私は東京の調布市に住む年金生活78歳の身であるが、
夜の眠っている時に夢をみることが多いひとりである・・。
この熱い夏の時期でも夢をみることもあり、目覚めた朝方に薄らと汗ばんだりしている。
遥か1590年代の中頃に、ウィリアム・シェイクスピアの喜劇形式の戯曲の『夏の夜の夢』があるが、
日本に於いては坪内逍遥をはじめ『真夏の夜の夢』など翻訳されたりしているが、
このようなお洒落な内容から、齢ばかり重ねた私は遥かに遠いのである。
何かと定年退職までの半生は、屈折と卑屈感を秘めてきた私は、
ときには前夜からの続きの連続ドラマのようなことがあれば、
ときには前夜からの続きの連続ドラマのようなことがあれば、
或いは映画の三本立てのようにみることがある・・。
そして、総天然色(カラー)の時もあれば、白黒(モノクロ)だったりし、
目覚めた朝、ぼんやりと微苦笑することもある・・。
私は小学生の後半期、地元の映画館などで3作品を、
一挙上映した3本立てを数多く観たりしていた映画少年だったので、
一挙上映した3本立てを数多く観たりしていた映画少年だったので、
この習性の余情かしら、と思ったりしている。
私は1960(昭和35)年の中学3年の終りの頃、
私は職員室で担任の女の先生から呼ばれ、
『XXくん・・あなた眼・・悪いわね・・0.3って・・』
と先生は、健康診断書を見ながら、私に言った・・。
『・・どうして・・今まで黙っていたの・・
メガネを掛けないと・・黒板の字も見えないでしょう・・』
と先生は言った。
私は教室の指定された後部に座って、黒板の字もかすれていたが、
同級生もこのようにと思い、信じていたのである。
兄達、妹達もメガネをしていないので、それなりに思い込んでいたのである。
このようなことがあり、特に算数の基礎である因数分解など理解できず、
高校になっても微分、積分などの授業には、逃げ回っていたグループのひとりであった。
このような結果として、もとより期末試験などは惨澹たる結果であり、
昨今でも、悪夢となり呻(うな)されることもある。
サラリーマン現役時代だった頃の夢みる時は、どうしてなのか、業務の成功例より、
遥かに失敗したことを多く、目覚めた時に苦笑したりしている。
たとえば、上司、同僚、後輩がいる中、突然に中学時代の悪友が出てきたり、
どうしてお前がいるの、 と戸惑ったりする。
ときには秘かに思い続けた小学校時代の初恋の同級生に見つめられたりし、
貴女はどうしているの、とありえない時代の落差に戸惑ったりし、
冷や汗をかくこともある。
冷や汗をかくこともある。
或いは幼年期は私は農家の児であったので、
田畑、雑木林など景観を観たり、湧き水、竹林の筍(タケノコ)、野菜の収穫時などの情景をみることが多い。
夢はもとより貧富に関係なく、その人なりの日頃の思い、言動の余韻、
そして感性の賜物〈たまもの〉と私は確信している。
私の理想的な夢のひとときは、恥ずかしながら告白すれば、
齢を重ねた今でも、女性への煩悩を捨て切れないつたない身として、
秘かに思いながら、眠りにつくこともある・・。
街中、駅前などで、たまたまワンピース、ツーピースが似合う60代、70代の女性を見かけ、
たまたま謙虚な会話が聴こえたり、魅了されるしぐさを感じた時である。
或いは紬(つむぎ)が似合い、臈長(ろうた)けた人を見かけた時、
或いは紬(つむぎ)が似合い、臈長(ろうた)けた人を見かけた時、
ときにはブログの世界で、70代前後の女性で、魅了される投稿文を拝読した時、
どのような顔立ち、しぐさ、言葉を重ねる方かしら、と思わず想像してしまう・・。
私はこうした御方と語り合い、散策した後、無念ながらお別れ・・
このようなことを私なりに夢で願望したりしている。
私はこのようなことを思えば、思い込みが強い性格であるので、
ほとんど日頃から夢の中で叶えられるひとりである。
昨夜たまたま夢の中でお逢いできた人は、
かって女優だった浜 美枝〈はま・みえ〉さんだった・・。
私が東京オリンピックが開催された1964年の頃、
映画青年の真似事をしていた時代に、東宝撮影所に出入りして、
たまたま数分ぐらい言葉を交わした人である。
この当時にお逢いした若手の女優さんの中で、
この御方は、与えられた言葉でなく、ご自身の言葉で語れる人で、
私は瞬時に魅了された方でもあった。
こうした私の思いは今でも、変わることなく、
数日前に、この方のエッセイの本を再読していたりしていたが、
もとよりお逢いできる御方ではなく、あくまで高嶺の人なので、
せめて夢の中でお逢いできた、と目覚めた後ぼんやりと微苦笑させられたりした。