夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

米ソの冷戦の中、ある家族の人々は・・♪

2007-01-29 19:52:00 | 定年後の思い
先程、配達された読売新聞のある記事を読んで、ため息をついた・・。

かってアメリカをはじめとする自由陣営とソビエトが中核となす社会共産陣営があり、
第二次世界大戦後、しばらくした後に成立され、世界各国がどちらかの陣営に属する色分けとなった。

十数年前、ソビエトが崩壊されるまで、中華人民共和国は別扱いとしても、
長い歳月にこのような色分けとなっていた。

こうした大国の怜悧に国益という大義の下で、
世界各国の多くの民衆の家族は、虐殺されたり、飢え死にされたり、
或いは悲惨な日々を過ごされた悲劇を私は小説・随筆で読んだり、
映画で観たり、そして親戚、知人から教えられたりしてきた。

今回の新聞記事もこうした状況で翻弄された家族とも思考した。

こうした大国の国益の中で、翻弄された事実は、多くの方に知って頂きたいので、
あえて無断であるが、新聞記事を転載させて頂きます。

読売新聞の【交差点】というコーナーであり、永野哲也・記者の綴られた記事である。


自宅のピアノの上に、一冊の本が置いてある。
『海峡のアリア』。
声楽家の田月仙(チョン・ウォルソン)さん(49歳)(東京都新宿区)が、
家族の人生をつづった作品だ。
『母の訴えを埋もれさせたくなかった』。
彼女は静かな語る。

1957年、東京・立川で生まれた。
両親は朝鮮半島出身の在日一世。
高校まで朝鮮学校で過ごし、音大を卒業後1983年に歌手デビューを果たした。

2年後、当時の金日成・主席の誕生日を祝う公演に、
出演者の一人として招待された。
悩んだ末に初めて訪れた北朝鮮。
かって崇拝の対象と教えられた主席は、既に『独裁者』のイメージしかなかったが、
それでも招待に応じた大きな理由は兄達に会うことだった。

子供の頃、母が部屋の隅で古びた写真を見つめているのを何度か目にした。
4人の若い男性が写っていた。
それが兄だと明かされたのは高校生の時だ。

1959年に始まった帰還事業。
『地上の楽園』と宣伝された北朝鮮に多くの在日朝鮮人や日本人妻が渡った。
兄達も希望を抱いて船に乗った。
田さんがまだ2歳だった。

長らく音信が途絶えていた息子達に会おうと、
母が北朝鮮に渡ったのは1980年。
そこで目にしたのは変わり果てた我が子の姿だった。
4人は1969年、いわれのないスパイ容疑で強制収容所に送られ、
二男は翌年に亡くなった。
3人は9年後に収容所から出たが、過酷な生活で体がむしばまれていた。

帰還事業で北に渡った人の窮状について、日本に残った家族が語ることは少ない。
しかし、母は帰国後、経営していた韓国料理店の客や知人に息子達のことを語り始めた。

そんな母の話を聞いていた田さんは、
主席の前で歌った数日後に、兄達と会った。
ぽつりぽつりと暮らしぶりを話す姿に胸が締め付けられた。

『すべての悲劇のもとは、朝鮮半島の分断にある』。
母はいつもそう語っていた。
田さんも、いつしか朝鮮半島の統一を願う歌を唄うようになった。

長男と三男はその後、亡くなったという知らせが届いた。
四男は音信がない。
母は一昨年2月、長い入院生活の末に病死した。

この年の暮れに田さんはパソコンに向かい、兄や母の無念を詳細に綴った。
『事実を伝えたい』という一心で書き上げた本は、
昨年の小学館ノンフィクション大賞優秀賞に選ばれた。

《兄達が命に代えて私に残した真実を、決して忘れない》。
同書の文末にはこう記されている。


以上、長々と転記したが、こうした大国の国益の身勝手な論理から朝鮮半島は分断され、
北朝鮮、韓国が現在もあるが、
こうした国家の民衆は数多くの悲惨で悲劇が歴史の歳月の中で埋もれているのが、
現実である。

たまたま私は東京の郊外の日本人の両親の農家の子として生を受け、
日本人としてなまぬるい歳月で育成されて感謝はしているが、
ほんの一歩他国に入った時は、
それぞれの国情の怜悧な国益に無知ではいられない、と再認識をしたりしている。

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おかしな、おかしな・・♪

2007-01-29 17:42:00 | 定年後の思い
東京の郊外は小雨の午前中が予測されていたが、
どんよりとした曇り空から明るい曇りとなった後、
昼時には薄日が射し込んで晴れ時々曇りとなったりした。

昼下り、疲れを覚えた私は居間にある炬燵で本を読んだりしたが、
少しテレビを観たりした・・。

何か『国会中継』で代表質問のようだった。
おかしなことに、代表者が発言していると、
着席している国家議員の一部のお方達がヤジを飛ばしたりしている・・。

小学生のような程度の低いお方達と感じたりして、
昨今の児童の中で言葉を知らない粗暴なふるまいと同様にも私は感じたりしている。

与党、野党であれ、少なくとも国民からの選出され、
税金で養われている国家議員の言動にしては、余りにも幼稚である。

今回はたまたまテレビ中継となって折、
国民の人達のご家庭内で児童が観ていたら、どのように感じただろうか。

そして国家議員の先生方は、どのようにご自分のお子様を教育されているのか、
不思議な気持ちであった。

尚、児童のしつけは学校で学ぶことでなく、家庭から学び、育て上げるのは言うまでもないことである。






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されど、お財布・・♪

2007-01-29 13:47:00 | 定年後の思い
私が今愛用している財布は、街の雑貨屋さんで買い求めた3000円程度の財布である。

よくある二つ折りの財布で、バスの5000円の乗車カード、
携帯電話を持っていないのでテレフォン・カード、
そして現金を入れている。

私は原則としてニコス、JCBのような買い物用のカードは持たない主義で、
現役時代の時は銀行カードを持っていたぐらいである。

私は根がケチな性格なのかしら、殆ど現金払いとしている。
食事、呑み屋などはレジで現金で払っている。
例えば友人達と呑んだり、ひとりで居酒屋でぼんやりと呑んだ後でも、
これだけ支払ったが楽しかった、と素直に思えるからである。
カードだと、後で請求が着た時は、あの時あんなに食べたり呑んだかしら、
と振り返っても余韻がないからである。

私は現役時代の50歳の時、妹からブランド物の財布を頂いた時があった。
確かに高価だと分かるので、レジで支払う等の場合は財布から現金を取り出し、
ちょぴり優越感にしたったこともあった。

だからといって、私が個人で財布を店頭で選ぶ時は、せいぜい7000円以下としている。

たまたま家内と買い物に出かけた折、安価の財布のあれこれを見た時、
『あなた・・50代のサラリーマンにしては・・みっともないわよ・・
きちんとしたお財布・・選んだら・・』
と非難されたことがあった。

私は財布の良さより、中味の現金が多い方に優先するので、
私が財布を買い換える時は、5000円前後の価格を選定している。


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どんよりとした曇り空の朝を迎えて・・♪

2007-01-29 08:54:00 | 定年後の思い
東京の郊外は、どんよりとした曇り空の朝を迎えて折、
いつ雨が降り出してもおかしくない空模様となっている。

午前中は小雨、昼下りからは曇り空となり、最高気温は6度前後と地元の天気予報は報じている。

このような時の朝は、私はゆっくりと新聞を読んだりしている。

今朝の読売新聞では、月曜日の時は【読売 俳壇】、【読売 歌壇】と題した特集が、
一般の人々の投稿を俳人、歌人の人達が選評され、掲載されている。

以前、綴ったことであるが、私は素養がつたないので詠(よ)む力はなく、
それぞれの人生を送られている人々の俳句、短歌を読み、味わい、
そっと人生のひとときに感銘を受けたりしている。

今朝、掲載された中で、私が魅了された詩歌は、

俳句としては、

音のなき 流れ滔々(とうとう) 去年今年

        作者・(可児市) 横井 芳夫


短歌としては、

夕霧の ただよふ町の
  灯はやさし 行きかふ人ら 亡き友に似る

     作者・(八王子市) 皆川 芳彦


私はこうした詩歌にふれると、詠んだお方の人生を思い、
教示を受けて、そして感銘を受けたりしながら人生の教科書としている。

尚、私は俳句も好きであるが、やはり短歌の深みに魅了させられている。




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