博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

長期更新停止のお知らせ

2021年11月01日 | 学術
病気により当面更新を停止します。
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『中国古代史研究の最前線』

2018年03月23日 | 学術
星海社新書より『中国古代史研究の最前線』を出版しました。来週ぐらいには全国の書店の店頭に並ぶようです。



出版社HPより、第1章第1節までの試し読みができるようになっております。
http://ji-sedai.jp/book/publication/kodaishi.html

試し読みで詳細な目次が確認できるようになっていますが、こちらでも揚げておきます。

序章
……甲骨は龍骨だったか/本書の目的と構成/出土文献と伝世文献/歴史学と考古学

第1章 幻の王朝を求めて
第1節 殷墟の発見と甲骨学の発展
……甲骨文発見の反響/殷王の系譜/王国維の二重証拠法/信古・疑古・釈古/殷墟発掘/甲骨文とは/甲骨文の五期区分/日本での懐疑論/奴隷制をめぐる議論/軍隊を率いた王妃/歴組卜辞と分組分類
第2節 夏王朝の探究
……夏墟を求めて/偃師商城の発見/夏商周断代工程/王権の成立/中国考古学の文献史学指向
第3節 古蜀王国としての三星堆
……三星堆遺跡の概要/縦目仮面と蜀王蚕叢/神樹と十日神話/文献の奴隷・脚注としないために/共通性から見る/「中華文明」の源のひとつとして

第2章 西周王朝と青銅器
第1節 西周紀年の復原
……西周青銅器と窖蔵/金文とは/武王克殷の年代/夏商周断代工程の西周紀年/矛盾を来した年代
第2節 非発掘器銘をどう扱うか
……豳公盨への疑念/あの器もこの器も/非発掘器は資料として使うな?/晋侯蘇鐘は発掘器か非発掘器か
第3節 周は郁郁乎として文なるか?
……孔子の理想/用鼎制度と礼崩楽壊/五等爵制は存在したか/西周の官制と『周礼』

第3章 春秋史を「再開発」するには
第1節 『左伝』が頼りの春秋史研究
……春秋史研究の苦境/『左伝』とはどのような文献か/『左伝』の腑分け/『左伝』の魅力に取り憑かれる研究者
第2節 東遷は紀元前七七〇年か
……清華簡『繋年』の出現/東遷の認識① 『史記』と『左伝』から/東遷の認識② 『竹書紀年』から/東遷の認識③ 清華簡『繋年』から/東遷の年代/真説・夏姫春秋① 『左伝』と『国語』から/真説・夏姫春秋② 清華簡『繋年』から
第3節 盟誓の現場から
……盟書の発見/侯馬盟書の内容/侯馬盟書と范氏・中行氏の乱
第4節 春秋諸侯のアイデンティティ
……曾侯と天命/虚構性が問われなかった始祖伝承/呉は太伯・仲雍の子孫か

第4章 統一帝国へ
第1節 陵墓と死生観の変化
……文革中の大発見/死者の宮殿として/兵馬俑に課せられた使命/天上世界と地下世界/様々な死生観
第2節 竹簡インパクト
……竹簡とは/簡帛発見の歴史① 前近代/簡帛発見の歴史② 清末・民国期/簡帛発見の歴史③ 一九七〇年代/簡帛発見の歴史④ 一九八〇年代以後/非発掘簡の流通と偽作説/「骨董簡」問題
第3節 竹簡から何が見えるか
……甲骨卜辞から卜筮祭禱簡へ/庶民のものとなった占い/国家の歴史と個人の歴史/四面楚歌の裏側で/「歴史記憶」の戦争

終章
……嫌われ劉賀の一生/本当に疑古時代を抜け出すべきか?

あとがき
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『周―理想化された古代王朝』

2016年09月14日 | 学術
このたび中公新書から、『周―理想化された古代王朝』という本を出版することになりました。


著者用の見本版の写真です。出版社の紹介サイトはこちらになります。↓
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/09/102396.html

私の先輩落合淳思さんが昨年出版された『殷―中国史最古の王朝』のシリーズ的な書籍となります。9月20日頃から書店に並ぶ予定ですので、良かったら手に取ってみてください。

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西周期における祭祀儀礼の研究(4/3取り扱い店追加)

2014年04月03日 | 学術
このたび朋友書店より『西周期における祭祀儀礼の研究』という本を出版しました。



A5版242頁、本体価格6000円、ISBN978-4-89281-139-5 です。

以下、本編目次を揚げておきます。(〓は外字部分)

序論 西周祭祀儀礼研究における二つの問題
 第1節 西周祭祀儀礼研究と二重証拠法
 第2節 西周祭祀儀礼研究と文化人類学的手法
  (1) 文化人類学的手法の問題点
  (2) 歴史学的手法への展望
 第3節 本書の構成
第1章 献捷儀礼の変化
 はじめに
 第1節 献捷儀礼の概要
 第2節 西周前・中期の献捷儀礼
  (1) 献捷儀礼中の燎祭
  (2) 献捷儀礼中の〓祭
  (3) 周王主催の祭祀について
 第3節 西周後期・春秋期の献捷儀礼
  (1) 貢納としての献捷儀礼
  (2) 廷礼の形式による儀礼
 小結
第2章 祭祀儀礼の場の変化(一) 〓京
 はじめに
 第1節 〓京の位相
  (1) 〓京の地望
  (2) 〓京から〓へ
  (3) 周の京について
 第2節 周康宮の経営と〓
 小結
第3章 祭祀儀礼の場の変化(二) 周新宮
 はじめに
 第1節 周新宮の用例
 第2節 西周中期における儀礼の変遷と周新宮
 第3節 西周後期における周新宮
 小結
第4章 祭祀儀礼の参加者と賜与品の変化
 はじめに
 第1節 会同型儀礼の分析
  (1) 参加者
  (2) 賜与品
 第2節 冊命儀礼の分析
  (1) 参加者
  (2) 賜与品
 小結
第5章 蔑歴の時代
 はじめに
 第1節 蔑歴とは何か
 第2節 類似の語句
 第3節 断代の問題
 小結
第6章 冊命儀礼の形式とその確立
 はじめに
 第1節 任命儀礼の種類と形式
  (1) 冊命儀礼の形式
  (2) 冊命以外の任命儀礼
 第2節 西周前・中期の任命
 第3節 西周中・後期の任命
  (1) 冊命儀礼確立の過程
  (2) 右者の役割について
  (3) 「邦君」への任命
 小結
終章 東遷以後の周王朝とその儀礼
 第1節 西周期における祭祀儀礼の展開とその背景
 第2節 西周以来の儀礼の継承
 第3節 子犯鐘の時代
 第4節 周王朝による賜命礼の施行
 おわりに

版元の朋友書店(出版業だけでなく中国学関係の専門書の販売もやってます。というよりそちらが本業です)と、東方書店でも取り扱いを開始しました。
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漢情研2010年度公開シンポジウム「電子出版の動向と諸問題」 私家版まとめ

2010年07月11日 | 学術
昨日は慶応大阪リバーサイドキャンパスで開催の「漢情研2010年度公開シンポジウム『電子出版の動向と諸問題』」に行ってました。既に師茂樹氏による実況まとめもアップされているので、今更内容をまとめる必要も無いかなと思いましたが、取り敢えず個人的に面白かったポイントだけを挙げておきます。

今回は田代真人氏が主に電子出版のビジネスとしての面、守岡知彦氏が技術面、石岡克俊氏が法的な面について発表されてました。この中ではアゴラブックス取締役として関わっておられる田代氏の話が最も面白かったかなと。

○出版には印刷・製本費以外の経費の占める割合が多く、電子書籍にしてみたところでそれほど安くなるわけではない。更に著者の印税を現行の10%から引き上げようとすると、紙の本と変わらない値段になってしまう。

○再販制と取次会社の存在を中核とする現在の日本の出版体制は、出版社のみならず著者の利益も守っている。現在の体制では出版した時点で取り敢えず初版部数分の印税が著者のもとに振り込まれるが、電子化によってそうした体制が崩れ、実売部数のみの印税となると、著述業で食べていくことは現在より更に困難になる。

○出版社を経由せず個人での出版が容易となると、書籍の質が現在より低下する恐れがある。これまで出版社に持ち込んで編集の判断で出版を断られていたような人も、ある程度の資金があればドンドンと電子書籍を出してくるだろう。あるいはインディーズ出版がどんどん出て来れば面白い状況になるかもしれない。→電子出版は同人作家とトンデモさんにとってビッグチャンス!というとこか(^^;)

○電子書籍は、学術書の出版に限ってみれば、著者による出版費用の負担がはるかに軽くなり、メリットが大きい。著者が自分でDTPソフトが扱えればなお良し。

○電子書籍に参入する企業の中では、Googleの立ち位置がやや特殊。これは創業者2人が元々スタンフォード大学の図書館に所属しており、効率的な図書館の蔵書検索が事業の起点となったことに関係。

全体的に編集者の役割を強調する論調になってましたね。出版において編集者が本当に必要なのかどうかは、発表の中にもあったように1つの本を編集者が介在したバージョンとしないバージョン(いわばディレクターズ・カット?)の両方を出してみて読者の反応を見るしかないんでしょうけど。あと、電子書籍を安くするには出版社の社員の給料を半額にするしかないなんて話も出てましたが、実際は全社員の給料を半額にするかわりに、給料はそのままで社員の数を半分にするという方策に出そうな悪寒が……

石岡氏の発表ではAppleの検閲問題が話題に挙がってましたが、これは現在のようにAmazonなどの有力な対抗馬が市場に存在し、それらがカルテルなどを結んで結託しない限りは、一企業の方針ということで何の問題もないとのこと。

個人的なツボとしてはこんな所でしょうか。あと、参加者のi-pad、i-phoneの所有率の高さは異常(^^;) i-pad は電子書籍の端末としては大きすぎるかなと思ってましたが、実物を見てみると横画面にして見開きの状態で読むには丁度いい大きさですね。
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西周斉地出土青銅器銘文

2010年04月20日 | 学術
入院中は当然のことながら『文物』『考古』などの中文専門誌を見ることが出来ない状態でした。それで退院する少し前に指導教授と電話で「最近何か新しい遺跡とか金文とか出ました?」「いやあ、そんなに大したの出てないな」というような話をしていたのですが、本日nagaichiさんの『枕流亭ブログ』を見ると以下のような記事が……

「太公望の墓……?」

要するに最近山東省淄博市高青県陳荘村にて西周期の墓葬やら車馬坑やらが発見され、おまけに「斉公」の銘がある青銅器まで出土したもんだから現地では「ここが太公望の墓だ!」という説まで出て来て大騒ぎという話です。「斉公」の銘のある青銅器については次の記事を参照。

「山東省首次発現“斉公”銘文和西周刻辞卜甲」(中国新聞網)

記事中では銘文の字釈を微妙に間違えてますが、「豊肇作厥祖甲斉公宝尊彝」、すなわち豊という人物が初めて祖先の祖甲斉公を祀る青銅器を作ったとありますね。ただ、上の記事の画像だと肝心の「斉」の字がどうもはっきりしないのですが……

で、nagaichiさんの記事によると、今月に入ってこの遺跡から出た70余字の銘文を持つ青銅器が発表されたとのこと。次の記事は銘文の比較的はっきりした写真が掲載されているものです。

「山東陳荘西周遺址発現站立殉馬 重要性或超曹操墓」(新華網山東頻道)

ただ、肝心の銘文の写真が上下逆さまの状態なので、これをひっくり返してみました。



これを文字におこしたのが以下の文。後ろに(?)が着いているのは不確かな文字、□の部分は読み取れなかった文字です。(「これはこの字じゃね?」という意見がありましたら御教示下さいませ。)また、「女」字を直接「汝」字に置き換えるなど、通仮字に関しては寛式で表記してあります。

隹正月壬申王各于周(?)龏大室王若曰引余既命汝更乃祖(?)□司斉師余唯申命□賜汝彤弓一(?)彤矢百馬四匹□乃□毋敗□引拝稽首対揚□□同□追俘兵用作□公宝簋子子孫孫宝用

下はその書き下し文。

隹れ正月壬申、王、周の龏大室に各(いた)る。王若(かくのごと)く曰はく、「引、余既に汝に命じて乃の祖を更(つ)がしめ、斉師を□司せしむ。余唯れ命を申(かさ)ぬ。□汝に賜彤弓一・彤矢百・馬四匹を賜う。□乃□、毋敗□。」引拝稽首し、□□に対揚す。同□追して兵を俘し、用て□公の宝簋を作る。子子孫孫宝用せよ。

新華網の記事中の銘文の大意を参照して分からない所を適当に補って訳すと、こんな感じ。

正月壬申の日、周王は周の共王を祀る宮室に到来した。(そこで引という人物に対して)このように言われた。「引よ、余は以前に汝に先祖を継いで斉の軍隊を管理するよう命じた。余は再び同じ命令を与える。汝に赤色の弓一・赤色の矢百・馬四匹を与える。慎んで汝の職に勤め、戦いに敗れないようにせよ。」引は拝礼叩頭し、王の恩寵に感謝の意を示した。……敵軍を追撃して得られた兵器を用いて、ここに□公を祀る簋を作る。子々孫々これを宝物として用いよ。

形式としては西周金文によくある周王による官職任命を記したもので、冊命金文に類するものです。この銘文自体は太公望とは直接関係のないものですね。銘文に出て来る引という人物が斉侯の子孫・一族なのかどうかもよく分かりません。当然陳荘の墓葬が太公望のもの云々という話も眉に唾付けて見る必要があるでしょう。これについては新華網の記事でも後ろの方に「ただ、現在の状況では、出土した城址の面積は比較的小さく、かつその中に墓葬があるだけで、生活区が発見されていないので、斉国の都城であるはずはなく、また斉国国君の墓葬であるはずもない」とあり、慎重ですね。銘文の年代は「龏大室」すなわち共王の宮室という言葉からすると、西周6代目共王より後、西周中期後半以後ということになるでしょう。

この銘文で興味深いのは、「斉師」すなわち斉の軍隊が斉国ではなく王朝の管轄下にあったということですね。師[宀袁]簋や史密簋といった他の銘文を参照しても、やはり周王に直属する貴族が斉師を率いて淮夷やら山東方面の現地勢力を討伐したりしてます。ここから斉国と王朝の関係がどんなもんだったのかとか、(『史記』斉世家を見ると、斉の哀公が周に煮殺されてたりして、周と斉の関係が穏やかではなかったことが窺われるのですが)そもそも軍隊の管轄権が王朝に握られている時点で斉が諸侯国としての体を成していたのかとか様々な疑問があふれてきます。しかし何にせよこの銘文が論文のネタにしやすいことは確かなのであります(^^;)
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清華簡『保訓』

2009年05月01日 | 学術
以前に紹介した清華大学蔵戦国楚簡ですが、先日『国学網』を見ていたら続報がアップされており、精華簡の一部で『尚書』の逸篇と見られる『保訓』の内容が紹介されてました。

李学勤「“清華簡”研究初見成果:解読周文王遺言」
(元記事は4月13日づけの『光明日報』)

内容は周文王の武王に対する遺言で、その中で舜や殷の祖の上甲微の話などが言及されているとのこと。上記の李学勤氏による記事の中で原文が部分的に引用されているので、以下に抜き出しておきます。

「惟王五十年、不瘳、王念日之多鬲(歴)、恐墜宝訓。」
「王若曰、発(武王の名)、……」
「戊子、自靧。己丑、昧爽……」
「昔舜旧作小人、親耕于歴丘、恐求中、自稽厥志、不違于庶万姓之多欲。厥有施于上下遠邇、迺易位邇稽、測陰陽之物,咸順不擾。舜既得中、言不易実変名、身滋備惟允、翼翼不懈、用作三降之。帝堯嘉之、用受厥緒。」
「昔微假中于河、以復有易、有易服厥罪。微無害、迺帰中于河。」
(微由此把「中」)「伝貽子孫、至于成湯」


最後の文は現代中国語による補足を交えて原文を引用している部分です。全体を通して「中」の概念がキーワードになっています。

篇名の『保訓』は元から付いていたタイトルではなく竹簡の整理者が付けたものということで、おそらく最初の文の「恐墜宝訓」という句から採ったのでしょうけど、この「宝訓」が通仮によって「保訓」と読むべきだと判断したのか、(金文などで「保」・「宝」の2字が通用する例がある。)それとも単なるワープロの変換ミスなのかはっきりしません(^^;)

しかし以前紹介されていた『傅説之命』はどうなったんでしょうか。また、昨年こちらの指導教授に聞いた話では『尚書』の逸篇とされる書に『×公之預命』(「×」は現段階で隷定出来ない字)なるものが含まれているということでしたが…… まあ、おそらくは今回紹介された『保訓』を含めて『尚書』の逸篇と見られる書が複数存在するということなんでしょうけど。

今回紹介した記事の末尾に『保訓』の図片と釈文は間もなく公開出来るみたいなことが書かれていますが、購入からわずか1年足らずで精華簡全体の図録が出せるとも思えないので、(郭店楚簡や上海博物館蔵戦国楚簡は発見から5年後ぐらいにようやく図録が発行されている。)『文物』などの専門誌に取り敢えず『保訓』だけが紹介されるということなんでしょうね。何にせよ楽しみであります。
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周公廟からまたもや甲骨が

2009年01月27日 | 学術
私が日本でのんびりしている間に世の中は動いていたようです(^^;)

nagaichiさんの『枕流亭ブログ』によると、このほど陝西省岐山県の周公廟遺跡から2004年に引き続き大量の甲骨が発見され、文字が刻まれているものも多数存在するとのこと。

「西周の甲骨文字」(『枕流亭ブログ』)

で、以下が元記事です。

「西周時代の甲骨7000片発掘、甲骨文字1600字を確認―陝西省」(『レコードチャイナ』)

ついでに甲骨の写真が入った中文記事もリンクしておきます。

「周公廟発見7千余片西周甲骨 新字形屡見」(『中国考古』)

というかレコードチャイナ、発掘現場の写真だけアップして甲骨そのものの写真が無いというのはどうかと思います……

「王季」「文王」「畢公」「王」(これはその当時在位していた王ということでしょうね)などの人名が見られるということですが、このうち文王の父とされる「王季」は金文も含めて西周期の資料の中では初めて見られるものですね。

今回出て来た資料、今までの例からすると主要なもの数点は数ヵ月後ぐらいに専門誌で紹介されたりするんでしょうけど、整理作業を経てそのすべてが公表されるのは何年後になることやら……
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清華大学蔵戦国楚簡

2008年11月05日 | 学術
2週間ほど前にこちらの先生から清華大学が戦国楚簡を収蔵したという話を聞いたのですが、まだ公表されていない話かもしれないしブログに書いたものかどうかと迷っていたのですが、今日たまたま10月29日付けの『中国文物報』を見たところきっちりこの話が載ってました。ネットでも同様の記事が上がってますね。

「清華入蔵戦国竹簡典籍 専家称学術価値不可估量」(『精華新聞網』)

要するに清華大学のOBが海外で2100本の戦国楚簡を購入して今年7月に母校にそれを寄贈し、現在李学勤を中心とする研究チームが解読・整理・保存作業を進めているという話です。

楚簡の内容としては『尚書』の逸篇、西周から戦国初めまでの編年体史書、『国語』に類似した説話史書、『儀礼』に類似した礼書、楽書、『周易』に関する書が含まれているとのこと。このうち『尚書』については本来の『説命』に相当すると思われる『傅説之命』などが含まれ、これらは真正の『古文尚書』だなんて書いてありますね。(先生も同じギャグを言ってました(^^;) ) 

『中国文物報』の方の記事には2011年に整理作業を終えて報告資料を出す予定というようなことが書いてあります。上海博物館所蔵の戦国楚簡もまだすべての内容が発表されたわけではありませんし、古文字関係の研究はこれからも当分論文のネタに困ることは無さそうです(^^;)
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紀念中国古文字研究会成立三十周年国際学術研討会

2008年10月15日 | 学術
まずは2008年10月11~12日にかけて長春で開催された紀念中国古文字研究会成立三十周年国際学術研討会の様子から。

下の写真は開会式でお披露目された于省吾先生の胸像です。于省吾先生は古文字学の大家の一人であり、また主催機関である吉林大学古籍研究所の師祖の一人であります。しかし中国の人って本当にこういう銅像を造るのが好きなんですね(^^;)



肝心の発表の方は私の聴力ではほとんど聞き取れず、大会の要項替わりとなっている『古文字研究』第27輯にザッと目を通して大体の内容を把握するような状態でした。『古文字研究』は不定期刊の中国古文字研究会の機関誌のようなものです。今まで大会開催後に発表者が論文に仕上げて寄稿し、発行されるものだと思ってましたが、実際は大会の要項を兼ねて開催と同時に発行されるものだったんですね。

私は飛び入りの聴講客でしたが、ドサクサに紛れて参加者一同の記念撮影に混ざることに。しかし肝心の写真はあらかじめ参加申請していた人にしか配布されませんでした…… ただ誰がどの位置に写っているかという写真との対照表は貰えたので、この表が唯一私が今回の大会に参加したという証明書になりそうです(^^;)

食事の席などで先生方と挨拶をかわしたりしましたが、日本人の古文字学者というと必ず白川静の名前が出るんですね。この分野で一番多く引用されている日本人の著作が白川先生の『金文通釈』(『金文詁林補』などからの孫引きを含む)なんで無理からぬところですが。(ちなみに次に多く引かれているのは島邦男の『殷墟卜辞研究』あたり。)

あと、「13~14日の長白山ツアーに参加されますか?」と質問すると、行った経験のある人から「前に行ったから今回は行かない」という返答が…… やはり一度行けば充分な所だということでしょうか(^^;)

1日目の夜は夕食の後、東北風劇場という所で東北地方の伝統芸能である東北二人転を鑑賞することに。これについてはまた項を改めて報告したいと思います。
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