今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

運転の無思考(システム1)化が原因か

2019年04月20日 | 防災・安全

東京池袋での自動車暴走による事故は、横断中の母子が死亡するという痛ましい結果になった。
運転していたのが87歳の老人ということで、いわゆるアクセルとブレーキの踏み間違えを予想させる。
本人の言では「アクセルが戻らなかった」 ということだが、
事故後の調査では、アクセル周辺に異状はなく、またブレーキ痕もなかったという。
なので、ペダルの踏み間違いに気付かず、本人はアクセルから足を離して懸命にブレーキを踏んでいるつもりで、
アクセルを踏みっぱなしだったという可能性が高い。

もし本当にアクセルペダルが入りっぱなしで戻らないなら、
ギアをNにしてアクセルを無効にし、ブレーキを踏めばいいだけ
(絶対にエンジンを切ってはならない。ハンドルが操作不能になる)。

あるいはフットブレーキが効かないのなら、ギアをシフトダウンしてエンジンブレーキを効かせて強制的に減速し、
さらにサイドブレーキを引いて減速を促進する。

こんなこと教習段階で教わるはず。
それなのに、この手段がとっさに思い浮かばなかったとすれば、
それは AT車運転での悪習(無思考化=システム1化)によるものだろう。

私はそもそも、人間の能力を拡張するためのメカ(M,マクルーハンの定義する「メディア」)は称賛するが、
人間の能力を退化させる(怠惰にするだけ)のメカはそれに親しむほどマイナス面が増すと思っている。
MT派からみると、AT車って後者のメカに思えてならない。

車の速度とエンジンの回転数とのバランスをいつも最適に保つことを人間がコントロールするMT車に対して、
AT車だとギアをDに入れた後の速度調整はアクセルとフットブレーキだけとなり、
シフトダウンもサイドブレーキも、ましてやギアのニュートラルも動作の選択肢から外れてしまう
(駐車時もPにしておけばサイドブレーキも不要)。

だから、とっさの事態で、これらが行動選択肢にあがらず、
ひたすらフットブレーキ(のつもりのアクセル)を踏み続ける単一行動に執着するしかなくなる。 
悪習(システム1)の結果なのだ。

私がAT車を運転していた頃、坂道などではあえてシフトダウンしていた
(エンジンブレーキを効かせて事前に減速して、カーブでもブレーキを可能な限り踏まないことを運転の美学にしていた)。
長い下り坂をフットブレーキ踏みっぱなしの(私の美学の逆をいく)AT車をよく見かけるが、
それこそブレーキが効かなくなる危険な運転だということを知っているのだろうか。

ちなみに、リアルタイムの燃費が表示されるわが愛車FIAT500(ルパン三世の車の後継)では、

アクセルから足を離してエンジンブレーキをかけている走行時は燃費が最高の50km/Lになる。
これも快感。
加速が終ったなら、アクセルから足を離し気味にしてエンジンブレーキ走行を励行すれば(しかも足をブレーキペダルの上)、燃費も安全性も格段にアップする。