真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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シベリア抑留と草地文書・朝枝文書

2009年03月22日 | 国際・政治
 草地貞吾関東軍参謀(作戦班長)や朝枝繁春大本営参謀が、日本兵や満州居留民のシベリア抑留・強制労働を予想していたかどうかは分からない。しかしながら、草地文書にも朝枝文書にも「棄兵・棄民」と受け取れる表現がある。「希望者はなるべく残留して、貴軍に協力させてほしい」とか「貴軍の経営に協力させ」とか「貴軍の経営に協力するよう使っていただきたい」「『ソ』聯ノ庇護下ニ満鮮ニ土着セシメテ生活ヲ営ム如ク『ソ』聯側ニ依頼スルヲ可トス」、「満鮮ニ土着スル者ハ日本国籍ヲ離ルルモ支障ナキモノトス」などがそれである。
 さらに言えば、草地は、関東軍の作戦主任参謀としての苦労や敗戦までの関東軍の情況、また、ソ連での抑留生活について、事細かに回想録に書いているにもかかわらず、棄兵・棄民に関わる大事な部分は、「その詳細については、現地に行った方々の発表によるのが至当であるから私は省略するが……」とかわしている。
 また、関東軍作戦主任参謀の草地が「……作戦中は、直接の居留民保護はしたくもできなかったが、停戦ともなれば一時的にもせよ、最大限に居留民保護には努力しなければならない」などというのは、「責任逃れ」であると思う。戦線を拡大するときは「居留民保護」をお題目とし、いざ実際に保護が必要になったときには「……居留民保護はしたくもできなかったが、……」というのは通らないと思うのである。本当は居留民など眼中にない作戦の展開が、多くの犠牲者を出す結果となったことは明らかである。「関東軍参謀草地貞吾回想録」草地貞吾(芙蓉書房出版)「ドキュメント シベリア抑留 斎藤六郎の軌跡」白井久也(岩波書店)からの抜粋である。
---------「関東軍参謀草地貞吾回想録」------------
                第1部 満洲終戦秘録
                 第2章 終戦始末


  停戦梗概

 ・・・
 ……作戦中は、直接の居留民保護はしたくもできなかったが、停戦ともなれば一時的にもせよ、最大限に居留民保護には努力しなければならない。
 ハルビンにいたソ連総領事一行は開戦とともにわが方に抑留し、15日新京に輸送してきたが、御放送の後、直ちに逆送して、日ソ両軍停戦交渉の仲介に利用した。
 ハルビン特務機関を通じてのソ側の申込みとかで、秦総参謀長は17日ハルビンに向かったが、この日はソ軍と連絡がとれず、要領を得ぬままで新京に帰ってきた。18日朝になると、またハルビン特務機関から連絡があり、秦総参謀長に出てきてもらいたいということだった。当然私が随行すべきところだったろうが、ちょうどこの日、隷下諸軍の参謀長会同を開くように示達準備中だったので、瀬島中佐(作戦)に、代わって行ってもらった。その他に、第2課の野原中佐(情報)、第4課の大前少佐(政務)等が随行し、ハルビン特務機関に落ちついたのち、同機関長の秋草少将と宮川ハルビン総領事(露語通訳)等を伴ってソ連当局と連絡しようとしたが、この日はうまく連絡がとれず、明けて8月19日、ソ軍飛行機で興凱湖西にあるジャリコーウォ戦闘司令所に行き、ソ連極東軍司令官ワシレフスキー元帥と会見した。その詳細については、現地に行った方々の発表によるのが至当であるから私は省略するが、とにかく原則的には武装解除の要領、治安の維持、在留邦人の保護等について諒解が成立した。しかし、この交渉といっても、対等の交渉ではあり得ない。見ようによっては、マニラに赴いた河辺参謀次長の場合と同様に、単なる指令受領であった。
 このように、秦総参謀長一行がジャリコーウォでソ連首脳と会っている間に、それとは無縁のようにハルピン、新京、奉天、チチハル等には、戦闘機に掩護されて続々空中からソ連の軍使がやってきた。

-------ドキュメント シベリア抑留 斎藤六郎の軌跡-------
               第12章 関東軍文書発見
    二つの関東軍文書


 ・・・
 その中で、斎藤の関心を最も強く引いた「関東軍文書」が二つあった。一つは関東軍総司令部の「ワシレフスキー元帥ニ対スル報告」だ。もう一つは朝枝繁春大本営参謀の「関東軍方面停戦状況ニ関スル実視報告」だった。
 
 前者は、満州に攻め込んだ極東ソ連軍の当時の最高司令官であるワシレフスキー元帥にあてた関東軍の陳情書だ。軍が作ったものなので、作成者の氏名や捺印はないが、元関東軍参謀(作戦班長)・大佐草地貞吾が数人の参謀と合議のうえまとめ、秦総参謀長、山田総司令官の決裁を受けて、ソ連側に提出した。93年7月5日から6日にかけて、この報告の内容が大々的に報道された直後、草地が自分が書いたものだと名乗り出た。文書の上欄には、「8月26日に受領」とロシア語で書き込みがある。そのあらましは、次の通り。


 一、3万人を超える入院患者は、冬季までに帰国させてほしい。長旅に耐えられ
    ない重病者は南満州にまとめてほしい。
 一、135万の一般居留民のほとんどは満州に生業があり、希望者はなるべく残
    留して、貴軍に協力させてほしい。ただし老人、婦女子は内地か、元の居留
    地へ移動させて戴きたい。
 一、軍人、満州に生業や家庭を有するもの、希望者は、貴軍の経営に協力させ、
    その他は逐次内地に帰還させてほしい。帰還までに極力貴軍の経営に協
    力するよう使っていただきたい。
 一、例えば撫順などの炭鉱で石炭を採掘するとか、満鉄、製鉄会社などで働か
    せてもらい、冬季の最大難問である石炭の取得にあたりたい。
 一、各地との通信が杜絶しているので速やかに、貴軍将校とともに要員を派遣し
    て、今後の処理に関する資料収集について、ご配慮を得たい。
 一、本日は降伏者として厚かましい申し出をしたが、冬を控え速やかな措置が必
    要と考えたためで、他意はありません。日本人は貴国人と異なり、寒さに弱
    いので、特別の配慮をお願いしたい。


 一方、朝枝文書も草地文書と同様8月26日に、ソ連側に提出されており、「全般的ニ同意ナリ」とする秦総参謀長の「大本営参謀ノ報告ニ関スル所見」と一緒に発見された。かなり長文なので、必要事項だけ以下に抜粋する。

 1、一般方針
  内地ニ於ケル食糧事情及思想経済事情ヨリ考フルニ既定方針通大陸方面ニ
  於テハ在留邦人及武装解除後の軍人ハ「ソ」聯ノ庇護下ニ満鮮ニ土着セシメテ
  生活ヲ営ム如ク「ソ」聯側ニ依頼スルヲ可トス
 2、方法
  1、患者及内地帰還希望者ヲ除ク外ハ速ヤカニ「ソ」聯ノ指名ニヨリ各々各自技
   能ニ応ズル定職ニ就カシム
  2、満鮮ニ土着スル者ハ日本国籍ヲ離ルルモ支障ナキモノトス
  3、以上満鮮ニ於ケル土着不可能ナル場合ニ於イテハ今入冬季前ニ少クモ先
    ヅ軍隊ハ400,000傷病兵30,000在留邦人300,000計730,000ヲ内地向輸送セ
    サルヘカラス而シテ之カ輸送ハ船舶、鉄道ノ運用、輸送間ノ給養等厖大ナ
    ル仕事ニシテ一ツニ「ソ」側ヲシテ聯合側ニ依頼セザレバ不可能ナル問題
    ナリ

 
 http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。旧字体は新字体に変えています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。「・・・」や「……」は、文の省略を示します。

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