スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

箱根東坂④

2013-04-16 | 旧東海道



芦ノ湖畔のこの辺りは、
「元箱根」と呼ばれます。

朱塗りの大鳥居は、「箱根神社」 一の鳥居。



その袂に、「賽の河原

地蔵信仰の霊地として、箱根の旅人の信仰を集めた場所で
大小様々な石仏や石塔が並んでいます。 明治の廃仏毀釈に
よって 多くは失われましたが、現在も50数基が残っています。

箱根の山は 東国と西国を分ける境の山、噴煙を上げ 時には霧が
立ち込める荒涼とした光景は、まさに地の果てと思われたのでしょう。
其処には、死者が集まる「賽の河原」があると考えられたのでしょうか。


道を渡って湖の反対側、杉並木に入る手前に
箱根で3ヶ所あった一里塚の最後の1つがあります。

葭原久保(よしわらくぼ)の一里塚

江戸から24番目の一里塚です。
左右の塚上には、マユミの木が植えられていたそうです。


一里塚の少し先に、R1と並行して 見事な杉の巨木が立ち並んでいます。

箱根旧街道の杉並木

1604(慶長9)年に、
江戸幕府の命によって街道に並木が植えられた際、
低温多湿で雨の多い箱根には松は適さず、杉の木が植えられました。現在、
樹齢が最高で400年程の大木が406本、300m余の並木を作っています。



根元にびっしりと苔を纏った老木も・・

これ程のものの維持管理には、並々ならぬご苦労があることでしょうが
これからも、是非とも守り続けて頂きたいと願わずにはいられません。

杉並木の間から、芦ノ湖越しにチラリと富士山も☆




快適な杉並木ウォークを楽しんだ後、もう一度車道を渡って

箱根恩賜公園

明治天皇の箱根離宮跡が公園になっています。
がとても綺麗に咲いていました



広い公園駐車場の横から、案内板に従って行くと

箱根関所

大改修が2004(平成16)年に完成し、きれいになっていました。

2代将軍 徳川秀忠の時 1619(元和5)年に開設されて以来、1869(明治2)年の廃止まで
250年にわたって存続しました。 新居関と並び、調べが非常に厳しい関所だったそうです。


当初は豊臣の残党が江戸へ入るのを防ぐことが主目的でした。 やがて参勤交代制度が
できると、江戸に在住する諸大名の妻子が国元へ逃げるのを防ぐことに重点が置かれ、
所謂「入り鉄砲に出女」・・殊に箱根の関所では、婦女の調べは格別厳しかったようです。






江戸口御門から入って京口御門を抜けると、江戸から10番目の宿場「箱根宿」です。
東海道に伝馬制度が定められてから17年後の1618(元和4)年に設けられました。

箱根宿は 当初は現在の元箱根の辺りに計画されましたが、箱根権現の門前で
あることで反対にあったため、新たに湖畔の原野に隣の小田原宿と三島宿から
各50戸を移住させて造られました。小田原藩と三島代官所の管轄となったため
1つの宿場に2人の領主がいる 「相給(あいきゅう)」と呼ばれる特殊な宿場でした。


旅籠36軒、家屋197戸と東海道中でも小規模の宿場でしたが、逆に本陣6ヶ所は
浜松宿と並ぶ多さでした。 関所を控えた宿場の特殊性によるものと考えられます。


旅人は、江戸から3日目の昼頃に到着。 此処で昼食を済ませると
次の三島へ向かう者が殆どで、宿泊する者は多くはなかったそうです。


「箱根ホテル」の駐車場に、1本の楓の老木があります。
          
宿場の本陣の1つ 「はふや」の門前に植えられていたものだそうです。
「はふや」は、現ホテルの前身とか。

箱根宿の街路は、楓の並木になっていたようですが、明治の中頃
道路拡張の際 ほかの木は全て切り払われ、1本だけ残ったのだとか。
推定樹齢:400年。 数少ない宿場の生き証人ですね☆

この楓の木を、今回のゴールとしましょう!
近くのバス・ターミナルから、「箱根湯本」駅へ戻ります。

今回は、歩数のわりに疲れを感じました・・・やはり、箱根の山は天下の険だヮ~
18,630歩


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