夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

美味し、美しく、北のまほろば冬の旅は・・。 ⑫ 最終章  旅の終りは霧雨、その後は本降りとなり・・。

2010-12-26 18:04:51 | 
          最終章  旅の終りは霧雨、その後は本降りとなり・・。

12月22日、私達夫婦のささやかな初冬の旅も最終日を迎え、
『黄金崎 不老ふ死温泉』の観光ホテルを10時半に辞して、
ホテルの歓送マイクロバスで最寄駅のウェスパ椿山駅に向う途中から、霧雨が降りだした。

五能線の『リゾートしらかみ』で新青森駅に13時25分に到着したが、
本降りの雨となり、『県立美術館』に訪れ予定であったが、少しためらいながら、
私達は新青森駅の地産地消飲食ゾーンの軽食店で、
サンドイッチを頂きながら、コーヒーを飲んだりした。

結果としては、駅より『県立美術館』まで、タクシーで往復したが、
もとより美術の基礎知識のない私達は、時間を無駄にした、というのが実感であった。
せめての救いがあるとすれば、棟方志功、寺山修司、両氏への私のつたない知識を深めた程度である。

私達は落胆して、新青森駅に17時半過ぎに戻り、
ふたたび地産地消飲食ゾーンの軽食店に寄ったりし、18時28分発の『はやて』東京駅行きを待ったりした。

そして私達は、今回の旅で好感したことを語りあった・・。

蔦温泉旅館の裏手に広がるブナ林、雪の情景が予想した以上に圧倒的な存在を実感させられたこと、
そして青森と蔦温泉の往復での路線バスからの雪景色の美景に心酔させられたこと、
奥入瀬渓流のタクシーで往還した道路管理3名以外・・誰にも逢わず薄墨の世界をあたかも独占できたこと・・。
そして蔦温泉旅館の前庭の片隅にある売店で、昼のひととき雪見酒を2日連続になったこと、

このようなことを話し合ったりしたのである。

少しばかり無念なことは、
家内は、蔦温泉旅館に夕食後に、5月に連泊した時、高齢の狸(タヌキ)が訪れ、
動物好きな家内は楽しみにしていたが、
旅館のスタッフに寄れば、落葉樹が染まる錦繍の前頃から来館しなくなったこと。

私は、五能線で風雪の景色、『黄金崎 不老ふ死温泉』で日本海に雪が舞い降る情景・・。

このようなことが私達には叶わなかったが、
これ以外は、私達夫婦が予想した以上の八甲田山連峰の山間部の道路の情景、
蔦温泉の周辺、そして奥入瀬渓流の景観であり、
雪深くなる1、2月よりも、この時節の20センチ~60センチぐらいで、
人気の少ないこの時節が、美的な要素を更に倍加させてくれた、と思ったりしている。

こうした意味合いに於いて、今回の初冬の旅は、
これ以上の美景の再現は、たぶん二度とめぐり逢えない光景が多く、私達は幸運に恵まれた。

                              《終り》

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美味し、美しく、北のまほろば冬の旅は・・。 ⑪ 第10章 『黄金崎 不老ふ死温泉』

2010-12-26 00:25:48 | 
          第10章  『黄金崎 不老ふ死温泉』

私達夫婦は、今年の5月24日から青森県の一部を周遊した時、
この『黄金崎 不老ふ死温泉』に3連泊して、旅の始まりであったが、
鮮烈な思いがあり、今回の旅も同じ部屋を予約できたので、宿泊することにした。

この時の思いとしては、下記のように投稿している・・。

【・・
私達夫婦はウェスパ椿山駅で午後4時20分に下車し、
駅前で待機していた宿泊先の『不老ふ死(ふろうふし)温泉』の送迎バスに乗り込んだ。
小雨の降り続ける中、日本海に面した黄金崎(こがねざき)にある観光ホテルには、10分たらず到着した。

そして、この観光ホテルの新館に3泊としていた。

http://www.furofushi.com/ 
☆『黄金崎 不老ふ死温泉』ホームページ☆


打ち寄せる波のまじかにある海岸の露天風呂で、
日本海の落陽を眺め・・として名高い観光ホテルであるが、
3泊4日をしたが、雨時々曇りの日々となり、夕陽が洋上に沈む光景は無念ながらめぐり逢えなかった。

しかし、雨が止んだひととき、館内から海岸に向う歩道を百メートルぐらい歩み、
波打ち際に、ひょうたん形の露天風呂がふたつある。
右手は女性専用、左手に男女混浴があり、私は男女混浴の湯船に身体をゆだねたりした。

2日目の午前10時過ぎ、ひとりだけ60代の男性がいるだけで、
長野県の茅野市の方で独り旅で北東北の温泉を廻りながら、旅を楽しまれている人であった。
とりとめない旅先の温泉のことなどを談笑を重ねたりした・・。

館内の大浴場からの日本海の眺めも良く、隣接しているパノラマ展望風呂は、
屋根がある小さな露天風呂のような感じで、洋上の情景がゆったりと眺められるので、
私は朝夕のひとときは、身も心もゆだねたりした。

そして、ロビーの片隅で、青森県の地方紙のひとつの『東奥日報』を読んだりし、
今回の旅の終わりまで何かと愛読したりした。


食事に関しては、日本海のこの地の周辺で獲れる地魚、貝づくしの幸を十二分に賞味でき、
見た目より遥かに美味しく、鮮度抜群が味の基本であることを改めて認識させらた。

私が何よりも魅せられたのは、部屋からの眺めである。
たまたま東館の二階の中央部にある部屋に宿泊したが、
窓辺にある椅子に座り、朝、昼、夕に幾度も眺めたりしたのである。

日本の海岸に多い防波堤のコンクリートやテトラポットなどはなく、
日本海の波が海岸に直接に打ち寄せ、海岸からまじかな洋上の周辺に、
小さな岩が集積して、あたかも小さな列島のように点在し、
こうした列島が幾10か観られ、波を受けたり、しぶきをあびたりしていた・・。
そして引き潮、或いは満潮の時に、うつろいながら変貌した情景を観せていた。

こうした風景を眺めたりしていると、室町時代の頃からの石庭など景観よりも、
遥かに深く魅了させられ、私は飽きずに眺めたりしていた。


5月27日の朝10時過ぎ、『黄金崎 不老ふ死温泉』の観光ホテルに別れを告げ、
私達は送迎バスで五能線のウェスパ椿山駅に向った時、
道路際には芽吹きが終わり新緑に染まり、中には早くも若葉となった落葉樹の中、
ときおり八重桜(ヤエザクラ)が観られ、私はこの地にも春到来を感じ、和(なご)んだりした。
・・】


このように5月の長雨に遭遇し、雨時々曇りの日が3日間続き、
今回の連泊の間は、夕陽を部屋から、露天風呂から、そして日本海に落陽する光景を観たり、
或いは初冬の時節であるので、日本海に舞い降る雪の情景を秘かに期待していたのである。


到着した翌朝は、ときおり風が強く吹く曇り空で、午前10時過ぎに私は露天風呂に向かった。
露天風呂の出入り口の本館まで行き、
海岸の施設の歩道を百メートルぐらい海岸線まじかにある露天風呂に到着するのであるが、
浴衣の下はパンズ一枚だけ、左手にバスタオルとタオルを入れたビニール袋を提げた姿で歩きはじめた・・。

ゆるい下りの歩道で、強く風が吹き、浴衣の裾(すそ)は捲(まく)れ上がり、
私は右手ですそを押さえて、
『やめ~て・・少し風・・穏やかにねぇ・・お願いいたしますょ・・』
と心の中で呟(つぶや)いたりした。

そして露天風呂の簡素な更衣棚に浴衣とパンズをビニール袋に入れたが、
このビニール袋が風を受けて、たなびいているのである・・。

私は露天風呂に身体をゆだねて、波打ち際の波、そして押し寄せてくる波間、
ときおり私は立ち上がり、彼方の日本海を眺めたりしていると、風が冷たく感じ、
露天風呂に身体を沈めるように深く湯に入ったりした。

このような天候であったので、もとより私だけの貸切風呂となったりし、
帰路、本館の露天風呂の出入り口のいるホテルのスタッフの方から、微笑まれた。

私は苦笑しながら、宿泊している新館の部屋に戻ったりした。


翌日は、冬晴れとなり、私は昨日の容姿で、露天風呂をめざした。
ときおり微風が吹く程度で、穏やかな快晴の中、散歩するみたいに海岸線までの歩道を歩いた。
そして、誰もいない露天風呂に心身ゆだねて入ったり、
押し寄せる波、そして遥か彼方のフェリー船が日本海を北上するのを見たりした。

そして露天風呂から上がり、冬晴れの陽射しに向かい、素肌を数分程さらしたりしたが、
寒さを感じることなく、むしろ快適な心情となったりした。

                             《つづく》

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美味し、美しく、北のまほろば冬の旅は・・。 ⑩ 第9章 『県立郷土館』、そして冬の五能線は・・。

2010-12-25 22:28:39 | 
          第9章  『県立郷土館』、そして冬の五能線は・・。

青森グランドホテルで朝食を終えた後、市内の路地に残り雪が見られ、歩道は根雪となり、
19日の日曜日の為か、主要道路以外は除雪されていなかったが、冬晴れとなり、
陽射しのある処では雪解けとなっていた・・。

こうした中、ホテルの前より『県立郷土館』までタクシーを利用した。

館内は、考古展示室、自然展示室、民俗展示室などが、
ゆったりとしたスペースで展示されていたが、
私は輝いた郷土の先人たちの展示室に好奇心があり、
それぞけの分野で業績を遺(のこ)された人の足跡を読みながら、
教示されることが多かった。

『県立郷土館』を辞した後、私達は青森駅を目指して、
根雪の歩道を注意しながら、冬晴れの中を歩いた・・。

駅に近づくと、新しくできた地場食材を買い求めことのできる『A-FACTORY』が、
数多くの人たちを見かけ、
青森駅発13時54分発の『リゾートしらかみ』に乗車するまで、
この『A-FACTORY』で過ごそうと私は家内に提案した。

館内は日曜日のせいか、地元にお住まいの家族、私達のような観光客で賑っていた・・。
確かに色々な青森県産の食材、食品があり、
昼食の代りに何かないかしら、と私達は探した・・。

私は餡子(あんこ)の餅を選定し、煎茶を探したのであるが見当たらず、ビールとし、
生まれて初めての組合わせに、我ながら苦笑した。
家内はアップルを焼いた菓子風のパンを頂きながら、コーヒーを飲んだりした。


この後、青森駅の在来線のプラットホームで、
秋田駅行きの『リゾートしらかみ』を待機していたのであるが、
入線してくる『リゾートしらかみ』を見て、私は嫌な予感をしたのである・・。
今年の5月に、秋田駅から不老不死温泉の最寄駅の『ウェスパ椿山』まで、
その後もウェスパ椿山駅から青森駅まで乗車して、まさに快適の体感をしたのであった。

この理由のひとつとして、座席のゆったりとした車内、広い車窓からの情景があったが、
JR東日本の秋田支社が運行している、この『リゾートしらかみ』の場合は、
トイレの横に小さな喫煙室があったのである。

最近ハイブリットの新型車両が登場し『青池』号と命名された、と何かのニュースで知っていたが、
これを機会に『ぶな』、『くまげら』号の両編成列車も、小さな喫煙室が廃止されるのではないか、
と私は危惧したのであるが、結果として的中したのである。

私は東海道・山陽新幹線に一部の車両には、喫煙室があるが、
昨今の嫌煙風潮に最適かしら、と愛煙家の私は思っているのである。

この『リゾートしらかみ』の運行として、せめての救いとして、
『弘前』、『川部』の両駅で6分、7分の待機時間があるので、私は『川部』駅のプラットホームで、
携帯灰皿を持ちながら、憩(いこ)いのひとときの煙草を喫ったりした。


『リゾートしらかみ』は、青森駅を発車して市街に出ると、積雪の情景の中で、
岩木山の雄大な景観が見え、リンゴの果樹園がまじかに見ながら田園の情景となった。
そして奥津軽と称せられる『五所川原』駅を過ぎて、まもなく海沿いの情景となり、
日本海の南下する。
そして海沿いの線を走りながら、海岸の美景が展開するのが、観光客として魅了されるひとつである。
私は秘かな願っていたことは、この時節として雪が舞い降る中の海岸線の情景、
或いは冬晴れの中、車窓から夕陽を見ながら、と期待していたのである。

結果として、どんよりとした曇り空の中を走破したが、『深浦』駅に近づく頃から、
雲の合間から落陽が観え、五分ぐらい私を含めの乗客は、歓声を上げたり、写真を撮ったり、
見惚(みと)れたりしていた。

この後、まもなくして宿泊する『不老不死温泉』の最寄駅のウェスパ椿山駅に、
夕暮れの16時47分に到着し、
私達は観光ホテルの待機して下さっているマイクロバスに乗車した。


                             《つづく》

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たがが『年賀状』、されど『年賀状』、私なりのささやかな深い思いは・・。

2010-12-25 09:10:49 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であるが、
私達夫婦の共通趣味のひとつとして国内旅行であり、
過日の12月14日より、青森県の十和田湖の山奥にある蔦(つた)温泉に4泊、青森市内に1泊、
そして日本海の黄金崎の不老ふ死温泉に3泊し、8泊9日で訪れてきた・・。

このことについては、このサイトに於いて、
【 美味し、美しく、北のまほろば冬の旅は・・。】
と題して、帰宅後に綴りながら、連載として8回まで投稿しているが、
昨日は年賀状のことが気になっていたのである。

私の住む地域に於いて、元旦に配達できるのは、
遅くても25日に郵便ポストに投函して下さい、と何かのニュースで私は知っていた。

家内からの買物の依頼の合間、年賀状の文面、差出先の人などを思案して、
最小限として30通ばかり仕上げて、午後の3時半に投函したのであった。

このように慌ただしいことは、私はとっては稀(まれ)なことである・・。


平年の私の年賀状の思いは、このサイトにも投稿しているので、
あえて再掲載をする。

たとえば昨年の2009年12月20日に於いて、
【 たがが、されど『年賀状』に思いを寄せて・・。】
と題して、投稿している。

【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
ここ数日は冬めいた寒さとなり、朝の6時過ぎは1度、昼下がりは9度ばかり、
夜の6時は5度ぐらいであるが、冬晴れに恵まれた日々となっている。

ここ数日は、年賀状のことを少しは思案している。
郵政公社は15日の火曜日から、年賀状の受付を開始し、
元旦に配達を希望される方は、25日の金曜日まで投函をお願い致します、
とニュースで報じられていた・・。

私は年賀状は元旦に自宅の郵便受け入れ箱に入り、
居間の炬燵(こたつ)に入り、この方もお元気で過ごしている、と微笑みながら読むのが好きであるので、
私の方も新たなる2010(平成22)年の年賀状は25日の金曜日まで郵便ポストに投函しょうと、
固い決意をしている。

しかし、ぐうだらな私は、まだ一枚も書いていないのである。
卑屈で屈折のある私は、年賀状の文面にこだわり、つたないなりに思案しているのである。

こうした思いは、このサイトに於いて、
【 『年賀状』を発行しながら、そのお方を思い・・♪ 】
と題して、昨年の2008年12月14日に投稿している。

【・・
私はここ数日、年賀状の親族、親戚、知人、友人等に
数種類の文面を考えた結果、昼前後のひとときプリントした。

宛名のソフト『筆まめ』を愛用しているが、
葉書の表面をプリントしている時などは、そのお方のことを思ったりしていた。

わずか、その人、そのお方はたった1分前後であるが、
幼児、少年期にあの叔母さんにお世話になった・・、
中学時代の時の友に、あの時は助けられた・・
就職、結婚の人生の節目に、あの奥様に多大な暖かな言葉を頂いた・・
サラリーマンの時代にあの上司に、あの時のアドバイスがなければ・・
友のさりげない激励・・

このような人生のさまざまな瞬時の情景が甦(よみがえ)るのである。


私は年金生活の五年生であるが、
こうした折、私なりに拙(つたな)い人生を歩んできたが、
改めて多くの助けを頂き、今日を迎えることが出来ている、と実感したりしている。


そして、過日、私は【たとえ年賀状でも、創意工夫で認(したた)め・・♪】
と題して、
このサイトに投稿した綴りを読み返したりしていた・・。

【・・
私は年金生活の5年生の64歳の身であるが、年賀状を頂くのも、ひとつの楽しみとしている。

元旦の朝の10時頃に配達されるのが、毎年の慣(なら)わしとなっている。

そして、知人の近況などが付記されていると、
お元気でお過ごし・・と知り、安堵したりしているのである。

一番困るのは、定例型の挨拶文だけで記載されている場合である。

例えば、

 賀正
本年もよろしくお願い致します


  謹賀新年
輝かしい新年を迎えまして
皆様のご健康とご多幸を
心よりお祈り申し上げます

 
私はこうした年賀状を拝読すると、がっかりするのである。

たとえ年賀状の一通でも、少なくとも近況とか、
何か創意工夫が必要である、と思っているのである。


私は小学生の時、『習字』の授業は怠けていたので、毛筆で達筆は夢の世界であり、
『図画』の授業も不得意であったので、イラストで絵を描くのも駄目である。
或いは、デジカメでその人なりの心を込めた情景で表現すれば良いかしら、
と思ったりしたが技量がなく、断念しているのである。

やむえず、私なり散文で綴っているが、
独創性のある文体で、的確に近況の知らせを短い文章で表現しているが、
私は毎年、12月の中旬になると数日思案しているのである。

この近況の知らせを親族、親戚、知人、友人等に数種類書き分けているのである。
現役時代の頃は、上司、同僚なども当然として加わっていたので、
私なりに工夫した文面を作成している。

古人から、文は人なり、という至言があるので、
たった年賀状一枚と云えども、粗末にはできないのである。
・・】

このように私は少し気負って綴っていたが、
まだ私は人生のなかばで青臭いかしら、と微苦笑したりしている。
・・】

このような思いでいるので、私なりの思いを込めて、文面を思案しているが、
20日の日曜日を迎えているので、日中のひととき決断して、発行しょうかしら、
と眩(まばゆ)い朝の陽射しを受けながら、苦笑しているのである。
・・】

このように私は、一通の年賀状といえども、ささやかな深い思いを秘めているのである。


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美味し、美しく、北のまほろば冬の旅は・・。 ⑨ 第8章  『森林博物館』、『アスパム』、そして

2010-12-25 00:55:54 | 
          第8章  『森林博物館』、『アスパム』、そして炭火焼ホルモンで酒宴となり・・。

私達は『青森グランドホテル』にチエックインし、指定された部屋で小休憩をした後、
駅の向こう側にある市立の『森林博物館』に行こう、と話し合ったりした。

歩きだして、まもなく冷たい小雨が降り、10分後にはたどり着いたのであるが、
この『森林博物館』は、青森産のヒバをふんだんにつかわれた豪壮な木造二階建てあり、
各展示室もゆったりとし、展示品からも多々教示された。

特に『津軽森林鉄道』に関しては、
明治時代から津軽半島のヒバ材を伐採、輸送手段として森林鉄道が活躍され、
多くの地元の方たちが、これらに従事されて、
やがて青森県、そして国に貢献されている状況が克明に理解できる。

この博物館にあえて苦言を明記すれば、
一階にある一部屋の待合談話室に暖房があるだけで、
これ以外の各展示室は、外気と同じような寒さであった。


この後、家内も寒さを感じていたので、
少し暖かい処に、と云ったりし、私達はタクシーで青森県の新たに完成した観光物産展の『アスパム』に向った。
この『アスパム』は、三角風の独自な建物で、外観からも誰しもが解かりやすく、
展望フロアーからの眺めも良く、各フロアーはそれなりに創意工夫がある。

このように観て廻ったりすると、閉館時間となり、
私達は街中の中核にある新町に向かい歩きだした・・。

夕食の食事処を探していたのであるが、
蔦温泉旅館の4連泊で山里の幸、海の幸も美味しく頂いたのであるが、
この後の旅程として、日本海の海辺の『不老不死温泉』3連泊するので、
今年の5月に三連泊した時の体験からして、海の幸が圧倒的に多かったのである。

このように迷いながら、家内と街中の食事処の看板、ネオン・サインなどを見たりしていた時、
『炭火焼ホルモン たつや』と看板を見て、立ち止まったのである。
この料理だったならば、今後も重複はしないだろう、
と私は家内を誘ったら、同意したので入店した。

店内は広く、カンター席、そして5テーブルぐらいテーブル席が見えて、
この中のひとつのテーブルに、私達は席に着いた。

『こうした店・・30年ぶりぐらいかなぁ・・・』
と私は家内に云ったりしていた。
『わたし・・初めてだわ・・』
と家内はメニューの単品料理の数々を見たりしていた。
『このメニューの右側から・・ひととおり食べてみませんか・・』
と家内は私に云ったりした。

私達は、七輪風のコンロで網の上に、注文した数々の品をビールを呑みながら頂いたりした。

そして、左側のテーブルは3名の女性グループ、奥まったテーブルに2名の女性グループで、
お互いに楽しげに談笑しているので、
私は昨今の流行の『女子会』か、と思いながら、女性は元気で明るく前向きでいいよなぁ、
と心の中で思ったりしていた。

そして、私は少しは元気のでる特効薬として、メニューに掲載されている日本酒を注文した。
まもなく素焼きした茶碗に入った酒が、テーブルに置かれたので、
私は銘柄を訊(き)いたら、『じょぱら』と私には聴こえたのである。

家内も珍しい品の数々をビールを呑みながら、頂いたりしているので、
私も幾度も『じょぱら』をお代わりし、この品も美味しいねぇ、と盛んに食べたりしていた。

そして、少し酔いを感じながら、津軽弁は解からないが、
何となく私の性格が『じょぱら』に近いかしら、と思ったりした。


                                  《つづく》

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美味し、美しく、北のまほろば冬の旅は・・。 ⑧ 第7章 雪の情景の山岳道路で一路、青森市に・・。

2010-12-24 22:49:37 | 
          第7章  雪の情景の山岳道路で一路、青森市に・・。

12月18日
蔦温泉旅館に4連泊した私達夫婦は、旅館前のバス停より、
10時15分発の青森駅前行きの路線バスに乗車した・・。

車内の乗客は私達を含めてたった3名であり、私達はバスのドライバーの最も近い最前席に座り、
路面は除雪された後の真っ白な道、道路の路肩は除雪の雪で90センチ前後、
そして周辺の常緑樹の枝葉、落葉樹の枝には雪をたたえ、
ときおり雪が舞い降る情景に、幻想的な道のりが長く続き、見惚(みと)れていた。

ときおりドライバーの方が、雪の降りはじめたこの時節、そして厳冬の時期の状況を教えて下さり、
この八甲田山連峰の山間部の山岳道路の103号の情景に、
その時節ごとに思い馳せながら、私達夫婦は魅了された。

そして市内の郊外に近づくと青空が見えたり、その後は小雨となったり、
下車する頃の午後1時45分過ぎには、曇り空となっていた。

私は終点の『青森駅前』で下車する時、
『ひとつの映画を鑑賞したようで、ため息を重ねるほどの素晴らしい・・車窓からの情景でした・・』
と私はドライバーの方にお礼の言葉の代りに云った。

その後、私達は今宵の宿泊先の『青森グランドホテル』に向った。


                                  《つづく》

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クリスマス・ソングス・・秘かに愛して魅了されてきた曲は・・。《特別再掲載》

2010-12-24 08:49:06 | 定年後の思い
過日の12月12日に於いて、このサイトに於いて、
【 クリスマス・ソングス・・齢ばかり重ねた高齢者2年生の私、秘かに愛して魅了されてきた曲は・・。】
と私は投稿した。

今回、クリスマス・イブの日を迎えているが、
政治は混迷、経済は低迷、社会は劣化・・
せめてささやかな音楽をと思いながら、あえて今宵クリスマス・イブに際し、
再掲載する次第である。



ここ一週間、日中のひととき、駅前の商店街を歩いたり、ス-パー、専門店の店内で買物したりしていると、
クリスマスの歌が流れて、まもなくクリスマスの時節が到来する、と教えられたりする。
そして新聞の折込チラシなどで、デパートのクリスマスの贈り物の数々の品を見たりすると、
私は微苦笑をしたりしている。

もとより私はキリスト教も関係ないが、戦後からの社会風潮で、
何となくクリスマスの時節を迎えている、とぼんやりと思ったりする程度である。

このような私でも、数多くのクリスマスのソングスぐらいは、
多少は知っているし、このサイトにも程々に投稿文を重ねてきた。

そして、先ほどから読み返し、微笑んだりしながら、私なりに心の宝物のように大切な曲でもある。

私は確固たる根拠もなく自信ばかりあり、と幾度もこのサイトで4年ばかり表現しているが、
今回も独断と偏見の多い綴りであったが、あえて再掲載するので、
ご笑話を頂けたら、幸いと思ったりしている。




第一話 【 私の最も好きなクリスマスのアルバムは・・♪ 】
                          《初投稿日2007年12月21日》

ここ1週間、買物などで街に出たりすると、
スーパー、専門店の店内で、クリスマス・ソングが流れたりしている・・。

私はクリスチャンでないので、キリストの行事に関して興味がないが、
敗戦後の日本はこの時節は、多くの人々がクリスマス・シーズンを親しまれ、
街、家並みがイルミネーションなどで染まる処もある。

私はクリスマスに関しての歌は、現役時代にたまたま音楽関係の会社に勤めていたので、
程々に聴いたりする機会に恵まれたが、
心に残る最も好きなアルバムの一枚がある。

ダンス・クィーンなどと称されていたドナ・サマーが、
1994年に名プロデューサーのマイケル・オマーティアンとの共作に寄る
『CHERISTMAS SPIRIT』と題されたアルバムである。
日本で発売されたアルバム・タイトルは、
『ホワイト・クリスマス/ドナ・サマー』となっている。

①ホワイト・クリスマス
②クリスマス・ソング
③神の御子は今宵しも
④クリスマス・イズ・ヒア
⑤クリスマス・メドレー
  a.このみどり子は誰なるぞ
  b.ドゥ・ユー・ヒア・ホワット・アイ・ヒア
  c.もろびとこぞりて
⑥クリスマスはわが家で
⑦クリスマス・スピリット
⑧プレイス・オブ・ヘヴン
⑨オー・ホーリー・ナイト
⑩ラム・オブ・ゴット

まぎれない大人の歌手が声量たっぷりに唄い上げ、オーケストラとゴスペラ・コーラスを背景にした作品である。

黒人霊歌を根底に育ったドナ・サマーが、真摯に唄うクリスマス・ソングの一曲でも聴くと、
まさに使い古された言葉であるが、鳥肌が立ち、思わず襟を正してしまうのである。

かといって、どなたでも親しみのある名曲ばかりであるので、
たとえ一流のホテル、街のお洒落な居酒屋でも聴きやすいアルバムでもある。

私は先程から、『ホワイト・クリスマス』、
『クリスマス・ソングス』、『神の御子は今宵しも』
そして『もろびとこぞりて』等を聴いたりしているが、
やはり日常生活でキリスト教に切望し、親しみを持たれた類(たぐい)稀(まれ)な歌手に、
底知れぬ唄声に降参し、魅了されるのである。




第二話 【 この時節、最も微笑む曲は、『クリスマス・イブ』・・♪ 】
                        《初投稿日2007年12月23日》


東京の郊外は、昨夕からの雨が先程から上がり、静寂なひとときとなっている。

私は庭に下り立ち、常樹木の枝葉は濡れ、
そして葉を落とした落葉樹の枝の雨粒を見つめたりしていた・・。


♪雨は夜更けに過ぎに
 雪へと変わるだろう

【 『クリスマス・イブ』 作詞・作曲・唄 山下達郎 】


この歌がどうしてか、脳裏に浮んだのである。

私は年金退職の4年生の身であるが、
私のサラリーマン現役時代の折、確か1983年のこの時節に初めて聴いて、
巧過(うます)ぎる歌だなぁ、と瞬時に感じた・・。

この後に、JR東海のCMに盛んにテレビで放映され、
離れ離れの若き男女で、待ちわびて、そしてやっと逢える、といった情景だったと思い浮かべている。

後年に判ったことであるが、
JR東海のX’mas7 ExpressのCMと知った。

山下達郎のこの曲の唄声を背景に、
その後も毎年のように幾つかの若い男女のせつなく、もどかしい情景が映しだされ、
私は微笑みながら、秘かに若い男女に幸せあれ、
と心の中で祈ったりしていた・・。


♪きっと君は来ない
 ひとりきりのクリスマス・イブ

【 『クリスマス・イブ』 作詞・作曲・唄 山下達郎 】


私はシンガー・ソング・ライターの山下達郎に関して、
無知な方であるが、この『クリスマス・イブ』を聴いた限り、天才と讃(たた)えている。

そして、ネットのYou Tube上で、
【Xmas Express 歴代CM1988年~1992年】を視聴し、
若き男女がやっと逢える情景を微笑ましく見ていた・・。


♪心深く 秘めた想い
 叶えられそうもない

【 『クリスマス・イブ』 作詞・作曲・唄 山下達郎 】

私は、若き男女のおふたりに、冬の天の川のように心寄せながら、
ときめき、もどかしさ、せつなさの恋情を齢を重ねた私さえ、
感じられ、感銘させてくれるのである。




第三話  【 クリスマス・ソングで皆を最も高揚させる歌は『赤鼻のトナカイ』・・♪ 】
                          《初投稿日2007年12月25日》

午前のひととき、私は二軒ばかりのスーパーに買物に行った。

数多くの人々が三連休の最終日、その上、クリスマス・イブなので、
何時もの平日と違い、込み合っていた・・。
ご家族の方たち、現役の40代のご夫婦等が見受けられ、
私なりに微笑ましく、感じられた・・。

店内からは、

♪真っ赤なお鼻の トナカイさんは
 いつもみんなの 笑いもの

【 『赤鼻のトナカイ』 作詞・新田宣夫 作詞・MARKS JOHND 】

メロディが流れた・・。

私は何かしら追われるように、買物の選定をしたのであるが、
クリスマス・ソングの中で、誰しもが知っていて、親しまれ、心を高揚させる曲は、
『赤鼻のトナカイ』は、ずば抜けて最高の曲と思ったりした。

買物の客が、何かしら追われるようにクリスマス関係商品を数多くお買い上げ頂ければ、
と店長の発想であったならば、優秀な店長と私は誉(ほ)め讃(たた)える。

選曲を『ホワイト・クリスマス』などにした場合、
買い物客は、何かしらしっとりと聴きこんでしまい、お買い上げの向上に図れないと思う。

たかが、クリスマス・ソング、されど選定された曲は何かしらの向上に役立つ、
と私は微苦笑したのである。

この時節、元気のない人は、『赤鼻のトナカイ』の一曲を聴けば、
心身元気を取り戻す特効薬かしら、と微笑んでいる。


このように選曲していたが、私は読み返しながら、
私の人生に最も影響を受けたひとりのお方を忘れていたのである。
古い表現で云うと、シンガー・ソングライターの中島みゆき・女史である。

私は40代に、この方の『エレーン』で人生の心のピンチを救われ、
その後、ギックリ腰で28日ばかり入院していた時、『永久欠番』で救われ、
何よりも『HAFE』は少なくとも50年間で数多く音楽を聴いた中で、
最も影響を受けて感銘しさせられた作品である。

私にとっては、やはり中島みゆき・女史は、たぐい稀な女神であり、
この思いは、ここ20数年変わらず、敬愛している。

このような私であるので、中島みゆき・女史のクリスマス・ソングは知っているし、
秘かに心の中で唄ったりしている・・。

【歌麿】と題したコンサート(1986年)の中で、
一曲として『クリスマスソングを唄うように』である。

この世に、珠玉、という言葉があったならば、
まぎれなく『クリスマスソングを唄うように』の歌は最もふさわしい、
と思いを重ね、私なりに最も愛すべきクリスマス・ソングである。


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美味し、美しく、北のまほろば冬の旅は・・。 ⑦ 第6章 旅先の読書

2010-12-24 00:01:54 | 
          第6章  旅先の読書

私は観光ホテルなどで滞在の時は、ここ10年は本を持参したりしている。
温泉で心身疲れを休めながら、日中のひとときに寝たりするが、
ときには本を開いたりし、読書の時間で過ごすこともある。

今回、たまたま持参したのは藤原正彦・著の『管見妄語 ~大いなる暗愚~』(新潮社)、
そして嵐山光三郎・大村英昭・共著の『上手な逝き方』(集英社新書)の二冊であった。

読み終わった後、やはり蔦温泉であったので大町桂月の『冬篭帖』、『蔦温泉帖』の復刻版が
この宿の帳場で販売していると思いだして、買い求めたりした。

この時に、宿の方が、宜しかったらと、一冊の本をお借りした。
『酒仙・鉄脚の旅人 大町桂月  ~作品と資料でつづる桂月の青森県内における足跡~』であり、
編集・発行者は蔦温泉の小笠原耕四郎と明記され、1995年9月3日発行と記されていた。
私が10時間ぐらいで興味を持った範囲だけ読んだりしたが、
もとより大町桂月を研究される方には欠かせない書誌であることは、
私でも瞬時で解かる深い内容である。

この本は以前は販売されていたが、在庫は少なくなり、
お借りしたのであるが、ときおり私は持参したノートに転記をしたりした。

そして、気分転換に部屋から出て、談話室に行き、
薪ストープのはぜる音を聴いたりして、大町桂月への思いを馳せながら、
煙草を喫ったりしていた。

こうした手ごたえある本がなかったならば、
全国紙より地方紙の新聞を読んだりすることが多いのである。

                                  《つづく》

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美味し、美しく、北のまほろば冬の旅は・・。 ⑥ 第5章 ときおり雪舞い降る中、奥入瀬渓流往還記

2010-12-23 20:36:27 | 
          第5章  ときおり雪舞い降る中、奥入瀬渓流往還記

私達夫婦は、蔦温泉に滞在している間、冬の奥入瀬渓流の散策を予定し、
当初は蔦温泉より11時32分発の一番バスの路線バスに乗り、
渓流の半ばにある石ケ戸の周辺を散策して、
石ケ戸を午後の2時4分発の路線バスで蔦温泉に戻る計画であった。

もとより冬の奥入瀬渓流の遊歩道に沿った路線バス、トイレも少なく、
今回の旅の往路からの八甲田山連峰のロープウェイの案内スタッフから、
遊歩道、トイレなどの閉鎖箇所もあるので、現地の方、宿泊先に確認されたら、
と教示を受けたりしていた。

私達は10年前の2月、古牧温泉に2泊3日で滞在したいた時、
この観光ホテルのサービスとして、無料の周遊バスで、
谷地温泉の立ち寄り湯、そして焼山の奥入瀬渓流館で自由食、その後は十和田湖までの
奥入瀬渓流の情景を観たりし、魅了されてた。

こうしたささやかな体験もあったが、私は迷ったりしていたのである。

私は蔦温泉の館内の談話室で煙草を喫っていた時、
偶然に公衆電話の横にあるタクシー、貸切観光タクシーの料金表が掲載されていた。
たとえば、蔦温泉から石ケ戸まで、3500円、蔦温泉から子の口までが5500円、
或いは貸切観光タクシーとしては、蔦温泉~奥入瀬渓流~子の口まで12000円(一時間50分)
と明示されていた。

この後、家内と話し合い、タクシーで石ケ戸、そして阿修羅の流れ付近まで利用しょう、
と思い立ったのである。


翌日の朝の10時、旅館前で私達は前日と同様に防寒着で身を固めて、
残り雪の多い冬晴れの中、タクシーを待ったりした。
まもなく、60代ぐらいのタクシー・ドライバーの方に、
『石ケ戸、そして阿修羅の流れまで・・その後は状況次第で・・』
と私はタクシー・ドライバーの方に云った。

走り出してまもなく、私が首からぶらさげたデジカメを見て、
『ご主人・・写真がお好きなんですか?』
とドライバーは私に云った。

このひと言が、私達とドライバーの物語のはしまりであった。

ドライバーの方は、旅行の写真専門誌に幾たびか掲載される写真を撮る名手であった。
そして途中でタクシーを停めて、
この風景が宜しいかと思いますが、とアドバイスをして下さったのである。

その後も私達に微笑みながら、道脇から渓流沿いの冬季に閉ざされた遊歩道を案内して下さったり、
私達夫婦の記念写真まで撮って頂いたりした。

そして、何気ない会話を重ね、すっかり意気投合したかのように、
幾たびか停止し、私はデジカメで冬の奥入瀬の情景を撮ったりした。

結果としては、子の口の湖岸の波打ち際の氷柱を観たり<
湖岸の樹木の根に氷柱の情景も教示して頂いたりした。

帰路も渓流の14キロぐらいの道のりを利用したが、
路面は除雪の後の真っ白な道、道路の路肩は除雪の雪で60センチぐらい、
そして周辺の樹木は雪をたたえて、ときおり雪が舞い降る情景であった。

何よりも驚いたのは、この時節に渓流の遊歩道を散策する観光客もいなく、
この長い道のりで、人影を見かけたのは道路を管理されている方が3名だけで、
まるで奥入瀬渓流を私達が借り切ったよう錯覚さえ感じたのである。

そして私達は蔦温泉までの時を略歴を交わしながら楽しげに話し合ったりし、
映画の話になり、私よりひとつ齢上の方であり、互いに笑ったりしていた。
家内もときおり言葉を重ねて、談笑した。

旅館前に帰還した私達に、
『後ほど・・この旅館にご夫妻の記念写真をお届けいたします』
とドライバーの方は明るい表情で云った。

二時間後、このドライバーは、ご自身が撮られた特選の奥入瀬の若葉の頃、
そして錦繍の頃、いずれも美麗な二葉の四つ切写真であり、
私達夫婦の写真も備えられていた。

この世に一期一絵という言葉があるならば、
こうしたことの意味合いかしら、と私は家内と微笑んだりし、
ドライバーの表情、しぐさを思い重ねたりした。


                                  《つづく》

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美味し、美しく、北のまほろば冬の旅は・・。 ⑤ 第4章 雪見酒の最適な場所は

2010-12-23 16:16:34 | 
          第4章  雪見酒の最適な場所は

雪のブナ林で2時間ばかり散策したり、戯(たわむ)れた私達は、
蔦温泉旅館のある入り口の道沿いに一軒の売店があり、
『熱いコーヒーでも飲みたいわ・・』
と家内が私に云ったので、私達はこの売店に入った・・。

5月の月末に初めて訪れた時、山菜をはじめ、昔にあったお菓子などある店で、
ご高齢のご夫婦だけで賄(まかな)って折、家内は帰路の時も買い求めた店で、特に塩トマトの甘納豆風に好感していた。

私達は店内の片方が食堂風のテーブルがあり、蕎麦とか饂飩(うどん)も食べることができ、
石油ストーブが店内を暖かくしていた。

家内は石油ストーブは苦手であったが、この石油ストーブは特有の匂いがなく、火力も強く、
私達は秘かに誉めたりした。

家内がコーヒーを注文している間、
私は店内の片隅に日本酒のコーナーがあり、ひとつの小瓶に思わず見惚れた・・。
『乾坤乃一滴(けんこんのいってき)』と命名された300mlの小瓶であり、
私は思わず手に取り、
《芳醇な香りとすっきりした味わいの辛口タイプ》と付記されていた。


蔦温泉旅館の広い前庭に雪が舞い降るのを眺めながら、
家内はコーヒーと昔風のお菓子、
私は命名された『乾坤乃一滴』に魅了されて、昼食の代りに呑みはじめたのである・・。
そして、店内にある山菜の根曲がり竹のたまり醤油風などを食べながら、
雪見酒となったのである。

もとより雪見酒は、昼下り、夕暮れ時に呑むのが最適であるが、
昼食の12時半過ぎも悪くない、と思いながらお代わりをしたりした。

家内もコーヒーをお代わりしたり、山菜の数品を買い求めたりした。


翌日、午前中に奥入瀬渓流めぐりをした後、
この売店の食堂のようなテーブルで、雪舞い降る前庭の情景を観ながら、私は2本ばかり呑み、
家内もコーヒーをお代わりしたりした。

そして私達夫婦は、ご高齢の奥さんに好感し、この蔦を去る日、
バスに乗る前に私達はコーヒーを飲んだりした。
この後、バスに乗り込んだ私達は、ご高齢の奥さんが大きく手を振ったので、
私達も手を振りながら、別れを惜(ほし)んだりした・・。


                                  《つづく》

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美味し、美しく、北のまほろば冬の旅は・・。 ④ 第3章 初冬のブナ林の情景は

2010-12-23 14:49:52 | 
          第3章  初冬のブナ林の情景は

私達夫婦は、今年の5月31日より『蔦温泉旅館』二連泊した時、
この旅館の裏側にある広大なブナ林に魅了された。

この時の思いは、下記のように投稿していた・・。
【・・
『蔦温泉旅館』ホームページの『ぶなの森』の欄で掲載されている通り、
《・・
蔦温泉の周辺にはぶなの森を縫うように約2.4Km、
時間にして約一時間程の遊歩道が整備されています。

この遊歩道をひとまわりすると、蔦七沼と称される湖沼群の内、六つの沼を巡るこ
とができます。
大小様々な沼の水面に映るぶなの森が人々を魅了します。
・・》
このように解説され、私達は旅立つ前に調べたりしていたので、
チエック・イン前に歩き出した・・。

整備された遊歩道を歩き、ヤチダモ、オニグルミ、サワグルミを見たり、
ブナ、ミズナラの大木は、聳え立つように数多くあり、
私は圧倒された。

私は見惚(みと)れたり、デジカメで10数枚を撮ったりしていると、
たまたま通りがけの70代なかばの男性で、この付近にお住まいの方から、教えて頂いた・・。

ほんの一ヶ月前の頃は、落葉していた広葉樹が冬芽から春芽に育ち、
若葉が芽吹く直前に、
紅葉や萌黄色になる数週間の樹木の芽は鮮やかに萌える彩りとなる。
こうした光景を古来の人たちから、春もみじ、と称してきた。

この地のブナ林は、5月初めに芽吹き、そして萌黄色の葉、そして新緑となり、
下旬の頃には若葉とまたたくまに色合い染める。

このブナ林は、原生林だったが、
明治の初期の頃は薪や木炭を作る為に伐採されたりしたが、
秋に数多くの落ちた種子が自然に発芽して育ったブナで、樹齢100年前後が多い。
しかし中には、伐採されなかった数百年の大木も数多くある。

そして紅葉の10月中旬から下旬になれば、
ブナ、カツラ、トチノキの大木は、黄色に染めはじめて、
やがて葉が散る頃に、
ヤマモミジ、カエデ、ナナカマドが朱紅色、紅色に染められて、
数週間後には雪が舞い降る、
と錦繍期の情景も教示してくれた。

このような確かな言葉に、私は礼を重ねた後、別れた。


私達はブナ、トチノキ、カツラなど見たり、見上げたりしていると、
カエルの鳴き声と共に、蝉(セミ)の鳴き声が響いてきたので、
この時期にどうしてなの、と驚いたのである。
この後、温泉旅館で夕食を頂く前に、
エゾハルゼミですわ、と仲居さんから教えられた。
私は、蝦夷・・春・・蝉・・、と心の中で呟(つぶや)いたりした。

この豊かなブナ林で、渓流もあり、
私はムラサキ・ヤシオ・ツツジにも魅了された。
紫色に濃い桃色、或いは桃色に紫色を混ぜ合わせた色合いで、
渓流の中にある小岩に根を下ろして、恥ずかしげに咲いていた。
こうした情景を眺め、しばらく私はたたずんだりした。

私達はゆったりとブナ林をさまように2時間ばかり歩き、
お互いに至福の思いで、温泉旅館に向った。
・・】

今回、再訪するブナ林は、雪の降りはじめた12月の機会に、
森閑する中を散策したい、という願いも私達夫婦にあった・・。

到着した翌日の午前10時前、私達は防寒服、防寒登山靴、そして防寒帽子で身を固めて、
旅館の横手にある遊歩道を歩きはじめた・・。

積雪は20センチ前後で、吹き溜まりは30センチぐらいで、
遊歩道であるがこの冬の時節には、もとより除雪はされていなく、
ブナ、ミズナラの大木が数多く聳(そび)える中を歩いた・

そしてヤダモチ、オニグルミ、サワグルミなどの枝、小枝にわずかに雪が積もって折、
ときおり微風が吹くと、小枝は揺れて、花吹雪のように雪が空中を舞うように、
ゆっくりと地上に散乱した。

この後、ふたたび森閑とした森に還り、静寂となった。

このような情景に見惚(みと)れながら、ときおり立ち止まりデジカメで撮ったりし、
雪を掻き分けるように蔦沼までの遊歩道らしき路を歩いた。

蔦沼は、氷結はしていなかったが、森厳の中、静寂であった。

帰路も雪と戯れるように、ゆっくりと歩いたりしていたので、
2時間ばかり過ごした後、手先に寒さを感じ、遊歩道の入り口にあるビジターセンターに戻ったりした。


                                  《つづく》

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美味し、美しく、北のまほろば冬の旅は・・。 ③ 第2章 蔦温泉旅館の初冬の情景は

2010-12-23 12:10:26 | 
          第2章  蔦温泉旅館の初冬の情景は

私達夫婦は、今年の5月31日より二連泊した時、
【・・
この後、館内を歩くたびに、私は驚かれされた。
この本館は天井、柱は周辺の森から切り出された材木がふんだんに取り入れ、
エンジュの長押、トチの樹のコブを生かした装飾の数々・・
一部は築後100年近いもあり、書院造りの床の間も豪壮で、
そして別館へのは本館から60段の優美な存在感のある階段は圧巻であった。

私達の宿泊した部屋は、20数年前の建てられた西館で近代的な造りであったが、
窓辺からのブナの森が隣接していたので、
早朝、朝、昼下がり、夕暮れの陽射しのうつろいが、樹木の枝葉を照らす輝き、
見飽きることのない光景であった。
そして、夜には満天の星空が観られた、格別に景観の良く、
私達は幾度も、その時々に見惚(みと)れたりしたのである。

私は浴室に行った時、仰天させられた。
2泊している間、男女別の『泉響の湯』、そして男女交代制の『久安の湯』に、
何度も通った・・。
しかし最初に入った時、観光ホテルなどにある洗い場の湯の蛇口、シャワーもなく、
私はどうして、と驚ろいた。
そしてボデー・ソープのみがあり、困ったなあ、というのが本音であった。

やむえず私は、掛け湯の90センチ正方形の湯船から湯桶で幾度もかけ、
ボデー・ソープをタオルにたらして、身体にこすった後、
掛け湯から湯桶で幾度もかけたり、
髪毛にボデー・ソープをたらして、髪の毛をこすり、
そして身も心も清めようと掛け湯から湯桶で幾度もかけたりしたのであった。
部屋に戻った後、ヘアー・シャンプが備品としてあったので、
私は苦笑した。


肝要の湯舟であるが、ホームページにある言葉をお借りすれば、
《・・
蔦温泉のお風呂はいずれも源泉の上に浴槽があり、
ぶなを使用した湯船の底板から湧き出す、
手が加えられていない「生の湯」をお楽しみいただけます。

「湯がこなれている」「こなれていない」という表現をしますが、
湯が空気に触れた度合いを言葉で表現したものです。
こなれていない温泉は刺激があり最初熱く感じます。

蔦温泉の「生の湯」というのも「こなれていない」湯のことであり、
当然最初は熱く感じます。
しかし二度三度と入るにつれ、やさしい湯であることが実感できるはずです。
・・》

このように解説されているが
湯船の底板はブナの感触を楽しみ、鈍(にぶ)児の私は最初からやさしい湯と感じ、
ヒバ材をふんだんに使用され、天井も遥か三階のような高さを見上げたり、
10分ぐらい浸かっていると、身も心も温まる湯であった。

夕食は苦手な部屋食であったが、
山菜のタラの芽、山ウド、ゼンマイ、ワラビ、フキノトウなど、
素材を生かし、創意工夫のある料理である。
そして朝食も含め、何気ない素材でも、料理された方の良心が感じられる数々で、
都心の少しばかり高級な食事処より遥かに素朴で上品な味であった。


この旅館は、建物の背景にブナ林があり、
遊歩道も整備され、身近にブナ林を散策でき、芽吹き、新緑、若葉の春の情景、
夏はたわわな葉で涼しく、
錦繍の時節には、黄色、朱色などに染まり、そして落葉、
そして落葉樹は舞い降る雪となり、静寂な冬眠のような情景、
いずれの季節も、多くの方たちに魅了させる稀な立地かしら、
と私なりに思ったりしている。
そして数多くある観光ホテルより、館内の建物、人も、
素朴さと品格のある圧倒的な存在さである。
・・】

このように私は好感し、
ときおり旅先で辛らつな言葉を発言する家内さえ魅了された蔦温泉旅館であったので、
今回の再訪となり、前回に宿泊した部屋を指定して、4連泊としたのである。

正面玄関に隣接しているロビーというより談話室の感で、
トチの樹のコブを生かした板張りで、薪(まき)ストーブ、石油ストーブが暖となっていた。
薪(まき)ストーブは、薪が燃え、はじける音が静かな室内に響き、
私は滞在中に幾たびか談話室に訪れ、この薪が燃えながら、時折はじける音が魅了されていた・・。

壁面にひとつの絵が掛けられて折、
山里のゆるやか斜面には残り雪があり、数多くの落葉樹の根元周囲だけは雪が解けて、
芽吹きからたわわな幼い葉が見られ、
遠方の頂上の付近には常緑樹の中、落葉樹が赤めの芽吹きが観られて春紅葉の情景となり、
私は幾度も眺めたりしていると、
秘かな『春待ちわびる晩冬の山里の雪解け』と命名していた。

窓辺は木枠のガラス戸、厚手のビニール越しに15センチぐらいの細い丸太が、
幾重にも縦横と縄で縛った雪囲いが、地上から二階の棟まで傾斜して建てられていた。

私はこの雪囲いの丸太に、雪が積もったり、その下に氷柱(つらら)が競うように並び、
柔らかな陽射しを受けると、やがて激しい音と共に地表に落下した。

そして、厚手のビニールは、暖房もさることながらも、木枠のガラス戸を保護することも、
学びながら、私は見惚(みと)れたりしていた。


                                  《つづく》

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美味し、美しく、北のまほろば冬の旅は・・。 ② 第1章 北のまほろばの往路は

2010-12-23 09:23:06 | 
          第1章  北のまほろばの往路は

12月14日
東京駅を8時28分に予定通りに発車した『はやて 17号』に乗車した私達夫婦は、
私はいつものようにJR東日本が発行する車内月刊誌の『トランヴェール』を読み始めた。

作家・伊集院静(いじゅういん・しずか)氏の定期連載『車窓に謡れる記憶』を愛読しているひとりであり、
今月の12月号は『ストーブ列車』と題して綴られていた。

そして、12月4日より、東北新幹線全線開通・新青森駅開業に伴い、
青森県の特集が掲載されていた。

私はこの特集記事のひとつの『あったか青森、温もりの食』と命名された郷土料理に関して、
多々教示されながら精読した・・。

《・・
南部地方 雑穀・粉食の文化
     代表的な温もり料理として、『せんべい汁』

下北半島 海の幸、粉食とジャガイモの団子
     代表的な温もり料理として、『ひっつみ』

津軽地方 平野部の米食、西海岸の海の幸
     代表的な温もり料理として、『けの汁』

陸奥湾 青森の冬を代表するタラ料理
     代表的な温もり料理として、『じゃっぱ汁』

・・》

このように青森県の代表的な分布で、それぞれの地域で古来より伝わり、
愛食したきた人に思いを重ねながら、私は享受されたのである・・。


この後、定期連載の『湯守のいる湯』として、
たまたま私達夫婦が再訪る蔦(つた)温泉が掲載されて折、
私は読んだ後、家内にこの記事について伝え、
偶然ながら今宵から4連泊する『蔦温泉旅館』に微笑みながら、話し合ったりした。

この後、新青森駅に11時56分に『はやて 17号』は到着し、
私達は『蔦温泉旅館』に向う為に、冬晴れの中、路線バスの十和田湖行きのバスに乗車した。

市内の情景は、数日前に雪が降られたらしく道路の路肩に除雪された雪があり、
のどかな感じであり、やがて八甲田山の連峰の付近の道路に入ると、
除雪された後の白い道、路肩には70センチぐらいの除雪された雪、左右の樹木の枝には雪が残っていた。

八甲田山のロープウェイの入り口で、路線バスは冬季運行の時間調整で、
30分ほどの休憩時間となり、私達はロープウェイの入り口にある常設されている案内のスタッフの方たちに、
私達は冬の奥入瀬渓流を散策する予定であったので、
昨今の状況、注意点どを丁重に教えて頂いたりした。

そして、私達の乗車したバスは、午後3時半過ぎに、
少しばかり滞在する『蔦温泉旅館』が観え、まぎれなく雪囲いの正面玄関となっていた。

                                  《つづく》

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美味し、美しく、北のまほろば冬の旅は・・。【2010.12.14.~12.22.】 ① 序章

2010-12-23 02:06:06 | 
          序  章

過日の13日、このサイトに於いて、
【 青森地域の冬の旅、過ぎし若葉の頃に初めて訪れた各地の情景に心を重ねて・・。】
と題して、明記した通り、
12月14日より、青森県の十和田湖の山奥にある蔦(つた)温泉に4泊、青森市内に1泊、
そして日本海の黄金崎の不老ふ死温泉に3泊し、8泊9日で訪れてきた・・。

たまたま今年の5月24日より6月2日にこの地域を周遊し、
このサイトに【 若葉の彩(いろど)る頃の青森紀行・・。【2010.5.24.~6.2.】】と題して、
投稿しているが、この旅の終る頃に、
雪の舞い降る頃に再び訪れようと、私達夫婦は話し合ってきた・・。

今回の旅は、この中の一部を再訪したので、季節こそは違うが、文字通り再訪記でもある。

尚、このタイトル【美味し、美しく、北のまほろば冬の旅は・・。】は、
青森観光交流センター等が、12月4日より、東北新幹線全線開通・新青森駅開業に伴い、
キャンペーンのひとつとして、
《うまし、うつくし、北のまほろば。》と命名されたフレーズの言葉を、
お借りしたことを付記する。

                                  《つづく》


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信州・白馬滞在記【2006.12.17. ~ 12.20.】 【再掲載】

2010-12-19 07:05:44 | 旅のあれこれ
   序章  本日より、3泊4日の温泉地滞在

長野県にある白馬村のリゾート・ホテルに旅行に行くので、
現地の天気予報をインターネットでチェックしたら、雪で歓迎してくれるらしい。

現地のお方達は、生活が密着されているので、それぞれ何か大変であるが、
東京の郊外の田舎者としては、
旅人の身の上もあり、これ以上の情景はないと思っている。

現役時代の時は、この時節は、なお一層多忙な時だったので、
退職後の今、ときおり色々なことを浮かべたりしているが、
のんびりと過ごせるのは特権のひとつとして甘受している。



   第1章  旅のはじまりは、イタリア料理

白馬村温泉3泊4日の旅は、17日の日曜日に団体ツアーで新宿を出て、
曇り空の中、中央自動車をバスは順調に走破した。

初冬の葉の落とした裸木の樹林を見ながら、長野県は雪が予報されていたのに、
松本市を通過した時は、雲ひとつない晴れ間となり、
私は戸惑った・・。

安曇野地域にに入ると、北アルプスの山嶺が連なり、
雪の白さで一層高く奥深い山頂を感じさせてくれる。

白馬村は登山口、八方尾根のスキー場があった上、
10年前の長野冬季オリンピックのジャンプ競技場となった所で、
オリンピックの開催される数年前からリゾート・ホテル、ペンションが盛んに造成された所でもある。

私達の泊まったリゾート・ホテルもこの中の一軒と思われ、
JR白馬駅から街はずれの所にあった。

1時半過ぎにホテルに着いた後、
どんよりとした曇り空に変ってきたが、家内と周辺を散策した。

北アルプンの一連を成す唐松岳、白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳の2800メートルを超す山峰から山裾はわずかなので、
歩いている平地からは聳(そび)え立つ観であった。

駅前に出た後、近くにログ・ハウスの建物のイタリア料理が見えた。
入り口まで小石を散りばいたような小道が気に入ったので、遅い昼食とした。

マダムの説明では、出来うる限りの自然栽培の野菜、ピザは生地から作り、
香辛料も10数種類工夫し作られた、
と聴いたのでビール、ワインを呑みながらピザの3種類、
家内の注文した2種類の料理を少し食べているうちに少し酔いがまわってきた・・。

この時、近くのカナダの30代の男女の7人が店に入ってきた。

この中の一人の男性が、
カウンターの床のはずれに毛布に包まれた所に手を差し伸べた・・。
中から2歳前後の男の子が昼寝をしていたらしく、
親にすがった・・。

私は少し驚き、辛口のワインを2口呑んだ後、
店の小庭に面した喫煙場で丸木の椅子に座り、煙草を喫った。

白馬村の駅に近いさりげない場所に、
深みのある料理を食べさせてくれる店もあった。

ホテルに戻る時、小道を歩いていたら、雪が舞い降りてきた・・。

『XXちゃん、やっと雪が・・』
と私は空を見上げながら、家内に言った。

『あした・・積もるかしら・・』
と家内は言った。



   第2章 雪降る中の散策・・♪

白馬村は17日の夕方から雪が降りはじめ、
夜間は降ったり止んだりしていた・・。
早朝に目覚めたが、雪がしんしんと降っていた。

朝食の前後に風呂に入って、10時過ぎに、
雪降る中を散歩に出かけませんか、と家内は私に言った。

私は冬用のウールのスポーツ・シャツにマフラーを首に巻いて、
冬用のフィールド・ジャケットに手袋をした程度であった。
冬用のストレッチ・パンズのズボンを穿いて、ハイキング用の靴でホテルを出た。


朝食の前に、雪の量と寒さを浴衣と丹前姿でロビーから少し外に出たが、
マイナス数度前後であったので、
冬用のセーターは着る必要のないと感じたのである。

家内は私と同じような格好であったが、
女の身であるので、セーターは着るように私は言った。


私達は雪の降りしきる中を、積雪は20センチ弱であったので、
八方尾根の麓(ふもと)にあるゴンドラ・リフトを目指して歩いた。
通常のホテルはなく、洒落たペンション形式が数多く見られたが、
師走の時の月曜日のためか、
どこのペンション、喫茶店は閉館している。

このように付近を散策したが、帰路の途中でコンビニでおにぎりを三つ買い求め、
ホテルに帰還した。

私は直ぐにお風呂に入り、雪に濡れた髪の毛を洗い、少し温まった後、
部屋に戻り、ホテルの売店で買い求めた地酒を呑みながら、
おにぎりを2つ分を食べた・・。
このおにぎりは、新潟米と精選した具と明示された生たらこ、イクラ、そしてシャケなどであったが、
予想以上に美味しかった。

家内も煎茶を飲みながら、分け合ったおにぎりを食べたが、
ほどほど美味しいわ、
と言ったりした。

その後もホテルの窓辺からは、雪の舞い降りる情景を見ながら、
暖かい部屋でお酒の呑みながら、煙草を喫い、
これ以上の贅沢はないと実感した。



   第3章  小布施の『岩松院』

19日にオプショナル・ツアーでトライアングルと称された小布施の街並み、
善光寺、そして川中島古戦場に参加した。

私達は自動車を所有していない身なので、
こうした催(もよお)しは積極的に利用している。
宿泊のホテルからマイクロバスでその地の名所を周遊し、
時間に隙間なく廻ってくれる。

小布施の街の外れにある『岩松院』の寺に行った。
このお寺は葛飾北斎に寄る大間天井絵、福島正則の霊廟、
そして小林一茶のと蛙合戦の池として、ゆかりの古寺で知られている。

私は絵心はない上、まして極彩色は嫌いであるので興味がなかった。

小林一茶が蛙合戦を観て、
【やせ蛙 まけるな一茶 これにあり】
と詠んだとされている。
解説に寄れば、病弱な初児・千太郎への声援の句であるが、
その願いもむなしく千太郎は、一ヶ月たらずで他界し、一茶54歳の時だった。

このような綴りを読むと、幼児には可哀想であったが、
あの時代にしては一茶は元気だった、と余計なことを思ったりした。

福島正則が芸州の広島城の50万石から、幕府の指針により、
この地に国替えさせられ、4万5千石となり、
悲運をなげきつつ在信5年で亡くなった、
と解説されていた。

私は確かに福島正則公は不運であるが、
それより芸州時代に仕えた配下の人々の悲劇、
路頭に迷い浪人衆にならざるを得なかった人々に、
何よりの餞(はなむけ)をしたいと思ったりした。

山門から本堂への境内にある桜の3本の古木は、
折れて主木を残すばかりとなっているが、
この情景が何より心の残った。


   第4章  『おぶせミュージアム・中島千波館』

小布施の街並みは、小奇麗な街並みで清潔感のある町と感じた。

これといって目的のない散策をしていたが、
街の外れに『おぶせミュージアム・中島千波館』があり、
美術に関しては全くの素人以前の身であったが入館した。

中島千波・画伯については未知の人であったが、
『樹霊淡墨櫻』と『素櫻神社の神代櫻』の2点は魅了させられたが、
あとの数多くの絵画は理解できなかった。
家内も同じように感じたらしい。

私は独りで別館に行くと、20数名の画伯が寄贈された展示室であった。
その中で、『早芽(そうが)』と題され、
山里の対岸の川沿いから山の峰まで落葉樹が
芽吹きはじめた情景を素朴に表示されていた・・。
この1枚の絵画には感銘させられ、そして魅了された。

私は入り口の付近の受付に戻り、
『あちらの館にある『早芽』を描かれた画伯の略歴をご教示・・
お願い致します・・』
と私は若い女性に尋ねた。

受付の若い女性は、少しまごついて奥の部屋に消えて、
しばらくすると、70前後の男性が見えた。
『館長が不在でして・・私が代りに・・』
と挨拶された。

私は手短に経緯を話した。

『でしたら・・その展示されている所に行きましょう・・』
とそのお方は言った。

『私は・・絵に関しては何の知識もありません・・
小学生の頃から図画の時間・・通信簿3以上取れたことのない身です・・』
と私は言いながら、通路を歩いた。


私は先程の『早芽』の前に行き、
『全くの素人ですが・・私のつたない感性から・・
何かしら感銘を受けまして・・感動を頂いた次第でして・・』
と私は言った。

『私は昭和12年生まれでして・・』
とそのお方は言った。

『私は昭和19年生まれです・・東京の郊外に生を受けた身です』
と私は言った。

『このお方は・・90歳を超えられたお方でして・・
小菅ニ三郎・画伯でして・・』
とそのお方は私に略歴を説明してくれた。

その後、通路で家内と逢い、そのお方に礼を言いながら辞した。

『副館長・・』
と受付の若い女性がその方を呼ぶのが聴こえた。



   第5章  小布施の街並みは

小布施の街並みは小奇麗で清潔な街並みと綴ったが、
煙草の灰皿が各所にあり、飲み物の自動販売機が目立たない処にあり、
私は大変に好感が持てた。
何より【潤いのあるまちづくり】がこの町の基本とされているらしく、
私は魅了された。

この町は栗で全国に名をはせる街らしく、
『栗ようかん』、『栗かの子』、『栗おこわ』などがあり、
栗和菓子の店に入った。

私は日常に於いて、和菓子は婦女子の嗜好品と思っているが、
旅先ではその地方の文化のひとつと確信しているので頂いている。

家内に和菓子の選定をまかせ、店内の外れに毛氈を敷いた椅子に座り、
煎茶を頂きながら食べたりした。

街並みも素朴さを保って折、私なりに心に留めて、この街をあとにした。


この後、川中島古戦場と称された八幡原史跡公園に行ったが、
武田信玄と上杉謙信の戦いを思い馳せるより、
犀川と千曲川の広大な中州のこの地の公園の樹木に魅せられた。

何よりゆったりとした公園のたたずまいが好感した。



   第6章 道祖神にめぐり逢えて

旅の最終日は早朝から、澄み切った快晴となった。

7時頃、山の峰に朝日が受けると雪の白さが淡い朱色に染まった・・。

午後2時にホテルを出発するバスに乗るが、
時間は充分あったので、午前中は周辺を散策した。

一昨日、雪の降る中を散策したが、情景は一変して、
暖かな陽射しを受け、冬枯れの田んぼが広がり、のどかな景観である。
山峰の中腹まで雪の白さが陽射しを受けているので、
まばゆい情景となっている・・。

田んぼのあぜ道の脇に小川が活きよいよく流れ、
水の豊富な地域だと実感できたりした。

村道に出ると、雑木林があり、その外れに道祖神があった。
人の訪れもなく、歳月を見守っているようにも感じられ、
柔らかな冬の陽射しを受けていた。

私の日常生活は、ともすれば身過ぎ世過ぎの生活実感なので、
こうした道祖神に心を寄せ、浄化を求めたりした。

やすらぎ・・使い古るされた言葉であるが、
このような周辺の情景を見つめると、
齢を重ねた今でも、それなりに心に沁みてくる。

人それぞれ、旅先の思いはさまざまであるが、
私は何気ないこうした光景がまぎれもなく心に残っている。



   最終章  旅から戻ると

自宅の門扉を開け、玄関までの石段を上がると、
主庭のモミジが朱色に染められていた。

郵便受け入れ箱で来信書類を取り込んで、
私は家中の戸を開け放ち、外気にさらした。

その後、お風呂に熱湯をそそぎこんだりした。
家内は旅行バックを空けて、衣料や旅行先で買い求めた品を整理し始めている。

私は煎茶とコーヒーを淹れ、帰宅後、初めて煙草を喫ったりしている。

我家は四季それぞれ旅行に行ったりしているが、
帰宅後は、ほぼ同じように家内と手分けをしたりしている。

そして、旅行先で買い求めた酒の友に最適な品で、
純米酒を呑みはじめた・・。


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