今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

1日早かった茅ヶ崎:連休2日目

2019年04月28日 | 東京周辺

連休2日目の4月28日の日曜は、神奈川県の茅ヶ崎を訪れた。
茅ヶ崎は、20代の時に対人関係上の用事で行って以来の訪問で、今回は年に一度開帳される重要文化財の仏像の拝観が目的。

駅の北口に出て、まずは駅前の”箱根そば”で腹ごしらえ(私の昼食は駅そばで充分)。
ところがその間にバスが行ってしまったので、予定を変更して駅から歩くことにした(20分余分に歩くだけ)。
どうせ茅ヶ崎を訪れるなら、ついでに立ち寄ろうとしていた他の寺社を、駅に近い順に巡ることにする。

寺社情報に詳しいGoogleマップをナビにして住宅地の中の細い道を進み、最初の訪問地輪光寺(真言宗)に到着。
本堂の隙間から厨子に入った細長い観音像が披露されている。
裏手の墓地に山王様と眷族の猿の石像があり、寺の近くにも山王神社があることから、
真言宗寺院ながら山王信仰(本来は天台)と関係あるのか。
境内には三猿(見ザル・聞かザル・言わザル)が主題的に彫られた石塔があり(右写真)、最古級の庚申塔とも言われているが、
庚申塔としては主役たる青面金剛がないので、山王の眷族から庚申塔への移行過程の像かもしれない。

次の訪問地・神明大神宮に向う途中に点在する墓地は、この輪光寺の墓地で、かつては広大な寺域をもっていたようだ。
住宅地の中の神明大神宮は、地元の円蔵地区の鎮守で、本殿の奥には、地元の鎌倉武士・大庭氏の居館址の碑と大庭氏の像、それに幾つかの五輪塔がある。

西に進んで、茅ヶ崎中央通りを横断して、いよいよ本来の目的地・宝生寺(真言宗)に着く。
この付近は住宅地と畑地が混在して、風景にのどかさを感じる。
さて、宝生寺だが、開帳しているはずの阿弥陀堂が閉まっている。
庫裡に行って、呼び鈴代わりの鐘をついて、出て来た若い僧に、阿弥陀堂を開帳しないのか尋ねたら、なんと開帳日は明日29日だという。
年に一度の開帳日を私が一日間違えてしまったのだ。
私が参考にした『神奈川県の歴史散歩 下』(2011年)の「4月の最終日曜もしくは30日」という情報が古かったのだ(ネットで確認が必要だった)。

一日遅れではなく、一日早かったので、明日来れば見れるのだが、同じ地に2日続けてはるばる訪れる気にはなれない。
仕方なしに、開いている観音堂だけを拝観して、宝生寺を後にする。

主目的は見逃したが、立ち寄る予定先がまだあるので、気を取り直して次の目的地に向う。
宝生寺への道しるべとなる北向い地蔵を過ぎ、ナビに従って住宅地の中の細い道を進む。
車はもちろん人通りも少ないせいか、新しめの住宅の玄関脇で家族が卓を拡げてバーベキューを楽しんでいる。
都会の住宅地では(臭いと騒音のため)できないことで、ここだと居ながらにしてレジャー気分が味わえるわけだ。 

次の目的地・龍前院(曹洞宗)に着く。
ここにも庚申塔があり、真正な庚申塔(青面金剛の下に三猿)としてはこちらの方が古い。

ここからすぐに、鶴嶺八幡宮に達する。
ここは茅ヶ崎の総鎮守ともいえる神社で、ここを主目的としてもいいくらい。
本殿の右側に、樹齢1000年の大銀杏があり(右写真)、複数の幹が合体した特異な姿からは、尋常でない雰囲”気”が出ている。
この銀杏が御神体といってもおかしくない感じで、実際この巨樹には四手がついた注連縄が飾られ、その前には石が置かれた祭壇がしつらえてある。

ここで持参した秘密兵器バケタンの探知をすると、反応が青緑になった。
これは上から2番目の評価で(一番上が青)、「守り神の出現が期待できる」というもの。
また境内には、仲良く並んだ夫婦楠があり、その前には落ち葉で♥型が作られている。 

北側から来た私は北隅にある鶴嶺八幡の本殿を真っ先に訪れたが、
実はこの神社は南側に松並木の参道が700m以上も伸びている。
鎌倉鶴岡八幡宮の若宮大路には及ばないが、相模ではそれに次ぐ格の八幡宮ではないだろうか。
ただし、参道の幅は狭く、両側も普通の民家や畑地だったりで、無理に伸した感は否めない。
その参道の起点は、旧東海道(現国道1号)で、しかもその場所は、
江戸から出発する東海道で唯一富士が左側に見えるという「南湖左富士」の地。
実際、その碑がある橋に立つと、裾野を延ばした富士山が左側に意外に大きく見える(右写真)。
東京から見る富士は、丹沢山地の上に頭だけをちょこっと出した姿だが、
神奈川のここまで来ると、かくも富士が立派に見えるとは。
茅ヶ崎市民は、自宅の庭で大きな富士を眺めながらバーベキューができるのだ。

国道1号を左に折れて一路茅ヶ崎駅に向う。
途中、第六天神社に立ち寄る。
第六天とは本来は仏教に付属した神なのだが、神仏分離で神道側の神になってしまった。
境内には多くの石地蔵があるが、皆首が切られて本来の頭の代わりに石が載せてある。
排仏毀釈という維新前後のファナティックな思想運動の痛々しい痕跡だ。
実はこの極端な神道原理主義が維新後の国家神道と皇室典範を形成し、
それが現在に至っても影を落としたままなのが気になる。 

この境内の裏にパワースポットがあるという立て札に導かれると、そこに一本の黒松があり、
この松が雑誌でパワースポットと紹介されたという。
確かにそれなりの雰囲気を醸し出してはいるが、鶴嶺八幡のあの大銀杏に比べるとなぁ…、と思ってバケタンで探知すると、
結果は、緑、すなわち「何もない」。
自分の霊感はこのバケタンで鍛えられたので、師匠たるバケタンの探知結果を尊重する。 

ちなみに、バケタンは、探知のスイッチを押さなくても、異常を検知するとひとりでに反応するようにできている。
実は、往きの東海道線の車中でバケタンは勝手に青く光って「守り神登場」と訴えた。
急いで車外を見ると、鶴見駅の手前だった。
総持寺(曹洞宗の本山)に反応したようだ。
そして、帰りの車中、今度は赤く光って「警戒が必要」と訴えた。
川崎駅での停集中でのこと。

話を戻して、第六天神社は明日が祭りで、神輿が出て、舞台で出し物があるという。
やはり一日早かった。 

ほとぼりがさめた数年後の4月29日に再び茅ヶ崎に訪れるとしよう。
でも他の名所は廻ってしまったので、宝生寺と第六天だけだと物足りない。
いや、そんなことはない。
今回廻ったのは茅ヶ崎の北側だけだ。
茅ヶ崎には南側があり、そこにはあの湘南海岸がある。 
駅からサザン通りが南に延び、海岸の沖には湘南海岸のシンボルことエボシ岩がある。
エボシ岩には遊覧船が出ている。
私はまだ茅ヶ崎の一番の魅力を味わっていないのだ。 

それにしても茅ヶ崎市民はうらやましい。
彼らは、富士を見ながらのバーベキューだけでなく、湘南海岸でのリゾートを居ながらにして楽しめるんだ。