真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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イスラエル軍によるハマス創設者ヤースィンの暗殺とアメリカ

2024年04月08日 | 国際・政治

 下記は、「イスラム 超過激派」宮田律(講談社)からの抜萃ですが、これを読めば、もともと敬虔で、もの静かな人物であったヤースィンが、なぜイスラム原理主義的な組織「ハマス」を創設し、武装化を進めたりすることになったのか、ということが理解できるように思います。ヤースィンの思想や戦略は、イスラエルの差別的、攻撃的対応抜きには語れないということです。

 でも、「ハマス殲滅」を意図するイスラエルにとっては、ハマスはイスラエルとは関係のない「テロ組織」であり、話し合いの対象ではなく「絶対悪」でなければならないのだと思います。だから、「絶対悪」のハマス創設者ヤースィンは、イスラエルの存在や圧迫とは無関係のテロリストであり、テロ組織を率いるヤースィンを殺しても罪に問われることはないということで、ヤースィンがガザ路上を、車椅子でモスクの礼拝に向っている時に、チャンス到来とばかりに、軍のヘリコプターのミサイル攻撃によって殺害したのだと思います。また、ヤースィンの他にも、ハマスのリーダーが、イスラエル軍によって殺害されていることも見逃してはならないと思います。

 下記のような文章によって、イスラエルのハマスに対する姿勢や行為を知れば、イスラエルの政党リクードのネタニヤフ政権が、自らの行為や事実を隠してパレスチナ人を殺す、恐ろしい政権だわかるような気がします。

 だから、そんなイスラエルを支えるバイデン米政権も、恐ろしい政権だと思います。

 329日、米紙ワシントン・ポスト(WP)は、世界中でイスラエル批判が高まっているにもかかわらず、バイデン米政権が、同国への爆弾や戦闘機の追加供与を承認していたと伝えました。追加供与は、約25億ドル相当のF35戦闘機25機のほか、MK84爆弾1800発以上、MK82爆弾500発以上が含まれる、というのです。

 また、国連人権理事会(47カ国)は5日、パレスチナ自治区ガザでの停戦を要請し、加盟国にイスラエルへの武器や弾薬、軍需品の売却や移転の停止を求める決議案を採択しましたが、採決では28カ国が賛成し、アメリカやドイツなど売却や移転をしている6カ国が反対、日本を含む13カ国が棄権したといいます。

 バイデン大統領や、ブリンケン国務長官のイスラエルのラファ侵攻にたいする批判や懸念は、本心ではないことを示していると思います。政権や政治家の評価は、言葉ではなく、何をやっているかで下されるべきだと思います。

 

 また、同じようにウクライナのゼレンスキー政権やゼレンスキー政権を支えるアメリカのバイデン政権にとって、ロシアは戦略的に「絶対悪」の侵略国でなければならず、話し合いの対象にすることはできないのだと思います。だから、ロシアの「特別軍事作戦」(ウクライナ侵攻)前の、ロシアに対するアメリカを中心とするNATO諸国の行為その他の対応は隠す必要があって、あらゆる組織や団体からロシア人を排除し、交流や情報のやり取りを遮断したのだと思います。ノルドストリームをめぐる米ロ対立やウクライナの政権転覆に関する問題などを話題にされたくないからだろうと思います。

 その影響を受けて、日本でも、日本人を欺瞞する報道がなされてきたと思います。

 ウクライナ戦争が始まった時、お昼のワイドショウその他のニュース番組にくり返し登場した、ロシアに詳しいジャーナリストやロシア政治、国際政治の専門家といわれる人たちの解説には、現実の米ロ関係を中心とする国際的な国家対立を無視する共通の問題があったと思います。

 それは、ロシアのヨーロッパ諸国に対する影響力の拡大が、アメリカの覇権や利益を損なうと考えているバイデン政権の対ロ戦略を隠し、ウクライナ戦争が、独裁者プーチン大統領個人の妄想によって始まったというような解説にあらわれていたと思います。

 気になった「話」を、いくつか歴史に関するもの、情報統制に関するもの、権力構造に関するもの、戦略に関するものなどに分けて列挙すると、

 

 一、ロシアが欧州からアジアにまたがる「帝国」を形成したのは、18世紀後半にエカテリーナ女帝がウクライナを併合して以降だが、ウクライナに執着するプーチンは、ソ連崩壊後独立したウクライナを再び「小ロシア」として組み込み、同化させた思いが強いと思われる。

 ウクライナ侵攻の背景には、プーチン氏の「ウクライナとロシアは一つの民族」との考えがあり、「偉大な帝国」復活の執念があると思われる。プーチン氏は「ウクライナの真の主権はロシアとのパートナーシップによってのみ可能だ」というようなことを言っている。

 プーチン氏の妄想というべき考えの根底にあるのは、ロシアは欧米とは異なる文明を有する偉大な「帝国」で、「ユーラシア主義」と言われるような偏った歴史観だ。

  ウクライナ戦争は、プーチン大統領が自分の歴史観を前面に押し出して始めたもので、その点で歴史と非常に関わりの深い戦争であるといえる。プーチンの考えは、ウクライナは広い意味でのロシア世界の一部であって、それを取り戻すだけだというものだが、帝政ロシア・ソ連の歴史や歴代の指導者たちの考えをふり返ると、彼の発言は単なる方便ではなく、この戦争が、歴史の中で積み重なってきたいろいろな動機を背負ったものであることがわかる。

 ロシアでは、法治より人治が優先され、強い指導者のもとで、つくられた過去の歴史が、現在の政治と直結させられる傾向がある。

 

 二、プーチン政権下で、重要な祝日と位置づけられている「対独戦勝記念日」が近づき、ロシアでは政権のプロパガンダを国民に刷り込むための様々な行事が開かれている。モスクワの「大祖国戦争中央博物館」で実施されている「真の遺訓」展もその一つだ。

 プーチン大統領は、メディアを使って情報を統制し、あらゆるところで、政権のプロパガンダを流しているので、多くのロシア人が見る世界は、国際社会の認識と大きく異なる。ロシアの人たちが住むのはまるで「アナザーワールド」だ。

 

 三、プーチン氏は、周辺を、パトルシェフ安全保障会議書記ら、旧KGB(ソ連国家保安委員会)出身の「チェキスト」とよばれる強硬派で固めており、強い指導力を発揮している。ロシア国民は声をあげることが難しく、民主化することも簡単ではないだろう。

 

 四、プーチン大統領は、欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)の拡大に対する「被害妄想」でウクライナ戦争を始めた。日本もウクライナの代わりに攻撃されていた恐れもある。安全保障を考える時だ。

 プーチン氏は、米国が国内の分断などで指導力が低下した今こそ武力で国際秩序を変更する好機到来とみなしたのだろう。しかし、捏造された情報を口実に他国を侵略するのは、ナチス・ドイツのヒトラーに酷似する。軍事的冒険主義が行き着く先は破滅だと歴史が証明している。

 

 こうした主張を、くり返し、聞いたり読んだりしてきたのですが、プーチン大統領が語っているような、現実の米ロ関係やゼレンスキー政権とロシアの関係が抜け落ちているのです。

 プーチン大統領は確かに、「ウクライナとロシアは一つの民族」とか「ユーラシア主義」と言われるような歴史観を語っていますので、上記のようなとらえ方が、すべて間違っているとは思いませんが、ウクライナ戦争のきっかけは、そうした歴史観によるプーチン大統領個人の妄想ではなく、現実の米ロを中心とする国家関係だと思います。

 プーチン大統領は、くり返しアメリカを中心とするNATO諸国の脅威を語っているのに、それを無視していることが問題だと思うのです。

 

 国際社会の戦争や紛争は、相互の関係の矛盾・対立であり、必ず、経済的利益や領土問題の対立、宗教的対立、あるいは軍事的脅威に関する対立などがあると思います。

 だから、戦争に至る米ロ関係などに目をつぶり、ウクライナ戦争がプーチン大統領個人の妄想で始まったと主張することは、精神病や精神疾患に陥った人たちを、人間関係のなかで考察することなく、悪魔憑きであるとか悪霊に憑りつかれた人であると考え、祈祷やまじないやおはらいで対応しようとしていた時代のレベルだと思うのです。

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           第五章 世界の「核爆弾」としてのパレスチナ・テロとイラクの泥沼

 

                   アフマド・ヤースィンの暗殺

 

 イスラエルは、2004322日にハマスの指導者であるアフマド・ヤースィンを殺害した。ヤースィンは、敬虔で、もの静かな人物で、ハマスの精神的指導者として崇められてきた。イスラエルがヤースィンを殺害したのは、シャロン首相がガザ地区からの撤退を公約するようになり、ガザのハマスの運動を弱体化させることによって、ガザ社会の安定を築きたかったことがある。しかし、こうしたイスラエルのもくろみとは異なって、ハマスの影響力はいっそう高まることになり、またイスラエルはハマスの報復を恐れることになる。ヤースィンの死は、ハマスに深い精神的な衝撃を与えたことは間違いない。それでもヤースィンの死が、ハマスの活動を鈍らせるということはなかった。じつはヤースィンは健康状態の悪化もあって、亡くなる前の数年間は満足な活動ができなかった。

 アフマド・ヤースィン1936年にジュラの町で生まれた。1948年のイスラエル建国後の第

一次中東戦争の際に家族とともに難民としてガザに逃げた。彼は、ユダヤ人が彼の一族の土地を奪ったので戦う決意を持ったことを明らかにしている。さらに。彼のイスラエルへの憤りはガザ地区の貧困とともに増幅しい行った。1952年にサッカーで負傷して以来、残りの人生を身体的な障害を持ちながら送ることになる。

 1950年代の終わりにエジプトに留学し、そこでムスリム同胞団の思想に強い感化を受けるようになり、同胞団の活動に身を投じていった。1962年にガザ地区戻る際に、エジプト当局に拘束されたこともあるが、それはムスリム同胞団との関わりがあったからであった。ヤースィンは、ガザではモスク導師としてイスラム学やアラビア語を教えるようになった。彼は、1948年のパレスチナ喪失は、イスラム共同体が弱体化の傾向を示しているからだと訴えた。その解決のためには、イスラムの政治力を復活させ、また世俗的な力を弱めることだと考えるようになった。彼は、1970年代からイスラム原理主義的な集団をつくるようになり、ヨルダンのムスリム同胞団の支援などによって武装化を進めたこともあった。1984年には逮捕され、13年の懲役刑が言い渡されたが、翌年。PFLPGC(パレスチナ解放人民戦線司令部派)がイスラエル兵を釈放したことと交換に解放された。

 彼は、1987年にアブドゥル・アズィーズ・ランティスとともに、ハマスを創設する。ヤースィンは1989年にイスラエルによって逮捕され、パレスチナ人による暴動とイスラエル兵の殺害を扇動したとして40年の刑期を言い渡された。こうしてヤースィンは八年間獄中で過ごしているうちに、健康を悪化させ、片方の目の視力を失った。ところが1997年に彼は獄中生活から解放される。その釈放は、ヨルダンのフセイン国王が、ヨルダンで活動していたハマスの指導者ハリド・マシャールの殺害を企てたモサドの要員2人を釈放したこととの交換で行なわれた。ガザ地区に戻ったヤースィンの簡素で誠実な生活態度は、パレスチナ自治政府の幹部たちと対照なすものとみられた。20009月に<アル・アクサー・インティファーダ>が発生する前に、米国やイスラエルからの圧力を受けて、パレスチナ自治政府によって、ヤースィンは自宅軟禁されることになった。

 シャロン首相は、米国からの非難以外、国際社会の批判にはそれほど動じない。実際、米国ブッシュ政権のライス安全保障担当大統領補佐官(当時)は、ハマスは「テロリスト集団」であり、ヤースィンはテロに深く関与してきた、とヤースィン暗殺を支持した。また、国務省やホワイトハウスからはヤースィン暗殺についてあからさまな非難の声も聞かれることがなかった。ヤースィン暗殺問題は、国連の安保理に付託されたが、米国は予想どおり拒否権を発動した。

 シャロン政権が長期にわたるほど、家屋の破壊や、パレスチナ人指導者の暗殺を行ない、ガザの状況は悪化することが明らかである。一方で、パレスチナ自治政府にもガザの社会・経済を改善するだけの資産がない。イスラエルは、ブッシュ政権が提唱した和平への道筋であるロードマップを誠実に進行させる意図がなく、ロードマップはほとんど成果をもたらすことはなかった。ヤースィンの暗殺は、イスラエルによるヨルダン川西岸・ガザへの軍事侵攻、家屋の破壊、パレスチナ経済の停滞、和平の政治的イニシアチブに対する非難や拒絶などの意図や行為を表すものだった。

 明らかにシャロン政権はパレスチナ人との和平案を拒否する姿勢を見せている。和平案では、イスラエルが占領を終結させ、またパレスチナ国家の独立を認め、イスラエルとパレスチナは共存していかなければならないとしている。しかし、こうした外交的解決をシャロン政権は決して履行できない。シャロン政権は、ヨルダン川西岸の半分を手にして、またパレスチナ人には限定された自治を与えるのみで、地中海からヨルダン側に至る地域はイスラエル国家としか存在しないようにする意図があると考えられている。

 アフマド・ヤースィンの葬儀におよそ20万人が集まった。ヤースィンの暗殺に対する抗議集会は、イスラエル(イスラエル国内のパレスチナ人)、エジプト、ヨルダン、レバノン、シリア、スーダン、イラクとイランなどで開かれた。従来、ハマスをテロリスト集団と形容していたハビエル・ソラナEU(欧州連合代表)代表も、ヤースィンの暗殺は、和平プロセスにとってたいへん悪いニュースだ、と語ったが、この暗殺が、パレスチナ人たちを自爆攻撃を含む武装闘争支持に駆り立てるのではないかと危惧したのかもしれない。

 ヤースィンの暗殺以前、パレスチナ自治評議会政府やハマスなどパレスチナの各派は、イスラエルがガザから撤退した後、イスラエルに対するガザからの攻撃や、ガザにおける武闘活動を控えることで合意していた。しかし、ハマスの指導者の一人であるアブドゥル・アズィーズ・ランティスは、インティファーダの間、すべての停戦に向けてのイニシアチブに反対していた。こうしたランテスの姿勢は、パレスチナ自治評議会の腐敗に怒るガザの青年層の支持を得るものだった。

 イスラエルがハマスを武力でもって鎮圧しようとする姿勢は、ハマス内部の急進的傾向を強めるものだった。イスラエルによる鎮圧でたいていのハマスの政治部門や軍事部門の指導者たちは捕らわれるか殺害されてきた。イスラエル人がガザから撤退した後に、起こる混乱についてパレスチナ人が懸念している面もある。イスラエルがガザから撤退後も、かりに自爆テロが発生したりすれば、イスラエルはガザを再占領する可能性がある。こうした事態をシャロン首相が望んでいるとパレスチナ人たちは憂慮しているのである。

 ヤースィンが殺害された二日後の324日にパレスチナの新聞『アル・アイヤーム』紙に60人のパレスチナ知識人、また、パレスチナ自治政府関係者の署名入りで声明が出され、ヤースィン暗殺を非難するとともに、パレスチナ人には冷静に対処し、シャロン首相が植民地主義的な野心を起こさないように、平和的なインティファーダを追求するよう求めた。こういった呼びかけがあったものの、ハマスのあるメンバーはパレスチナ人は、イスラエルが占領を終え目的を達成するまで抵抗は続けるだと語った。

 


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