『今日、現れたのは、先だって言っておいた枉神(まがかみ)と会える期日を伝えようと思おてのう…』
「それはそれは…。しかし、今、ここでは…」
『ほう、そこでは駄目か?』
「申し訳ございません…」
そことは奉行所の雪隠(せっちん)の中だったのである。それも大の方だったから、兵馬は思わずそう告げたのだ。奉行所仲間に聞かれれば拙(まず)い・・ということもあった。
『では、何時(いつ)の刻限ならばいいのじゃ?』
「暮れ六つ以後なれば…」
『分かった。ではのう…』
須佐之男命はそう言うと、気配を消した。兵馬としては、やれやれ…の気分だった。
兵馬が勤めを終え、奉行所の門を出たとき、ふたたび須佐之男命の声がした。歩きながら辺りを見回すと、上手くしたもので人の姿はなかった。さすがに神様だけのことはある…と、兵馬はこのとき、改めて須佐之男命を崇(あが)めた。
『枉神と唾(つば)をつけ、明日の暮れ五つに現れるよう言い渡したが、いかがじゃ?』
「はあ、それはもう…。何時(なんどき)でございましょうと、直(じか)に遣(や)り取りが出来れば解決の糸口が見えようというもの…」
『さようか、ではそういうことにしよう。達者で暮らせよ…』
そう告げると須佐之男命の気配はスウ~っと消えた。その直後、前方から侍の近づく姿が見えた。兵馬は、さすがに神様だけのことはある…と、また思った。
枉神が気配を現したのは、元照寺で撞(つ)かれる暮れ五つの鐘が陰に籠らずグォ~~ンと賑(にぎ)やかに鳴ったときだった。
『枉神じゃ! 須佐之男様より言い渡された故(ゆえ)に現れたが、何の用じゃ~~ぁ!!』
小煩(こうるさ)そうな声が空よりした。兵馬が蔦屋の味噌田楽で一杯やったあと、お芳の置屋へ向かう途中だった。ホロ酔いの身が冷たさを増した夜風に吹かれ気分がいい。
「これはこれは…。態々(わざわざ)、申し訳もございませぬ。実は最近、巷(ちまた)で起きております人変わりの一件をなんとかならぬものかと思いまして…」
『おう! あのことか…。あの仕儀には訳があるのよ…』
「と、言われますと…?」
兵馬は声がする漆黒の虚空を見上げ、訊(たず)ねた。
続