元木泰雄『河内源氏 頼朝を生んだ武士本流』(中公新書、2011年9月)
河内源氏というのは清和源氏の一派で、大江山の鬼退治で知られる源頼光の弟頼信の子孫を指し、源義家や頼朝・義経などもこの系統に属します。この河内源氏について概括したのが本書ということですが、例によって武士=DQNという印象を更に強める結果に…… 以下、本書で印象に残った部分について挙げておきます。
「この当時、武士と貴族の境界はきわめて曖昧なものであった。」(本書19頁)
貴族のDQNな部分が強調されたのが武士というわけですね、わかりますw このあたりは以前に読んだ繁田信一『殴り合う貴族たち』とも内容的にリンクしますね。
「東国は実力がものをいう自力救済の世界」(本書22頁)
もはや武士の世界は修羅の国であるとしか…… 著者は「やっぱり武士がやくざと一緒、などという短絡的な議論」などと言ってますが、どう見てもやくざと一緒です。イヤ、やくざの方がまだ文明的だと思います……
八幡太郎義家の評価
源義家の死の直後、藤原宗忠は『中右記』において「武威は天下に満ち、誠にこれ大将軍に足る者なり」と褒め称えた。ところが2年後、義家の子義親が反乱をおこして討ち取られると「義家朝臣、年来武士の長者として多く罪なき人を殺す。積悪の余、ついに子孫に及ぶか。」と、評価は一変。人を持ち上げておいていきなり落とすというのは日本人の昔からのお家芸だったんですね(^^;)
恐怖の義親伝説
その源義親ですが、平正盛(清盛の祖父ですね)によって追討されてからも、20年以上にわたって各地で「我こそは義親である」と自称する偽物が何度も出現したとのこと。……死んでからも脅威を与え続けるとは、源義親というのは恐怖の大魔王か何かなのでしょうか。で、京の都に自称義親が出没した時に生前の妻や関係者を集めて首実検が行われ、多くの人が「義親ではない」と証言する中、本物の義親だと証言する人もいたというのが何とも……
源氏の棟梁
しかし河内源氏でDQNであったのはこの義親だけではなく、と言うより河内源氏そのものがDQN一族であったと言った方が適切なありさま。いやもう、河内源氏の面々がDQNすぎて読み進めるのが辛い(^^;) このDQN一族同士が源氏の棟梁の座をめぐってまさに血で血を洗う抗争を繰り広げ、最終的に頼朝の父義朝の手によって長年にわたる一族の内紛が克服され、嫡流の地位が確立されていくわけですが、この時代、嫡流だから偉いのではなく、偉いから嫡流なのだということが本書を読んでよく分かりました。
河内源氏というのは清和源氏の一派で、大江山の鬼退治で知られる源頼光の弟頼信の子孫を指し、源義家や頼朝・義経などもこの系統に属します。この河内源氏について概括したのが本書ということですが、例によって武士=DQNという印象を更に強める結果に…… 以下、本書で印象に残った部分について挙げておきます。
「この当時、武士と貴族の境界はきわめて曖昧なものであった。」(本書19頁)
貴族のDQNな部分が強調されたのが武士というわけですね、わかりますw このあたりは以前に読んだ繁田信一『殴り合う貴族たち』とも内容的にリンクしますね。
「東国は実力がものをいう自力救済の世界」(本書22頁)
もはや武士の世界は修羅の国であるとしか…… 著者は「やっぱり武士がやくざと一緒、などという短絡的な議論」などと言ってますが、どう見てもやくざと一緒です。イヤ、やくざの方がまだ文明的だと思います……
八幡太郎義家の評価
源義家の死の直後、藤原宗忠は『中右記』において「武威は天下に満ち、誠にこれ大将軍に足る者なり」と褒め称えた。ところが2年後、義家の子義親が反乱をおこして討ち取られると「義家朝臣、年来武士の長者として多く罪なき人を殺す。積悪の余、ついに子孫に及ぶか。」と、評価は一変。人を持ち上げておいていきなり落とすというのは日本人の昔からのお家芸だったんですね(^^;)
恐怖の義親伝説
その源義親ですが、平正盛(清盛の祖父ですね)によって追討されてからも、20年以上にわたって各地で「我こそは義親である」と自称する偽物が何度も出現したとのこと。……死んでからも脅威を与え続けるとは、源義親というのは恐怖の大魔王か何かなのでしょうか。で、京の都に自称義親が出没した時に生前の妻や関係者を集めて首実検が行われ、多くの人が「義親ではない」と証言する中、本物の義親だと証言する人もいたというのが何とも……
源氏の棟梁
しかし河内源氏でDQNであったのはこの義親だけではなく、と言うより河内源氏そのものがDQN一族であったと言った方が適切なありさま。いやもう、河内源氏の面々がDQNすぎて読み進めるのが辛い(^^;) このDQN一族同士が源氏の棟梁の座をめぐってまさに血で血を洗う抗争を繰り広げ、最終的に頼朝の父義朝の手によって長年にわたる一族の内紛が克服され、嫡流の地位が確立されていくわけですが、この時代、嫡流だから偉いのではなく、偉いから嫡流なのだということが本書を読んでよく分かりました。