博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『ギリシアの古代』

2012年01月31日 | 世界史書籍
ロビン・オズボン著、佐藤昇訳『ギリシアの古代 歴史はどのように創られるか?』(刀水書房、2011年6月)

英国の古代ギリシア史研究者による入門書。古代ギリシアでは、体育訓練場(ギュムナシオン)が成年男性と少年の出会いの場になっていたという「アッー!」な話題を取っかかりとして、いわゆる「暗黒時代」からアレクサンドロスの時代まで、古代ギリシア史がどのようにして創られたかを追っています。読み応えがあるのも古代ギリシア史の史料について述べた部分です。以下にそれを二、三拾い出してみます。

実際、ギリシア考古学は大方のところ、文献によって突き動かされてきました。シュリーマンをトロイアに導いたのは『イリアス』でしたし、主要なギリシア遺跡の発掘とその解釈に決定的な影響を及ぼしてきたのは、多くの場合、文字史料だったのです。(本書62~63頁)

……どこの世界の考古学もそこだけは一緒なんですなorz

ところが前古典期の考古遺物を読み解こうにも、同時代の文字史料を参照できないこともしばしばあるのです。そうすると、どんなに早くとも前五世紀以降の文献史料を対照して読まねばなりません。モーゼス・フィンリーはそうしたものを「一次」史料と呼ぶ人たちを見ると、軽蔑しながら、ガミガミののしったものです。そうした史料は実際、歴史を反映しているというよりは、むしろ歴史を「創り出して」いるわけですから。ですがその一方で、私たち自身が初期ギリシアの歴史を「創り出す」ときだって(それこそが初期ギリシアの歴史なのですから)、それら後代の記述を無視する余裕はないのです。(本書65頁)

……古代史を専攻するうえでのジレンマですな(´・ω・`) これは中国史で言うと、西周史を『尚書』・『逸周書』や『詩経』、『史記』周本紀を用いずに叙述する、あるいは春秋史を『春秋左氏伝』や『国語』を用いずに叙述しようとするような行為であると例えられるでしょう。ただ実を言うと、私個人としてはモーゼス・フィンリーの態度に非常にシンパシーを感じるですが……

その他にも、口承による伝承も文字による伝承と同じく、自分たちの利害や関心に合わせて話が取捨選択されていくとか、文字による記述は口承伝統に対する批判から始まったとか、史料に対する見方や考え方として色々と面白いトピックが取り上げられています。

本書を読みつつ、考古学の発掘の成果を文献資料の内容にあてはめて解釈しようとする手法が世界的に見て一般的であるのに対し、戦前の反動もあってか考古学の成果をなるたけ文献をまじえずに解釈しようとする日本の考古学のあり方はもっと評価されてしかるべきではないかと考えた次第です。
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絵本楊家将 第7章 七郎遇害

2012年01月29日 | 絵本楊家将
第7章 七郎遇害

七郎が援軍を求めるために軍営に戻り、本陣に足を踏み入れようとすると、酒席での遊びの物音が聞こえます。彼が中に入ると、杯や食器が取り散らかされ、潘仁美が酒を飲んで騒いでいるのが目に入りました。七郎は怒りで全身が震えそうでしたが、我慢に我慢を重ね、高らかに潘仁美に対して言いました。「我らは敵に包囲されてしまい、危機が目前に迫っております。元帥、どうか速く援軍を送って下さい。さもなければ今にも全滅してしまいます!」

潘仁美はちらりと七郎を見て、落ち着き払って言いました。「楊家の父子は戦に長けているのではなかったのかな。本日開戦したばかりだというのに、どうして援軍を求めに来たりするのかね?」七郎は穴から煙が噴き出すほど怒り、罵って言いました。「あなたが我らに五千の軍馬さえ与えてくれれば、我らは十万の遼兵とも戦えるというのに、世の中にこんな理不尽があってたまるものか!」

潘仁美は陰険な口振りで言いました。「ここの軍馬には別の任務があるのだ。申し訳ないが援軍を送ることはできぬ。」七郎は青筋が立つほど怒り狂い、大声で罵ります。「潘仁美、この畜生め、公務にかこつけて個人の恨みを晴らそうとするとは、何と心の狭いやつだ。俺様が生きて戻って来られたら、お前をバラバラに斬り刻んでやるからな!」七郎が言い終えて本陣を出ようとすると、数人の大男が乱入してきて、彼をがんじがらめに縛り上げて門外へと連れ出します。

潘仁美は七郎を樹上に吊させて、手下に命じて矢を放たせました。七郎の体には百三本の矢が当たり、そのうち七十二本が急所に命中し、息が途絶えて死んでしまいました。潘仁美はそれでもまだ恨みが解けず、七郎の遺体を石に縛り付け、黄河に投げ捨てさせました。

さて六郎楊延昭はと言いますと、包囲を突破したものの、援軍が見あたらないので、黄河に沿って引き返して行きます。彼は突然全身に矢が刺さった死体が流れてくるのが目に入りました。六郎がすくい上げて見てみると、何と自分の弟ではありませんか。何本かの矢には「潘」の字が刻まれています。六郎は胸がえぐられるような思いとなり、泣く泣く弟を埋葬しました。

六郎が小道に沿って陳家谷へと戻ると、父親が李陵碑の前で死んでいるのが見え、こらえきれずに声を上げて大泣きし、また父親を埋葬しました。六郎は強い悲しみと、飢えと疲れも加わって、頭がふらつき目がくらんできます。彼が向き直ろうとすると、突然遼兵に包囲されてしまいました。六郎は心の中で、天が我が楊家を絶やそうとするなら、自決してしまえば済むことだと思いました。六郎が自殺しようとすると、背後から突然何者かが飛び出し、武術で遼兵を追い払ってしまいました。六郎が目をこらして見てみると、何と邠陽で行方知れずとなった五番目の兄の楊延徳ではありませんか!兄弟二人悲喜こもごもとなり、抱き合って大声で泣きました。

実は五郎は他の兄弟と邠陽で離ればなれとなった後、五台山で出家して和尚となっていたのです。この日、宋・遼の両軍が陳家谷で戦うと聞くと、五郎は下山して結果を見届けようと思ったところ、はからずも六郎と遭遇したというわけです。六郎は兄に対して父親と弟が無惨な死を遂げたことを泣きながら訴えて言いました。「私は明日陛下の御前に赴いて父上と弟のために無念を訴えることにします。」

次の日の朝、六郎は五郎に別れを告げ、汴梁へと向かいました。潘仁美は楊延昭が逃走したと聞くと、彼が都に赴いて訴え出ると予想し、矢継ぎ早に手を回し、部下の陳林と柴幹を派遣し、都への道中で殺させてしまい、楊家一門を根絶やしにしようとします。

潘仁美が予想していなかったことに、陳林と柴幹は彼の部下ではあるものの、人柄がまっすぐで義侠心に富んでいました。彼らは楊家の忠烈に敬服しており、この機に乗じて六郎を捜し当て、命を懸けて彼を守り、潘仁美の追撃から逃れさせたのでした。

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絵本楊家将 第6章 楊継業殉国(後編)

2012年01月28日 | 絵本楊家将
第6章 楊継業殉国(後編)

呼延賛は話を聞くと、大本営へと突入し、潘仁美を見るや怒鳴りつけます。「この野郎、お前は総大将の身でありながら、わざと儂を陥れおったな!もし楊将軍がいなければ、我らはとっくに全滅しておったというのに、お前は功績を認めないばかりか、将軍を殺そうとするとは!将軍の毛一本でも抜いてみろ、儂がどうしようと悪く思うなよ!」 潘仁美は恐怖のあまり声も出せません。

潘仁美は計略が失敗したと見るや、またもや一計を案じます。彼は軍中の糧秣が不足しているというのを口実として、かたや呼延賛を糧秣の運搬に赴かせておきながら、かたや遼軍に挑戦状を届けさせておき、呼延賛が不在であるのをよいことに、楊継業に応戦に行かせることにしました。呼延賛は楊継業が心配ではありましたが、軍令には逆らえず、楊継業に自分が戻って来るまで戦いに出ないよう再三言い含めるほかありません。楊継業は頭を下げて承諾しました。

蕭撻覧は宋軍の将帥が不和であることを知るや、耶律斜軫に命じて陳家谷に伏兵を仕掛けさせ、かつ耶律奚底には一万の兵馬を率いて宋の軍営で挑発をさせます。楊継業は兵が挑発に応じないよう制止しますが、遼軍の方は罵倒がどんどん酷くなり、潘仁美の方もしきり出兵を促すようになります。楊継業は本当にどうしようもなくなり、潘仁美に対して「陳家谷は地勢が険しく、敵はおそらく伏兵を置いているはずでありますので、明日必ず現地に援軍を派遣してくだされ。さもなければ軍を保つことができませぬ。」と言うほかありません。潘仁美は承諾しました。

二日目、両軍が陳家谷の前で交戦します。楊継業は刀を振り回して耶律奚底を迎え撃ちますが、数合も戦わないうちに、耶律奚底は馬首を巡らせて逃走し、楊継業はその後を追います。数歩も追わないうちに陳家谷に至り、楊継業は引き返そうとしましたが、山上で天を震わせるような怒声が聞こえ、耶律斜軫が伏兵を率いて山の斜面から突撃して来ました。耶律奚底も再び馬首を返して突撃して来て、宋軍はぐるりと包囲されてしまい、危機が目前に迫っておりますが、潘仁美が派遣するはずの援軍は影一つ見えません。

楊継業は楊延嗣に命じて谷の入り口を突破し、潘仁美に援軍を送るよう求めに行かせました。楊継業は全力で戦いつつ、楊延昭に向かって叫びます。「我ら父子は一緒に捕らえられるわけにはいかん、お前は早く脱出するのだ!」楊延昭は泣き叫んで言いました。「私は父上のために血路を切り開きます!」言い終わると、雷のような怒鳴り声を上げ、力を奮って戦い、もう一度振り返ってみましたが、ただ父親が再びぐるりと包囲されているのが見えるだけでした。楊延昭はただ南路へと突撃し、援軍を待つほかありません。

この時、楊令公の部下は百人も残っておらず、彼は残った兵を率いて荒れた廟へと退きました。楊令公が四方を見渡すと、目に入るのは遼兵ばかりで、思わず「天よ、天よ!」と叫んでしまいました。彼が不意に頭を上げると、前方に「李陵碑」と書かれた石碑があるのが目に入ります。楊令公は万感こもごも胸に迫り、金の兜を取り外すと、頭を石碑にぶつけました。にわかに鮮血が飛び散り、楊令公は恨みを込めたまま死んでしまいました。

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絵本楊家将 第6章 楊継業殉国(前編)

2012年01月28日 | 絵本楊家将
第6章 楊継業殉国(前編)

遼兵が邠陽で宋軍を大敗させた後、蕭太后は気分が晴れ晴れとし、口を開いたかと思うと、なんと宋の太宗に領地の割譲を要求しました。太宗皇帝は大いに怒り、自ら馬を駆って親征し、邠陽で包囲された恥辱を晴らそうとしました。大臣たちが一生懸命に諫止したので、太宗はようやく怒りを収め、潘仁美に兵を率いて遼を討伐に赴かせることにしました。

潘仁美の軍事的手腕は平々凡々であるものの、太宗が大将をあてがってくれる様子も無く、心の中は不安でいっぱいでしたが、その時妙案が浮かび、楊継業を呼び寄せて先鋒とするよう太宗に求め、太宗は承諾しました。潘仁美はこれは死んだ息子の潘虎の仇を討ついい機会だと思うと、喜ばずにはいられません。

佘太君はこのことを知ると、これが潘仁美の仕掛けた罠であると察知し、にわかに居ても立ってもいられなくなります。六郎の嫁の柴郡主は義母が気をもんでいるのを見ると、彼女を連れて太宗皇帝に謁見に行き、言いました。「どうか徳望の高い大臣にお義父さまを守らせてくださいませ。」太宗は承諾し、呼延賛を監軍に任命して、楊継業とともに出征させるとともに、楊継業には先に雄州に赴かせて兵馬を徴集させることにしました。

宋・遼両軍が黄龍隘で布陣すると、呼延賛は先陣を切り、陣営を飛び出し、激しく罵倒して言うには、「遼の将兵よ、よく聞け!命が惜しければさっさと退却するのだ。さもないと生きては帰れないぞ!」遼将の蕭撻覧が刀を突き出して遼の陣営を飛び出すと、両人が砂塵の舞い上がるほど激しく打ち合いましたが、八十合あまり打ち合っても勝負が着きません。突然、耶律斜軫が兵を率いて側面から突撃してきましたので、呼延賛は前後に敵に挟まれることになってしまいました。

まさに危機一髪という時、東の方で天を揺るがすような怒声が響きました。楊継業が援軍を率いてやって来たのです。呼延賛は大喜びし、二人の猛将は力を合わせて包囲を突破し、あっという間に遼軍をこてんぱんに倒してしまいました。楊継業と呼延賛は兵を率いて意気揚々と軍営に戻ります。

潘仁美はもともとまず呼延賛を始末してから楊継業を罪に落とそうと思っていたのですが、思いがけず思惑が外れてしまいました。潘仁美は思わず怒りの炎が噴き出て、怒鳴りつけて言いますには、「兵を救うは火より救うが如しと言うが、お前は先鋒の身でありながら、どうして戦機を誤ったのだ?」楊継業は弁解して言いました。「陛下が私を雄州に派遣して兵馬を徴集させておりましたので、駆けつけるのが遅れたのでございます。」

潘仁美がどうして彼の弁解を聞き入れたりするものでしょうか。高らかに罵って言いますには、「お前は軍令を遅延させておきながら、更に陛下を持ち出して言い逃れしようとは。」彼は左右の者に命令を出しました。「誰かある、こいつを引きずり出して斬ってしまえ!」兵士が駆けつけて楊継業を轅門へと連行します。

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『第四片甲骨』その2

2012年01月27日 | 中国近現代ドラマ
『第四片甲骨』第7~12話まで見ました。

いま明かされる胡家と白家の因縁…… 三小姐の父胡鉄成は投獄される前は安陽十三拳会の会長で、三小姐の師父周二爺と白雲の父白石峰が義兄弟として彼を支えるという体制でした。そこへ小説家ではない方の森村誠一が到来し、彼らが殷墟から盤庚の隠した銅鼎と甲骨のひとつを盗掘したら、謝礼として「血沁玉龍」を引き渡そうと取り引きを持ちかけます。胡鉄成は逡巡しつつも取り引きに応じ、盗み出した銅鼎と甲骨を彼に引き渡して「血沁玉龍」を入手します。

ついで森村誠一は白石峰に大金と引き替えに「血沁玉龍」を胡鉄成のもとから盗み出すように依頼。依頼に応じた白石峰ですが、胡鉄成に返り討ちに遭って死亡。以後、息子の白雲は胡鉄成を仇敵視することに。その後「血沁玉龍」は上海の富豪に売り払われ、更に「神偸」胡嵐(その正体は何を隠そう我らが古風……であるらしい)によって盗まれてしまいます。胡鉄成も警察局長劉培生によって投獄され、10年後の現在に至るという次第。しかしその胡鉄成、古風が釈放されてから、「もう用済みだ」とばかりにあっさり劉培生によって射殺されてしまいます。

さてYM甲24坑から銅鼎と甲骨を盗み出した二人組の黒鷹と白鷹ですが、依頼人との接触に失敗して報酬を得ることができず、魚頭客桟での宿代と、YM甲24坑で罠にかかって毒に冒された白鷹の医療費を稼ぐため、黒鷹は甲骨を骨董商兼偽甲骨作りの藍胡子に売却。しかも超安値で買いたたかれたため、更に安陽の大通りで大道芸で日銭を稼ごうとする始末。うっ……この展開には泣ける(´;ω;`)

古風の方は董済堂教授と接触し、実は国民政府の軍事統計調査局の所属で教授を守るのが任務であると、彼だけに真相を明かします。そして董済堂の口から、殷王盤庚が得た「天書」とは、夏易・殷易・周易の三易のひとつで失われた殷易の『亀蔵』(『帰蔵』の誤字ではないらしい』であり、氷河期以前の古文明生物が残したオーパーツであることが判明。これをゲットすると物凄い勢いで文明力がアップするらしい。ということで、話が一気に胡散臭くなってきましたね(^^;)

警察局長の劉培生は盗掘犯の二人組が魚頭客桟に投宿していると知り、ガサ入れを決行しますが、間一髪のところで黒鷹は古風に匿われ、身分を隠して董済堂の助手に。白鷹の方は三小姐に匿われます。古風は更に藍胡子から黒鷹が売却した甲骨を取り戻そうとしますが、一足先に藍胡子は謎の刺客に殺害されてしまい、古風自身も刺客の放った暗器によって傷を受けます。

一方、白雲は十三拳会の総会を招集して胡鉄成の投獄後は事実上空席となっていた会長の座を奪取しようとしますが、そこへ古風と謎の男が三小姐の助っ人として乱入。謎の男の正体は死んだはずの胡鉄成だった!……お約束の展開ですね(^^;) 再会と無事を喜び合う三小姐らと胡鉄成。ここで黒鷹と白鷹の二人組に銅鼎と甲骨の盗掘を依頼したのが胡鉄成であることが明らかに。

ということで、それなんて武侠?という展開が続きますw
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絵本楊家将 第5章 浴血邠陽(後編)

2012年01月25日 | 絵本楊家将
第5章 浴血邠陽(後編)

潘仁美が言うには、「陛下、ご心配には及びません。楊継業がここからほど近い代州におりますので、救援に駆けつけさせればよろしいかと。」太宗はこれを聞くと、慌てて楊延平に包囲網を突破させ、代州に援軍を求めに行かせました。楊令公は消息を聞くと、息子たちとともに援軍を率い、すみやかに邠陽まで駆けつけます。

遼兵は楊家の父子の凄さを熟知しているので、まず援軍を入城させ、彼らを無惨にも城内に閉じ込めてしまおうとしました。楊継業は敵が戦わずに自ら退いたのを見て、策略が仕掛けられているのを察知しました。しかし皇帝をお救いせねばという気持ちが強いあまり、充分に考えが及ばないまま、兵を引き連れて城内に入ってしまいました。

太宗に謁見して言いますには、「陛下、ここに長く留まっているわけにはまいりませんが、城の外は敵兵に取り囲まれてしまっております。こうなってしまったからには、陛下をお救いするにはひとつしか手がありません。誰かを陛下の偽物に仕立て上げて前門より出て投降するふりをさせるのです。私は陛下をお守りして後門から脱出するようにいたします。」太宗はうなずきました。

この時、大郎楊延平が笑って言いました。「今陛下に危機が迫っておりますれば、私が命を捨ててお救いしたいと思います。」太宗は楊延平が引き受けると必ず命を落とすものとわかっていましたが、他にどうしようもなく、ただ承知するほかありませんでした。

二日目の朝、宋軍が白旗を掲げ、楊延平が太宗に扮し、衆人が取り囲む中で、ゆっくりと西門を出て投降するふりをします。遼国の軍隊は旗を倒して太鼓を鳴らすのをやめ、続々と宋朝皇帝の姿を見にやって来ました。

まさにこの時、楊延平が馬車から飛び出し、雷のように大声で叫び、鏢を飛ばして遼将耶律尚の喉に命中させました。遼兵はこれを見ると突撃してきて、混戦の中で楊延平は韓延寿に槍で突き殺されてしまいました。

楊継業は皇帝を護送して東門までやって来たところ、西の方で怒声が沸き起こるのを聞きました。大郎が生きているのか死んでいるのかわからず、心中忍びがたいものがありましたが、主君が側に控えていますので、ただ悲しみをこらえ、馬に鞭を加えて前進させるほかありません。

五十里ほど進むと、後方で砂ぼこりが飛び散り、遼兵が追いついて来ました。楊継業は即座に決断を下し、息子たちをその場に留めて遼兵を遮らせ、自分自身は太宗と八賢王を守りながら、逃走を続けます。楊家の息子は勇猛果敢に敵を殺し、二郎楊延定と三郎楊延輝は乱戦の中で死んでしまいました。四郎楊延朗は遼軍に生け捕りにされてしまいました。五郎楊延徳は失踪してしまいます。楊家の父子は大宋の君臣を救うため、重い代償を支払うことになったのでした。

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絵本楊家将 第5章 浴血邠陽(前編)

2012年01月24日 | 絵本楊家将
第5章 浴血邠陽(前編)

ある日、太宗皇帝はふと思い立って、五台山にお参りに行きたくなりました。八賢王が言うには、「五台山は遼国の国境と近く、今行かれるのは危険でございます。やはり何年かしてから行かれた方がよいでしょう。」太宗は忠告を聞き入れず、楊継業の子の楊延平を護駕大将軍に任命し、二万の禁軍を引き連れて五台山へと向かいました。

この時はまさに秋空が高く空気が爽やかな頃合いで、一行が五台山までやって来ると、住持の智聡方丈が既に僧侶たちを引き連れて山の外で出迎えに来ていました。太宗皇帝が仏殿に至り、読経が終わると、元和宮で精進料理がふるまわれて宿泊しました。

二日目、大臣たちが太宗皇帝に都に戻るように奏上しました。しかし皇帝は日頃皇宮に籠もりっきりで、外に出る機会が滅多にないものですから、どうしてたやすく戻ることを承知したりするでしょうか。大臣たちは太宗とともに物見遊山をするほかありませんでした。

太宗が山頂に上ると、数え切れないほどの美しい峰々が目に入ります。彼は野草が地の果てまで連なる所を指さして群臣に尋ねました。「あれはどこだ?」潘仁美が言うには、「あれこそが幽州で、風景がたいへん美しうございます。」太宗はこれを聞くと、幽州に遊覧に行きたいという考えがおこり、「さようか、ならば文武百官は朕とともに幽州を遊覧せよ。」と言いました。八賢王は慌てて諫めて言いました。「断じてなりません!幽州は遼主蕭太后の縄張りでございます。陛下が行かれるのは、自分から罠に飛び込むようなものですぞ。」

太宗はそうは考えずに言いました。「朕には千軍万馬の護衛がおる。蕭太后が何をしようと恐れることはない!」大臣たちはもう諫めようとはせず、太宗とともに幽州へと出発するばかりです。一行は幽州からほど近い邠陽までやって来ましたが、前方には砂ぼこりが飛び散るのが見えるのみ。そこへ遼将の耶律奇が兵を率いて行く手を阻みます。楊延平が槍を突き出し馬を鞭打って突進すると、数合も槍を交えないうちに馬首を巡らせて逃走してしまいました。楊延平は太宗を邠陽城まで護送します。

蕭太后は太宗皇帝がやって来たと聞くと、冷笑して言いました。「いい度胸だ!もともとこちらが出兵してやつを討伐しようと思っていたのに、自分からこちらにやって来てくれるとは!」言い終わると、天慶王耶律尚に一万の精兵を率いて邠陽に向かい、宋の太宗を生け捕りにするよう命令を下しました。

耶律尚は兵を引き連れて邠陽城下までやって来ると、水も漏らさぬほど厳重に城を取り囲んでしまいます。太宗はその様子を見てたいへん後悔しました。

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絵本楊家将 第4章 太宗征遼

2012年01月22日 | 絵本楊家将
第4章 太宗征遼

宋の太宗は太原を攻め落とし、北漢を滅ぼした後、また自ら宋軍を率いて幽州に出兵し、大遼を討伐することにしました。太宗は大軍を率いて長駆して突き進み、無人の野を進むように、一気に遼国の都の幽州に攻め込みます。

蕭太后は宋の軍兵が城下に迫っていると聞くと、たちまち驚いて顔色が真っ青となり、ただちに将官を招集して対策を協議しました。彼女は最後に丞相の蕭天佑の意見を受け入れ、耶律奚底と耶律沙をそれぞれ正・副の先鋒に任じ、五万の精兵を率いさせ、城を出て応戦させることにします。宋軍の大本営では、呼延賛が奮い立って自ら先陣をつとめることを志願し、高懐徳が後援となりました。潘仁美は彼らに八千の軍馬を与え、二人は命令を受けると、兵を率いて出陣します。

朝から昼頃までずっと混戦が続き、勝負が着かないというのに、双方の軍馬が持ちこたえられなくなり、それぞれ兵を引き上げ、二日目の再戦を待つほかありませんでした。呼延賛と高懐徳は大本営に戻り、太宗に「遼の耶律沙と耶律奚底は誠に猛将でございますぞ!」と報告しました。太宗は勝利を焦り、二日目は自ら出征することに決めました。

二日目、夜が明けたかと思うと、遼兵は宋軍が大挙して突撃してくるのを目にすることになったのでした。呼延賛は最前線で進撃し、大声で「遼軍の将兵よ、早く掛かって来い!」と叫びました。遼将の耶律沙が出撃し、呼延賛と一騎打ちとなりました。この時、突然宋軍の後方で砲声が響きました。実は、遼軍の将帥耶律学古が精兵を率いて宋軍の後方を攻めて来ており、宋軍はにわかに浮き足だってしまいます。

太宗は情勢が思わしくないのを見て逃走するものの、耶律休哥の部将兀環奴が後方から猛追していきます。宋の軍営の中で楊継業は太宗が危ういのを目にすると、楊延昭に急いで太宗を救援に行かせました。楊延昭は馬を疾走させて兀環奴に追いつき、交戦して二合にもならないうちに槍を胸に命中させ、彼を突き刺して落馬させました。

この時七郎楊延嗣も駆けつけ、急いで太宗を馬に乗せます。六郎は前方で命がけで突撃し、太宗はその後を追い、まさに危機一髪という時に、楊継業・高懐徳・呼延賛が相次いで駆けつけて合流し、ついに包囲網を打ち破り、太宗を護送して無事に定州まで逃れさせたのでした。

太宗が定州に戻って営舎を設けると、諸将がやって来て太宗に拝謁しました。太宗は言いました。「この度はもし楊家の父子がおらねば、朕は危うく命を失うところであった。」そこで彼は命令を下して楊継業を代州兵馬元帥に封じ、また御妹の柴郡主を六郎の妻として婚約させることにしました。そして全軍の将士には鋭気を養い、雪辱を晴らす機会を待つように命令したのでした。

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『第四片甲骨』その1

2012年01月21日 | 中国近現代ドラマ
時は殷代。殷王盤庚は夢のお告げにより現在の安陽の地に都を遷し、そこで亀甲に刻まれた「天書」を入手。そしてその「天書」から得られた知識によって殷王朝は一夜にして高度な文明を獲得したのでありました。盤庚はその亀甲を四つに分けてそれぞれ銅の方鼎に保存し、何処へかと隠します。

それから長い年月が過ぎ去り、1937年、日中戦争前夜の中国。安陽殷墟では中央研究院の董済堂教授(実際に当時殷墟の発掘にあたった董彦堂すなわち董作賓と李済の名前から取った架空の人物)らのグループがYM甲24坑の発掘に尽力しておりました。日本軍がその安陽に隠された「天書」を奪取すべく「骷髏計画」を始動したとの情報を入手した中国当局は、それを阻止するために主役の古風を安陽へと派遣。古風は上海の骨董屋と身分を偽って三小姐(彼女が本作のヒロインですが、本名は不明。)が経営する魚頭客桟に投宿。

しかしその古風がなぜか「天書」と密接な関係があるらしい「血沁玉龍」を持っていたことで、それぞれ「天書」を狙う三小姐、白家拳館の主で安陽の有力者白雲(三小姐とは父親の代に色々因縁があったらしい)、安陽警察局長の劉培生に付け狙われることに……。

ということで、安陽殷墟を舞台にした抗日伝奇『第四片甲骨』を見始めました。今回は第1~6話まで鑑賞。話の舞台になっているというだけではなく、実際に安陽で撮影された作品とのことです。





こういう発掘現場とか、文物管理所なんかも安陽で撮影されたのでしょうか?

で、そんな中、謎の組織から派遣された二人組が夜な夜な董済堂の同僚呉子良教授を射殺し、YM甲24坑に忍び込んで隠されていた青銅の方鼎を盗み出すという事件が発生。この銅鼎こそが盤庚が隠した鼎の一つなのでありました。劉培生は古風を呉子良殺害容疑で投獄し、しかもめざとく古風が「血沁玉龍」を持っているのを見つけると、それを没収。獄中で古風は謎の囚人と対面しますが、彼は実は三小姐の死んだはずの父親胡鉄成であるようですが……?

その後、三小姐が保証人となって釈放された古風ですが、YM甲24坑から銅鼎を盗み出した二人組がたまたま魚頭客桟に投宿しているのを知ると、二人の動きを監視。

その頃、董済堂は劉培生と調査・発掘にたずさわる学生の何晴・馬文遠に事の発端を聞かせておりました。すなわち十年前、女学生何晴の父親何光漢と同僚の劉誠一が偶然安陽の廟で「血沁玉龍」と盤庚の隠した銅鼎の一つ、そして「天書」のことを記した古書『亀鑑宝蔵』を発見したことが、世に殷代の「天書」が知られるきっかけとなったのでした。しかし劉誠一の正体は実は日本のスパイ森村誠一(某小説家と名前が同じ……というツッコミはしないでくださいw)であり、彼はその後何光漢を殺害し、銅鼎を強奪して逃亡していたのでした……

ということで、いい具合に話が胡散臭くなってきました(^^;) 最後は当然の如く日本軍が悪者という話になるんでしょうけど、伝奇チックな展開に期待しながら見ていきたいと思います。
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絵本楊家将 第3章 楊継業帰宋(後編)

2012年01月19日 | 絵本楊家将
第3章 楊継業帰宋(後編)

太宗が軍営に戻ると、八賢王趙徳芳は皇帝の心中を察して言いました。「楊家の父子を投降させることで悩む必要はございません。私が思いますに、間者を河東に忍び込ませ、反間の計を用いれば、楊家の父子を我が大宋に仕えさせることができましょう。」

太宗は喜んでこれを聞き入れました。八賢王はまた太宗に楊光美を推薦し、河東に潜入させて反間の計を実施させることにしました。楊光美は劉鈞の大臣の趙遂が欲深いのを知ると、彼に多くの金銀財宝、絹や錦の反物を贈りました。趙遂ははなから劉鈞が楊家の父子を寵愛するのに嫉妬していたうえに、更に金銭の誘惑もあったので、劉鈞の面前に赴いて讒言をまくしたてました。「楊継業は以前に殿の指示を仰がずに、勝手に宋朝と講和をしましたが、実はやつはその時既に宋朝と私通していたのです。只今宋の軍兵が城下に臨んでおりますが、やつの反逆心は誰もが知るところです。殿はくれぐれも用心をなさるべきです。」

劉鈞は趙遂の讒言を真に受け、しきりに楊継業に出陣するよう促して、楊継業が北漢に対して忠実であるかどうか試そうとしました。しかし楊継業が城を出て戦いを挑もうとし、喉が破裂しそうなぐらいに大声で叫んでも、宋軍からは誰も挑戦に応じようとはしません。楊継業はどうしようもなく、兵を城に引き上げさせるほかありません。はからずも宮殿の前まで来ると、数人の衛兵に捕らえられてしまいました。楊継業はその原因がわからず、大声で驚き叫びました。「私めに罪はございませんのに、どうして捕らえられるのでしょうか?」劉鈞は怒ってわめき立てました。「お前は密かに反逆を企んでおったであろう、私が知らないとでも思ったのか?それなのにまだ罪が無いなどと言いおって、つまみ出して斬ってしまえ!」しかし丞相以下の老臣がみな跪いて楊継業の赦免を求めたので、劉鈞はようやく怒りを収めました。

太宗は劉鈞が楊継業を殺そうとしたと聞くと、楊光美を楊継業のもとに遣わします。彼に対して言うには、「大宋の天下統一は、既に大勢の趨くところとなっています。漢主の劉鈞は凡庸で無能、かつ讒言を真に受け、もう少しで英雄の命を失わせてしまうところでした。貴殿は天朝に帰順し、暗君を捨てて明君に身を投じられた方がよろしいかと。」

それから数日の間、劉鈞は使者を派遣して督戦させるものの、楊家軍には糧秣を与えませんでした。楊家軍は上下で議論が沸き起こり、兵士もやる気を無くしてしまい、少しの闘志も無くなってしまいました。太宗はまた楊光美を代州に行かせ、楊家の父子は主君の命に反抗して逃亡を図っており、漢主の劉鈞は大遼と連合して楊家軍を討伐しようとしていると、流言を広めさせます。この情報が伝わると、楊家軍は蜂の巣をつついたような騒ぎとなりました。楊継業は不安で居ても立っていられなくなり、七郎・八郎と八姐・九妹はともに楊令公に宋朝に帰順して功績を建てるよう勧めました。

楊令公は天を仰いで長嘆し、王貴と相談して決心すると、部下を宋軍へと遣わし、帰順に応じると伝えさせました。

これにより、楊家軍は大宋に帰順したのでした。楊家軍がいなくなってしまうと、北漢王朝はたちまち滅亡してしまいました。

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