商店街の喧騒が収まった辺りの左側に、ひっそりと説明板がありました。
「江戸方見附跡」
説明文によると;
芝生(しぼう)の追分からR16を越え天王町に至る途中に、保土ヶ谷宿の
「江戸方見附」がありました。「江戸方見附」というのは、各宿場の江戸側の
出入口に設置されたもので、土盛の土塁の上に竹矢来を組んだ構造でした。
簡易な防御施設として、また宿場の範囲を視覚的に示す効果もあります。
「江戸方見附」から京都(上方)側に設置された「上方見附」までは
「宿内(しゅくうち)」と呼ばれ、街道沿いに家々が建ち並んでいました。
保土ヶ谷宿の「宿内」は、19町(約2km)あったそうです。
歩いて行くと、また右手に鳥居がありました。
「橘樹(たちばな)神社」
創建: 1186(文治2)年
主祭神: 素盞嗚尊
源頼朝が、京都・祇園社(現・八坂神社)の分霊を勧請し祀ったと伝えられます。
江戸時代は「牛頭天王社」といい、「天王町」の地名の由来になっているとか。
現在の社殿は、1951(昭和26)年に建立されたものだそうです。
「嘉永五年」「願主 江戸神田鎌倉町伊丹屋・・」と銘のある狛犬さん。
江戸城築城の頃、神田鎌倉河岸は資材の材木や石材の荷揚場で
相模国から運ばれる材木を取り仕切る鎌倉の商人が大勢いたとか。
保土ヶ谷は江戸⇔鎌倉の通り道ですから、この伊丹屋何某さんも
そうした材木商だったのでしょうか。何を祈願したのでしょうね?
想像がふくらみますねぇ・・
やがて、道は「帷子(かたびら)川」を渡って
相鉄線「天王町」駅の高架下を通ります。
天王町駅前の公園に
「旧帷子橋跡」
1964(昭和39)年 帷子川の改修に伴い、橋の位置も変わりました。
この旧橋の歴史を残すために設置されたものです。
旧帷子橋の歴史について「新編武蔵国風土記稿」帷子町の項の記載;
「帷子橋 帷子川に架す板橋にて高欄つきなり。長十五間 幅三間・・」
(説明板より)
駅前公園から、右手の方へ行ってみると
「旧古町橋跡」
説明文によると;
現在知られている旧東海道は、1648(慶安元)年に出来たもので
それ以前(江戸初期)、芝生追分から上方方面へ向かう東海道は
この辺りを通っていました。新道沿いの「新町」に対しこの辺りは
「古町通」と呼ばれ、帷子川を渡る「古町橋」が架かっていました。
そこで、初期の東海道を少し歩いてみることにしました。
(続)
「銘のある狛犬さん」…当時を思い浮かばせてくれるような、こんな銘を見るとうれしくなりません?
(今日、世界三大珍植物の一つの「奇想天外」という植物をブログにupしました。樹木じゃないので番外編ですが見てくださいね。)
こんな不思議な姿、初めて見ました~
寿命の長い植物のようですが、花(?)も長く咲いているのかしら?
けれど、グリーンセンターでは30年ほど前にサボテン愛好家から寄贈されて植栽し、5年ほど前に開花したとのことです。
そうそう、グリーンセンターのHPに開花情報が入っていたのは、たしか8月25日からなので、わりと寿命は長いのかもしれませんね。
かのショクダイオオコンニャクはすごい人気だったようですが、ここには昨日は私が行ったときはほかに誰もいませんでした。
植物研究者や愛好家を中心に親しまれていると書かれていますから、ほかでも見られるのでしょうね。
見てみたいですねぇ! でも、川口は少し遠いかな・・・
「世界で醜い花」の第4位に挙げられているとか。ちょっと気の毒なランキングですよね。
まわりにサボテンなどが植栽されているので、写真を撮るのが難しくて、あとでかなりトリミングしてサボテンなどを切り取りました。
「世界で醜い花」の第4位ですか~。
葉の様子が不気味に見えるのかもしれませんね。
第1位はどんな植物なんでしょうね?
そうかなぁ? オオコンニャクの場合、姿・形が醜いというより
その強烈な腐臭と圧倒的な存在感が理由かもしれませんね。
いずれにせよ、ご本人(?)達は与り知らぬことでしょうけども。