正眼寺を後にして、街道を歩いて行くと左手の路傍に
仲睦まじい双体道祖神
江戸時代 この辺りは「湯本茶屋村」といい、
この道祖神は、その村境にあったそうです。
その先の右手、あやうく見過ごすところでした。
「民宿うらしまや」の向かいの植え込みに隠れるように・・
「旧箱根街道一里塚跡」碑
日本橋から22番目の一里塚があった所です。
少し先に、車道から右へ下りて行く道があります。この先に
江戸時代の石畳が残っているというので ・・行ってみまっす!!
坂の入口右側に、これも見落としそうになりましたが・・
「馬の飲み水桶」
「 江戸時代 この辺りは『馬立場』といって 馬子が一休みしたところです。
この桶には 山から引いた水が満々とたたえられ 街道を往来する
馬の飲み水になっていました。 湯本茶屋自治会 」
いよいよ石畳に入って行きます! ワクワク
江戸幕府が1680(延宝8)年に石で舗装した旧街道の
面影が残る道が、約255mにわたって続いています。
以前 「湯坂道」の石畳を歩いた時も思ったのですが、晴れた日ならまだしも
雨で濡れたこの道を草鞋がけで歩くのは、どれほど難儀だったことか・・
と、往時の旅人の姿を想像しつつ、 一歩一歩踏みしめながら歩きます。
「猿橋」という小橋を渡り、「箱根湯本ホテル」の廊下の下を抜けて
石畳はさらに続きます。
石畳の道を出ると、先程歩いてきた街道(車道)につながっていました。
出た所の右側に また下りて行く階段があって、その先に・・
「大慈悲山 福寿院」
通称:箱根観音
曹洞宗のお寺。
本尊: 慈母観音菩薩
江戸時代 山賊に襲われ谷底に落とされた旅人が、観音様のお蔭で
命を救われ、以来この地は観音沢と呼ばれるようになったという
言い伝えに因んで、観音堂が建立されたといわれています。
ご本堂内に円錐型の塔がたくさん並んでいます。光明消災燈というそうで、
以前 タイの仏教寺院で、同じような塔を見たのを思い出しました。
(上の2枚の画像は、福寿院のHPから拝借しました。)
ここから眺める湯坂山は、柔らかな色に包まれて とても美しかったです☆
16,767歩
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