博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

首都博物館

2009年03月31日 | 留学
明日からの河南旅行ですが、帰りは安陽から北京に出て、そこから新幹線で長春へと帰ろうかと計画してます。それで4月6日は丸々北京に滞在することになるのですが、本屋巡りだけだと時間が余るはずなので、前回見学出来なかった首都博物館に行ってみることにしました。

6日は月曜日なので本来は休館日ですが、清明節で休日になっているということで折良く開館しているようです。ここの博物館は一応予約制ということなので公式サイトから予約しようとしましたのですがうまくいかず、結局電話で予約することに…… 自分は外国人だと断ったうえでこっちの名前とかパスポート番号を伝えても適当に聞き流している感じで、ちゃんと伝わってるんだかどうかよく分かんないですが、予約番号が貰えたんでたぶん大丈夫なんでしょう(^^;)


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『台北故宮』その1

2009年03月29日 | TVドキュメンタリー
ボチボチと1月にCCTVで放映されていたドキュメンタリー『台北故宮』を見ています。今回は全12集中第1~6集までの内容をまとめておきます。

第1集「文物遷台」
日中戦争以後の大陸内での故宮所蔵文物の移転と、国共内戦発生後の国民党による台湾への文物移転について。飛行機による文物輸送は故宮関係者の亡命輸送機も兼ねていたようですが、張大千画伯による膨大な数の敦煌壁画の模写が搭載しきれず、泣く泣く関係者所有の金塊を積み荷から降ろして飛び立ったといったエピソードが紹介されています。

第2集「北溝煙雨」
台北故宮が出来るまで十数年間文物を保管・展示していた台中郊外北溝の展示所について。ここは当初文物を保管するスペースしか無かったところをアメリカの援助によって展示スペースが出来たのですが、当時の反米感情により支援拒否運動も起こったとのこと。この展示所は1999年の九二一大地震によって完全に崩壊してしまい、現在は跡形も無くなっているそうです。また当時故宮の文物を宋美齡がアメリカに売り渡したという噂が立ったものの、これは文物の数量統計の誤りに端を発した誤解とのこと。

第3集「青銅記憶」
安陽発掘に関わった李済の事績と台北故宮収蔵の殷周青銅器にまつわるエピソードを中心にまとめています。毛公鼎を日本軍が狙い、当時の持ち主を拷問したとか、李済が戦時中に日本に渡り、略奪文物返還交渉に携わったという話が印象に残ってます。また、1980年代の台北故宮裏山の倉庫内部の映像もあり。

第4集「釉彩千年」
宋代の五大名窯の名品について。「磁器収蔵家」王剛のインタビューが挿入されてます。こちらで『なんでも鑑定団』の中国版の司会をやっていると思ったら、コレクターだったのかよ!また昨年11月に北京故宮に行った際に延禧宮だ開催された陶磁展も紹介されています。これって台北故宮も関わっていたんですね。

第5集「磁中繁花」
明の宣徳官窯と清の琺瑯磁器、台北・北京両故宮の磁器担当研究員の交流などについて紹介。「青磁花」を歌うジェイ・チョウ(周傑倫)のインタビューもあり。

第6集「玉潤光華」
玉器とその研究に関わった台北故宮のスタッフについて。台北故宮のシンボル的存在の翠玉白菜ですが、2007年にその一部が破損していることが判明。ただ、いつの時点で出来たものかは不明とのこと。また、大陸の湖南省博物館などとの共同展示について取り上げています。

ちなみに本作のOP・EDテーマは、武侠物のテーマ曲でお馴染みの小虫作曲です。各回とも当時の台湾の映像やらニュースなどが流れるのですが、こんなのを見てると無性に台湾に旅行したくなって困ります(^^;) 
コメント (2)
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『鄭和下西洋』ほか

2009年03月27日 | 中国歴史ドラマ
ボチボチとドラマ『鄭和下西洋』を見ていますが、靖難の変あたりから話が始まるのかと思いきや、靖難の変どころか、少年鄭和(当時はまだ馬和という名前ですが)が去勢されて宦官になるところから話が始まり、本日放映の第7~8話あたりでようやく洪武帝が亡くなって建文帝が即位するという、どこまで壮大なスケールの物語にするつもりなのかとツッコミたくなる展開になっております(^^;) 

ちなみに主役の鄭和は羅家良が、永楽帝はお馴染み唐国強が演じています。建文帝に仕える方孝儒らが割とわかりやすい悪役になっているのが気になるところですが……

で、来週に迫った河南旅行ですが、鄭州・安陽にはそれぞれ河南博物院・殷墟以外にも鄭州市博物館・安陽市博物館があり、それぞれお薦めという情報をゲット。(あと、安陽には袁世凱の墓もあるらしい)どのみち目当てのポイントだけだと時間が余りまくるはずなので、両方とも回ってみることにします。
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『漢武大帝』その8(完)

2009年03月25日 | 中国歴史ドラマ
『漢武大帝』第52~最終58話まで見ました。

匈奴の伊稚斜単于との決戦と霍去病の病没の後はいきなり話が18年後に飛び、蘇武・李陵・司馬遷の話、江充による巫蠱の獄の勃発、そして武帝の死に至るまでが超特急で語られます。

史実では匈奴戦で衛青の搦め手に回された挙げ句道に迷って戦いに遅参し、衛青に叱責されたのに憤激して自殺するというパッとしない死に方をする李広ですが、ドラマでは敢えて全軍の捨て駒になることを衛青に志願して乱戦の中で壮絶に散っていくという、史実より8割り増しで格好いい死に様となってます。まあ、不遇だった李広に見せ場を与えてやりたいというのは人情というものでしょう。ここは「GJ!」と素直に褒めたいところ。

で、李広の息子で霍去病の配下でもある李敢がその件で衛青を逆恨みして衛青に斬りかかるという事件が発生。常識人の衛青はこの事件を不問に付しますが、霍去病は李敢を許せず、武帝とともに狩りに出掛けた際に李敢を射殺するという相変わらずのDQN武将ぶりを見せてくれます(^^;) しかも恐ろしいことに、これが武帝自身の指令によりもみ消され、表向きは霍去病にお咎め無しということになる有様……

18年後は、病身の衛青が戻太子の廃位を思い止まらせるために武帝と面会するシーンがドラマ中でも屈指の名場面だと思います。しかしその後の展開を見ると、あの名場面は何だったのかと思ってしまうのもまた事実。

で、今回のツッコミ所。

○やっとこさ中行説が死亡。ついでに春陀もすっ飛ばされた18年の間に亡くなった模様。後は武帝の姉で匈奴の閼氏南宮公主が結局亡くなる場面の無いままに話が終わってしまったのが気になるわけですが(^^;) どこかの時点で南宮公主が長安に戻る場面があるんじゃないかと思ってましたが、結局匈奴に留まったままになってしまいましたね……

○微妙な老けメイクと老け演技で、容色の衰えた美女っぷりを無惨なまでに発揮している衛皇后。

○幼子の弗陵(昭帝)を太子とした時点で母妃の鉤弋夫人を処刑させる武帝。何の前提も無しにこの場面だけ見せられたら、何もそこまでせんでもと思うわけですが、ドラマ序盤からの竇太后・王太后・館陶長公主・陳皇后の暴れっぷりを思い出すと、困ったことにこういう処置もやむなしと思えてしまいます……

○ラストで匈奴が中華民族の中に溶け込んだというナレーションが流れ、作品のテーマ「中華民族の形成と漢民族の興隆」が印象づけられる一方で、南越国と衛氏朝鮮討伐は華麗にスルー。……『鹿鼎記』でロシア関係のシーンが軒並みカットされていたのと同様、対外関係に関わりそうな要素は敢えてドラマ中で触れないという方針なんでしょうか。 このあたりは武帝時代の漢を悪鬼のように描いていた韓国ドラマの『朱蒙』とは対照的ですね(^^;)
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頂き物

2009年03月24日 | 留学
私の所属している吉林大学古籍研究所には古文字のほか先秦史・秦漢史・歴史文献・書法文献の計5つの専攻があるのですが、このうち書法文献の学生が書道と関係が深いということで、古文字関係の講義にチョコチョコと出席しています。

で、先学期受けていた金文の講義では古文字所属の学生は期末試験合格で単位認定、書法文献の学生は任意の金文の模本を提出することで単位認定ということになっていましたが、今日がその提出日で、指導教授と提出した学生のご厚意により模本を2幅頂いてきました。

これは西周金文「麦方鼎」の模写。



こちらは同じく西周金文「召卣」の模写。両方とも部屋に飾ってます。



帰り際に模本をくれた学生とガッチリ握手を交わしてきましたが、まあ、留学してるといろんなことがあるもんです(^^;)
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『漢武大帝』その7

2009年03月22日 | 中国歴史ドラマ
『漢武大帝』第45~51話まで見ました。

大月氏国から漢へと戻ろうとする張騫一行ですが、幼い息子の「また匈奴に戻るの?」という問い掛けに対して「もう匈奴には捕まらないさ」と言った側から匈奴の騎兵に発見され、再び軟禁生活に…… 史実ではここで1年ほど抑留されていたはずですが、ドラマではすぐに逃亡に成功し、長安へと到達。武帝は十数年ぶりの再会とあって群臣を集め、宮殿で対面の儀を行うことにしますが、肝心の張騫は乞食のような格好で周囲がドン引きする始末。この辺の流れはギャグとしか思えません(^^;) せめて張騫に身なりを整える時間をあげようよとツッコミたくなりますが。

これまで匈奴と結んで機密を漏洩していた劉陵を死に追いやり、その実家の淮南国を取り潰して後顧の憂いを無くした武帝は、張騫の持ち帰った情報を活用し、対匈奴戦に邁進。その匈奴戦で軍功を重ねて大将軍となり、武帝の姉の平陽公主の婿にまでなった衛青ですが、このあたりから衛青や衛皇后が武帝に冷遇されるようになり、かわって後宮では李夫人、軍務では衛姉弟の甥霍去病が寵用されるようになります。

で、いよいよ漢軍に押されてゴビ砂漠以北にまで撤退した匈奴との決戦の日が迫りますが……

というわけで今回のツッコミ所。

○張騫らが匈奴や西域の人々と話す時に通訳を介して会話している場面があるのですが、別に相手が現地の言葉を話しているわけでもなく双方とも中国語で話しているので、かなり珍妙なシーンに見えてしまいます。ここは割り切って通訳を介さずに会話させるか、モンゴル語とかトルコ語など適当な言語に吹き替えしておけば良かったんじゃないかと。

○武帝の意を承けて諸侯王の勢力削減に邁進していた主父偃ですが、斉王が自殺したことで削減策への風当たりが強まり、主父偃が処刑されることに…… まるでトカゲの尻尾を切るように政策実行担当官の首が斬られるのは、序盤で晁錯が処刑された頃から何も変わってないですなあ(^^;)

○霍去病が「鬼武蔵」森長可なみのDQN武将に見える件について。武帝と霍去病の関係って、何となく信長と長可の関係とかぶるんですよね……
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地震

2009年03月21日 | 留学
今朝、外の食堂で朝食を食べたついでに新聞を買ってみると、「長春から70キロの地点でマグニチュード4.3の地震が発生」という見出しが…… 記事によると昨日の午後3時頃に発生したとのことですが、全く気がつきませんでした(^^;)

しかし留学する前に、東北ではほとんど地震が起こらないと東北に住んでた人から聞いていたのですが、まっこと油断がなりません……
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すべってころんで……

2009年03月19日 | 留学
昨晩から今朝にかけてこちらでは雪が降っていたのですが、今朝講義に出るために外に出てみると、見事に路面が凍結してます。

で、宿舎を出たところで足を滑らせて尻を打ってしまいました(^^;) 痛みをこらえつつエッチラホッチラ教室に行くと、教員が講義に間に合わないので休講というお知らせが…… その先生が車で大学まで通勤しようとしたところ、路面凍結のために渋滞に巻き込まれたという次第。何だか朝から散々な1日でした。

それで今もしゃがんだり立ち上がったりすると尻が痛みます。しゃがんだり立ち上がったりという動作は腰や足だけでなく尻の筋肉も使うんですね。部屋のトイレが和式便器でなくて本当に良かったと思います…… 
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『漢武大帝』その6

2009年03月17日 | 中国歴史ドラマ
『漢武大帝』第38~44話まで見ました。

伝家の宝刀の密詔を差し出した竇嬰ですが、結局官府に保存されていた副本が王太后に差し押さえられ、破棄されてしまったので偽詔ということになり、竇嬰はあえなく死罪に……(正本と副本の両方が揃わないと自動的に偽詔になってしまうらしい。)しかし政敵の田蚡も今日の竇嬰は明日の自分ということに思い至り、心身を病んで物語から退場してしまいます。田蚡、お調子者がそのまま出世したような感じで、個人的にはこのドラマで一番好きなキャラクターだったのですが(^^;)

で、丞相田蚡不在の隙を突いて武帝は更に権限を強化。不仲だった阿嬌を廃后にして衛子夫を皇后の座に据えたり、対匈奴戦をバンバンと推し進めたりと、もう誰も武帝の暴走を止められません。その積極的に進めるわりになかなか成果が上がらなかった匈奴戦も衛青が主将として台頭し、彼の活躍で河朔を奪取。

一方、匈奴に抑留中の張騫ですが、以前に和親公主として軍臣単于に嫁いでいた武帝の姉南宮公主と再会してからは待遇が改善され、匈奴の娘と結婚。そしてドサクサに紛れて脱出に成功し、大宛を経てようやく大月氏へと到達。しかし大月氏の女王から漢との提携はキッパリと断られてしまいます……

今回のツッコミ所

○阿嬌の誕生パーティーに紛れ込んで武帝の暗殺を謀る郭解ですが、寸手の所で捕らえられ、斬殺。……郭解ってこんな死に方をする人物でしたっけ(^^;) このキャラ、うまく転がせば彼の活動を通じて当時の社会の様子を描くことも出来たと思うのですが、こんなぞんざいな扱いになって残念です。

○元々漢の宦官で匈奴に仕える中行説ですが、そもそも文帝の在世中に和親公主の隨身として単于のもとにやって来たということなので、この時点で既に亡くなっていたとしてもおかしくないと思うのですが、初登場以来老けメイクすらされていません。そういや景帝・武帝に仕える宦官春陀も一向に年を取らないよなあ……

○前々から思っていたのですが、匈奴の将兵が何かあるたびに「昆侖神ーーーッ!」と叫んで謎の神様「昆侖神」に祈りを捧げるシーンは何とかならないものでしょうか(^^;)

○匈奴に生け捕りにされても敵の馬に飛び移って弓矢で敵兵を蹴散らし、逃亡に成功する李広。素直にカッコいい。さすが飛将軍です(^^;) あと、狩りに出掛けて虎と出くわしたと思い込み、岩を射通したというエピソードもフォローされています。
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鄭和ドラマと河南旅行と

2009年03月16日 | 留学
さっきぼんやりとCCTVを見てましたら、「歴史ドラマ『鄭和下西洋』、近日放映開始」という番宣が…… アニメだけではなくドラマもやるんですね。題材的に色々とツッコミ甲斐のある作品になるはずなので、今からワクワクしてます(^^;) ググッて見ると全59話で3月25日から放映開始とありますね。

で、本題ですが、こちらでは4月4日から6日まで清明節で連休になるということなので、その前後の1日から6日か7日ぐらいまで河南方面を旅行することにしました。

今回のルートは長春から飛行機で鄭州へと飛び、後は新幹線で安陽、北京と回って長春まで戻って来る予定です。

今回の目玉は安陽の殷墟観光で、実のところ鄭州は殷代の城壁と河南省博物院ぐらいしか見たい所がありません(^^;) 鄭州から日帰りで少林寺や洛陽に出られるようなので、どちらかを回ってから安陽に出ようかと計画してます。でも安陽は安陽で殷墟しか見る所が無いので、1日滞在するだけなんですが…… 

で、北京では前回行き損ねた瑠璃廠や王府井界隈で書店めぐりをして帰って来ようかと思います。うまい具合に行けば北京で『鄭和下西洋』のDVDがゲット出来るかもしれません(^^;)
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