している。ある程度までというのは、天分があり、個々の生まれ持った程度の違いがあることを指す。
とある釣り堀である。老人と知り合いの中年二人が日長、飽きもせず釣りをしている。
「釣果(ちょうか)のオイカワ寿司、美味(うま)かったですねっ! ありがとうございました」
「いやいや、こういう長丁場の釣りですと、続ける努力を支える食事も大事な手段となります。私くらいの年になりますとな、そのコツというか、なんというか…そんなものが分かってきよります」
「ご老人は何年くらいの釣歴(ちょうれき)がっ?」
「若い頃からですからなぁ~。おおよそ60年にもなりますか…」
「そんなにっ!」
「ええ、まあ…。お恥ずかしい話ですが…」
「いえいえ、大したものです。私なんか始めて20年ばかりですから…」
「釣歴は余り関係がありません。やはりめげずに釣りを継続する努力ですなっ!」
そう言った老人がピールの肴(さかな)に持参したオイカワ寿司は、釣果がゼロで、帰りに魚屋で買ったオイカワだった。
努力は、めげないで不言実行するところに成果が得られるようだ。^^
完