博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

絵本楊家将 第14章 智救楊六郎(前編)

2012年02月26日 | 絵本楊家将
第14章 智救楊六郎(前編)

謝金吾が死ぬと、王欽は焦賛が犯人であるとつきとめました。そして楊六郎を排除する機会がやって来たと思い、いそいそと真宗のもとに報告に向かいます。真宗は大変驚いて言いました。「楊延昭は辺境を守っておるというのに、どうしてその部将が都で人を殺したりするのだ?」王欽は言いました。「陛下はご存知ないかもしれませんが、楊延昭は数日前に勝手に佳山寨を離れ、焦賛を伴って都に戻っていたのでございます。陛下、何卒二人を捕らえて罪を問うて下さいませ。」真宗はそれを承諾し、近衛兵に命じて天波府で楊六郎と焦賛を捕らえさせることにしました。

近衛兵が天波府にやって来て、楊六郎はようやく焦賛が謝金吾を殺したことを知り、思わず怒りで全身が震えます。焦賛は却って殺人のことを何とも思っておらず、抵抗して捕縛から逃れようとすらします。六郎は声を張り上げて怒鳴りつけました。「このバカ者め、反抗するなら私がお前の首を斬ってやるぞ!まずは陛下にお会いして申し開きをするのだ。」焦賛はそれを聞いてようやく刀を放すと、近衛兵が二人を取り囲んで寄ってたかって縛り上げ、宮殿に連行しました。

真宗は問い質しました。「楊延昭、そなたは勝手に山寨を離れ、また部将を引き連れて謝副使を一家皆殺しにしたが、それが何の罪に当たるかわかっておろうな?」六郎は言いました。「最近陛下が天波府を取り壊すよう命じられ、私の母が心労のあまり病に罹りましたので、戻って見舞いをしたいと思ったまででございます。ただ、私は本当に焦賛が街で殺人を働いたことは知らなかったのです。何卒ご明察のほどを。もし調査によって私が本当に主謀者であるということになりましたら、甘んじて罰を受けたいと思います。」

王欽はこの機に乗じて煽り立て、真宗に速やかに楊六郎と焦賛を死刑にさせようとします。八賢王は言いました。「楊延昭は勝手に三関を離れましたが、情状酌量の余地がございます。焦賛は殺人を犯し、斬刑に処すべきところではありますが、辺境を守って功績があったことを思えば、処分を軽くすべきではないかと。」真宗は両人の話を斟酌し、六郎を汝州に配流して三年間労役に充てることにし、また焦賛は死罪を免除し、州に配流して軍役に充てるよう命令を下しました。

王欽は命を受けると、ただちに四十名の役人を楊府に派遣して六郎と焦賛に出発するよう催促させます。六郎は涙を流して身内に別れを告げ、焦賛や役人たちとともに出立しました。

十字路に着くと、焦賛が六郎に対して言いました。「州に行きましたら、すぐにでも佳山寨に戻ることにします。時が来たら岳勝兄貴にあなたを助けに行かせますよ。」六郎は言いました。「バカなことを言うな!死罪になるほど重い罪を犯したわけではないし、半年か一年ほど我慢すれば、山寨に戻れる日が来よう。」焦賛はこれを聞くと大声で笑い出し、六郎に別れを告げて行ってしまいました。

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絵本楊家将 第13章 怒殺謝金吾(後編)

2012年02月25日 | 絵本楊家将
第13章 怒殺謝金吾(後編)

六郎は怒って足を踏みならします。九妹は二人が言い争いをしているのを見て言いました。「兄上、連れて行ってあげましょうよ!都に着いてから問題をおこさないと約束すればいいのでしょう。」焦賛は二つ返事で、絶対に問題をおこさないと誓いました。

六郎は仕方なしに、九妹とともに焦賛を引き連れて楊府に戻りました。佘太君は六郎を見ると、思わず涙が流れてしまいます。六郎は母親を慰め、それから密かに八賢王に会うために南清宮に向かうことにしました。出発の前に、六郎はわざわざ二人の部下に焦賛を見張らせ、外出させないようにしました。しばらくして、焦賛は心が落ち着かなくなり、見張り番に街中に連れ出してくれるよう懇願しました。見張り番が言いますには、「万が一人に見つかったら、将軍にご迷惑がかかってしまいますよ。」焦賛は言いました。「お前たち安心しな、俺は決して人に見つかったりしないから。」仕方なく、二人の見張り番は焦賛を連れ出し、こっそり後門から天波府を抜け出させました。

焦賛は街で馬車の往来や酒場での賑わいを目にすると、目が二つしか無いのが残念だと思い、日が暮れるまで屋敷に戻ろうとしません。彼らが歩いていると、突然歌や楽器の音色が聞こえてきました。焦賛は尋ねました。「ここは誰の屋敷だ、どうしてこんなに賑やかなんだ?」見張り番は言いました。「何だっていいじゃないですか、早く行きましょう!ここの主人の謝金吾が陛下を唆して天波府を取り潰しにしようとしているのですよ。」

焦賛はこれを聞くと腹を立て、中に侵入して見てみないことには気が済みません。二人の見張り番は止めることができず、焦賛はひらりと壁を跳び越えて謝府へと侵入しました。

焦賛は謝府に入り、音楽が聞こえる方向へと進んでいくと、大広間の外に辿り着きました。部屋の中で歌や踊りが繰り広げられており、その傍らで謝金吾が酔い潰れているのが見えました。焦賛は短刀を抜いて、猛然と部屋の中へと突進します。謝金吾はぼんやりと真っ黒の顔をした男が目の前に立っているのを見て、思わず声を上げて叫びました。「誰か早く来てくれ、賊だ!」彼が叫びきらないうちに、焦賛は一刀のもとに彼の首を切り落としました。側にいた使用人や歌い手たちは驚いて逃げ惑います。焦賛は毒を食らわば皿までとばかりに、謝金吾の家の者をすべて殺し尽くしてしまいました。

焦賛は思いました。「大丈夫たる者、自分でしたことは自分で責任を取るべきだな。俺の名前を残しておけば、他人に累を及ぼすことは避けられよう。」そう考えると、彼は指に鮮血をつけて壁にこのように書き残しました。「天上に六丁六甲の守り神あらば、地上には禍々しき金神七煞あり。人を殺したのが誰か知りたいならば、焦七焦八を尋ねてまいれ。」書き終わると、彼は壁を跳び越えて、楊府へと戻って行きました。

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『荘子に学ぶ』

2012年02月23日 | 中国学書籍
J.F.ビルテール著・亀節子訳『荘子に学ぶ コレージュ・ド・フランス講義』(みすず書房、2011年8月)

本書はスイス人の中国思想研究者ビルテールがコレージュ・ド・フランスで行った講義をまとめたものということですが、最近読んだ菊池章太『道教の世界』(講談社選書メチエ)の中で紹介されており、気になったので読んでみることに。

で、しょっぱなから「翻訳という試練を経ていない解釈など、主観的かつ恣意的になるにきまっていると、およそ私は考えている」(本書7~8頁)とあって思わず笑ってしまいました。これでは中国人研究者の立つ瀬が無いw もっとも、実際は中国人研究者も現代漢語ないしはもっとわかりやすい古代漢語への翻訳を経て解釈してるはずですけど。

本書の眼目は『荘子』の思想を伝統的な中国学の文脈から切り離し、ヴィトゲンシュタインやモンテーニュらの思想と比較しつつ自由に論じるという点にありますが、正直そのあたりの哲学的な話は私にはよくわかりませんので、ここではスルーしておきます。

私が気になったのは『荘子』の位置づけについてです。『荘子』はこれまで『老子』とともに道家思想あるいは道教のルーツとして扱われてきましたが、ビルテール先生の見解によると、荘子は儒家的な教育を受けているように見受けられ、更に『老子』は前3世紀に『荘子』より後に書かれた書であり、『荘子』の中で老子が孔子の先達として登場していることにインスピレーションを受け、言わば権威付けのために老子を作者としたものであり、『荘子』を『老子』などと同じく道家に分類するのは不適切であるとのことです。

確かに荘子が生きた東周期に儒家や道家といった分類があったわけではないので、発想としてはかなり面白いと思うのですが、本書において荘子が儒家的な教育を受けていたという点について詳論されていないのは残念。(同じ著者の『荘子研究』では詳論されているらしい。)

『老子』が『荘子』より後に書かれたという説については、著者自らが近年の考古学的発見により放擲せざるを得なくなったと注記していますが、これはおそらく戦国中期のものと見られる郭店簡『老子』の発見を指して言っているのでしょう。しかし郭店簡『老子』にしても竹簡自体に『老子』と題名がつけられているわけではないので、戦国期にあってこの書が何と呼ばれていたのかはわかりませんし、この書が当初老子とは無関係であったのが、後になって老子が作者として仮託されるようになった可能性も充分にあるように思われます。

ということで、ビルテール先生の説はある程度修正を加えればまだまだ通用する余地があるのではないかと考えた次第です。
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絵本楊家将 第13章 怒殺謝金吾(前編)

2012年02月22日 | 絵本楊家将
第13章 怒殺謝金吾(前編)

王欽は楊六郎が連戦連勝であると聞き、六郎を排除しなければ宋朝を滅ぼせそうにないと思いました。王欽は策を練って枢密副使の謝金吾を招き、彼に対して自分が天波府を通りかかった時に、楊家から嫌がらせを受けたという話をして、謝金吾が楊家に対して面倒を引き起こすよう誘導しました。謝金吾は王欽に取り入ろうとして言いました。「まあ待っていてください。私が天波府を取り潰すのをご覧に入れてみせますよ!」

この日、謝金吾は大勢の人や馬を引き連れて、わざと銅鑼や太鼓を打ち鳴らさせて天波府の前を通過します。佘太君はそれを知ると顔色を変えて怒り、龍頭の杖をついて真宗に謁見しました。佘太君は厳粛な面持ちで言いました。「かつて先帝は、位の上下を問わず官吏が天波府を通過する際には、馬から下りて控えるよう遺言されました。しかし先頃謝金吾がわざと馬に乗ったままで銅鑼や太鼓を打ち鳴らして通過しました。これは明らかに国法を軽んじ、私めを侮っているのでございます!」

真宗はこれを聞き、謝金吾を宮殿に呼び寄せて叱責しましたが、思いがけず謝金吾が言いますには、「私がどうして国法を軽んじたり致しましょうか。ただ、目下の所天下の人々は楊家将のことは知っていても、陛下がおわすことを知りません。私はこれが実にけしからんと思っております。陛下におかれましてはどうか天波府をお取り潰しになり、君主の尊厳を正されますよう。」

真宗はこれを聞くと黙り込んでしまい、王欽がここぞとばかりに煽り立てます。真宗は彼らの讒言を信じ込んでしまい、謝金吾を責任者に任じて、天波楼を取り壊すよう命じました。八賢王はこのことを聞くと、大変なことになったと思い、九妹に夜を徹して佳山寨に赴かせ、密かに楊六郎を汴梁へと呼び戻させることにします。

六郎はこのことを聞くと、不安と憤りが入り混じってどう仕様もなくなり、軍務を岳勝と孟良に代行させることにして、自らは九妹と密かに夜を徹して佳山寨を離れて汴梁へと向かいます。

夜半、六郎と九妹が烏鴉林という所にさしかかると、突然林の中から笑い声が聞こえたかと思うと、黒い影が飛び出して来ました。六郎がびっくり仰天して見てみたところ、それは焦賛でした。腹を立てて言いますには、「お前は勝手に持ち場を離れ、ここに何をしに来たのだ?」焦賛がわめいて言いますには、「あなたの方こそ勝手に山寨を離れたというのに、人のことは言えますまい。汴梁が大変いい所だという話ですので、一緒に見て回りたいと思ったまでです。」

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『第四片甲骨』その5(完)

2012年02月19日 | 中国近現代ドラマ
『第四片甲骨』第25~最終30話まで見ました。

馬文遠に狙撃された董済堂教授は、治療の甲斐なく帰らぬ人に。四片の甲骨の捜索は何晴と古風に託されます。そして父親の任浩のもとから暁倩が密かに「血沁玉龍」を持ち出し、古風のもとへ。そして古風は「血沁玉龍」に秘められた謎を解明し、「第四片甲骨」の在処をおおよそ突き止めます。

ここで「血沁玉龍」を持ち出されたことに気付いた任浩は古風のもとに怒鳴り込んできますが、ひょんなことから任浩と古風が同じ組織に属する同志であることが明らかに。古風が国民政府軍の統計調査局所属の特務であるというのは実は仮の姿で、その実体は国民政府の軍部にスパイとして潜入していた中共地下党員(中文字幕ママ)だったのです!

同志として固い握手を交わす二人ですが、これと前後していよいよ日本軍が安陽に入城。その日本軍の指揮官は因縁深き森村誠一だった!(もちろん小説家じゃない方です。)そして馬文遠が実は日本人で、森村誠一の息子であったことが判明。森村父子は何晴を連行して「第四片甲骨」の情報を得ようとします。更に森村のもとに元警察局長の劉培生が脱獄して馳せ参じます。そう、実は劉培生は前々から日本軍と内通していた漢奸だったのです!

最終回を目の前にして次々と衝撃の事実が明らかになっていきますが、これでようやく抗日物っぽい雰囲気になってきましたね(^^;) そして話の帳尻を合わせるかのように、日本軍と安陽の現地勢力との抗争によってバタバタと死んでいく登場人物たち……

森村誠一は旧知の胡鉄成を味方に引き入れようとしますが、胡鉄成は「オレは悪事を働いても漢奸にはならぬっ!」とばかりに誘いを拒否。魚頭客桟を舞台に日本軍との激しい銃撃戦が繰り広げられることに。そして古風はいよいよ安陽近郊の地下遺跡に隠された「第四片甲骨」の捜索を開始しますが……

【総括】

ということで、抗日伝奇アクションを期待して見始めたら、なぜか安陽ご当地武侠ドラマになっていた本作ですが、最終回近辺でちゃんと抗日物に軌道修正してくれて一安心(?)です。しかし古文明生物が人類に残した知恵の遺産とか大仰な設定を掲げておきながら、伝奇物の要素が意外と薄かったのが残念。あと、安陽のご当地物なら殷墟や甲骨文よりも曹操墓をネタにした方がウケが良かったのではないかという気が(^^;) 
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絵本楊家将 第12章 孟良盗馬(後編)

2012年02月18日 | 絵本楊家将
第12章 孟良盗馬(後編)

お触れ書きが貼り出されると、孟良はそれをはがし取り、護衛兵に伴われて蕭太后に謁見しました。蕭太后は孟良が馬の病気を治せると聞くと、急いで彼に治療させることにします。実は馬は病気などではなく、孟良が散布したしびれ薬を口にしたので、何も飲み食いしなくなり、病気にかかったように見えるだけなのでした。孟良は適当に馬の口に水薬を注いで言いました。「明日になったら物が食べられるようになるだろう。」実際はこのしびれ薬が一日しか効き目が持たず、一日が過ぎると馬が自然とまた物を食べるようになるというだけのことで、だから孟良の薬が病気を治すことができたというわけです。

蕭太后は馬が物を食べるようになったと聞いて非常に喜び、孟良を燕州総管に任じます。孟良が蕭太后に対して言いますには、「この馬はまだ完全には回復しきっておりません。どうか馬を燕州に連れて行き、時間を掛けて療養を行うことをお許し下さい。馬が完全に良くなりましたら、また太后様にお送りいたします。」

蕭太后はもっともであると考え、馬を孟良に引き渡すように命じ、馬を燕州に連れて行かせてゆっくり療養させることにしたのでした。孟良はそこで悠々と驌馬を乗りこなし、楊令公の遺骨を抱えて夜を徹して街を出て、佳山寨へと向かいます。遼国の巡回兵は孟良が馬に乗って燕州ではなく佳山寨の方向へと向かうのを見て、急いで蕭太后に報告しました。蕭太后は「名馬が悪党に騙し取られてしまった。」と大いに驚き、泡を食って蕭天佑に追跡させます。

孟良は飛ぶように馬で駆け抜け、佳山寨が目の前まで見えてきました。背後には一面砂ぼこりが舞い散るのみです。孟良は馬を鞭打ってひたすら前進させます。佳山寨の入り口の見張り番が孟良に気づき、急いで六郎に報告しました。

六郎はただちに岳勝と焦賛に兵を率いて出迎えに行かせます。蕭天佑が追いついて来て声を張り上げて罵りました。「その悪党めに我が大遼の名馬を返させるのだ、さもなければ山寨に攻め込んで根絶やしにしてやるぞ!」岳勝は大いに怒り、大刀を振り回して突撃し、二人の一騎打ちとなりました。

十数回打ち合うと、今度は焦賛が助太刀にやって来ました。蕭天佑は自分ではかなわないと悟り、馬首をめぐらせて逃走します。岳勝と焦賛は勝ちに乗じて追撃し、遼兵は大敗しました。

六郎は孟良が父親の遺骨を取り戻したうえに、更に名馬を連れ帰って来たのを見て、喜びに堪えません。六郎は汴梁に使者を派遣し、母親に父の遺骨を引き取りに来させるとともに、驌馬を皇帝に献上し、孟良らに恩賞を求めます。それから間もなく、蕭天佑が兵を率いて澶州に攻め込み、楊六郎は命を受けて彼らと戦うことになりました。双龍谷の戦いの中で、楊六郎は遼軍を大敗させたうえ、蕭天佑を討ち取りました。それ以来楊六郎が配下の将兵を率いてしばしば勲功を挙げたので、遼兵はその噂を聞いただけで逃げ去ってしまうようになったのでした。

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絵本楊家将 第12章 孟良盗馬(前編)

2012年02月15日 | 絵本楊家将
第12章 孟良盗馬(前編)

真宗は楊六郎兄妹が遼将に大勝したことを知ると、大いに喜び、楊六郎を高州節度使に任じようとしましたが、楊六郎は却って官位の低い佳山寨巡検の職への任官を要望しました。真宗は六郎の忠誠心に感動し、彼の要望に応じます。

出発する直前に、六郎はまず「花刀の岳勝」を帰順させました。佳山寨に到着すると、今度は勇猛な孟良を帰順させます。ほどなく、孟良はまた親友の焦賛を佳山寨に招きました。六郎は続けざまに三人の猛将を得て大変に喜び、ただちに朝廷に報告させました。真宗は命令を下して彼らにそれぞれ官職を授けます。六郎はまた陳林と柴幹を招き寄せ、これにより佳山寨は勇将が勢揃いして兵士も馬も強壮となり、遼兵とて軽々しく攻め込んで来られません。

間もなく仲秋の名月の時期が到来し、六郎は山寨で部将たちとともに酒を酌み交わして月を眺めることにしました。その席で、六郎は突然大きくため息をついて言いました。「私の父親の遺骨はまだ李陵碑の下に埋まったままだ。遺骨を取り戻して埋葬し直したいとずっと思っているのだが、この願いが果たされるのはいつのことになるのか!」言い終わると涙が顔中にあふれ、席を離れて立ち去ってしまいました。

孟良は六郎の話を聞くと、こっそり柴を刈る木こりに変装し、夜を徹して李陵碑まで赴きましたが、楊令公の遺骨がどうしても見つかりません。孟良が尋ね回ったところ、楊令公の遺骨は既に蕭太后によって幽州の紅羊洞に改葬されていることがわかりました。そこで、孟良は今度は遼の人に変装し、一路幽州へと向かいます。

数日後、孟良は幽州の街で紅羊洞を探し当てました。孟良は日が暮れてから洞の中に入って盛り土を掘り返すと、その下から石の箱が出て来ました。孟良はこれこそが楊令公の遺骨であるに違いないと見当を付け、風呂敷でしっかり包んで街へと持ち帰ります。

孟良は路上で良馬が牽かれているのを目にしました。その馬は目が青くて毛並みが良く、足は六尺もの高さがあり、大勢の兵士によって護送されています。孟良はこの馬をとても気に入り、盗み出してやろうと思いました。彼は密かに聞き込みをして、その馬は驌馬と言い、西涼国が蕭太后の誕生日の贈り物として献上したものであることがわかりました。蕭太后はこの馬をしっかり世話するように命じ、禁軍に日夜護衛させていたのでした。

この日の夜、孟良は厩舎に潜入し、飼い葉桶にこっそりしびれ薬を撒き散らして立ち去りました。次の日、驌馬が元気を無くして、何も飲み食いしなくなり、馬の世話係が慌てて蕭太后に報告します。蕭太后は馬の病気を治せる名医を募集するように命じ、治せたら厚く恩賞を与えることにしました。

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絵本楊家将 第11章 宋遼比武(後編)

2012年02月12日 | 絵本楊家将
第11章 宋遼比武(後編)

勅書を受け取ると、八姐と九妹が走り寄って来て尋ねます。「兄上、今回の出征に私たち姉妹も着いて行っていいでしょう?」楊六郎は二人の妹の武芸が優れているのを知っていますので、すぐさま承諾します。

当日、楊家の兄妹三人は兵を率いて晋陽へと赴き、ほどなく双方が腕比べを行う陣前に到着しました。遼将の招吉は槍法では自分の右に出る者はいないと思い込んでおり、槍を突き出して陣前で挑戦を呼びかけます。突然宋の陣営から一騎が飛び出してきましたので、みなが見てみたところ、まさに女将の楊八姐です。彼女は突撃して招吉と打ち合いを始め、数合もしないうちに、赤く細長い巾を放り投げ、招吉に絡ませて落馬させてしまいました。宋軍がすぐさま駆けつけて招吉を生け捕りにします。寇準は大喜びし、「誠にさすがは武門の娘ですな!」と褒め称えました。

この時、遼将の慶吉がまた挑戦にやって来ました。九妹はこれを見ると、大刀を振り回して陣から出撃し、慶吉と渡り合います。ただ二十数合戦っただけで、九妹は慶吉を一刀のもとに切り捨てました。九妹が陣に戻ると、寇準は続けざまに褒め称えます。「楊家にあなた方のような女傑がおられたとは、誠に朝廷にとってはめでたい限りですな!」

遼軍は続けざまに二人の大将を失ってしまい、総大将の土金秀は面目が丸つぶれとなり、馬を鞭打って出陣し、叫びます。「私と弓比べをする者はおらんか?」この時、楊六郎が槍を引っさげ馬を走らせて出陣してきました。六郎が笑って言いますには、「お前の弓術など大したことはなかろうに、どうして私の前で大口を叩くのか?」言い終わると、強弓を引いて三発の矢を連射し、すべてが的の中心を射貫き、兵士たちが一斉に喝采します。

六郎は弓を土金秀に渡して言いました。「私と弓比べをしたいというなら、まず私のこの弓を引いてみよ!」土金秀は弓を受け取ると、歯を食い縛って目をいからせ、死にもの狂いで力を出し尽くしましたが、弓の弦はびくとも動きません。土金秀は驚いて言いました。「このような強弓を引くことができるとは、本当に神のような人だ!」

宋軍では歓呼の声が響き渡り、土金秀はすっかり恥じ入ってしまい、遼兵を率いてしょげ返って幽州へと引き返して行きました。

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絵本楊家将 第11章 宋遼比武(前編)

2012年02月12日 | 絵本楊家将
第11章 宋遼比武(前編)

宋の太宗は高齢により、遂に病に倒れてしまいました。この日、太宗皇帝は八賢王と寇準を身辺に呼び寄せ、皇位を八賢王に譲ろうとしましたが、八賢王は固辞してしまいます。そこで宋の太宗は皇位を自分の息子の七王元侃に譲り、国家がもし危難に遭遇すれば、楊延昭を重用せよと言い残しました。西暦997年3月、宋の太宗は世を去り、七王元侃が位を継ぎました。すなわち宋の真宗です。

宋の真宗は王欽を自分の腹心の重臣であると思い込み、彼を東枢密使に封じ、謝金吾を枢密副使に封じて、政治の権限を握らせました。この日、王欽は蕭太后に密書を書き、彼女に宋の太宗が崩御し、また朝廷に良将がいないこの機に乗じて出兵し、宋を討伐するようにと勧めました。

蕭太后は群臣と協議し、巻簾将軍の土金秀が言いますには、「宋にはまだ少なからぬ名臣名将がおり、今出兵しても、勝てるかどうかはわかりません。私にひとつ方法がございます。陛下が宋の皇帝に書信をお送りし、やつらに辺境の晋陽まで来させて腕比べをさせるのです。宋がもし我々に勝つようなら、もう数年してから征討することにするのです。もしやつらが負けるようであれば、宋には人材がいないと断定でき、我らは安心して出兵し、中原を奪い取ることができましょう。」蕭太后はその通りであると思い、宋の真宗に挑戦状を送らせます。

真宗は挑戦状を受け取ると、早急に大臣たちを招集して協議します。寇準が言いますには、「我が堂々たる大宋に、まさかやつらに勝てる者がいないはずがありますまい。」真宗が言いました。「一人いることはいるが、その者は先帝の時代に潘家の父子を殺した事件によって鄭州に配流となり、今は都に戻っておるが、我らの方に借りが多いものであるから、その者が果たして出征を承知するものかどうか。」寇準は真宗が言っているのが楊六郎のことであると知りつつ言いました。「陛下が命令をお下しさえすれば、楊延昭は必ずや軍を率いて出征することを保証いたします。」

宋の真宗はこれを聞くと非常に嬉しく思い、ただちに楊延昭を遼討伐軍の先鋒に、寇準を監軍に任じ、大軍を率いて晋陽に応戦に行かせることにしました。

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絵本楊家将 第10章 楊家報仇(後編)

2012年02月11日 | 絵本楊家将
第10章 楊家報仇(後編)

この日、潘仁美は報告を得ると、自分が身代わりを立てるという策が楊六郎に見破られたと知り、大慌てで荷物を取りまとめ、二人の息子と謀って後門から遼国へと逃亡しようとします。潘仁美らが後門から出ようとしていたところ、ちょうど楊六郎と七郎の妻の杜金娥、そして楊府の炊事係の娘の楊排風が仇討ちに来たのに出くわしました。

杜金娥は仇敵を見ると、切歯扼腕し、両足で馬の腿を引き締めて突撃すると、一槍突いただけで潘仁美を落馬させます。杜金娥は潘仁美を大木に縛り付け、短槍を振り上げて怒鳴りつけました。「この犬畜生、あの日貴様は私の旦那様に百三本の矢を放ったから、今日は貴様に二百六本の槍をお返ししてやる。」言い終わると、杜金娥はひとしきりめった刺しにし、潘仁美を無惨に突き殺してしまいました。

楊六郎は潘仁美の首を切り落とし、天波府へと戻りました。彼は潘仁美の首を父親の霊前に捧げて跪き、涙ながらに言いました。「父上、私はようやく仇討ちを果たしました!どうか天上から私たちを見守っていてください。」言い終わると、楊六郎は三回叩頭し、首を持って皇宮の門前へと向かいます。

太宗は知らせを聞くと、慌てて楊六郎を御前に召し出すよう命令します。楊六郎は宮殿へと上り、跪いて処分を待ちます。太宗が大いに怒って言うには、「大胆な楊延昭め、そなたが皇命を軽んじ、白日凶行に及ぶとはな。本来なら九族を誅殺すべきところであるが、そなたが国のために功績を挙げたことに免じ、そなた一人を斬首することにいたす。誰かある、連れ出して斬刑に処せ。」命令が伝わると、二人の門番が出て来て、楊六郎を宮殿の外へと護送します。

宮殿の門を出ると、八賢王と寇準があたふたと駆けつけて来て、二人して宮殿の前で跪きます。寇準は太宗に対して事の次第を話して聞かせて、言いました。「潘仁美は敵と通じて国に背きましたが、楊郡馬は国のために害を取り除き、主君のために奸賊を排除し、罪よりも功績の方が上回っております。例え褒賞には及ばずとも、功績でもって罪を償うには充分であるはずでございます。」八賢王も傍らでその意見に賛成します。

宋の太宗は寇準と八賢王の話を聞くと、信じないわけにもいかなくなり、言いました。「朕は甥であるそなたの面子を立て、楊延昭の死罪を免じ、一切の官職を剥奪して鄭州に配流することといたす。明日出立せよ。」

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