夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

蓮(ハス)のひとつの水玉の葉、幼年期のささやかな想いを馳せて・・。

2023-07-14 15:16:45 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
本日の散策コースは、近くの都立の『神代植物公園』として、

曇り空の中を歩いたりした・・。



そして園内を歩きながら、魅せられた情景をデジカメで撮ったりした。








やがて『蓮(ハス)』が集約してコーナーで、多彩な蓮(ハス)を撮ったりした。







こうした中で、ひとつの葉に水玉を見て、瞬時に魅せられて、私は撮ったりした・・。



そして眺めている中、遠い昔・・思い馳せたりした・・。

私は今住んでいる近くに生家があり、
1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受けた。

私は兄2人、妹二人の間(あいだ)で、サンドイッチのように育ったが、
何故かしら・・いじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。




私が地元の小学校に入学した1951年〈昭和26年〉の春の当時は、
祖父と父が中心となり、小作人だった人たちの手を借りながら、

程々に広い田畑を耕したりしていた。

そして母屋の宅地の外れには土蔵、納屋小屋にあったりし、

周辺には竹林、雑木林に囲まれた農家であった。
 
こうした中、この当時の周辺の情景は、京王腺の駅付近には商店街があるだけで、
周辺は田畑、竹林、雑木林など拡がり、緑豊かな村里の情景であった。
       
このような状況で、私が小学生の前半までは、父、祖父が病死されるまで、

農家の児として育てられた。



私は地元の小学校に入学した頃は、独りで下校する時が多かったりした。
       
こうした時、通学路から外れて、田圃の畦道を歩いたりし、
ある日、小雨に降られた後、七色の虹が視えて、
この世の中に、こんなに綺麗なことがあるの・・と長らく見惚(みと)れたりした。

或いは通学路を下校する時、祖父の知人宅に寄り、
70歳ぐらいの小父さんに、白い梅の花、桜より好きです、と私は言ったりして、
変わった児だねぇ、と私は言われたりした。

こうした中、祖父が所有していた田んぼの中には、小川に流れたり、

ある処には湧水(わきみず)があったり、
この近くに150坪ぐらいの半反程度の広さの蓮(ハス)専用の水田があった。



          
私は何かと湧水(わきみず)に魅せられて、
夏の季節であっても、冬の時節に於いても
コンコンと湧き出る水を、どうしていつまでも湧いてくる、

と不思議そうに眺め、飽きることがなかった。

そしてこの湧水(わきみず)は、田んぼの中央に流れる小川に流れていった。

初夏になると湧水(わきみず)の周辺は、

夏のお盆に使う紅紫色したミソハギの花が咲いたりしていた。
          
           

後年、私が結婚した後、家内と湧き水を観に旅行をしたりした。
富士山の伏流水が湧き出る三島市の郊外の柿田川、

或いは忍野八海の湧き水を観に行ったりした。

そして伊豆地方の湯島に宿泊した時、湯ヶ島にある山葵(わさび)が植えられている処があり、
杉木立の斜面の外れに湧き水があった。


小さな湧き水が四箇所あり、コンコンと湧き出て、やがて小川となっていた。


蓮(ハス)専用の水田に関しては、7月の下旬の頃になれば、蓮の花は莟(つぼみ)となり、
やがて8月の初めに私の住む地域はお盆を迎えるので、祖父か父が6本前後採ってきた・・。

そして私は祖父に懇願して、大きな葉をひとつ貰ったりした。
私はこの大きな葉に水を少し入れると、水玉になり、陽射しを受けると、
キラキラと水玉が輝きを帯びたりするので、幼児なりに魅了されて独り楽しんでいた・・。

そして泥だらけの中で、どうしてあんなに綺麗な白い花が咲くの、と子供心に不思議に思ったりした。


          

このようなことが思いだされて、独り微苦笑したりした・・。


ここ数年、何かしら幼年期の出来事が、不意に思いだされて、
ひとり微苦笑することが多くなったりしている。
コメント (2)
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