博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『モンゴル帝国の覇権と朝鮮半島』

2011年06月26日 | 世界史書籍
森平雅彦『モンゴル帝国の覇権と朝鮮半島』(山川出版社世界史リブレット、2011年5月)

一般に新羅・百済・高句麗の三国や朝鮮王朝と比べて注目度が薄く、特に後半期にモンゴルの属国となったことでネガティブなイメージが持たれがちな高麗王朝ですが、本書を読むと高麗がモンゴルに服属しつつも懸命に地位の向上をはかり、またその立場を利用して色々便宜をはかったとか、意外にしたたかな高麗の姿が見えてきます。元寇時の対日交渉の話などもなかなか面白いです。

元寇と言えば、当時元から日本へと送られた国書の言い回しが実はまだ婉曲な方だったという話はよく聞きますが、では婉曲ではない言い回しとはどんなものだったのでしょうか。

「[命令を]受け取って受け入れない者は、目があればつぶれろ、手があればなくなれ、足があれば跛になれ。」(本書10頁より、高麗に対する文書)

「汝に確言する、この我が命に耳を傾けない者は、何人であろうと耳が聞こえなくなり、この我が命を認めながら実行に移さない者は、何人であろうと目が見えなくなり、講和を認めて我が見解に従おうとしながら、講和を実行しない者は、何人であろうと跛となろう」(本書11頁より、イランに駐屯する将軍への親書)

……子供の口喧嘩かよorz 日本への国書に見られる「至用兵、夫孰所好」(兵を用いるに至ることは、いったい誰が好もうか)という言い回しの方がよっぽど脅し文句のように見えるのは、モンゴルと日本との文化の違いということなんでしょうか……

そして高麗はモンゴルに服属する以前は、中国から冊封を受けつつも国内では高麗国王を皇帝・天子になぞらえていたとということですが、遣隋使とか遣唐使を送ってた頃の日本とあんまりやってることが変わりませんね。結局歴代の朝鮮半島の政権の中でもまじめに朝貢国をやっていたのは朝鮮王朝だけというオチになるんでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『美人心計』その6(完)

2011年06月25日 | 中国歴史ドラマ
『美人心計』第35~最終40話まで見ました。

夫の金王孫が景帝によって謀殺されたと思い込んだ王娡は仇討ちのために景帝の後宮へ。景帝暗殺に失敗すると、記憶喪失になったふりをして後宮にとどまり、機会を待ちます。しかし思いがけず景帝の寵愛を得た王娡は、高台から突き落とされたり、育ての親沈碧君が殺人に関わったとして告発されたり(この件は薄太后らの面前で王娡が沈碧君の指を切って解決)、疫病で亡くなった薄太后の衣服を着させられて疫病が伝染したりと、様々な嫌がらせが……って、最早嫌がらせのレベルをはるかに超えてますね(^^;)

で、周亜夫から金王孫の死の真相を知らされた王娡はすべてを景帝に告白。しかし景帝は王娡が自分を愛していなかったことにショックを受け、彼女を冷宮に追放。以後、深刻な女性不信に陥ります。これではいかんと焦った栗姫は宮女を刺客に仕立て上げて景帝を襲わせ、自分が身を以て景帝をかばって再び寵愛をゲット。……そ、そんな寵愛のゲットの仕方があってたまるかっ!!

更に彼女の生んだ劉栄を太子の座に着けるべく、景帝の弟(文帝と慎児との間の子)梁王の追い落としをはかる栗姫。漪房の誕生祝いにかこつけて召還された諸侯王たちは栗姫に唆され、梁王を人質に取って謀反をおこしますが、梁王の守り役である竇長君(=恵帝)が命を賭けて梁王を救い出し、周亜夫に諸侯王たちを殲滅させます。……ひょっとしてこれが呉楚七国の乱のつもりなんでしょうか……

その後劉栄が太子となりますが、母妃栗姫の増長っぷりに不安を抱いた漪房は王娡と接触を開始。彼女は冷宮に追放された後、平陽公主と劉彘の2人の子を生んでいたのでした。そして景帝の思し召しにより王娡母子は宮中へと戻され、アレな行動の目立った栗姫は劉栄ともども臨江へと追放。すべてが順調に行くかのように思われましたが、梁王が暗殺されると、漪房は景帝の仕業だと思い込み、景帝と口も聴かなくなります。(実は景帝ではなく姉の館陶公主の仕業だったのですが……)そして母子不仲のまま数年後に景帝が病没。

で、劉彘改め劉徹が新帝となり(すなわち武帝)、武帝の妃嬪として衛子夫が入内し、漪房にお目見えしたところで物語が完結。

……こうしてみると最後までトンデモ展開が連発でしたね。恵帝が死んだふりをして民間に逃れたあたりがトンデモのピークかと思いましたが、その後もこの恵帝が漪房の弟に扮して宮廷に戻ってきたり、あらすじでは端折りましたが張太后(恵帝の皇后)が周亜夫と再婚したりと、よくこれだけトンデモなネタを思いつくもんだなあと感心するばかりです(^^;) 大河の『江』にもこのドラマのように「史実?なにそれ、つおいの?」という開き直りがあればと思わざるを得ませんw
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横転

2011年06月19日 | 雑記
昨晩某研究会の帰りに自転車に乗っていて横転してしまい、したたか体を打って外出がままならない状況に。酔っぱらってもいないのにどうしてこうなったorz 幸い骨の方はポッキリいってないようなので、適当に静養していれば適当に良くなっていくはずですが、問題は今週の仕事ですよね。明日また病院に行くのですが、杖とか松葉杖とか貸してくれるんだろうか……
コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『漢字が日本語をほろぼす』/『古代ポンペイの日常生活』

2011年06月17日 | 世界史書籍
田中克彦『漢字が日本語をほろぼす』(角川SSC新書、2011年5月)

漢字と日本語との組み合わせは必然のものではなく、それどころかやっかいな重荷ですらあるという本書の主張には同意します。また、漢字が読み書きできないからといって充分な能力のある東南アジアの看護師・介護士が排除されているという状況は私も不毛だと思います。しかしだからと言って日本語の表記から漢字を取っ払ったところで、それまで漢語で表記されていた言葉がカタカナ語に置き換わるだけではないかと思うのですが……

ふと思いついて高島俊男『漢字と日本人』(文春新書)をパラパラ見返してみたら、やはり本書と同様に漢字と日本語の関係はいびつなものであるというようなことが書いてありました。ただ結論としては、かと言って今更漢字を使わずに日本語を表記するというのも色々ムリがあるし、それを承知で漢字と付き合っていかなきゃしょうがないよね(´・ω・`) という感じでしたが……

本村俊二『古代ポンペイの日常生活』(講談社学術文庫、2010年3月)

ほぼポンペイの遺跡の壁や柱に残された落書き類だけをネタにして書かれた本ですが、なかなか面白いです。特にローマ人の識字率や識字の質について論じた部分はこれからの研究の可能性さえ感じさせます。

ただ、ネタとして面白いのは第6章の「愛欲の街角」。「愛する者は誰でも死んでしまえ」という落書きは、超訳すると「リア充爆発しろ!」になるわけですね。わかりますw また、カエサルの「来た、見た、勝った」のパロディで、「来た、やった、帰った」という落書きがあるということですが、ローマ人、自重しろ!とツッコミたくなります。ついでにこれを「教養すら感じる」と評した著者にも自重していただきたい(^^;)
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『美人心計』その5

2011年06月16日 | 中国歴史ドラマ
『美人心計』第28~34話まで見ました。

呉王の世子が宮廷にやって来たと思ったら、太子劉啓に碁盤で殴り殺されたでござる…… 恐ろしいのはこれがドラマの創作ではないということですね。前漢の皇族・王族のDQNっぷりは異常…… そしてこの件への対応が原因で漪房と太子との間に深刻な溝が生じてしまいます。

そして数年後。太子は大人になりましたが、今でもやっぱり漪房を疎んでいる様子。その太子に薄太后の一族の薄巧慧が正妃として嫁ぐことになりますが、肝心の太子の方は宮女の栗妙人にご執心で、同時に彼女を妾として迎えることに。上昇志向の塊の栗妙人は正妃の地位を奪い取るべく、弱い性格の薄巧慧を追い詰めますが、精神的に追い詰められた薄巧慧はダークサイドに目覚め、反撃を開始!栗妙人が太子の子を懐妊したことで2人の勝負が着いたかと思われましたが、薄巧慧の方もあの手この手で彼女の堕胎を謀ったりと負けてはいません。

そんな最中、病により自分の死期を悟った文帝は、お馬鹿な息子を鍛え上げようと少陵原の地に民情視察に遣ることにします。そこで太子は幼馴染みの王娡と再会。彼女は幼い頃に太子に宮廷に連れられた後、漪房の計らいで民間へと戻され、沈碧君を義母として暮らしていたのでありました。彼女は文才がありながら愚直な性格が災いしてなかなか官職にありつけない夫の金王孫のために太子に便宜を図ってもらいますが、それが原因で夫婦仲が微妙に。おまけにこの金王孫が沈碧君と揉み合った末に灯籠に頭を打って死んでしまいます。……何か物凄い適当な成り行きで死んじゃったんですが、こんな展開でホントにいいんでしょうか(^^;)

その頃、宮廷では文帝が重病の末に意識不明の重体に。漪房は夫の不予を隠して危機を乗り切ろうとしますが、それを察知した栗妙人が策動を開始。漪房が太子ではなく梁王(慎児と文帝との間の子)を皇位に就けようとしていると漪房の長女館陶公主と薄巧慧を焚き付けて味方につけ、ともに漪房を陥れようとします。しかしここで意識を取り戻した文帝が最期の力を振り絞って栗妙人の陰謀から漪房を救って絶命し、色々あって改心した太子も漪房の味方につき、危機を回避。太子が新帝(すなわち景帝)として即位することになりますが……

ということで、終盤近くになってようやく後宮物っぽい展開になってきましたね。ドラマ前半の代国篇ではこの手の後宮での女の争いはむしろ漪房のスパイ活動のカモフラージュという感じでしたから。……改めてどんなドラマだよとツッコミたくなりますね(^^;)
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『美人心計』その4

2011年06月08日 | 中国歴史ドラマ
『美人心計』第21~27話まで見ました。

劉章との駆け引きのすえ、代王劉恒は皇帝となり(すなわち文帝)、漪房は皇后に。これと前後して民間に難を逃れていた慎児が漪房と再会し、ともに宮中で暮らすことに。しかし民間で苦労を重ねても性根は改まっていないようで、漪房の幸福を妬んだ彼女は義姉に取って替わろうとあれこれ良からぬことを企みます。

この頃、妻が慎児や張太后にかまいっきりなのに嫉妬した文帝が漪房に冷たくあたるようになり、夫婦仲が微妙に。お前は子供かよ…… その隙を突いて慎児が文帝にしきりにモーションをかけ、男児を出産。後の梁孝王劉武であります。梁孝王は史実では竇皇后(漪房)の実子なんですが、このドラマでは側室の子という設定になってます。

で、男児を産んだ慎児が夫人の地位を与えられて慎夫人となり(慎夫人というのも一応実在の人物です)、追い詰められる漪房。そんな彼女に強力な助っ人が登場。死んだふりをして民間に逃れていた恵帝が漪房の生き別れの弟竇長君と身分を偽って宮中に上がることになったのです。……イヤイヤイヤ、ちょっと待って下さい!その設定はさすがにムリやろうと(^^;)

文帝・薄太后は恵帝とほとんど面識が無かったということで面が割れていませんが、慎児とか宿臣の陳平らにはバレバレです。特に陳平は匈奴から賄賂を受け取り、懐柔されていることを漪房に察知されると、竇長君が恵帝であると文帝に告発して漪房を陥れようとします。で、高帝劉邦の時代からの老臣の面前で首実検が行われることになりますが、漪房に妻女が人質に取られていると匂わされた老臣たちは「似ていると言えば似てますが、別人ですな」とすっとぼけ、逆に陳平が誣告の罪に問われることに。主役が平気でこういう「汚い!さすがw」な行動を取るのがいっそ清々しいですね。

その後、漪房の息子の劉啓が家出して伯母の沈碧君と、慎児と呂禄との間に生まれた女児で、慎児と生き別れとなっていた王娡を皇宮に連れ帰ったりしてますが、特に王娡の存在は後々の展開に深く関わってくるんでしょうか。

そして慎児は周亜夫と結託して漪房の追い落としを謀り、手始めに側近の雪鳶を陥れて暴漢に身を汚させ、自害に追い込みます。……個人的にドロドロとした展開が続くこのドラマにあって、楊冪演じる雪鳶は心のオアシス的な存在だったのですが、これから私は何を楽しみにしてこのドラマを見ればいいんでしょうかorz

雪鳶の死にブチ切れた漪房は遂に本気を出してリベンジに乗り出し、巫蠱の罪と娘の館陶公主毒殺未遂の罪(実際に毒を仕込んだのは漪房)で慎児を刑死に追いやり、ついでに薄太后に迫って後宮を制圧。そして慎児と結託した周亜夫を捕らえますが……

ということで、このドラマを見つつ大河ドラマの『江』に圧倒的に不足しているのは、主役の「汚い!さすがw」な要素ではないかと思った次第。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『美人心計』その3

2011年06月02日 | 中国歴史ドラマ
『美人心計』第14~20話まで見ました。

代国では王后の子冉が早産の後遺症で急死。もう他に面子がいないということで、子冉の生んだ劉尊を世子とすることを条件に薄姫はイヤイヤながら漪房を王后とすることを承諾。

一方、長安では呂禄に匿われてその夫人格に収まっていた慎児がフィクサーとして夫の出世に尽力。新たに即位した少帝劉恭を懐柔したり、皇族中の武断派である朱虚侯劉章(後の城陽景王)を味方につけるため、彼に呂禄の妹呂魚を娶せたりしてます。この娘、野心は満々だが少々おつむが足りないというキャラだったはずなんですが、ここに来て不自然なまでに頭脳派になりましたね(^^;) 

ここで登場する呂魚は呂禄の父が妾に生ませた子で、母とともに呂府を追われて長らく民間で暮らしていたという設定。この呂魚と劉章との出会いはドロドロした展開が続くこのドラマの中で一服の清涼剤となってます。が、まったくの庶民と偽っていた呂魚の身元が劉章にバレた時点で、劉章が彼女を憎悪するようになりと、やっぱり不穏な展開に……

で、色々派手にやりすぎたせいで慎児の生存が呂后にバレてしまい、捕らえられることに。少帝に出生の秘密を暴露して呂后から自分を救ってくれるよう懇願する慎児ですが、呂后を廃そうとした少帝が逆に呂后に幽閉され、そのまま餓死。意を決した呂禄は挙兵して呂后を軟禁し、慎児を救出。その後密かに呂后の意を承けた劉章夫婦が挙兵して呂后を救出し、何とか復権を果たしますが、ここで重病に倒れてしまいます。

この間、代国では漪房より恩を受けていた宮女の紫蘇が、漪房への恩返しのため、彼女の生んだ劉啓(後の景帝)を世子の座に据えるべく、劉尊を殺害。……イヤイヤ、そんな展開があるかいっ!(^^;) これで却ってまずい立場に立たされた漪房は、名誉挽回のために長安を訪問し、呂后重病説の真偽を確かめることに。ここで漪房が死んだはずの恵帝と再会したり、呂后の没後を睨んで重臣の陳平・周勃と接触したりしてます。このドラマは女性がフィクサーの役割を担うのが基本なんですね。

漪房のもたらした情報をもとに、代国は劉章やその実家の斉国と連携し、呂氏誅滅を唱えて挙兵。その前後に呂后が没し、呂氏一党はなすすべもなく敗走。復権後の呂后に幽閉されていた慎児はこの時に呂禄との間にできた娘を出産しますが、戦乱の中で離ればなれに…… で、呂氏一党が駆逐された後の宮廷では劉恒と劉章のどちらが新帝となるかで両派が対立しますが……

ということで今回もトンデモ展開が絶好調!少帝が南宋の頃に成立したはずの『三字経』を暗唱させられているシーンなんかも出て来ますが、最早そのくらいでは何とも思わなくなりました(^^;)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『日中国交正常化』

2011年06月01日 | 中国学書籍
服部龍二『日中国交正常化 田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦』(中公新書、2011年5月)

関係者へのインタビューや日記・外交文書によって、当時首相であった田中角栄、同じく外相であった大平正芳の動向を中心に日中国交正常化交渉の過程を追った本書。しかし本書で紹介されている関係者の言動がフリーダムすぎて反応に困るのですが(^^;)

例えば、日中国交正常化にあたって台湾に対して断交を申し入れざるを得なくなり、その台湾へと差し出す田中角栄の親書の添削を依頼された安岡正篤は、原文にあった「(日台)の公式の関係が断たれる」という部分を「貴国との間に痛切なる矛盾抵触を免れず」という分かったような分からないような文辞に書き替えてしまいます。

安岡の考えでは、「台湾が一つの中国というものを主張している以上、日本が北京政府と国交正常化すれば、台湾と国交が断絶するのは太陽が東から昇るのと同じように当然のことであるので、わざわざ明言する必要はない」とのこと。一定のロジックに沿ってわかりきっていること、省略できることは敢えて書かずにすます……物凄く漢文屋らしい発想ですね(^^;) 本書には添削前の平易な文辞で書かれた親書と安岡によって添削された後の漢文調の親書が掲載されていますが、両方読み比べてみるとあまりの違いに笑えてきます。

そして特使としてその親書を台湾へと届ける役目を担った椎名悦三郎(当時自民党副総裁)。同行したハマコーから台湾側に対してどういう考えで臨めばよいかと問われ、「それは君、それぞれが思っていることを話したらいいんだよ」と返答。そして蒋経国との会談の中で、日台断交どころか外交も含めて台湾との従来の関係が継続されると明言し、本当に自分の思っていたことを口に出してしまいます。で、この発言が早速中国側に伝わり、この時に北京を訪問していた小坂善太郎らがこの件で周恩来から叱責されるなど、無用の混乱を招くことに。……椎名先生っ!!

本書では田中角栄が訪中時に行い、物議を醸したことで有名な「ご迷惑」スピーチについてもかなりの紙幅を裂いていますが、正直上に挙げたような安岡正篤と椎名悦三郎のフリーダムな言動と比べると、極めてささいな問題ではないかと思えてきます(^^;)

この田中角栄にしても、北京を訪問した後で上海への訪問を促されると、「上海に行きたくない、もう帰国したい」とゴネたり、挙げ句の果てに特別機での移動中、彼を説得して上海まで同行することになった周恩来の目の前で爆睡して周囲をドン引きさせたりと、もうちっと空気を読めとツッコミたくなります……

何かもう読んでて噴き出しそうになるエピソードばかりなんですが、ホントによくこんなんで日中国交正常化の交渉がまとまったよなと感心した次第。本書のオビには「本当の政治主導とは。」というフレーズが書かれてありますが、本当の政治主導でもこういうカオスなことになるのなら、政治主導なぞいらんという気持ちになってきます。

最後に本書の中で最も印象に残った言葉を紹介しておきます。上記のように北京での交渉を終えて上海へと向かった日本側の一行。そこで目にしたのは、日中共同声明の詳細さえ知らされぬまま日本側の代表を歓迎すべく動員された群衆でありました。随行した外交官栗山尚一氏の述懐に曰く、「政府の権力で、これだけ国民が出たり入ったりできる国はすごいな、そんな国にはなりたくないなと思ったのが、そのときの中国のイメージですね。」……「そんな国にはなりたくないな」「そんな国にはなりたくないな」「そんな国にはなりたくないな」……(以下、エコー)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする