今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

あえて東京に行ったら

2020年04月10日 | 新型コロナウイルス

国から緊急警戒宣言が発令され、外出そのものが自粛要請されている中、
独自に緊急警戒宣言を発令した愛知から、発症者が全国で群を抜いて多い東京に向った。

なぜ、新型コロナウイルスが跋扈する最前線にあえて向うのか。
そこに私の家があるから。
だから許してほしい。

東京では、繁華街のある区の発症率が多いことから、店内での密接による(飛沫・接触)感染が主なようだ。
いいかえれば住宅地での感染には至っていないといえる(空気感染しないというから)。
なので、繁華街やターミナルを素通りして、寄り道せずに帰宅すればよい。
地方から東京に行ってウイルスを持ち帰った人は、東京の繁華街の店に入って”密接”を経験したはず(特に飲食店だと、マスクをはずさざるをえない)。

かくして、昼の会議を終えた私は(残念なことに会議は対面、でも距離をあけている)、名古屋の東端の地から閑散とした名古屋駅に行き、まずは地下街のチケットショップで東京行きのチケットを買う。
こういう時なので、使用期限がある回数券が安値になっているという。
実際、東京行きの新幹線自由席チケットが、9450円で買えた(正規料金は10560円)。
指定席も9500円と割安だが(正規11300円)、今の時期たった50円でも余分に出して指定先を買う意味はない。

東京行きのぞみの自由席車両に乗ると、ガラガラで、二人席の前後にぞれぞれ空席をはさんで座れる(すなわち前後と横に誰もいない状態)。
後ろに人がいないから、いつもよりシートを倒してリラックスする。
なんなら、三人席の片方を回転させて、6人席を独り占めしても大丈夫。
だから指定席を買う意味はないのだ。
数少ない乗客はみなマスク姿で、しゃべる人はいない。
いつもより安く乗れて、この状態だから実に快適。

東京駅に降り立つと、夕方という時間帯もあるが、普通に人がいる。
山手線も座席は全部埋り、立っている人もそれなりの数。
私は混んだ座席の一員に入りたくないので、あえて立つ。
はっきり言って、新型コロナウイルスが跋扈する最前線とは思えない風景。
外出自粛が”要請”されているだけなので、生きていくにはこうせざるをえないのだ。
もっとも、電車内のマスク率ほぼ100%で、咳をする人はおろか、しゃべる人もいない。
クラスターと化したクルーズ船や屋形船とはここが違う。

今までの感染例を見ると、一番問題なのは”近接しての会話”だと思う(接客や会食、飲み会)。
飛沫感染というと、咳やクシャミを連想するが、発話でも飛沫は飛ぶ。
とりわけ、パ行、タ行、サ行の音で飛ぶ。
しかも口から出たウイルスはものすごく軽いので、小粒のエアロゾル(空気中の塵)に乗っかれば、重い飛沫よりも遠くまで空中浮遊する。
そういう意味では、混んだ電車内は、一見三密を満たしているが、マスクを通しての飛沫・エアロゾルのやりとりがないので、見た目よりは感染の恐れは少なそう(むしろつり革などの接触感染に注意)。

くりかえすが、一番怖いのは、会食空間
なぜなら食事中は全員マスクをはずした状態で、近い距離で会話して飛沫を飛ばすから。
これは絶対に避けるべき(先の会議で、院生たちが飲み会を計画していたと聞いて、教員全員が唖然とした)。

ということもあって、新幹線はもちろん、山手線も押し黙って乗り、あとは我が家に直行するば(そしてすぐに入念な手洗い)、”東京”というだけで恐れる必要はない。
もちろん東京では、自分も含めて誰が感染しているかわからない、という前提で行動すべき。
その前提で、感染リスクを合理的に考えれば、それぞれの行動の是非を自分で判断できる。

では、新型コロナウイルスが跋扈する最前線の地で週末をすごすとしよう。


オンライン教育の可能性?

2020年04月08日 | お仕事

本日、本来なら授業開始日なのだが、もちろん授業はない。
そこで有志の教員が集まって、学内におけるオンライン教育の可能性と問題点について、別キャンパスの教員をオンラインで交えて勉強会をした。

もちろん、出席した教員間の間隔をあけ、窓は開けた状態。

結局、90分の講義を動画で流すことの困難さと、現にある学内教育ネットワークシステムをもっと有効活用する方向で話がまとまった。

そんな折り、日本私立大学協会から、オンライン教育のための報告会を東京の明治大学(駿河台)で、明後日に開催するという全国一斉案内を受けた。

すなわち、今日も140名以上の感染者を出した緊急事態宣言発令下の東京の、都心にある大学の建物一画に、公共交通機関を使って全国から集まれというわけ。
これこそオンラインでやってほしいのだが、それができないとうことか…。
この”やり方”だけで、行く価値がなさそうだし、安全のためには行かない方がいい。


開店休業の新学期

2020年04月04日 | お仕事

本日、予定通り、新入生のガイダンスを実施した。
ただし、学生の席に間を空けさせ、話しをする私はもちろんマスク着用。

履修すべき授業登録の指導をしたものの、授業開始は GW明けとなったため、次に新入生と会うのは一ヶ月以上先となる。
ということで、今月は開店休業状態。

例年、新年度最初の週末(日曜の晩)は、英気を養うため温泉宿に泊ることにしているのだが、さすがに今週末は、外出そのものを控えることにした。
そうすれば、貴重なマスクを使わないで済むし。

明日は、終日名古屋宅に居て、冬物の洗濯でもしよう(食糧も調達済み)。

とにかくできるだけ人と会わないこと。
これしかない。


行列を作らないようにしてほしい

2020年04月03日 | 新型コロナウイルス

経路が不明の感染者が増えていることは、市中感染状態になりつつあることを意味する。
ということは、場所を問わず、”三密”を避けることが第一となる。

なので、できるだけ人に会わないようにしているが、食料品の調達をしないわけにはいかない。
もちろん、それは他の人も同じ事、しかも仕事帰りと夕食準備の時間帯がかち合う。
すると当然、スーパーのレジの前で並ぶことになる。
前の人と1m以上距離を空けても、後ろの人は接近してくる(中国やイタリアでは市民同士が自発的に距離を空けているようだが)。

スーパーだけでなく、開店前のドラッグストア(残念ながらこれには加われない)、入国審査をする空港、いたる所に行列、すなわち密集・密接状態が発生している(行列が屋内だと三密が成立してしまう)。

これをコントロールするのは、行列をさせる側の役割だと思う。
たとえば、大学では、従来は教室の席は自由にしていたが、今回は学生の席を前後左右それぞれ1つ空けて着席させる。
こういう措置が必要だ。


志村けんの銅像と記念館を

2020年04月02日 | 時事

志村けんがいない日々を送ることが、いまだに受け入れられない。

彼の死を否定することはできないが、彼の姿、2次元でなく、3次元の姿が存在していてほしい。
それなら銅像だ。

まずは、東村山駅前に、志村けんの銅像を建ててほしい(もちろん募金に応じる)。
と思っていたら、すでにツイッターに「志村けんの銅像を建てる会」が発足している(私はツイッターアカウントをもっていないので加わることができない)

やはりポーズは「アイ〜ン」だな(バカ殿などの変装姿ではなく、志村けんの生の姿で)。

NHKで彼のルーツの番組(再放送)を見たら、彼の先祖は信玄家臣から始まり、江戸時代の名主の記録もあり、東村山の名族ともいえる。
独身だった彼には家庭はないが、親族宅に彼のデビュー以来の記事やグッズなどが保管されている。

ということは、銅像だけでなく、「志村けん記念館」(シムラ・ミュージアム)も可能だ。
もちろん東村山に。
映像データもかなり残っているから、彼のコントを上映するシアターも併設。

日本の歴代のコメディアンの中でも、彼こそ不出世、すなわち歴史を画した人物だ。
国民栄誉賞などより、銅像と記念館がほしい。


マスクは配給にして

2020年04月01日 | 新型コロナウイルス

ガラガラの新幹線で名古屋に帰った(東京の山手線は空いていたが、名古屋からの東山線は混んでいた)。
車中、タブレットでネットニュースを見ていたら、政府がマスクを各家に2枚配るという。
まるで政府が”ご用聞き”いやAmazonになった印象だが、繰り返し使えるマスクを配られないよりはまし(実は、布マスクをネットで購入しようとしたが瞬時に売り切れになって、買えなかった→買わないで良かった)。
ただ、うちは2世帯同居なんで、せめて大人の人数分は欲しいんだけどなぁ。

そもそもマスクの流通を野放しにしないでほしい。
入荷するかわからないドラッグストアに行列(密集・密接)する愚をやめさせてほしい。
個人に好き勝手に買いだめさせるのではなく、台湾政府のように政府が流通を管理し、
まずは医療関係への供給を最優先し、次いで三密を余儀なくされる学校や職場などにも配ってほしい。

今までは自宅に篭っていたからマスクは使わなかったが、明日から学校の新年度が始まるので、マスクをしないわけにはいかない。
もっともマスクは予防的には「しないよりマシ」程度で、手洗いのように必須ではないのだが、学生に向って声を張り上げて喋る立場として、マナー的に必須といえる。
手元の不織布マスクが残り少ないので、使い回しをし、手作りマスクも加えた。