先程、買い物に行く時に、少し遠回りして川沿いの遊歩道を歩いた・・。
暖かで人影も少く、朱色の藪椿、純白な日本水仙を見ながら、冬木立を見詰めたりした。
私は定年退職後の62歳の身であるが、退職後の10年間は五体満足に生かして貰えば、
70歳以降は余生と思っている。
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、どちらかが死別した時、
お互いの趣味を強く持ち続ければ、悲しみは乗り来えられやすい、
と話し合ってきたので、それぞれの趣味にはお互いに立ち入らないことにしている。
そして、お互いの共通の趣味として、ときたま国内旅行をしている。
私は退職後の数ヵ月後、遺書がわりに公正証書を作成した。
私が先に死去した場合、家内の生活、そしてわずかであるが遺産をめぐり親族間の確執を避けたかったからである。
葬儀はささやかに花の祭壇、音楽に包まれて、親族のみで、
そしてお墓は東北の寺院の里にある樹木葬とした上で、
好きな樹木の下で、土に還りたいと、家内に話している。
お墓参りなどは、生者の慰めと思っているので、
家内が温泉旅行の時、気が向いた時でもお線香の一本で結構である、
と伝えている。
家内に先立たれた場合は、葬儀、お墓も同様とするが、
肝心な残された私は心身ともどれだけの日々を落胆し、戸惑いの季節を過ごすと思うが、
やがて一人旅をして、宿泊先のお酌して下さる女性に、お酒を呑みながら、
家内の想いで話をする、と思ったりしている。
これからの先は、どのような闇(やみ)が待っているかは分からないが、
『知足』という言葉を頼りに、心の心情として早春の時節を迎える。
尚、『知足』については過日このサイトで綴ったが、
家内の茶室の掛け軸のひとつから拝借している。
私のつたない解釈としては、少欲の状態で日常生活観を保って、
既に手にあるもののみを節度を持って愛用する、
と独断と偏見で思っているが、気弱な私は・・と思考したりしている。