博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『荘子に学ぶ』

2012年02月23日 | 中国学書籍
J.F.ビルテール著・亀節子訳『荘子に学ぶ コレージュ・ド・フランス講義』(みすず書房、2011年8月)

本書はスイス人の中国思想研究者ビルテールがコレージュ・ド・フランスで行った講義をまとめたものということですが、最近読んだ菊池章太『道教の世界』(講談社選書メチエ)の中で紹介されており、気になったので読んでみることに。

で、しょっぱなから「翻訳という試練を経ていない解釈など、主観的かつ恣意的になるにきまっていると、およそ私は考えている」(本書7~8頁)とあって思わず笑ってしまいました。これでは中国人研究者の立つ瀬が無いw もっとも、実際は中国人研究者も現代漢語ないしはもっとわかりやすい古代漢語への翻訳を経て解釈してるはずですけど。

本書の眼目は『荘子』の思想を伝統的な中国学の文脈から切り離し、ヴィトゲンシュタインやモンテーニュらの思想と比較しつつ自由に論じるという点にありますが、正直そのあたりの哲学的な話は私にはよくわかりませんので、ここではスルーしておきます。

私が気になったのは『荘子』の位置づけについてです。『荘子』はこれまで『老子』とともに道家思想あるいは道教のルーツとして扱われてきましたが、ビルテール先生の見解によると、荘子は儒家的な教育を受けているように見受けられ、更に『老子』は前3世紀に『荘子』より後に書かれた書であり、『荘子』の中で老子が孔子の先達として登場していることにインスピレーションを受け、言わば権威付けのために老子を作者としたものであり、『荘子』を『老子』などと同じく道家に分類するのは不適切であるとのことです。

確かに荘子が生きた東周期に儒家や道家といった分類があったわけではないので、発想としてはかなり面白いと思うのですが、本書において荘子が儒家的な教育を受けていたという点について詳論されていないのは残念。(同じ著者の『荘子研究』では詳論されているらしい。)

『老子』が『荘子』より後に書かれたという説については、著者自らが近年の考古学的発見により放擲せざるを得なくなったと注記していますが、これはおそらく戦国中期のものと見られる郭店簡『老子』の発見を指して言っているのでしょう。しかし郭店簡『老子』にしても竹簡自体に『老子』と題名がつけられているわけではないので、戦国期にあってこの書が何と呼ばれていたのかはわかりませんし、この書が当初老子とは無関係であったのが、後になって老子が作者として仮託されるようになった可能性も充分にあるように思われます。

ということで、ビルテール先生の説はある程度修正を加えればまだまだ通用する余地があるのではないかと考えた次第です。

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