女ことばってなんなのかしら?: 「性別の美学」の日本語 (河出新書 063)の
感想金水敏『ヴァーチャル日本語』からの流れで読む。著者は実のところ「~だわ」のような女ことばには否定的ではなく、意思表示の弱い「女性らしい言い回し」を問題とする。欧米言語にもその種の言い回しがあることや、そもそも日本語自体が女性的という指摘が面白い。言い回しの話だけでなく「少女」に対して「少男」という言葉はないというような語彙の問題、更には「女の敵は女」のような論法の問題へと話が広がっていく。日本語学の研究者の議論と比べると深みに欠ける感は否めないが、切り口が面白い。
読了日:08月01日 著者:
平野 卿子
自称詞〈僕〉の歴史 (河出新書)の
感想中国から伝来した自称詞「僕」が、江戸時代に儒学的な文脈で身分を超えた友愛の絆を示すものとして使われ、松陰ら幕末の志士が同志との連帯を示す自称詞として頻用したことで、明治以後学校教育などを通じて自称詞として普及していく。しかし学生、知識人などエリートが好んだということで軍隊などでは忌避された。また、使用が男性にほぼ限定されるというジェンダー上の限界もあった。それが現代に入り、新たな展開を迎えていく。歴史学、文学だけでなく社会学的な視点も取り入れた総合的な議論になっている点が評価できる。
読了日:08月04日 著者:
友田 健太郎
<
蘭亭序之謎 下 (行舟文庫 GSと 1-2)の
感想上下巻合わせての感想。女探偵の裴玄静とミステリアスなイケメン崔淼が互いに騙し合いながら蘭亭序の謎に挑むという筋で、柳宗元、李賀に聶隠娘と、唐後半期、憲宗の時代のオールスター総出演のような雰囲気になっている。弱まる皇権に跋扈する藩鎮と、時代設定もそれなりにうまく生かせている。肝心のオチは「まあ」という感じなのだが、ダヴィンチコードよりは現実的な話になっている。
読了日:08月08日 著者:
唐隠
歴史学入門: だれにでもひらかれた14 講の
感想第Ⅰ部で論文の書き方、史学史など歴史学の基本的な事項を押さえ、第Ⅱ部でグローバリゼーション、ジェンダーなど個別のテーマについて議論するという構成。科学史の章でピタゴラスの定理などが本当に西洋で発明されたと評価してよいのかという問題を提示したり、帝国主義の章でウクライナ戦争から帝国主義時代の国際社会のあり方を見出したり、個別の議論には注目すべき点が多々ある。しかし特に第Ⅱ部で古代、中世への言及がほとんどないのが気になる。これでは古い時代を専攻する学生がそのテーマを他人事のように見なすのではないか?
読了日:08月10日 著者:
ゲーセン戦記-ミカド店長が見たアーケードゲームの半世紀 (中公新書ラクレ 797)の
感想ゲーセン経営者の半生とゲーセン業界の内幕。本書で扱われる年代は、私がゲーセンに出入りしなくなった時期の方がずっと長い。あれからゲーセンなんて廃れる一方だとばかり思っていたが、その間にも個別のゲームのブームや試行錯誤が色々あったんだなあと感じた。与信システムやネットワーク対応による課金制など、業界のシステムに関する解説があるのもよい。
読了日:08月12日 著者:
池田 稔
巫・占の異相: 東アジアにおける巫・占術の多角的研究の
感想東アジアの古今の巫的存在や占術について。第二章では、鎌倉幕府のような武家政権も公家と同様に怪異を受けて百怪祭のような祭祀を施行しているというのが面白い。第三章では、今までほとんど概説・研究を見たことがない日本中世の風水思想に関する議論がある。沖縄をクローズアップしているのも本書の特徴で、第四章ではユタなど沖縄のシャーマニズムに関する議論がある。ユタ(的な人々)、あるいは横浜中華街の占い師は、彼らがそのような活動を始める経緯を見ていると、台湾で神かがりになるような人と状況が似通っているように感じた。
読了日:08月15日 著者:
小南一郎,大形徹,山下克明,上野勝之,平林章仁,豊田裕章,奈良場勝,山里純一,中町泰子,塩月亮子,吉村美香
未完の天才 南方熊楠 (講談社現代新書)の
感想その記憶力について書物を書き写すことで内容を覚えるタイプだったことや、同様に喧伝される語学力の実際、ネイチャーへの投稿論文が基本的に自然科学ではなく科学史や比較文化史に属するものであり、東洋事情のスペシャリストというポジションと見なされていたこと、妖怪の存在を信じていなかったことなど、等身大の熊楠象を描き出す。熊楠のイメージが逆立ちしてもマネの出来なさそうな天才から、努力を重ねれば少しは近づけそうな存在へと変わりそう。
読了日:08月17日 著者:
志村 真幸
アートとフェミニズムは誰のもの? (光文社新書 1268)の
感想フェミニズム・アートを題材に、フェミニズムとアートの読み解き方の両方の良い入門書となっている。本論にあたる第3章でフェミニズムの視点から従来のアートやその作者に対する批判を行い、第4章でフェミニズム・アートの実践例を示すという流れとなっている。前衛芸術家たちが従来のジェンダー構造に無批判でそれを温存してしまうというような問題はどの分野でも見られるものだろう。またアートの読み解き方自体は、フェミニズム・アート以外にも応用できそうである。
読了日:08月18日 著者:
村上由鶴
遠野物語 全訳注 (講談社学術文庫)の
感想現代語訳なんて必要か?と思っていたが、訳文は確かに読みやすい。部分的にしか付けられていないが、訳注も全訳注シリーズの他の本とはかなり趣が異なっており、当該項目の関連の研究の紹介を中心とする、長文にわたるものである。巻末の付録は実質上の解説、解題で、『遠野物語』の研究史や、これまでどう読まれてきたかがまとめられている。本書を別の版で既に持っている読者も買う価値があると思う。
読了日:08月20日 著者:
柳田 國男
桓武天皇: 決断する君主 (岩波新書 新赤版 1983)の
感想桓武の血統と長岡京、平安京への遷都が話の中心。蝦夷征伐の話はやや控えめ。血統については祖父の施基皇子以来、擬制的な形でも「天武系」という意識を強く持っていたこと、また同時に父・光仁と自身の婚姻によって「聖武系」という意識も持っていたことを強調。この点は学界での評価が気になる所だが。政治的なパフォーマンスを好み、自身の権威向上のために蝦夷征伐を進めたとか、『続日本紀』の著述に介入したというあたりは、李世民など中国皇帝の姿を連想させる。
読了日:08月22日 著者:
瀧浪 貞子
足利将軍たちの戦国乱世-応仁の乱後、七代の奮闘 (中公新書, 2767)の
感想第九代義尚から最後の義昭まで、室町後半期の足利将軍のあゆみを見ていくことで、彼らが主体性のない傀儡などでは決してなく、戦国大名たちにとって現代の国際機関にも似た役割を担っていたことを論じる。本書では足利将軍が応仁の乱以後も百年にも渡って存続したと言うが、同様の立場にあった東周王朝なんかと比べると、たった百年「しか」続かなかったのかと感じてしまう。また本書では国際政治学の知見も活用されているが、東周王朝についてもやはり同様の視点からの研究がある。
読了日:08月24日 著者:
山田 康弘
アマゾン五〇〇年: 植民と開発をめぐる相剋 (岩波新書, 新赤版 1985)の
感想物語ブラジルの歴史+天然ゴムの世界史+日米アマゾン植民史といった趣の本。現地の自然環境や文化に適応しようとせず、植民に失敗するアメリカ人の姿、「ゴム兵」を含む移民たちを「棄民」同然にした日本やブラジル政府の対応、現地での排日に科学を持ち出す態度は現在の日本、アメリカ、ブラジルのありようも示唆するだろう。戦中の日本の植民にブラジルが当時進行していた満洲事変を持ち出して警戒したというのもごく自然な発想で当たり前だろう。
読了日:08月27日 著者:
丸山 浩明
ヒエログリフを解け: ロゼッタストーンに挑んだ英仏ふたりの天才と究極の解読レースの
感想ロゼッタストーンの発見から解読までを、解読に関わったシャンポリオンとそのライバルにして「友」と言うべきヤングなど、学者たちの事績を中心に描く。原著者の文章がうまいのか、あるいは訳文がうまいのか、内容の無い部分も含めてとにかく読ませる。直接本筋に関係しない豆知識的なエピソードをうまく織り交ぜている。しかしヒエログリフの解読は中国の甲骨文字の解読と通じる部分もないではないが、甲骨文の直接の子孫と言うべき漢字や漢語を使い続けていた中国と比べると遥かに困難であると思わせられる。
読了日:08月30日 著者:
エドワード・ドルニック