真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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元CIA秘密工作員・フィリップ・エイジー氏の訴え

2023年07月20日 | 国際・政治

 下記は、「CIAとアメリカ 世界最大のスパイ組織の行方」矢部武(廣済堂出版)からの抜萃ですが、元CIA秘密工作員(フィリップ・エイジー氏)の見逃せない主張を取り上げています。

CIAは中南米に正義や民主主義ではなく、不正義を広めているにすぎない。中南米の大多数の国民は貧困にあえぎ、米国の操り人形になっているごく一握りの人たちを豊かにしている。かつての植民地時代と全く変わらないものだ

 元CIA秘密工作員(フィリップ・エイジー氏)が、CIAに留まることはできなかったこうした活動内容こそ、アメリカの対外政策外交政策の本質なのだと思います。だから、こういう主張にきちんと耳を傾け、アメリカ政府を糺さなければ、戦争はなくならないと思います。私は、ゼレンスキー大統領は、フィリップ・エイジー氏のいう、”米国の操り人形になっているごく一握りの人たち”を代表する人物だと思います。

 前回、「アジェンデ政権崩壊の真相」で、CIAがどのような手口でアジェンデ政権を追込み、顚覆したのかを取り上げましたが、社会主義政権として史上初めて自由選挙によって樹立されたと言われているサルバドール・アジェンデ政権を軍事クーデターで転覆し、人民連合系の多数の市民をサンティアゴ・スタジアムに集め、容赦なく虐殺させたのは、アメリカの支援を受けたアウグスト・ピノチェト将軍です。
 ピノチェト将軍は、議会制民主主義を否定しつつ、長期間政権を維持しました。ウィキペディアによると、教育面では、大学が軍人の統制下に置かれ、思想統制のためマルクスら社会主義関連の書物や、パブロ・ネルーダ、フランツ・カフカ、マクシム・ゴーリキー、ジークムント・フロイトなどが焚書にかけられ、燃やされたということです。
 ピノチェト将軍は、1974年6月に大統領に就任しますが、問題は、アメリカ合衆国の政界や財界、また、チリ国内の一部保守層や軍部の支援を受けながら、その後1990年までの16年間に亘って軍事政権を率いて強権政治を行った「独裁者」であることです。
 アジェンデ政権の顚覆もピノチェト大統領の独裁的強権政治も、アメリカの支援がなければなかったことだと思います。上記の、フィリップ・エイジー氏の、「CIAは中南米に正義や民主主義ではなく、不正義を広めているにすぎない」という言葉通り、チリの人たちは長く独裁政治に苦しむことになったと思います。

 10年ほど前、アメリカ国家安全保障局 (NSA) および中央情報局 (CIA) の元局員であるエドワード・スノーデンも、それまで陰謀論やフィクションとして語られてきたNSAによる国際的監視網(PRISM)の実在を、命がけで告発しました。
 また、「スノーデン 監視大国日本を語る」エドワード・スノーデン、国谷裕子、ジョセフ・ケナタッチ、スティーブン・シャピロ、井桁大介、出口かおり、自由人権協会監修(集英社新書)には、スノーデンが、インタビューのなかで、次のようなことを語ったことを取り上げています。

 国谷裕子 ─ アメリカはマルウェアを作動させて日本のインフラを大混乱に陥れることができるというのは本当のことでしょうか。
 スノーデン ─ 答えはもちろんイエスです。

 さらに、2017年、日本関連の秘密文書が新たに暴露されたということですが、そこには大量監視システムXKEYSCORE(エックスキースコア)が、アメリカ政府から日本政府に譲渡されていることが記されていたといいます。
 もはや、日本にはプライバシーなど存在しないと言えるような重大な問題が、日本では黙殺されていると思います。
 バイデン大統領やアメリカの高官は ウクライナ戦争が民主主義を守る戦いだとくり返しているのですが、過去のアメリカの歴史や現実が、そんな戦争ではないことを物語っています。
 だから、フィリップ・エイジー氏エドワード・スノーデン氏、ラルフ・マクギヒー氏などの命がけの告発は、黙殺されてはならず、正面から取り上げられるべきだと思います。
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                     第三章 これがCIA”裏外交”の実態だ

                   (一)命がけでCIAの秘密を暴いた男たち

 元秘密工作員が衝撃の暴露
 すべてのCIA諜報員は辞めるとき、「自分の関わった秘密工作活動やCIAに関する一切の秘密を漏らさない」という秘密厳守誓約書に署名する。さらに辞めた後でCIAに関する本を出版する場合は、CIAの検閲を受けなければならない。このルールを破った者は逮捕されるか、場合によっては命を狙われることも覚悟しなければならないが、あえてその危険を冒した男たちがいる。
 まずは、50年代から60年代にかけてCIAの秘密諜報員として中南米のエクアドル、ウルグアイ、ドミニカア共和国などに潜入したフィリップ・エイジー氏である。彼は自らの体験をもとに、CIAの秘密工作活動を暴露した本”CIA DIARY:Inside the Company”(『CIA日記:ザ・カンパニーの内』)を75年に英国で出版した。
 秘密工作活動とは、積極的に秘密工作を講じて相手国の政治的状況を変えてしまったり(政府転覆や要人の暗殺計画などを含む)あるいは相手国の政治的不安や混乱を拡張して大げさに見せたりすることだ。CIAが外国で行った秘密工作活動の具体例は、たとえばキューバのピックス湾侵攻作戦やカストロ首相暗殺計画、ベトナムのフェニックス作戦、チリのアジェンデ政権転覆工作など枚挙にいとまがない。
 CIA諜報員が外国の政治家、新聞社、出版社、政府職員、学生運動家、労働組合などにアプローチして買収し、さらに現地の優秀な人材をCIAの操り人形にしてカリスマ性を持ったリーダーに仕立て上げ、政府や関係機関に送り込んで最終的にその国を乗っ取ってしまう。このスパイ小説のような話を672頁にわたって詳細に描いた『CIA日記』は、たちまちベストセラーとなり、米国民のCIAに対する関心を一挙に高めた。
 本の巻末には、著者が12年間のCIA生活のなかで会ったCIA諜報員の名が実名で発表されている。また、CIAと関係を持つさまざまな組織や団体の名前も出され、これを見ると”CIAの手先”は内外にあふれていることが一目瞭然だ。
 『CIA日記』の出版後、エイジー氏はニューヨークのワシントンスクウェア近くのコーヒーショップで雑誌記者のインタビューを受け、実に衝撃的なことを語っている。
「CIA諜報員は米国の巨大資本を守る秘密警察のようなものです。中南米諸国の政治情勢が反米的にならないように絶えず監視し、大手米国企業の株主たちがうまく金儲けできるような土壌を整える。ホスト国のリーダーが米国の巨大資本に協力するようにあらゆる手段を駆使します。そして、あくまで反米的な国に対しては秘密工作によって政府転覆を企てることもある。どのように仕掛けるのかって? その国の反政府勢力を密かに支援して暴動や反乱を仕掛けたり、方法はいくらでもありますよ」
 フロリダ州タンパの衣服卸問屋の長男として生まれたエイジー氏は、家業を次いでいればある程度豊かさと平和な生活は保障された。しかし彼は57年、ノートルダム大学で哲学の学士号を取得した後、CIAに応募した。当時は米国の民主主義を心から信じ、国のために何か役立つことをやりたいと真剣に思っていたのだ。
 難関とされるCIAの試験をパスしたエイジー氏は、全米から選ばれた他の若者たちといっしょにCIAに入った。CIA諜報員になるために二年間の予備訓練を受けた後、彼はジュニアオフィサー(下級局員)候補生に抜擢された。これは秘密諜報員としてのエリートコースである。
 ジュニアオフィサーの訓練を終えたエイジー氏は、最初の一年間だけラングレー本部でデスクワークをやり、二年目からはエクアドルの米国大使館に秘密諜報員として派遣された。その頃の彼は、まるで50年代の”古き良きアメリカの申し子”のように国を信じきっていた。ところがエクアドルからウルグアイ、さらにドミニカ共和国と滞在するうちに、しだいにからくりが見えてきた。つまり、CIAの秘密工作活動によって誰が本当に利益を受けているかがわかってきたのだ。
「CIAは中南米に正義や民主主義ではなく、不正義を広めているにすぎない。中南米の大多数の国民は貧困にあえぎ、米国の操り人形になっているごく一握りの人たちを豊かにしている。かつての植民地時代と全く変わらないものだ」と確信した彼は、もはやCIAに留まることはできなかった。

 執拗な尾行・監視の果てに
 69年、メキシコでの任務を最後に彼はCIAを去った。その後、数年間メキシコで行商をやって生計を立てながら、メキシコ大学でラテンアメリカ歴史学を学んだ。そして71年に本を書くことを決心し、「メキシコで執筆活動を続けるのは危険すぎる」と急遽ヨーロッパへ飛んだ。
 しかし、ヨーロッパでもCIAの追っ手から逃れることはできなかった。執筆活動を続けていたパリではCIA局員につねに監視・尾行され、若い女性の友人からプレゼントされたタイプライターには盗聴器が仕掛けられていた。パリのコーヒーショップで出会ったこの女性は、彼の執筆状況を調べるためにCIAから派遣されたスパイだったと思われる。
『CIA日記』の出版後、米国政府の締め付けが一段と強まり、エイジー氏は79年に米国のパスポートを剥奪されて国外追放となった。その後、フランスやイギリスなどすべてのNATO諸国からも追放されてしまうが、この裏には米国政府による秘密の圧力があったといわれている。
 自分の生まれた国やNATO諸国からも追放されたエイジー氏が今日まで生き延びることができたのは、世界中のどこへ逃げても彼の勇気を賞賛し、力になってくれる人たちがいたからである。米国政府からパスポートを剥奪された彼は、スペイン政府、グレナダ政府、ニカラグア政府にパスポートを発行してもらい、ヨーロッパや中南米を旅行した。
「本を書いた目的はCIAの秘密工作や破壊活動の犠牲になっている国々の人々と手を結ぶことにあった。CIAの仕掛けた戦争でニカラグアの人口のⅠパーセントもの人間が死んだんですよ」
 というエイジー氏は、米国政府からパスポートを剥奪されたことで結果的にニカラグアやグレナダの人々と手を結ぶことができたのだ。
 当時、エイジー氏は西側の人間で初めて政府諜報機関に真っ向から挑戦状を叩きつけた人物だった。彼の本は新しい世代の人たちにCIAの実態を伝え、多くの米国の外交政策関係者やインテリと呼ばれる人たちの目を覚ました。現在も米国に住むことを許されないエイジー氏は、ドイツに在住しながら米国の外交政策をテーマとした執筆・講演活動を続けている。
 CIA側は「彼(エイジー氏)は性格的欠陥とカネにからむ問題を抱えていたので、CIAの活動を続けるのが困難となり、辞任した」と説明するが、もう一つ説得力に欠ける。
 エイジー氏の勇気に影響を受けたのか、その後CIAの秘密工作を暴露する本を書く元CIA諜報員がどんどん出てきた。12年間のCIA生活をもとにCIAのアンゴラでの秘密工作の全貌を描いた"IN SEARCH OF ENEMIES:A CIA STORY”(『敵を捜して:CIA物語』)のジョン・ストックウェル氏、DEADLY DECEITS “(『致命的な嘘』)を書いたラルフ・マクギヒー氏などである。

 CIA対元CIA諜報員の闘い
 マクギヒー氏は14年間の海外勤務と11年間のラングレー本部勤めを含めて25年間CIAで働いた。50年代前半には日本に2年間滞在し、その後60年代半ばまでインドネシアやベトナムに滞在した。63年にインドネシアで起こったスカルノ政権転覆工作ではキープレイヤー(鍵を握る工作員)役を演じたというが、その詳細については私の取材に対しても何も語ろうとしなかった。
 しかしマクギヒー氏は77年にCIAを辞めて以来、独自の方法でCIA秘密工作活動に対する批判を続けている。まずは、インドネシアやベトナムなどアジア諸国でのCIAの秘密工作活動の内幕を描いた本『致命的な嘘』の執筆・出版だ。彼は秘密厳守誓約書に従って本の原稿をCIAの出版検閲委員会(PRB)に提出したが、出版するまでに2年間もPRBと原稿の削除部分をめぐって激しい議論を行わなければならなかった。
 本の重要部分をかなり削除されてしまい、内容に満足できなかったマクギヒー氏はCIAと闘う新たな方法を見いだした。CIAに関するあらゆる公開情報を集めたデータベース”CIABASE”は、CIAに関する500冊の本と350の公開情報源から収集したCIAに関する情報が、150のトピックに分類されて入っている。利用者はテーマに応じたキーワードを入れれば、要求した情報を引き出すことができる。
 マクギヒー氏がCIABASEをつくった最初の目的は、元CIA諜報員など政府情報機関で働いた経験を持つ人たちが、政府から”秘密を漏らした”と不当な容疑をかけられた場合に、政府に対して反撃するだけの情報を提供することだった。政府から秘密厳守誓約書に違反して"CIAに関する秘密情報を漏らした”と告発された元諜報員は、CIABASEを見ればその情報が公開されたものであるかどうか、すぐにチェックできるというわけだ。公開された情報であれば当然、秘密厳守誓約書に違反したことにはならない。
 CIABASEは現在ではCIA諜報員ばかりでなく、全米の主要メディアや大学の図書館などで使われ、CIA情報源として重要な役割を果たしている。
 マクギヒー氏はこうしてCIAについての専門家として知られるようになり、連邦議会でのCIAの秘密工作活動に関する公聴会などで証言したり、テレビやラジオにも出演して厳しいCIA批判を展開している。
 CIAは50年代から60年代にかけて、エイジー氏など理想主義に燃えた若者をたくさんリクルートした。彼らは「米国の民主主義を守りたい」「国家のために役立つことをしたい」という理想に燃えているだけに、CIAのとっては非常に利用しやすかった。しかし、CIAは一つの重要なことを見落としていた。それは、彼らが理想主義者であったゆえに、”CIAの正体”を知ったときに見て見ぬふりをすることができなかったとうことだ。彼らはCIAを辞めて、CIAの秘密工作活動を強烈に批判する立場に回ったのである。

コメント (2)
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