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博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『宮廷画師郎世寧』その4(完)

2007年06月28日 | 中国歴史ドラマ
『宮廷画師郎世寧』第18~最終第24話まで見ました。

いよいよ乾隆年間に突入し、郎世寧は乾隆帝后妃12名の肖像を集めた『心写治平』や『香妃図』、あるいは円明園の西洋宮殿や噴水といった代表作を次々に作り上げていきます。円明園の西洋宮殿や庭園は実物大で復元されていて一見の価値ありだと思います。で、円明園の設計を命じた当の乾隆帝は、苦心の末に出来上がった噴水などを自分に対してつれない態度を取る香妃を喜ばせ、驚かせるためのおもちゃとしか認識していないようでありますが(^^;)

円明園設計に尽力した郎世寧の同僚宣教師らは、自分達が乾隆帝の道楽や色恋の成就のために駆り出される一方で、一向に中国での布教の許可を得られないことに失望を隠せません。我らが郎世寧はと言えば、乾隆帝により心ならずも官位を授けられ(当時のカトリック教会は宣教師が現地で官位を得ることを禁じていたという説明が出て来ます)、清朝の官服を着て宮廷に出仕しており、自分でも最早中国人なんだか西洋人何だかよく分からない状態になってます。

そしてドラマは70歳を迎えた老郎世寧が乾隆帝の恩典により、故郷の曲である『サンタルチア』を演奏する楽隊(無論西洋人ではなく中国人の楽隊です)に先導されて、輿に乗って北京の街を練り歩くシーンで幕を閉じます。『サンタルチア』は郎世寧の故郷であるミラノではなくナポリの曲で、しかも郎世寧の死後の19世紀にできたものらしいのですが、この際こんなことは置いておきましょう(^^;)

で、その行列を目にした若い宣教師たちはすっかり異教の習俗に染まった郎世寧の有様に呆れ果て、「神様が彼をお許しになったとしても、教会は彼を許しはしまい」なんて台詞を吐き捨てています。この郎世寧の後輩たちが中国社会に溶け込もうとしないことで、結局は清の地でキリスト教が根付かなかったことが暗示されるわけですが、かといって郎世寧が布教に成功したかというと、そういうわけでもないんですよね……
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『「世界征服」は可能か?』

2007年06月26日 | 書籍(その他)
岡田斗司夫『「世界征服」は可能か?』(ちくまプリマー新書、2007年6月)

誰もが一度は憧れる(?)世界征服。だけどこの現実世界で世界を征服するって一体どういうことなんだろう?また世界を征服して何かいいことがあるんだろうか?そういった疑問を大まじめに考察した本です。

こうなるとやっぱり気になるのが、これを武侠小説の世界にあてはめるとどうなるのかということであります(^^;) 

武侠小説の世界で「世界征服」に相当する行為は「武林制覇」もしくは「武林の盟主となる」といったところでしょう。本書では世界征服を狙う支配者を「魔王タイプ」「独裁者タイプ」「王様タイプ」「黒幕タイプ」の四タイプに分けています。この手の悪役が多く登場する金庸の『笑傲江湖』をこれにあてはめてみると、日月神教の任我行は強烈な怨みを内に抱いた魔王タイプ(あるいは東方不敗の一派に幽閉される前は独裁者タイプだったかもしれません)、同じく日月神教の東方不敗は自分が大好きで取り巻きを重用し、支配体制の維持も人任せにしてしまう王様タイプ、偽君子の岳不群は黒幕タイプ、五嶽剣派盟主の左冷禅は仕切り屋で部下からの信望が厚い独裁者タイプといったところでしょうか。

一昔前の特撮物やアニメなんかだと主人公側は悪役のこういった世界征服の野望を打ち砕くのが目的になったわけですが、金庸作品の場合だと、『碧血剣』の袁承志のように悪役のかわりに周囲の人々から武林の盟主に推戴される(あるいは祭り上げられそうになる)ことが多いですね。支配者の五番目のタイプとして、本人にその気は無いのに周囲の人々から支配者として祭り上げられる「御輿タイプ」というのを追加しても良いかもしれません。

この本を読みながらこういう取りとめのないことを考えてしまいましたが、本書はこういう具合にいじり甲斐のある本です(^^;)
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『大漢風』第38話

2007年06月24日 | ドラマ『大漢風』
というわけで前回から引き続いて劉邦一党は項羽の軍に追われております。劉邦と夏侯嬰は取り敢えず修武に駐屯している韓信のもとに身を寄せることにしますが、劉邦は敢えて使者のふりをして明け方に韓信を訪問します。

ここで韓信が無造作に大将の印綬を放置して眠りこけているのを劉邦に見られてしまい、叱責されるというお馴染みのエピソードが展開されます。個人的にこのエピソードは寝込みを襲った劉邦の方も大概ムチャなんですが、寝込みを襲われる韓信の方もちと脇が甘いんじゃなかろうかと思ってましたけど、この配役でやられると劉邦が一方的に韓信をいじめているようにしか見えませんね(^^;)

一方月姫はといえば、相変わらず韓信の陣営でウロチョロしているところを韓信の郷土である淮陰の料理が作れるということで、韓信の料理番に任命されます。近いうちにいよいよ二人の再会ということになるんでしょうか。
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『300』

2007年06月24日 | 映画
ペルシア戦争の中の一幕であるテルモピレーの戦いを描いた作品ということで、『トロイ』みたいな作品かいなと想像しつつ見てみましたが、全然違いました。(^^;) 何だか妖怪じみた敵兵が出て来るし、象兵や犀兵も出て来るし、おまけにペルシア王のクセルクセスは「お前はラオウか大豪院邪鬼かっ!」とツッコみたくなるぐらいに不自然に身長が高いですし、『ロード・オブ・ザ・リング』の戦争シーンと『北斗の拳』を足して二で割ったような感じの作品でした。

主役であるスパルタ王レオニダスがやたらと「自由と民主政治を守るために戦うのだ!」というようなことを連呼したり(王の権限が限定されているとはいえ、スパルタは一応王制を採っているわけですが……)、敵側のペルシア人にこれ見よがしに黒人の俳優が起用されていたりと色々物議を醸しそうな要素はありましたが、途中でこういう映画でそういうことをツッコんでみても仕方がないという気持ちになってきました(^^;)

そういう細かいことさえ気にしなければ、非常に爽快な気分で見られる作品です。何よりレオニダスが『墨攻』の主人公のように悩んでも仕方がないことでうじうじ悩んだりしないのが良いですね。映画を見てしばらく300名のスパルタ兵の「オウ!オウ!オウ!」という雄叫びが耳から離れませんでした。
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『孝経』

2007年06月21日 | 中国学書籍
加地伸行『孝経 全訳注』(講談社学術文庫、2007年6月)

文庫版で『孝経』の訳本が手元にあると便利そうだなあという感じで購入。とは言っても『孝経』自体の文章はごく短いものなので、本書の半分以上は解説が占めております。

著者は卒業論文以来『孝経』の研究に取り組んできたということですが、それにしてもなぜ今『孝経』なのかという疑問は残ります。そこで書物の巻頭と巻末に注目すればその書の本質が見えてくるという著者の考えに従って本書の末尾(正確には「附篇 『孝経』関係テキストの図版」の手前の部分)を見てみると、そこでは昨今の教育改革に関する議論でも取り上げられている道徳教育の必要性が説かれています。結局最後の最後で言いたかったのはそれですか(^^;)

それに加えて、都道府県単位で孝子などの道徳的に立派な行いをした人に対する表彰制度を復活させるべきだとも主張されています。どちらにせよ時代錯誤な感じは否めませんが、本気で戦前のような道徳観を復活させたいのであれば、そのぐらいのことはすべきでしょう。
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『宮廷画師郎世寧』その3

2007年06月19日 | 中国歴史ドラマ
『宮廷画師郎世寧』第13~17話まで見ました。

雍正帝即位から時が経ち、弘暦や小弟らは立派な青年に成長しております。が、小弟のやんちゃな性格は相変わらずであります(^^;) 

雍正帝の子供たちのうち、三男の弘時は次の皇帝の座をゲットすべく弟の弘暦への対抗意識を燃やし、かたや五男の弘昼は皇位継承争いに巻き込まれるのを避けるべく父帝の前で愚鈍を装ったり、あるいは乞食や京劇の女形のコスプレをするなどの奇矯な振る舞いを繰り返しています。

そういった息子達の思惑をよそに雍正帝は八阿哥のもとから呂四娘というを引き取り、彼女の弾くハープに聞き入るという毎日を送っています。実はこの呂四娘、反清の書を書き残したとして処罰された呂留良の一族で、雍正帝を自分達一家の仇として憎んでおりました。雍正帝は彼女と同衾しようとしたところを襲われ、斬首されてしまいます。この雍正帝が呂四娘に殺されたというのは民間伝承に元ネタがあるようですね。雍正帝の遺詔により、弘暦が乾隆帝として即位することになります。

このパートでは反清的とされた八大山人の絵を郎世寧が所有していたことが問題とされたり、揚州八怪の一人である鄭板橋がゲスト出現したりと、当時の画家やその絵が小ネタに使われていますね。他ならぬ郎世寧の『八駿図』なども小ネタとして取り上げられています。ただ、雍正帝がキリスト教の布教を禁止したことについて正面切って取り上げられておらず、それを臭わせるセリフが多少出て来るという程度というのが気になるところです。もっとも、中国での禁教は日本のそれとは違ってさほど厳格なものではなかったようですが……
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中国最古の俑

2007年06月17日 | 学術
『中国文物信息網』というサイトをのぞいてましたら、このほど陝西省韓城県梁帯村芮国墓地から中国最古の俑が出土したというニュースを見つけました。

「陝西発現我国最早木佣比秦兵馬俑早五百年」
http://www.ccrnews.com.cn/100004/100007/12130.html

この俑は木製で高さ約80センチ、同墓地の502号墓の四隅に一つずつ埋まっていたとのことです。この502号墓の年代はその他の副葬品などから判断するに西周晩期頃のようですが、これまで発見された最古の俑は春秋晩期の楚国のもの(やはり木製の俑とのこと)だと言いますから、300年かそこら記録を塗り替えたことになりますね。上の記事では秦の兵馬俑より500年以上早いとなっていますが、他の新聞サイトの記事では600年となっているものもあります。

また同墓地の28号墓からは銘文付きの青銅器も出土しているのですが、まだその内容が明らかになっていないとのこと。続報が待たれますね。
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『大漢風』第37話ほか

2007年06月17日 | ドラマ『大漢風』
さっきまで『新シルクロード 激動の大地をゆく』第3集を見てました。今回はキルギス、ウズベキスタンが舞台で、ブハラ在住のユダヤ人の話が興味深かったですね。かつてはブハラには2万人のユダヤ人が暮らしており、近隣のムスリムとも仲良く付き合っているというのでアメリカから要人が視察に来たりしましたが、近年はイスラエルやアメリカへの移住者が急増し、人口はわずか150人になってしまいました。

かつてはユダヤ人たちは衣服や靴などの製造に従事してましたが、中国から安い服飾品が入ってくるようになって仕事が無くなってしまったとのこと。イスラエルに移住を希望する人々もイスラエルがブハラよりも危険だとは承知しているようですが、居残っても特に若者の仕事が得られないので移住を決意せざるを得ないという内容でした。

で、今週の『大漢風』です。

劉邦側が仕掛けた離間の計により項羽のもとから去ることになった范増。その故郷へと帰る范増を張良が見送りに来ます。実は彼は、陳平らが卑劣な策略によって范増を陥れたことを内心恥じていたのです。二人はかつて初めて出会った時のことを語り合います。そして范増は張良と別れた後、張良が自分を凌駕する策士で、自分が敗れるべくして敗れたことを悟り、故郷への帰路の途中で病没してしまいます。

……何だかこのドラマには珍しく普通にいいシーンなんですが(^^;) 要するに呂雉だの韓信だの月姫だのが登場せずに張良や范増あたりの出番が増えれば、普通の歴史ドラマっぽい雰囲気になるということなんですねえ……

それで自分が離間の計に引っ掛かったことを知った項羽は劉邦のいる滎陽を急襲し、劉邦らは泡を食って城から逃げ出します。そして項羽らが劉邦のふりをして馬車に乗っていた紀信を引きずり出そうとしていたところで今回は終わりです。
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阪中哲

2007年06月16日 | 学術
関西大学アジア文化交流研究センターで開催の阪神中哲談話会で発表してきました。発表題目は「西周期における任命儀礼の形式 -特に冊命儀礼の『成立』をめぐって- 」です。

金文や先秦史専攻の方がほとんどいないという状況での発表だったので、内容がどれだけわかっていただけるか不安でしたが、中国の他の時代の国家儀礼を専攻している方が数人おられたようで、そういった方々から思ったより反応があって一安心です。

関大で開催ということで我らが二階堂教主も出席されてましたが、懇親会ではやっぱり「これからの中国学では東邪西毒や西門吹雪と言われてピンと来ないようじゃダメ!」とか、そういう話で盛り上がりました(^^;) 気がつけば私も『大漢風』のどこが面白いかを熱弁している始末…… 

あと、思いがけず同じ高校出身の方とお会いしたりと、実りの多い研究会でした。
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『アラビアンナイト』

2007年06月14日 | 世界史書籍
西尾哲夫『アラビアンナイト』(岩波新書、2007年4月)

『アラビアンナイト』の成立・受容史をまとめた本です。

『アラビアンナイト』は『千一夜物語』というのが元の名前ですが、本当に千一話もの物語を集めているわけではありませんでした。しかしこの説話集の存在がヨーロッパ人に知られ、注目されるようになると、本来あったはずの千一話分の物語を「復元」しようとする試みがなされ、『アラビアンナイト』の異本や、異本だと見なされた他の説話集などから物語が付け加えられた結果、本来の姿(何を以て本来の姿とするかも難しい問題ですが)とは異なった『アラビアンナイト』が出来上がりました。この書ではその経過を詳しく解説しています。

その他、そもそも本場の中東では文体が卑俗だというので、『アラビアンナイト』は文学として重視されておらず、むしろヨーロッパからの逆輸入によって注目されるようになったとか、彼らがヨーロッパ人に売り込むために偽写本を捏造したとか、『アラビアンナイト』のエロチックな要素はヨーロッパ人翻訳者が潤筆したものだったとか、『アラビアンナイト』が西洋のファンタジーに与えた影響など色々と面白いトピックが盛り込まれてます。確かに『ナルニア国物語』にはカロールメンという『アラビアンナイト』から抜け出してきたような連中が出て来るわけですが。
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