旧東海道は
JR鶴見線「国道」駅のガードをくぐり、生麦地区に入ります。
この辺りは「生麦魚河岸通り」、魚や貝を扱う店・寿司屋さんが
たくさんあります。江戸時代は、幕府に魚を献上していたとか。
魚河岸通りの中ほど、右手に赤い鳥居が並んでいます。
「道念稲荷社」
ここ本宮(もとみや)で、毎年6月第1日曜日に「蛇も蚊も(じゃもかも)」と
いう行事が行われます。約300年前に悪疫が流行したとき
萱で作った蛇体に悪霊を封じ込め海に流したことに始まるという
行事で、市無形民俗文化財に指定されています。
萱で作った20mもある大蛇を若者や子どもが担ぎ、「蛇も蚊も出たけ、
日和の雨け、出たけ、出たけ」と大声で唱えながら町内をまわるそうです。
さらにどんどん歩いていくと、普通の民家の塀に
「生麦事件発生現場」のパネルが掛けられてありました。
絵とカナ混じりの漢文ですが、事件の生々しさがうかがえます。
文久二年八月二十一日辛未晴天
島津三郎様御上リ異人四人内女壱人横浜(?)来リ
本宮町勘左衛門前ニ而行逢下馬不致候哉異人被切付直ニ
跡ヘ逃去候処追被欠壱人松原ニ而即死外三人ハ神奈川ヘ
疵之儘逃去候ニ付御役人様方桐屋ヘ御出当村役人一同
桐屋ヘ詰ル右異人死骸ハ外異人大勢来リ引取申候
生麦村名主 関口日記ヨリ
此処が事件の現場だったんですねぇ・・
もう1箇所「蛇も蚊も」の神社を発見☆
「原 神明社」
さっきと同じ内容のパネルが掲げてありました。
こちらでも同様の行事が行われるようです。
だいぶ歩いてきました。
暫く何もないと、「この道でいいのかな~?」と思ったりしますが、
民家の庭や沿道の花を見たりすると、また元気が出てきます♪
これは見事な!
早咲きの桜かな?
道の左側、広い敷地に大きな建物が続いています。
「キリンビール(株)横浜工場」
横浜は、ビール発祥の地だそうです。
1885(明治18)年 横浜山手にジャパン・ブルワリー社が設立され、
その後関東大震災で倒壊したので、此処へ移転したそうです。
「麒麟麦酒(株)」となったのは、1907(明治40)年とか。
工場内にあるビア・ビレッジのレストランもお馴染みですね。
すぐ近くに
「生麦事件之跡」
事件について説明したパネルが掲げられてあります;
朝廷は幕府に攘夷断行を求め、江戸に赴く大原勅使の護衛として薩摩の
島津久光が同行し、その帰途、文久2年(1862)8月21日(旧暦9月14日)
午後2時、行列を横切ろうとし たイギリス人一行を生麦で殺傷しました。
この事件を土地に因んで生麦事件といい、薩英戦争の契機となりました。
明治16年、鶴見の人、黒川荘三が中村敬字の撲文を得て、イギリ ス
商人リチャードソン落命の地に、遭難の碑を私費で建立したものです。
そろそろお腹が空いてきました~
このあたりで本日の道中はおしまいにしましょう。
続きは、機会があればまた!
20,670歩
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