博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『少林虎鶴拳』

2006年08月30日 | 映画
『少林虎鶴拳』(原題:洪熙官、劉家良監督、1977年、香港)

清朝は白眉道人に反清の拠点となっている少林寺を襲撃させる。虎形拳の使い手である洪熙官は何とか逃げのびたものの、師匠の善禅師は白眉道人に殺害されてしまう。劇団員に身をやつした洪熙官は広東で鶴形拳の使い手である方詠春と出会い、結婚する。二人の間には息子の洪文定が生まれた。それから十年後、洪熙官は師匠の仇を討つべく白眉道人に戦いを挑むが……

『キルビル vol.2』に出て来たパイメイの元ネタ作品です。冒頭に出て来る善禅師といい、洪熙官といい、息子の洪文定といい、白眉道人に挑戦する使い手がなぜか執拗に金的蹴りを喰らわそうとするのには反応に困ります(^^;) しかも白眉道人の方は股間を蹴られても平気な顔して笑い声をあげたりしますし……

洪熙官・方詠春夫妻の新婚初夜の激闘とか、洪熙官父子の仁義なきバトルとか、他に色々見所があったはずなのですが、見終わってみれば白眉道人の高笑いしか頭に残っていません……
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『チャイニーズカルチャーレビュー vol.3』

2006年08月29日 | 中国学書籍
朱大可・張閎主編、高屋亜希・千田大介監訳『チャイニーズカルチャーレビュー -中国文化総覧 vol.3』(好文出版、2006年7月)

サブカルチャーも含めた中国文化事情の便覧の2004年版です。

このシリーズ、こんなとこばっかり注目しちゃいかんと思いつつ、ついつい武侠ドラマや映画の項目に目が行ってしまいます(^^;) ちなみに本書で取り上げられている武侠物は『LOVERS』、『キルビル』、『カンフー・ハッスル』、『天龍八部』、『連城訣』、『仙剣奇侠伝』、『中華一番』等です。『LOVERS』は予想通りボロクソに言われてます。ついでに金庸小説の修訂版もボロクソに言われてます(笑)

『天龍八部』、『連城訣』は向こうではまあまあ好評だったとのことです。特に『連城訣』はアクションシーンのリアルさが評価されているとのこと。

あとは、電子版万里の長城こと金盾工程の構築、敏感詞(ネット上の使用禁止用語)の増加など、中国政府によるネットの統制に関する項目とか、韓国が端午の節句を世界遺産に申請した件や中国が高句麗の遺跡を世界遺産に申請した件など、中韓間の歴史問題に関する項目が目に付きましたね。次巻2005年版では中国での反日デモが取り上げられるばすですが……
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『PRIDE』その5(完)

2006年08月28日 | 武侠ドラマ
(前回:その4

というわけで最終第40話まで見終わりました!

記憶を取り戻した燕南天から小魚児は移花宮の邀月が両親の仇だと知らされ、また小魚児と花無欠が兄弟であることも明らかとなります。小魚児・花無欠・燕南天の三人は移花宮に乗り込むものの、邀月と憐星に太刀打ちできず、おまけに花無欠の体が毒に蝕まれてしまいます。花無欠は恋人の鉄心蘭と同じく断腸崖から飛び降りて命を絶とうとしますが、思いがけず命が助かり、おまけに死んだはずの鉄心蘭とも再会を果たします。

……このあたりの展開は『神雕侠侶』のクライマックスとまんま同じですなあ(^^;) まあ、バリー・ウォン一流の金庸に対するリスペクトということなんでしょうけど。そう言えば鬼医者・常百草と毒医者・蘇如是の設定も『倚天屠龍記』の胡青牛・王難姑夫婦を思わせますね。

小魚児も鉄心蘭と再会し、おまけに彼女が花無欠の子を身籠もっていると知って大喜び。その頃、宮廷では江玉燕がますますダーク化していき、疎ましくなった父親を殺したうえ、嫁衣神功の最終段階「移花接木」を修得し、権勢のみならず武功の面でも劉岐を圧倒します。彼女は更に権勢を高め、また一方的に思いを寄せる花無欠を我が物とするために策謀を練り……

以上が第35話あたりまでのあらすじです。ここから先、小魚児や花無欠には古龍節がたっぷり利いた過酷な展開が待ち受けていますが、後の話は自分の目でお確かめください(^^;)  

前にも触れましたが、このドラマは金庸作品のパロディと古龍的なハードな展開がともに楽しめる一粒で二度美味しい作品に仕上がっています。古龍ファンにも金庸ファンにも是非見て欲しいですね。バリー・ウォン作品は前に見た『野蛮秘笈』がどうもイマイチだったので、このドラマもどうなんかなあと不安に思ってましたが、要するに現在のバリー・ウォンの精力は映画じゃなくてドラマ制作の方に向いているということなんでしょうね。次回作の『雪山飛狐』にも期待大です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『小さな中国のお針子』

2006年08月26日 | 映画
『小さな中国のお針子』(2002年、フランス)

1971年、時は文化大革命の真っただ中。山奥の農村に下放されてきた二人の青年は美しいお針子と出会い、教育を受けられなかった彼女を無知から救い出すことを誓い合う。三人は隠れて西洋の小説を読み合ったりして親しく付き合うようになるが……

『山の郵便配達』の劉が下放青年の一人を、周迅がお針子を演じています。個人的に周迅といえばどうしてもドラマ版『射英雄伝』の黄蓉役を思い浮かべてしまいますが、この作品では純朴ながら芯の強い少女役を演じています。それでも彼女が西洋の小説を隠し持っている知識青年から本を盗み出そうと二人の青年をそそのかしたりと、所々でお転婆な姿を見せてくれます(^^;)

二人の青年はそんな彼女に惹かれていきますが、彼女自身は青年達から読み聞かされたバルザックの小説に感化され、またある事件がきっかけとなってだんだんと変わっていきます。そして最後にはほろ苦い結末が待ち受けているわけですが、このあたり、同じく文革期の都会の青年と農村の純朴な少女との恋を描いた『初恋のきた道』とはだいぶ雰囲気が違いますね。

ちなみに作品中で主人公の青年達が北朝鮮の『花売り娘』という映画を見るシーンがありますが、先日読んだ『中国10億人の日本映画熱愛史』によると、この映画は金日成原作のミュージカルを映画化したもので、1972年9月から中国で公開されて大人気を博したそうです……
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『天命と青銅器』

2006年08月24日 | 中国学書籍
小南一郎『古代中国 天命と青銅器』(京都大学学術出版会、2006年8月)

金文と『尚書』『詩経』『儀礼』などの文献を用いて西周王朝の統治理念を考察しており、小南氏の金文研究の集大成とも言える書です。本書の指摘で特に面白いと感じたのは以下の二点です。

○祭器として用いられる青銅器は持ち主である貴族がくらす土地と強く結びついており、その領域の外には持ち出せないとされていた。そもそも祭祀用の青銅器は普段から宗廟の近辺の地中に埋蔵されており、祭祀を行うたびに地中から掘り出されて使用された。陝西省で多く発見されている青銅器の窖蔵はこのような当時の青銅器保管所が現代まで残されたものであると思われる。

……青銅器の窖蔵については、従来は周の東遷の際に貴族達が運搬に不便な青銅器を慌てて隠したものとされていましたが、個人的に何となくこのような説明は眉唾だと感じていました。しかしこの考え方に従えば青銅器の窖蔵が多く残されている理由を説明することができ、たいへん面白い発想だと思います。

○西周期に盛んに行われた冊命儀礼のように、周王が「命」を諸侯に与えるという儀礼は春秋時代にも残存した。『春秋左氏伝』には周王が諸侯に「命」を賜るという記述が何箇所かに見られる。周王は諸侯に「命」を与え、覇者などに任命することによって再び諸侯を周の統治体制に組み込もうとしたのである。この周王による「命」による統治体制に替わるものが、秦漢による郡県制である。

……西周金文に見える儀礼と文献資料に見える儀礼とのつながりを考えるうえで、たいへん重要な指摘だと思います。

ついで本書を読んで感じた疑問点について。

○貴族の官職は基本的に世襲によって受け継がれ、冊命儀礼を通して祖先以来の職務の世襲が認められた。

……これについては、冊命によって祖先と同じ官職・職務を与えられる事例は確かに存在するが、それが圧倒的多数を占めるというわけでもなく、貴族達は特定の官職・職務ではなく、官職・職務を保有するような地位が世襲されていたという吉本道雅氏の見解の方が適切だと思います。

○禹の事績を記述した西周金文を資料として引用していることについて。

……この金文がどうも怪しいことについては「北京旅行記 その4」で触れた通りです。本書のあとがきで金文の弁偽の重要性を主張しておきながら、これについては何とも……

嫌事も書いてしまいましたが(^^;)、全体的には啓発される所が多い本でした。あと、末尾に金文研究の基本となる工具書や入門書を紹介している点は大いに評価できます。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『異聞 始皇帝謀殺』

2006年08月23日 | 映画
『異聞 始皇帝謀殺』(原題:秦頌、1996年、香港)

例によって深夜枠で放映されていた映画です。

『史記』刺客列伝を題材にした作品ですが、主人公は荊軻ではなくその友人で筑の名手として知られた高漸離で、彼が始皇帝の暗殺を決意するまでのエピソードがメインとなっています。そんなわけで荊軻も一応登場することはしますが、彼による始皇帝暗殺未遂事件は序盤でチャッチャと片付けられてしまいます(^^;) 

公開された時期が近いこともあって、荊軻を主人公に据えた陳凱歌監督の『始皇帝暗殺』と比較したくなる作品です。こちらも始皇帝役に姜文を起用したり、それなりに時代考証に気を遣っていたりして歴史大作っぽい雰囲気を出しております。ただ、こちらはほとんど宮殿内で物語が展開するので、その点『始皇帝暗殺』より見劣りがするかもしれません。

この作品では始皇帝と高漸離が乳兄弟という設定になっています(^^;) 何だかのっけからムチャな設定ですが、中国統一に邁進する後の始皇帝こと秦王政は燕から幼馴染みの高漸離をムリヤリ連れてこさせ、彼を宮廷音楽家にして秦の国家を作曲させようとします。

しかし高漸離は残忍な秦王に仕えるなら死んでしまった方がマシだということで、秦王政の愛娘を犯して死罪になろうとします。このお姫様が幼少の頃の怪我で立って歩くことが出来ないという設定なのですが(ちなみにこのお姫様、ドラマ版『笑傲江湖』の任盈盈役でおなじみの許晴が演じています。)、高漸離に襲われた際に物のはずみで足腰が立てるようになり、やがて歩けるようになります。二人は深く愛し合うようになり、高漸離は自殺願望が消え失せて作曲に精を出すようになりますが、お姫様は重臣の子息の王賁と結婚することになっており…… 

こうして話の筋を書き起こしてみると、かなりムチャな内容ですなあ(^^;) そして最後は香港映画らしく(?)、高漸離とお姫様にはハードな結末が待ち受けています。

結局歴史大作になろうとしてなりきれなかった作品という印象を受けましたが、公開当時『始皇帝暗殺』を見に行ったものの、どうも内容が手堅すぎてイマイチだと感じた私としては、こちらの方が合っているような気がします。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『中国10億人の日本映画熱愛史』

2006年08月21日 | 中国学書籍
劉文兵『中国10億人の日本映画熱愛史』(集英社新書、2006年8月)

タイトルには「日本映画」とありますが、その他ドラマやアニメも含めた日本の映像作品が中国でどのように受容されていったかがテーマとなっています。

映画『サンダカン八番娼館』や『おしん』の評論・感想に、「この作品を見て、日本の軍国主義が中国人民のみならず日本人民にも災難をもたらしたということが初めて実感できた」というような文言があることらわかるように、日本映画は中国人の日本理解に大きな役割を果たした。日本映画ブームが過ぎ去った後は、『東京ラブストーリー』などトレンディードラマがその役割を引き継ぎ、中国人に日本への憧れを掻き立てた。「日劇」ブームが過ぎ去った後は日本アニメが注目されるようになったが、中国の若者たちは日本のアニメを日本という国とは切り離して受容しており、日本の映像作品によって日本の内情を理解するという構図が崩れてしまった……というのが本書の主旨です。

以下、本書で面白かった指摘を箇条書きで。

・中国では伝統的にマッチョな男らしさは低次元なものと見なされているので、カンフー映画でもしばしば男性ではなく、女性がカンフーの使い手を演じることとなった。また女性が立ち回りを演じることによって暴力性が緩和されるという効果もあった。
……『児女英雄伝』なんかはまさにこういう考え方に沿って書かれた小説ですよね。

・コン・リーはデビュー当初、中国の山口百恵として売り出された。
……彼女が主演した作品として『テラコッタ・ウォリア』も取り上げられてます。まさかこういう本でこのタイトルを目にするとは(^^;)

・『おしん』は、中国では子役が演じる少女時代ではなく、大人になってからのサクセスストーリーの方が受けが良かった。
……中国人が市場経済を受け入れるマニュアル代わりになったとのこと。

本書でもあちこちに当時の日本映画・日本ドラマブームと、現在進行形の韓国ドラマブームを対比するような記述が出て来ますが、あと2~30年もすればこういった形でアジアでの韓流を回顧するような本が書かれるのでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大幇会 in 関西

2006年08月20日 | 旅行・オフ会・展覧会
昨日は金庸MLの関西大幇会に行ってました。
例年だと大幇会は東京で実施されるのですが、今年は8月に関西、11月以降に関東と二回開催しようということになったわけであります。会場は千里中央の梅香家常菜です。

実は今回は参加者各自金庸キャラのコスプレをするということになっておりまして、私も人生の初のコスプレにチャレンジです。



一応君子剣の岳不群(のつもり)です。地味な色合いと唐詩が書かれた扇子で偽君子っぷりを表現してみました(^^;) ちなみに衣装は妹に作ってもらいました。他の方々も東方不敗(上の写真で背後に隠れている人がそうです。)、『天龍八部』の鍾霊などに扮しておりましたが、顔が写るとアレなので写真のアップは控えておきます。

関東での大幇会でもコスプレ可となれば、もう一度チャレンジしてみたいと思います。

で、昨日出た話題ですが、金庸先生は60年代の時点で武侠物にツンデレを持ち込んだ偉大な作家だということで結論が落ち着きました(^^;)
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ゲド戦記1 影との戦い』

2006年08月17日 | 小説
ル・グウィン著、清水真砂子訳『ゲド戦記1 影との戦い』(岩波書店、2006年4月)

ゴント島の羊飼いであったゲド少年は大魔法使いのオジオンに才能を見出され、魔法使いの学校であるローク学院で学ぶことになる。しかしゲドは自分の才能に傲るあまり、禁じられた呪文を使って自らの影を解き放ってしまう。以来、彼は影に追われる身となり……

取り敢えず原作第1巻を読んでみました。
前に原作は第3巻まで読んだものの内容を覚えているのは第1巻だけというようなことを書きましたが、その1巻も改めて読み返してみると、細部で覚えていたのはオチだけでした(^^;)

これを読むと、ジブリの映画版はやはり第1巻をメインにすべきだったと思いますね。アースシー世界の名前のルール(人々は真の名とあだ名の二種類の名前を持っており、真の名を悪い魔法使いに知られると自分の身が支配されてしまうこともあるので、普段はあだ名の方で呼び合って真の名の方は親兄弟やごく親しい人にしか明かさない。)とか、魔法の設定(魔法を濫用しすぎると宇宙の均衡を崩してしまうので、見識ある魔法使いほど魔法の使用に慎重となる。)といった世界観もちゃんとわかるようになっていますし、それとマスコットになるような小動物も登場します(^^;) 難点を挙げるとすれば、ヒロインらしいヒロインが登場しないことでしょうか。主人公の親友・カラスノエンドウの妹がヒロインといえないこともないですが、登場が話の終盤近くになるうえ、出番自体も少ないですし…… 

しかしこの作品、1巻を読み終えて猛烈に続きが気になるというタイプの作品ではないですね。同じ1巻読み切り形式でも、『ナルニア国物語』の方は続きが気になったものですが。語り口も割と淡々としているので、映像化にあたっては話を盛り上げるために色々と工夫がいりそうですね。って、ここまで書いて映画版がなぜあそこまで平坦でつまらない作品になったか分かった気がしました(泣) 

2巻以降はまた気が向いたら読んでみることにします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

修正パッチで不具合……

2006年08月17日 | 雑記
ここ数日、ネット閲覧中にIEが頻繁に強制終了してしまうのでおかしいと思っていたら、これ↓が原因だったようです……

「Microsoft、『IE』の累積更新プログラムに不具合発覚」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060817-00000001-inet-sci

確かに今まで面倒くさがって、Windows XPをSP2にバージョンアップさせずにSP1のまま使ってきたわけですが…… しかし今までも修正パッチをあてて多少の不具合が起こることはありましたが、ここまで酷いのは初めてです。取り敢えずこの修正パッチを削除したら復調しました。これからはしばらくネットで様子を見てからパッチをインストールしないとしゃあないですなあ。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする