博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『河内源氏』 日本の歴史に残るDQNたち

2011年09月30日 | 日本史書籍
元木泰雄『河内源氏 頼朝を生んだ武士本流』(中公新書、2011年9月)

河内源氏というのは清和源氏の一派で、大江山の鬼退治で知られる源頼光の弟頼信の子孫を指し、源義家や頼朝・義経などもこの系統に属します。この河内源氏について概括したのが本書ということですが、例によって武士=DQNという印象を更に強める結果に…… 以下、本書で印象に残った部分について挙げておきます。

「この当時、武士と貴族の境界はきわめて曖昧なものであった。」(本書19頁)
貴族のDQNな部分が強調されたのが武士というわけですね、わかりますw このあたりは以前に読んだ繁田信一『殴り合う貴族たち』とも内容的にリンクしますね。

「東国は実力がものをいう自力救済の世界」(本書22頁)
もはや武士の世界は修羅の国であるとしか…… 著者は「やっぱり武士がやくざと一緒、などという短絡的な議論」などと言ってますが、どう見てもやくざと一緒です。イヤ、やくざの方がまだ文明的だと思います……

八幡太郎義家の評価
源義家の死の直後、藤原宗忠は『中右記』において「武威は天下に満ち、誠にこれ大将軍に足る者なり」と褒め称えた。ところが2年後、義家の子義親が反乱をおこして討ち取られると「義家朝臣、年来武士の長者として多く罪なき人を殺す。積悪の余、ついに子孫に及ぶか。」と、評価は一変。人を持ち上げておいていきなり落とすというのは日本人の昔からのお家芸だったんですね(^^;)

恐怖の義親伝説
その源義親ですが、平正盛(清盛の祖父ですね)によって追討されてからも、20年以上にわたって各地で「我こそは義親である」と自称する偽物が何度も出現したとのこと。……死んでからも脅威を与え続けるとは、源義親というのは恐怖の大魔王か何かなのでしょうか。で、京の都に自称義親が出没した時に生前の妻や関係者を集めて首実検が行われ、多くの人が「義親ではない」と証言する中、本物の義親だと証言する人もいたというのが何とも……

源氏の棟梁
しかし河内源氏でDQNであったのはこの義親だけではなく、と言うより河内源氏そのものがDQN一族であったと言った方が適切なありさま。いやもう、河内源氏の面々がDQNすぎて読み進めるのが辛い(^^;) このDQN一族同士が源氏の棟梁の座をめぐってまさに血で血を洗う抗争を繰り広げ、最終的に頼朝の父義朝の手によって長年にわたる一族の内紛が克服され、嫡流の地位が確立されていくわけですが、この時代、嫡流だから偉いのではなく、偉いから嫡流なのだということが本書を読んでよく分かりました。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『宮』その1

2011年09月27日 | 中国歴史ドラマ
『大秦直道』は9枚目のDVDまでレンタルしたところで続巻がすべて借りられてしまいましたので、しばらく中断です。で、于正制作ドラマ『宮』を見始めました。于正は先日鑑賞した漢代後宮トンデモスパイアクション『美人心計』の制作者ということで、この作品もトンデモ展開に期待がかかります(^^;) 役者さんも主役の楊冪をはじめとしてどこかで見た顔がちらほら…… 今回は第1~5話まで鑑賞。

主役の洛晴川は骨董屋の一人娘で、高陽のロングセラー歴史小説『雍正皇帝』が愛読書というちょっと変わった美少女。彼女がうっかり現代中国から康熙47年の世界にタイムスリップしたところから物語が始まります。

まずなりゆきで皇太子の二阿哥(康熙帝の次男)侍女兼ブレーンとなり、ついで彼女の才覚に惚れ込んだ康熙帝の側室の僖嬪に仕えることになります。晴川は『雍正皇帝』を読んで得た知識で宮廷生活を乗り切っていきますが、そう言えば『神話』では秦の時代にタイムスリップした主人公が教養番組『百家講壇』で得た知識で世渡りしてましたね(^^;) このドラマ自体も『雍正皇帝』のドラマ版『雍正王朝』のパロディとして展開していっているような感じです。

で、晴川は康熙帝の心をつかむ良い方法は無いかと僖嬪に相談され、木製のローラースケートで演舞することを提案したりしてますが、『神話』では主人公がケータイの充電器やバースデーケーキを自作してましたし、今更ローラースケートぐらいでいちいち驚きませんとも!ええ……

その後も晴川は同僚の宮女たちから嫌がらせされたり、八阿哥に惚れられて「オレの妾にしてやるよ!」と言われて拒絶したり、自分にやさしくしてくれた四阿哥(すなわち後の雍正帝)にうっかり惚れちゃったりしてます。

四阿哥は閨閥を見込んで好きでもない重臣隆科多の娘と結婚し、父の康熙帝から雍親王に封ぜられと、廃太子となった二阿哥になりかわって後継候補の座を得ようと着々と野望の階段を駆け上っていっているのに対して、八阿哥は晴川を振り向かせるために腐心する始末。ダメだこの皇子、誰か早く何とかしないと……
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黙ってても年貢が入ってくるのって異常じゃね?

2011年09月25日 | 日本史書籍
タイトルを見て何かと思われたでしょうが、新田一郎『日本の歴史11 太平記の時代』(講談社学術文庫、2009年)の話です。

本書の中で「中世の人々がなぜ領主に毎年年貢を支払ったのか、その理由は本当のところ判っていない。」という一文があるのに思わず笑ってしまったわけです。

本書では一応有力な解釈として、領主が農業再生産の条件を整える見返りとして農民が年貢を納めるという契約的な関係として発生し、それが慣習として制度化していったという説を紹介してますが、どうにも煮え切らないものを感じます。年貢を払わなかったら怖い人たちが押しかけてきてボコボコにされるからという理由じゃダメなんでしょうか(^^;)

そして後文でも、ヨーロッパ中世の封建諸侯が年貢の確保のためにエラい苦労をしたのに対し、日本の荘園領主が所領から遠く離れた畿内に暮らし、かつ自前の組織的な軍事力を持っていないにも関わらず、遠隔地の所領からちゃんと年貢を確保できていたのが何故なのか実はよく判らないとコメントしています。

著者はその理由を解明する鍵として、人々が特に疑問に思うわけでなく年々繰り返されるパターンを前提として動くという「予期可能性」が挙げられるかもしれないとしていますが、これって要するに昔からの慣習なので何となく年貢を納めているということですよね(^^;) 日本人が当たり前のことを当たり前のこととして疑わないというのは昔からのことなんだなあと思ったり……
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『太平記〈よみ〉の可能性』

2011年09月21日 | 日本史書籍
兵藤裕己『太平記〈よみ〉の可能性』(講談社学術文庫、2005年)

『平家物語』のパロディ、あるいは宋学的名分論の体現の場としての南北朝時代から『太平記』の枠組みに規定される江戸幕府、そして水戸藩による『大日本史』の編纂に至るまで、「物語が現実をつくる」さまを描き出すというのが本書のテーマですが、この「物語」という言葉には「もうそう」「ファンタジー」「イデオロギー」等々、いろんなふりがなをつけることが可能だと思います(^^;)

実はこの本、初読ではなく再読なのですが、改めて読み返してみても「南北朝時代とは、かならずしも事実として存在したのではない。」とか「名分論の思弁がまずあって、しだいにそれに対応する現実がつくられたのが、このすぐれてイデオロジカルな時代の特徴である。」といった文章はなかなか心にくるものがありますね。

特に本書で扱われている由井正雪の乱の顛末はあまりに厨二すぎて読んでいて胸が痛くなってきますが、そもそも『太平記』自体が日本人の厨二な部分を必要以上に刺激する危険な書ということなのかもしれません……
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『大秦直道』その4

2011年09月20日 | 中国歴史ドラマ
『大秦直道』第20~26話まで見ました。

直道の建設現場では、うっかり官兵に捕まって労役人夫にされてしまった山賊の一味が韓騫と結託して工事の妨害活動を遂行。おまけに水害や疫病も重なって直道建設が遅々として進みません。

都の咸陽では趙高が玉娘に瓜二つの胡姫(というか、玉娘役の女優さんが一人二役で演じてます)を召し出し、始皇帝はすっかり彼女によって骨抜きに。彼女や趙高と結託した徐福の勧めで蓬莱に渡海するための造船計画を認可し、そのあおりで直道建設のための物資や食糧が削減されてしまいます。

これではいかん!と、霊児・蒙毅が胡姫の陰謀をあばき、正気に戻った始皇帝が胡姫を殺害。このキャラでもう少し話を引っ張るかと思いましたが、あっさり始末されてしまいましたね。

で、蒙毅がこの胡姫の件と、秘密裏に私刑場「梁山宮」を運営していた件で趙高を摘発。事の次第を知った始皇帝は趙高を処刑しようとしますが、蒙毅は趙高と取り引きし、直道の建設資金として全財産を差し出すことで減刑されて労役刑に服することとなり、趙高は直道の建設現場へ。蒙毅と趙高との絡みというと、ついつい『神話』を思い出してしまいますね(^^;) 更に李斯ら重臣たちもこぞって建設資金を供出したことで、現場での物資・食糧不足が一気に解消されます。

その頃、現場では淳于喬女への嫉妬に駆られた李賢が病原菌に汚染された水をうっかり彼女に飲ませてしまい、淳于喬女が病死。事の次第を知った扶蘇は李賢を都に送還してしまいます。一方、始皇帝は思いつきで霊児を蒙恬に嫁がせることにし、彼女と相思相愛の仲の蒙毅が焦りまくりますが、蒙恬が彼女に一切手を付けないと宣言したことで事なきを得ます。……何だか誰得な展開が続きますね。更に蒙恬は匈奴の頭曼単于との講和を取りまとめ、直道は秦人と胡人との交易の中心地となりますが……

ということで、このパートではやたらと蒙恬が筆を作る場面が出て来ます。確かに蒙恬が筆を発明したという伝承もあるわけですが……
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『小説フランス革命1 革命のライオン』

2011年09月18日 | 小説
佐藤賢一『小説フランス革命1 革命のライオン』(集英社文庫、2011年9月)

佐藤賢一『小説フランス革命』がいよいよ文庫化。今月から毎月第1部全9巻が文庫化されていくとのことです。取り敢えず今巻は全国三部会が招集され、第三身分の代表を中心に国民議会が結成されるあたりまでを扱ってますが、内容を端的にまとめると、「ミラボー無双」「それでもネッケルなら…ネッケルならきっと何とかしてくれる」「ところがどっこい、これが現実…!」でいいんでしょうか(^^;)

しかし全体的にどうもイマイチというか薄味だなと。『ローマ人の物語』とか『天皇の世紀』のフランス革命版みたいなのを期待していたんですが…… 物語としてははっきり言って長谷川哲也『ナポレオン』とか『やる夫がフランス革命を生き抜きます』の方がおもろいですよ。 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『大秦直道』その3

2011年09月14日 | 中国歴史ドラマ
『大秦直道』第14~19話まで見ました。

始皇帝は渭南に巡幸し、隠居していた蒙武と再会して直道建設の必要を訴えられます。霊児は好機到来と、父親魏青山が残した直道の地図を献上。またこの時に「秦を滅ぼすものは胡なり」と古文字で書かれた隕石が発見され、この「胡」とは匈奴のことであると思い込んだ始皇帝はいよいよ直道建設を正式に決定。

これで直道建設推進派の蒙恬・蒙毅兄弟は大喜びかと思いきや、始皇帝が超乗り気になって全面的なバックアップまで約束したのが却って不安のタネだと頭を抱えてます。独裁者に仕えるのも一苦労ですね(^^;)

一方、新婚さんのはずの扶蘇は新妻が李斯の娘なのが気に食わんとロクに家に寄り付かず、分封制復活支持者の集う「文学館」に通い詰めては淳于越の娘の淳于喬女ちゃんと逢い引きする始末。ちなみにこのドラマで扶蘇を演じているのは、『春秋淹城』で主役を張ってた程皓楓です。この人、やっぱ髭が無い方が様になりますねえ。

で、扶蘇の所業にブチ切れた李斯は「文学館」の摘発を始皇帝に提案し、この一件に激怒した始皇帝は焚書坑儒を断行。しかし李斯は肝心の扶蘇についてはお灸を据える程度にして徹底的に追い込むことはしないという老獪さを発揮。李斯は以前にも分封制復活を支持すると見せかけて、旗色が悪いと見るや即座に郡県制維持派に鞍替えしたりしており、このドラマの「きたないなさすが」を体現する存在です(^^;)



このドラマで李斯を演じているのは張子健。『神探狄仁傑』シリーズの李元芳が当たり役ですが、李元芳とはあまりにキャラが違いすぎてしばらく配役が張子健だと気付きませんでした…… (ちなみに李元芳のキャラを一言で表すと、カンフーが出来るワトソン。)

しかし扶蘇はと言えば、この重大事にも浮気相手の淳于喬女ちゃんを匿うのに必死な有様。もっと必死にならなきゃいかんことがあるだろうと。ダメだこの皇子、誰か早く何とかしないと……

で、扶蘇は李斯の取りなしもあってお咎めなしの所を敢えて志願して上郡に赴き、蒙恬を補佐して直道建設の監察に当たることになりますが、これを好機として淳于喬女ちゃんを同行させたところ、本妻の李賢も任地まで着いて来ることになって大ピンチ!ダメだこの皇子、誰か早く(以下ry
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『日本の歴史00 「日本」とは何か』

2011年09月13日 | 日本史書籍
網野善彦『日本の歴史00 「日本」とは何か』(講談社学術文庫、2008年11月)

講談社が2000年頃に刊行した『日本の歴史』の文庫版ですが、いつの間にかこのシリーズ、文庫化されていたんですね。本書は特に網野氏の研究の集大成的な内容になってます。ネタ的にも面白い話がいくつか見られたので、ここでは特にその中から2つ紹介してみます。

ネタその1

「日出ずる国」という意味の「日本」という国号が中国の側から我が国を指す呼び方であり、そのことから「日本」という国号が大嫌いだという江戸後期の会津の国家神道家佐藤忠満の意見を紹介する網野氏。そしてNHKの番組で、一部の支配者が決めた「日本」という国号は国民の総意で変えることができると発言。それに対して視聴者から「日本が嫌いなら日本から出て行け」というお叱りを頂戴しますが、それに対する網野氏の反応は……

「こうした立場に立つあなた方こそ、この国家神道家の意志を継承して『日本』という国号が大嫌いだと言うべきであり、また中国側に視点を置いた『日本』という国号の変更運動をおこされるべき。」……一応理屈は通っているのですが、通っているだけに腹がよじれるほど笑ってしまいました(^^;) しかし同時に、世界の国の中で一部の支配者が決めたものではない国号が果たしてどれだけ存在するのかという疑問も浮かんでくるわけですが……

また、本書では平安時代の貴族紀淑光の、「『日本』が『日の出るところ』という意味であるとすると、我が国は確かに唐の国から見ると太陽が昇ってくる東の方角に位置するわけだが、この国にいて見ると、太陽は国の中からは出ないではないか。それなのになぜ『日出づる国』ということになるのか」と、「日本という国号はよく考えるとおかしいんじゃね?」という疑問を述べていることを紹介しています。『日本』という国号に関する議論というか疑問は割と古くから存在したわけですね。

ネタその2

江戸時代の「日本国」に対する認識として、春画の文章や川柳まで史料として引用する執念には脱帽です。しかし「男性の快美の絶頂」の表現として「日本国がひとつになって、身うちが解けて、煮こごりになるようだ」とか「逆鉾の先々へ日本の寄る如し」なんて文章を引用しているのを見ると、余裕で腹筋崩壊できるのですがwww でもこういうのを見ると、割りとマジな意味で歴史学の可能性を感じてしまいますね(^^;)
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『逆水寒』その5(完)

2011年09月09日 | 武侠ドラマ
『逆水寒』第28~最終34話まで見ました。

晩晴から密書の内容を聞き出そうとする息紅涙と小玉ですが、馬に目を取られている隙に晩晴が逃亡。いったい何やってんすかwww 仕方がないので晩晴を追跡する小玉ですが、旅の途中で宋の皇女との婚約をまとめるためにやって来た遼国の三太子蕭隆緒と道連れとなり、恋仲に。結局小玉が宋の皇帝の養女となり、開封の大相国寺で婚礼が行われることになります。

一方、戚少商は九幽神君の一派の巣窟である「魚池子」こと開封の大牢に潜入し、囚われの身となっている李齢から密書の内容、すなわち傅宗書の陰謀を聞き出すことに。牢内では九幽神君に洗脳されたふりをしていた戚少商ですが、ホントに彼が洗脳されたと思い込んだ顧惜朝が「なあ、俺のこと友人だと思ってた?(´・ω・`)」としんみり尋ねたり、彼のために息紅涙を牢内に連れ込んで会わせてあげたり、洗脳されたふりをやめた戚少商とタッグを組んで九幽神君を倒したりというシーンを見てると、このドラマってやっぱりBL武侠なんじゃないかという気がしてくるのですが……

そして李齢から傅宗書が大相国寺の婚礼に手下を潜入させて蕭隆緒と小玉を殺害させ、遼と宋との間に戦争をおこさせ、更には自分が宋の帝位を簒奪する計画であると知らされた戚少商と息紅涙は一路大相国寺へ。四大名捕も戚少商らと協力して婚礼に紛れ込んだ傅宗書の配下を捜索することになりますが、ここで予想通り鉄手が生きていたことが判明。しかもどうして生きていたのかという説明は一切無し。ウソでもいいから何かそれらしい説明をデッチ上げろよと(^^;)

大相国寺での陰謀は何とか阻止した一同ですが、実は大相国寺での一件はおとりで、傅宗書の真の狙いは警備が手薄になった皇宮に顧惜朝を潜入させ、皇帝の身柄を抑えることであったと判明。戚少商は皇帝を救出し、顧惜朝と決着をつけるべく皇宮へと乗り込みますが……

【総括】

ということで途中で他のドラマに浮気したりしてその4から1ヶ月以上空いてしまいましたが、何とか最後まで鑑賞しました。出だしは割といい感じでしたし、途中もそれなりに見所はあったのですが、いかんせん息紅涙をめぐる恋の鞘当てとかいったい誰得なんだとツッコミたくなるようなエピソードで展開がムダに間延びしていたのが何とも…… シナリオの適当さは途中で浮気して見てた『春秋淹城』と比べると際立ってましたね(´・ω・`)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『戦国時代の足利将軍』

2011年09月07日 | 日本史書籍
山田康弘『戦国時代の足利将軍』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー、2011年7月)

戦国時代の足利将軍は有名無実の存在などではなく、大名に対してなお相応の影響力を発揮しており、大名の側も領国での在地化を進めながらも、なお足利将軍の権威を必要としていたというのが本書の主旨。

日本の戦国時代を語るのに「国連」とか「国際政治」、「リベラリズム」や「コスモポリタニズム」といったキーワードがポンポン出て来るあたり、かなり異色ですが、従来の戦国時代史は「分裂」や「群雄割拠」という側面を強調しすぎていたという主張には賛同できます。室町幕府という前提があってはじめて江戸幕府や「徳川の平和」が生まれてくるという発想はごく自然なものであると思います。 

また一口に乱世とは言っても、南北朝時代なんかと比べると戦国時代にはまだ秩序への志向のようなものが感じられるのも事実。戦国時代はやっぱり近世への入り口だったんだろうなと思うわけです。

更に日本に限らず、中国の東周期、特に春秋時代の周王も戦国時代の足利将軍と同じような役割を担っていたのではないかとか、本書を読みつつ色々なことを考えさせられました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする