夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私の本棚の上には・・♪

2007-01-21 18:21:00 | 定年後の思い
私は小説、随筆、歴史書、現代史が好きなので、
同世代の人々に比べれば、本は多く持っている方と思っている・・。

私は居間に4本、書庫に4本、2階の洋間に2本、そして溢れて捨てるのが欲しまれるのが、
押入れに入っている。

居間にあるのは、頻繁に見返す本を置いている。
本棚のひとつには、最上段には最も敬意している本を置いている。

『世阿弥芸術論集』(新潮日本古典集成)、
栗山理一・編の『日本文学における美の構造』、
北 一明・著の『ある伝統美への反逆』、
上田三四二・著の『この世 この生~西行・良寛・明恵・道元~』、
安田章生・著の『西行』、
中野孝次・著の『西行の花』などが並んでいるが、
ここ十年は変らない。

友人に上げたり、月刊の雑誌などは捨てるようにしてきたが、
結果として高校時代より買い求めた5000冊前後の本となっている。

この中には、私の青年期に定職に就かず、食事を抜いて買い求めた本もある。

先程の居間の本棚の上に、家内がディズニー・ランドで買い求めたキャラクターのミッキー・マウスを、
家内が置いて、ちょこんと居座っている。

私は苦笑しながら、私の嫌いなディズニーのキャラクターを見詰めたりすることもある。

私は人生を過ごすには、生活を共にする人でも、ときには妥協も必要と思ったりしている。




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言霊(ことだま)に魅せられて・・♪

2007-01-21 12:41:00 | 定年後の思い
私は短歌の三十一文字(みそひともじ)、俳句の十七音に関して、
詠(よ)む素養がないが、ときたま人様の詠んだの読み、味わいを得たりしている。

かといって、詩も詠めないので、もっぱら散文の世界で小説、随筆を読んだりして、
ときたま私自身が綴ったりしている。

私は人生の歩みに人様より遥かに奥手であるので、
高校生になり、やっと小説などを読み出した次第である上、
短歌、俳句の基礎学習をさぼったので、今だに詠めないでいる。

文は人格を表す、と古人から伝えられているが、
私はつたない才能を嘆き、せめてこの『随筆』欄を設定し、毎日綴り投稿している。

定年退職後の三年生の身であるが、つたない才能なりに綴っているが、
テーマがすんなりと決まることもあるが、苦心惨憺の時が多い。

後で読み返せば、月平均70前後に投稿しているが、
大半は気恥ずかしく、数編程度は私なりの特有の綴りと思ったりしている。

いずれにしても、言葉の綴りは魔力が秘めている。





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東京の郊外の雪の想いで・・♪

2007-01-21 09:57:00 | 定年後の思い
東京の郊外である調布市に生を受けた私は、
この時節、ときおり雪の降る日を待つ焦がれることがある。

私が昭和26年の頃、小学一年だったが、
この地域は駅前から少し外れると、田畑が広がり、雑木林があり、
その中の一角に宅地があり、人々の生活が営(いと)まれてきた・・。

祖父、父も健在であったので、程々広さのある田畑を耕して、
小作人の手伝いを受けながらも農家をしていた。

この頃の時代は、冬の時節はよく雪が降ったりした。
多分、30センチ、厳しい時は60センチ程度であった、と想いだしている。

私は長靴の中に、藁(ワラ)と赤い唐辛子を三つぐらい入れて、
番傘を差して登校した。

何時もの村道を避けて、真っ白になった畑の中を直進して、
徒歩15分程を歩いたりした。
ある年は風が吹き、雪にまみれながら登校し、学校に何とか着いた時は、
学友達の校門の付近でお互いの健闘をたたえながら、
『よく・・来られたなぁ・・』
とふざけあったりした。

こうした折、番傘は少し破れて、帰宅後、母に怒られたりした。

小学校を卒業した昭和32年頃になると、この地域は雪が降りそそいでも15センチとなった。

その後は冬の時節、雪が降らない年もあれば、
多少薄っすらと降る程度であった。

平成十年の一月中旬、母が亡くなり、長兄宅で葬儀をした折、
仮通夜の時、霙(みぞれ)から雪が降り続け、
本通夜の日中の時は、ご近所の人々に雪かきをして頂いたりした。
本通夜の読経、お焼香の時も雪が降り続け、
私は公共交通の電車、バスは乱れていたので、会社関係の人達には辞退したりした。

翌日の告別式の時は、20センチ程度の積雪となった朝、
晴れ上がり雪の照り返しがまぶしかったりした。

忌明けの法要の四十九日の前日、
雪が降りだして、翌日の親族、親戚、知人関係の来客を私は心配したりした。

翌日の法要は曇り空となり、無事に法要を終えて、
境内を妹と叔母と歩いていた時、
『お母さんさぁ・・私を忘れないで・・と雪が降ったのかなぁ・・』
と私は言った。

妹の二人、そして叔母は微笑んでいた・・。

私達夫婦は、この時から、私達の住む地域でこの時節に雪が降りだしたりすると、
私の母のしぐさ、ことばなどを想い馳(はせな)がら、
あの時・・お母さん・・ああ・・だったわよ・・と深い想いで話しとなっている。


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