今年の元日も、例年と同じようにすごした。
元日は、儀式的な一日なので、
ひっくるめて「元日節会(せちえ)」と称したい。
それを問題なく執り行なえることはいいことだ。
今年は少々寝坊して、起きたのは10時前(昨晩の寝酒が多少残っている)。
ここから先は例年通りだが、これまた例年通りあえて記す。
まず湯垢離をして、絹の下帯をつけ、
羽織・袴姿になって、帯に扇を差し、下駄を履いて、第一鎮守の諏訪神社に詣でる。
ここを初詣でするのは今年で最後となる。
ちなみに、新年を迎えた午前0時を過ぎて、近所の与楽寺に除夜の鐘を撞きに行った。
これもここ数年の行事としている。
近所の人しか集らないはずだが、けっこう行列になっていて自分が撞いた時間は午前1時だった。
さて、諏訪神社の行列に並んで参拝した後、お札を買った。
富士見坂を下って(もはや富士は見えない)、六阿弥陀通りを抜け、
田端の第二鎮守八幡神社に詣で、境内の富士塚にも詣でる。
家に戻って、弟一家がやってくると
私は烏帽子・直垂(武士の正装)に変える。
全員が卓についたところで、
「お屠蘇の儀」を執り行う(詳細は去年の元日の記事)。
儀式的な盃事なのだが、
10歳になったばかりの甥の柊聖は、お屠蘇が大好きで、これを一年間楽しみにしていたという。
何しろ、正月で1番楽しみなのが「お屠蘇」で、「お年玉」は2番目だと。
それが終わって、皆でお節料理をいただく。
母が昨晩作った煮物がおいしい。
〆の雑煮を食べ終わると、あとはダラダラ。
これで「節会」の部分は終わり。
甥と私はiPadのゲームをする。
昼間から酒を飲んで満腹になったので、必然的に眠くなる。
夜6時に目が覚めて、弟一家を見送り、
ここで初めて配達された年賀状に目を通す。
出してない先からの賀状を書き、
磯辺餅を2個食べて、夕食とする。
かように、元日は毎年ダラダラと過して終わる。
「一年の計は元旦にあり」という言葉とは裏腹に、三が日はひたすら怠惰に過すのを旨としている。
正月(松の内)はこれから一年を頑張るための、まずは充電という位置づけ。
ダラダラすることで、あえて活動の意欲が醸成されるというわけだ。
元日は、儀式的な一日なので、
ひっくるめて「元日節会(せちえ)」と称したい。
それを問題なく執り行なえることはいいことだ。
今年は少々寝坊して、起きたのは10時前(昨晩の寝酒が多少残っている)。
ここから先は例年通りだが、これまた例年通りあえて記す。
まず湯垢離をして、絹の下帯をつけ、
羽織・袴姿になって、帯に扇を差し、下駄を履いて、第一鎮守の諏訪神社に詣でる。
ここを初詣でするのは今年で最後となる。
ちなみに、新年を迎えた午前0時を過ぎて、近所の与楽寺に除夜の鐘を撞きに行った。
これもここ数年の行事としている。
近所の人しか集らないはずだが、けっこう行列になっていて自分が撞いた時間は午前1時だった。
さて、諏訪神社の行列に並んで参拝した後、お札を買った。
富士見坂を下って(もはや富士は見えない)、六阿弥陀通りを抜け、
田端の第二鎮守八幡神社に詣で、境内の富士塚にも詣でる。
家に戻って、弟一家がやってくると
私は烏帽子・直垂(武士の正装)に変える。
全員が卓についたところで、
「お屠蘇の儀」を執り行う(詳細は去年の元日の記事)。
儀式的な盃事なのだが、
10歳になったばかりの甥の柊聖は、お屠蘇が大好きで、これを一年間楽しみにしていたという。
何しろ、正月で1番楽しみなのが「お屠蘇」で、「お年玉」は2番目だと。
それが終わって、皆でお節料理をいただく。
母が昨晩作った煮物がおいしい。
〆の雑煮を食べ終わると、あとはダラダラ。
これで「節会」の部分は終わり。
甥と私はiPadのゲームをする。
昼間から酒を飲んで満腹になったので、必然的に眠くなる。
夜6時に目が覚めて、弟一家を見送り、
ここで初めて配達された年賀状に目を通す。
出してない先からの賀状を書き、
磯辺餅を2個食べて、夕食とする。
かように、元日は毎年ダラダラと過して終わる。
「一年の計は元旦にあり」という言葉とは裏腹に、三が日はひたすら怠惰に過すのを旨としている。
正月(松の内)はこれから一年を頑張るための、まずは充電という位置づけ。
ダラダラすることで、あえて活動の意欲が醸成されるというわけだ。